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蒼い背中  作者: kagedo
EP.2 波乱の合同演習編
14/138

-その小言が聞きたくて-




* * *




「いってぇ……!」


 暗転する視界。固い土の上へ身体を叩きつけられる衝撃に思わず呻く。その場で大の字に転がっていると、冷めた青の双眸が自分を睨んだ。


「早く立て」

「ちょっと休憩させてくださいよ。身体が持ちませんって」


 容赦のない指示を浴びせられるも、今は地面から動けない。


 朝の敵襲騒ぎのせいで合同演習は一時中止となった。その代わり、午後は地下修練場で部隊ごとの通常訓練が行われ、牙雲から体術の稽古をつけられていたのだ。


 ただ、余計な考え事をしていたせいで、手首を捻られ、足を払われ続けている。自分の方が身体も大きいはずなのに、何度やってもこの様だ。


「ついて来られないなら下がっていろ」


 口を尖らせた自分には一瞥もくれず、牙雲は他の隊員を呼び立てた。普段なら「そんな体格(なり)をして、軟弱なことを言うな」と小言を言いながらも続けてくれるのに。


 背中をさすりながら起き上がると、紅葉は黙ってその場を後にした。牙雲は自分を引き留めなかった。しかし、すれ違う瞬間に涼やかな瞳が険しく細められる。


「オレに何か言いたそうだけど、我慢してるっぽいな」


 彼が他の隊員と手合わせをしている間、紅葉は離れた場所で膝を抱えていた。周囲の話を聞く限り、敵襲騒ぎは緊急時対応の抜き打ち訓練だったという体で通っているようだ。


 牙雲は事実を明らかにし、懲罰をつけるよう打診したらしいが、最終的な処理は覆らなかった。裏方である《戦況管理部隊》の調査班は人手が少ないため、人的被害が無く、原因がはっきりしている案件は穏便に済ませたかったのだろう。


「朝のこと、少佐は納得してないよなぁ。まだ機嫌も直ってなさそうだし」


 あの出来事からしばらく経つが、牙雲の口からは小言すらも聞こえてこない。それが少しばかり彼との距離を生んだように思っていた。


「別に小言が好きな訳じゃないんだけど。さっきからまともな会話もないせいで、少佐が何を考えてるのか急にわかんなくなっちゃったな」


 時平と言い争っていた時、牙雲は自分を見捨てるつもりはないという話を口にしていた。だが、時平から聞かされた憶測が心の端に引っかかっている。


 初陣で自分を助けてくれた上官の行動は本物だった。監視塔でも本心から自分を叱ってくれたのだろう。あらゆる他者を一人で庇い、その命を脅かさないことを、牙雲自身は強く意識している。ただ、今の自分にはそんな彼の行いが過ぎた義務的な行為のようにも映っていた。


 口の堅い上官の考えを尋ねるには彼が一人でいる時を狙うしかない。解けかけた靴紐を結び直すと、紅葉は次にかける言葉を探していた。




* * *




「今日の稽古は終了だ。各自、反省点は次回までに直して臨むように。以上、解散!」


 撤収を始める群れの中、紅葉は帰ろうとした上官を引き留めた。


「少佐、ちょっといいですか。オレ、朝の顛末書を書きたいんで、執務室に残らせて欲しいんスけど」

「……上まで来い」


 その申し出は拍子抜けするほどにすんなりと通った。特に断られる理由もないのだが、その反応が意外にも思える。


 道中で会話は交わされなかった。ただ、牙雲は隣を歩く自分を気にするような仕草をしている。塔の頂まで続く螺旋階段を経て、斜陽の差し込む執務室まで辿り着く。そこへ先に入った自分が明かりをつけようとした時だった。


「書類は最後に俺が確認する。終わったら声をかけろ」


 自席に着いた彼も例の顛末書を仕上げるつもりらしい。静まり返った空間にペン先を動かす乾いた音が響いていた。急かされた紅葉も気乗りしないまま筆記具を構える。だが、持ち上げていたそれを再び机に置いた。


「ねえ、少佐」


 その呼びかけに、牙雲が品のある顔立ちへ怪訝な表情を浮かべている。ただ、ここで黙っていてはダメだ。意を決し、これまで探していた言葉をやっと口にする。


「今朝の件なんですけど、その、本当にすみませんでした。少佐に心配かけて、飛翼まで危険に晒して。今までで一番反省してます」


 相手からの反応はなかった。ただ、紅葉はそのまま先を続ける。


「少佐に普段から言われてたことの意味を、オレはあんまり深く考えませんでした。でも、今日怒られた時に初めて理解できたんです。軍の規律は一人でも多くの味方を守るためにあるんだって。それに遅刻をあんなに怒る理由も、オレに何かあったんじゃないかって心配になるからですよね?」

「妙なところで前向きだな、お前は」


 上官の口から大きな溜息が漏れた。手にしていたペンを置くと、牙雲が広い天板から視線を上げる。


「頷くのも腹立たしいが、その通りだ。もしお前に何かあれば、軍やお前の身内にも申し訳が立たない」


 そう言って自分を見据えた青い瞳には、強い輝きが宿っていた。


「口うるさいのは自覚している。そこは時平からも咎められた。だが、何も言わなかったことで不幸が起こるぐらいであれば、俺は言うべきことを言い続けるつもりだ。

 ――ただ、俺は今に至るまで、お前を叱った際に全ての意図を説明していなかった。厳しく接したせいで気に食わないことや不満もあっただろう。そこは俺自身も反省すべき部分だ。もし俺にとやかく言われるのが苦痛なら、ここを出て行っても構わない。どこへ行くのもお前の自由だ」

「……なんだ、よかった。実はオレ、ずっと前から行きたいとこがあったんスけど、言い出せる機会がなかったんです」

「そう、か。望むなら、お前が希望する部隊との交渉を――」

「オレは『牙雲少佐の隣』でもう一度戦いたいっス。今度はちゃんと言うこと聞くんで」

「どういう、意味だ」


 牙雲はしばらく面食らったような表情で固まっていた。


「お前は俺にうんざりしていたから、普段も遅刻ばかりで、今日もあんな騒ぎを起こして反抗していたんじゃ、」

「えっ、ちょっと、それは誤解っスよ! 普段の遅刻はマジで起きられないだけで、今日の件も少佐を困らせようとしたワケじゃないですし。そもそも、オレは今まで第五部隊から出たいなんて一度も思ったことありません。少佐がいてくれる限り、ずっとココにいるつもりです!」


 ――自分は牙雲と些細な約束をした。いつかは彼の背中を守るのだと。


「だから、少佐もどっかにいなくなったりしないでくださいよ? そうしたらオレ、立派な家まで押しかけに行くっス」

「誰に聞いたんだ、そんなくだらない噂話を」


 そう尋ねながらも、牙雲は話を吹き込んだ相手が誰かを理解しているようだった。ただ、上官から問われた手前、自分も偽りのない答えを返す。


「少佐が代々水資源を守っている家の一人息子だってことは、時平さんから聞きました。でも、本人の口から直接聞かなきゃ信じられないと思ってて」

「……家の話は事実だ。俺の家系は地場で“水神”として祀られている。その宗家は分家と協力して、他種族から水資源を守り通す責を務めていた。だが、偶然にも俺の代には他の世継ぎがいなかった。結果、俺が当主の責を負うことが決まっている」

「じゃあ、やっぱりいつかは軍を出るんですか。そんなに大事なお勤めなら、そう遠くないうちに――」

「誤解するな。俺は『成し遂げるべきこと』のために、親の反対を押し切ってここに入った。まだ当主も健在だから、お前たちを残したままそう易々と逃げ帰るつもりはない」


 牙雲は家に戻る気はないときっぱり言い切った。ただ、彼の口ぶりからは何らかの目的があったように思える。


「成し遂げるべきこと、っスか。それって一体、」

「俺は家に言われるがままではなく、俺自身が取るべき最善の策を考えて……いや、余計なことを言った。お前には関係のない話だ」


 上官はそれきり理由を告げることは無かった。だが、その台詞にはどこか違和感を覚える。


 牙雲は常に自分を律し、黙々と自己研鑽しているような性格だ。そんな彼が単なる私欲のために一族の期待を裏切り、下手をすればその血を絶やすような戦へ身を投じる勝手を押し通すだろうか。新たな疑問が湧いたものの、今日は堅い口が綻ぶ気配はなさそうだ。


「オレは色んな事情とか知る前に助けてもらった身なんで。牙雲少佐が本気でドラーグドでがんばってるんだと思ってます。だから、家柄とか面倒な話抜きで少佐についていくつもりです」

「……書くのが遅いくせに口数が多いぞ。先に手を動かせ」

「ハイハイ、わかりましたよ」


 ――ああ、よかった。そんな感想に一人で小さく笑う。まさか上官の口から出た小言に安堵を覚えるような日が来るとは。


「『はい』は一回だろ。何度言わせるつもりだ」

「はい! ……で、いいっスか?」

「分かれば宜しい」


 二人のいる空間はペン先が紙を引っ掻く音だけに包まれた。結局、聞きたかった答えは宙に浮いたままだ。それでも手にした筆の運びはいくらか軽くなっていた。


 この調子なら夕飯までには間に合うだろうか。細かな添削が入ることを見越しつつ、紅葉は顛末書の仕上げに自分の名前を記した。

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