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蒼い背中  作者: kagedo
EP.7 討伐隊編成編
128/161

-信じる理由-

「柚葉ッ、また来るぞ!」


 背後から砂を含んだ風圧を受ける。叩き潰そうとする巨大な掌から寸でのところで逃れると、紅葉は砂地を駆けた。


 崩れた瓦礫がまた自分の背中を掠める。視界が砂嵐に閉ざされていく。乾いた砂に晒され、かさついた喉が痛い。故郷の土を踏んでいるはずが、今は果てのない砂漠を彷徨っているようだ。


「ここからどうやって逃げ切るの?」

「まずはこの砂嵐を止めなきゃならない。方法を考えないと」


 妹の呼吸はひどく乱れていた。自警団にいるとはいえ、彼女が軍にいる者たちと同じ動きができるはずもない。


 だが、今は犀臥の操る砂塵で視界が不鮮明だ。隊員同士の衝突も起きかねず、逃げる方向も掴めない。下手な場所で足を踏み外せば、それこそ空いた砂底へ飲まれてしまう。


 そして、何度砕けても再生を繰り返す岩の腕は明らかに自分を狙っていた。ただ、妹たちを置き去りにするわけにもいかず、ここへ留まっている限り誰も大きな手を打てない。


 それでも必ず突破口があるはずだ。遠く離れた上官の背中を思い出す。牙雲ならば全てを救うための策を練るだろう。彼の思考やその想いを汲めれば、きっと同じ答えに辿り着ける。


「――すみません! この状況を切り抜けるために協力してもらえませんか!」


 澄んだ青を通して見た世界でやっと閃く。紅葉は攻撃の盾になっていた精鋭の一人を急いで呼び止めた。


「ここ一帯を湿らせれば砂嵐を止められると思います。だから、部隊の中で水の魔法を扱える人を集めてほしいんです」


 視界が確保できれば、自分たちは安全な逃げ道を探せる。白銀や第二部隊も本格的な攻勢に移れると踏んでいた。ただ、頷きこそしたものの、相手の表情は冴えない。


「君のやりたいことは理解した。ただ、今の前線にいる隊員の中で、条件に合う者がどれだけ生き残っているかは賭けになる。頭数次第では厳しいだろう」


 陥没した地面が蓄えた砂を湿らせるには、生半可な水量だと難しい。鈍色を携えた彼の力がどうしても必要なのに。いつも追いかけていた蒼い背中はここにない。


 乾き切った唇を噛み締める。滲む血の味に焦りが募っていく。


「だったら、この地域で溜めてある雨水や井戸水を使えばいけるかもしれないっス」


 水資源が集落の生活に必要不可欠だというのは理解していた。しかし、第二部隊が壊滅的な被害を受ければ、この後ろにいる多くの民も危険に晒される。


「オレは土地勘があるんで、思いつく場所を全部当たってみます」

「それなら可能性がありそうだな。まずは前線に掛け合ってみよう。大佐を通じて合図を送るから、折を見て上空へ来てくれ」


 伝令に向かった一人が砂嵐の彼方へ消えていく。それを見送った紅葉は妹へ向き直った。


「柚葉、頼みがある。オレの代わりにばあさんを連れて逃げてくれ。オレは白銀大佐を支援しに行かないと」

「無理だよ、あんなの勝てっこない! 兄さんも一緒に逃げなきゃ」

「オレはドラーグドの隊員だぞ。お前たちも軍の仲間も、オレにとっては大切だ。ここで逃げたら後悔する」

「でも、」

「オレはここに来てくれたみんなを信じたい。ちゃんと帰ってくるから、今は言うことを聞いてくれないか」


 柚葉が蒼い袖を掴んだ。死を目の当たりにした彼女の気持ちは理解している。何度も言い聞かせるように説得していた時、それまで沈黙していた老婆が声を上げた。


「若い軍人さん、この老いぼれの話を聞いてくださらないか」


 戦場の喧騒がひしめく中、彼女は皴枯れ声を振り絞る。


「もう何十年と昔のことじゃが、この近くで古い水路が引かれていたのを思い出した。今は濁り水になって使われていないが、水源となる溜池もこの地域内にあるじゃろう」

「それならみんなが使ってる資源にも影響ないな!」

「けど、どうやってそれを探し当てるの? 古い水路なら埋められててもおかしくないじゃない」

「いや、大体の場所がわかれば大丈夫だ。オレに考えがある」


 怪訝な顔をしている妹の横で、紅葉は白髪の老婆に尋ねた。

 

「ばあさん、覚えてる限りで溜池の目印を教えてくれ」

「祀っていた水龍を鎮めるため、近くに締め縄が巻かれた石碑があるはずじゃ」

「あたし、見たことあるかも。この集落の裏手にある更地に建ってたと思う」

「わかった。二人は砂嵐が止んだらすぐにここを離れて、避難場所まで向かうんだ。柚葉、オレがいない間はばあさんを守ってやってくれ」


 少しもしないうちにまた砂嵐が周囲で吹き荒ぶ。老婆の身を託すと、妹が自分の肩に額を押し付けた。


「必ず戻ってきて」


 これは彼女たちを守るための選択だ。今は自分が思いつく限りの最善を取ったと信じるしかない。


「妹たちのこと、よろしくお願いします」


 横についていた精鋭たちと視線を交わし、紅葉は吹きつける砂塵を掻いて飛び上がった。やっと晴れた視界で下を見ると、広範囲が砂嵐に覆われている。


「ひどいな、この区画ごと砂漠になってるのか」


 第二部隊を単騎で翻弄している犀臥は、高位の将に匹敵する力を備えていた。間違いなく恐れはあった。だが、広がる故郷の惨状を目の当たりにして、恐怖を上書きする感情に強く拳を握り締める。


「アイツ、ぜったいに倒してや――わっ!?」


 砂煙の奥から黄色い指先が現れた。叩き落そうとする腕をかわしていると、銀の刺突が岩の掌を手首から打ち砕く。


「白銀大佐! 助かりました」


 散乱した瓦礫を盾で弾き飛ばし、砂塵を突き破った鎧の将が隣に飛来する。


「部下からあなたの策について聞いたわ。すぐに水の魔力を持つ者がここまで来るはずよ」

「実は使えそうな水源の当てもできました。けど、この腕はオレのこと追いかけてくるみたいなんです」

「敵はあなたが妹さんたちを庇うと思って、追尾させていたのかしら。だったら第二部隊は妹さんたちを守ることに専念して、まとまって動くように切り替えた方がいいわね」


 盤面は刻一刻と変わる。ただ、散った兵に指示を飛ばすのに難儀していた彼女も、単に手をこまねいていたわけではない。


「事前に放っていた偵察隊の報告では、わたしが攻撃を仕掛けようとすると、彼は砂嵐を強めて身を隠す動きを取ってくる。だから、上空から見て砂が多く舞っている所に敵が潜んでいるはずよ」

「となると、今は向こうの方にアイツがいるみたいっスね」


 妹の話や、戦況を俯瞰していた白銀の話を聞く限り、水源となる古い溜池は砂嵐が吹き荒れている方向に位置していた。魔力の及ぶ範囲も含め、人間である犀臥が移動できる距離は限られている。仕掛けるには悪くない。


「探してた水源はあっち側にあります。オレが岩の腕も一緒にどうにかするんで、砂嵐が止んだらみんなでアイツをやっつけましょう」

「であれば、わたしが敵を惹きつけておくわ。あなたも狙われているのだから、必ず他の者と来なさい」


 白縹の双眸を再び眉庇が覆う。蒼い外套がその背でなびいていた。自分の話を荒唐無稽だと一蹴せず、彼女は手を貸してくれている。


「オレが言うのもアレですけど、こんな不確実な策をどうして聞いてくれたんですか」

「わたしたちはここの地理や慣習を詳しく知らない。だったら、この集落を知る者の話を聞くのは当然のこと。それに第五部隊の精鋭なら悪い手は取らないでしょう」


 銀の兜の内にある表情は伺えなかった。ただ、これまで凛然としていた指揮官の声音がわずかに和らぐ。


「ただ、一番の理由は――あなたがこの場の誰よりも必死な顔をしていたからよ」


 自分が口を開く前に、白銀は眩い両翼を羽ばたかせる。


「作戦に関する全責任はわたしが取る。あなたの故郷も妹さんたちも全力で守ると約束する。だから、今はあなたが正しいと思うことをやりなさい」


 それだけ残し、気流を纏った彼女は砂煙の中へ飛び込んだ。下からは何度も岩を打ち砕く音が聞こえてくる。


 柚葉たちを最後まで守れないのは心苦しい。だが、白銀は誓いの言葉を残してくれた。ドラーグドの名将が認めてくれた策ならば、きっと間違いない。


 彼女が自分を信じる理由は、自分が彼女を信じる理由と同じだ。

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