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蒼い背中  作者: kagedo
EP.7 討伐隊編成編
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-理不尽な選択-

「久しいな、竜の子。まだ生き延びていたか」


 左に走る刀傷と共に砂岩色の眼が細められる。自分の前に立ちはだかったのは、ノーバディで唯一素顔を晒した男――犀臥(サイガ)だ。


 全軍円卓会議の際に浴びた狂気がはっきりと蘇ってくる。本能がこの場を離れろと警鐘を鳴らしていた。しかし、背にしている者たちを残して逃れることはできない。


「アンタたちはオレを殺すことが目的で、ココを襲ったのか」

「たかが雑兵一人のためだけに、我々が兵を動かしたとでも? 自惚れもいいところだな」

「だったらどうしてココを襲撃したんだよ!」

「中央区画が騒がしくなっていると耳にしたから、先んじて手を打っただけのこと。それ以上の理由が欲しければ、例の参謀殿にでも聞いてみたらどうだ」


 紅葉はきつく唇を噛んだ。自身の始末が目的であれば、飆の討伐任務で死ぬのを待つか、消耗したところを狙えばいい。ならば、自分の故郷が狙われた理由は何なのか。


「それにしても、察しがいいのか、誰かに吹き込まれたのか――例の耳飾りを外していたのは賢明な判断だ。まだ姿を見せるつもりはなかったが、おかげで俺が直々にお前の面を確かめざるを得なくなった」

「オレに用があるなら、それこそ名前でもなんでも使って直接呼びつければいいだろ」


 空いた左耳に相手の視線が注がれている。その件に言及されたのであれば、間違いなく楼玄の存在が絡んでいた。


 だが、食ってかかる間も背中を嫌な汗が伝っていく。ここで刃を交えるのはかなり分が悪い。鬼神に匹敵する力を有する相手を、自分がどうこうできるはずがなかった。


 仮に飛翼が陣営から援軍を連れてきたとしても、中佐以上の力量を持つ者がいなければ返り討ちだ。当然、匿っている妹たちも助からない。牙雲や澪との約束も守れなくなる。


「そう構えるなよ。俺は預かっていた言付けをお前に伝えにきただけだ」


 黙したままの自分に犀臥がす、と瞳を細めた。


「家族を含めて無事でいたければ軍を抜けろ。自覚があるかないかに関わらず、お前の存在が我々の計画を妨害する可能性が高まった。だが、多少の“仕込み”に利用できた礼として、今すぐに軍から手を切れば深追いしない。これまで見聞きした中身は忘れたことにして生きろ」


 これは自分や身内に対してだけではない。ドラーグド全体に対する警告だ。単に自分は泳がされていただけなのか。だが、用済みになったのならば、遅かれ早かれ始末される。


「戦争の決まりも守れないようなアンタたちを信じろっていうのか? たとえ従ったところで、またこうして殺しにくるつもりだろ」

「呑むかどうかはお前次第だ。俺は雑兵一人に構うつもりもないが――選択の結果、お前の行く末がどうなるかを示すことはできる」


 ごう、と砂嵐が身体の横を吹き抜けた。広がった赤い炎壁を砂塵が掻き消していく。その場で跪いた犀臥が地表へ触れた瞬間、焼けた地面へ亀裂が走った。


 地響きと共に次々と大地が隆起し、崩れた家屋が地割れに飲み込まれる。踏み止まろうとした足元が噴出した砂塵へ食われていった。波打つ揺れが地中深くで起きている。地面に接している全てが吸い込まれ、砂の底へ招かれていく。


「っ、くそ!」


 崩れかけた塀を押し倒し、紅葉はどうにか平らな場所へ足裏を着けた。漂流する足場から傾いた民家の屋根に飛び移れば、周囲の地形は見る影もない。


 ぽっかりと空いた異質な虚空を覗き込めば、並んでいた数軒の家屋が既に砕け散っている。すり鉢状に深く抉れた地底はまるで生き物のように蠢いていた。


「この大地にいる限り、何人たりとも逃れられないぞ」


 巻き上がった砂埃の狭間で砂塵の悪魔が高らかに笑う。砂海と化した地表を前に、さっと顔から血の気が引いた。付近にいたはずの妹たちの姿がどこにも見当たらない。焦燥に駆られる視界の先でか細い悲鳴が上がった。


「柚葉ッ!」


 陥没した巨大な砂地の淵の対岸で老夫婦たちが身を寄せ合っている。その真下では妹が地表へ戻ろうと砂を掻いていた。だが、不規則な奔流がずるずると彼女を底へ引きずり込もうとする。


「何してるんだ! 早く飛べ!」

「だめ、足がっ、抜けなくてっ」


 流砂の壁が蹴り返そうとした脚を深くまで食らっていく。半身が埋もれている状態では飛翔も難しい。たとえ飛べたとしても、後ろに控えている斥候たちが飛び道具を放ってくるだろう。


「さあ、竜の子よ。守るべきは《忠義》か《情》か、お前の未来を見せてやろう」


 再び吹き荒れた砂嵐の奥、庇うべき存在の後ろに黒衣の影が浮かび上がる。鈍く光る得物を引きずりながら、犀臥が腰を抜かした民の前で笑みを浮かべた。


「仮にお前が《情》を選ぶのであれば、《忠義》を失うだろう」


 どんな叫びもその矛先を留めるに至らない。声も出せずに斬り捨てられた老人の亡骸が、砂の底へ滑り落ちていく。飛び散った赤が柚葉に降り注いだ。引き攣らせた顔に血塗れの砂がこびりつく。


「お前ッ!」


 感情に共鳴して爆ぜる紅蓮を放つ。だが、狂気に歪んだ面を崩す前に砂嵐がそれを阻んだ。砂の波がまた足場を揺らす。傾いたそこへ辛うじて留まっていると、犀臥が虚空の前へ歩を進める。


「そして、もしお前が《忠義》を選ぶのであれば、《情》を失うぞ」


 柚葉の口からわずかな呻きが漏れる。淵を掴む赤い鱗の指先が漆黒の靴先に踏みにじられていた。だが、彼女は栗色の瞳で相手を睨み据える。


「あんたみたいな悪者は、ドラーグドが許さないんだから……!」

「許さない? 一体どの口が善悪を語る? トカゲごときが何の権利で俺を裁けるというんだ。知っているのならその喉を開いて、ぜひともお前の教えを乞おうじゃないか」

「――ッ、!」


 黒革に覆われた手が砂嵐になびく妹の長い髪を鷲掴んだ。苦痛に歪むその顔を見た瞬間。咆哮というには掠れ、呼吸というには激しい息吹が自分の喉から漏れた。


 次々と暴発する熱が外気まで溢れる。心臓が嫌な脈打ち方をしていた。体温が激しく上昇していく。呼び起こされた憤怒が、四肢の鱗をさざめかせた。


「妹に手を出すなッ!!」


 爆ぜる炎熱を連れ、紅葉は沈み行く家屋の屋根を大きく蹴った。砂嵐が飛行する全身を襲うも、激しく渦を巻く熱波で砂の帳を抉じ開ける。柚葉が宙にいる自分に掌を伸ばした。しかし。


「双方得ることは叶わない。まして、弱者が手にするのは虚無のみだと知るがいい」


 屈み込んだ犀臥が地面へ触れた。ぱきり、とひび割れる音。彼女から手を離すと同時に、虚空の淵が崩落する。その近くにいた老婆の身体も砂の上を転がり落ちていった。


「おばあちゃんッ!」

「柚葉っ、ダメだ!」


 悲鳴を上げた老婆の服に柚葉が手を伸ばす。弾みで掴みかけていた彼女の腕が、自分の手をすり抜けた。空中では二人を同時に引き上げられない。なす術なく叫んだ自分の前で、罪なき民が砂の波に呑まれようとした時。


「――諦めないで!」


 浴びた風圧が砂の壁面をさざめかせる。少し掠れのある声と煌めく翼が自分の横を駆け抜けた。眩い甲冑姿の相手が、落ちていく老婆の身体を砂海から引き上げる。


「兄さん!」


 黄色い奔流の前で我に返ると、紅葉は埋もれかけた妹の腕をしっかりと掴み直した。厚い砂の波が眼前へ迫る。だが、高速で飛行する銀の軌跡がその中央を難なく突破した。


「柚葉っ、あとちょっとだから!」


 しがみつく彼女を引き上げると、紅葉は妹と共に導く銀色を追いかけた。


 背中を捕えようとする砂の音が引いていく。砂埃を突き抜け、紅葉は乾いた淵へ転がり込んだ。吹きつける砂塵で擦れた頬が痛む。柚葉はまだ自分の腕にすがりついていた。


 震えている妹の身体を抱き留めていると、重厚感のある鋼の煌めきが自分の前にやってきた。その背からは蒼の外套がなびいている。上がった兜の眉庇(まびさし)からは、鋼の冷たさを帯びた白縹(しろはなだ)の双眸が覗いていた。

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