-消えた妹-
* * *
石造りの街並みをしばらく歩いて辿り着いた広場には、多くの避難民がいた。屋根が剥がれていたり、壁に焼け跡を残す家屋こそあるものの、街中は恐慌に陥っている雰囲気もない。人々の様子も落ち着いている。
懸念していた凄惨な命の略奪が起きなかったことに、紅葉も安堵していた。
「この近くまでは襲撃もなかったみたいっスね」
「後で白銀大佐にはちゃんと礼を言っとけよ」
その時、横にいた時平がふと足を止める。彼の視線を追うと、人混みから離れた路肩に幼馴染の姿が見えた。
「無事だったんだな、飛翼!」
「紅葉! こっちに来られたんだね」
白い翼を折り畳んでいた彼が驚いた様子で自分たちの元へ駆け寄ってくる。
「ああ、時平さんが連れてきてくれたんだ」
「オレは声をかけただけだぜ。故郷で漢気見せてこいって言ってやるつもりが、単なる支援活動になっちまったがな」
「アハハ。まあ、オレもこっちに寄らずに討伐任務に行ってたら、気になって仕方なかったと思うんで。結果的によかっ――わっ!?」
ふと聞こえた足音に路地の方へ視線を向ける。ただ、それよりも早くに何かが足元へ飛び込んできた。
「紅葉にいちゃん! 戻ってくるの遅いよー!」
「おお、朱葉っ! 元気そうじゃん」
自分にしがみついてきたのは弟の『朱葉』だ。その後ろからは幼い少女を抱いた女性が現れる。
「母さん、ただいま!」
「ああ、紅葉! 帰ってきて来てくれたのね。さあ、もっと顔を見せて」
同じ栗色の髪を緩く編んだ母親が、自分の頬へ手を伸ばす。嬉しさに浮かぶ鱗へ触れた掌に、紅葉は自分のそれを重ねた。
「紅葉が来る前にちょうどご家族を見つけたから、ぼくが声をかけてて。色んな人に居場所を聞いて、やっと今日話ができたんだ」
飛翼は彼の家族の安否と一緒に、紅葉の家族についても聞いて回ってくれたらしい。人見知りの彼がこうして必死になって自分の身内を探してくれたのだと思うと、感謝の言葉しかない。
「手紙は出してたけど、あんまりこっちに帰れてなくてゴメン」
「いいのよ、軍の仕事をがんばっている証拠じゃない。行く時は心配したけど、立派になっていて安心したわ」
「へへ、みんなも元気そうでよかった……お? どうしたんだ、桃葉」
母親と会話している間、ふにふにとした小さな手が隊章を掴んでいた。くりっとした丸い瞳を覗くと、末の妹――『桃葉』が腕を突き出す。
「にいに、だっこ」
「ああ、いいぜ! ……わ、ちょっと見ないうちに大きくなってる! これだけ重いなら、飯もしっかり食えてる証拠だな!」
「むぅ」
「アレ、急にご機嫌ナナメ? なんで?」
「あらあら。この子、最近おませさんになっちゃったのよぉ」
「おっと、レディに重いなんてのは確かに失言だったな……よしよし、兄ちゃんが悪かったよ。今度好きな髪飾り買ってやるから許してくれる?」
むくれた末っ子をあやしていると、今度は後ろで夕葉の騒ぐ声が上がる。
「わーっ! オジサン、おれの父ちゃんよりでっかいね!! 飛翼にいちゃんの十倍ぐらいありそう!」
「なっ、誰がオッサンだァ? 飛翼やお前のアニキとそんなに歳は変わんねぇぞ!」
「オジサンが怒ったー! めっちゃこえぇー!」
「ちょ、ちょっと、朱葉くん! あんまり遠くに行っちゃダメだよ」
「飛翼ッ、そこでそのガキ捕まえてろ! 今に灸を据えてやらぁ」
「時平少佐も大人げないこと言わないでください」
「オレは! まだ! お兄さんだ!!」
――その貫禄から自分よりも一回りは年上だと思っていたことは、本人には言わないでおこう。すると、ちょろちょろと走り回る弟を飛翼が庇っていたのを見かね、母親が彼の手を引きに行った。
「もう、朱葉ったら。ドラーグドの人たちを困らせないでね。お母さんも困ってしまうわ」
「はーい。オジサンごめんなさい」
「うぐ……」
「子どもの言うことなので、ね? きっと少佐が大きくて強そうだと褒めてくれただけですよ」
戦の傷よりも余程堪えたらしい顔をした彼を、飛翼がどうにか宥めている。母親の後ろに隠れた朱葉は満面のしたり顔だ。
「あっ、紹介が遅くなったけど、後ろにいるのは少佐の時平さんだよ。飛翼の上官なんだ」
「どうも。紅葉のヤツもこの集落のことを心配してたんで、一緒に連れてきました」
「それはそれは。息子にも会えたし、頼もしい皆様が来てくださったのでもう安心ですね」
「白銀大佐の後はオレらが支援を引き継ぐ予定です。何かあればドラーグドの隊員に言ってやってください」
母親が深々と頭を下げる横で、朱葉が自分の袖を引っ張ってくる。
「にいちゃん、おれ、白銀大佐が空から敵を攻撃してるのを見たよ! ちょー強かった!」
「へえ! どんな感じだったんだ?」
「えっとね、前にいたやつをバーンって吹っ飛ばして、そいつらのことバキバキバキってして、ドーンってしてやっつけてた!」
「音だけの説明なのになんかめっちゃ怖いぞ?」
上空から敵を駆逐した白銀の勇姿を多くの民が見ていたようだ。その場で飛び跳ねている朱葉の様子からも、上官の強さが垣間見える。
「あ、そうだ。父さんと柚葉は今どこにいるんだ」
「父ちゃんたちはごはんを配るのを手伝いに行ったってー」
「もう食料も届いてるのか。ホント至れり尽くせりだな」
第二部隊は帰還中だったため、予備で持っている補給物資を下ろしても問題ないと判断したらしい。
そして、まだ顔を見ていない父親と上の妹は、幼い弟や妹を母親に預けて民の支援に向かっていた。父親は自警団の一員だったので、しっかり者の妹もその手伝いを希望したのだろう。
「みんなの顔も見れたことだし、オレはそろそろ父さんたちの所に行ってくるよ」
「えー、にいちゃんもう行っちゃうの? 来たばっかりなのに」
「ごめんな。そのうち戻るから待っててくれ」
「飛翼ちゃんも声をかけてくれてありがとう。気を付けていってらっしゃい」
「はい! 紅葉のお母さんもお元気で」
「時間があったらまた顔を見せるから! 桃葉もいい子にしてろよ~」
「にいに、ばいばい」
抱えていた妹を母親に預け、紅葉はその場を後にした。ひとまず家族全員の無事が聞けたのは何よりだ。
「紅葉、お前は親父さんたちに会うんだろ。オレは別のところを見て回るから、挨拶した後で陣営へ戻ってこい。飛翼もついてってやれ」
「わかりました。一時間以内に陣営へ戻ります」
「時平さん、ありがとうございます! じゃあ配給を手伝いに行こうぜ」
頷いた幼馴染と共に、紅葉は広場のすぐ右手にある仮設テントへ顔を出した。
中では厚手の麻袋に包まれた支援物資がところ狭しと並んでいる。食料用の袋を出し入れをする蒼い一団に、同じ色の腕章をつけた数人の民が紛れていた。その中にいる体格のいい一人が自分の父親だ。
「父さん! 手伝いにきたよ」
「おお、紅葉! ちゃんと鍛えてデカくなったな!」
作業の手を止めた父親が傍に駆け寄った自分の肩へ手を回す。
快活に笑う彼の顔は自分と瓜二つだ。唯一違うのは伸びた無精ヒゲぐらいだろう。桃葉が嫌がるからと剃っていたはずが、敵襲に見舞われたのもあって、今はそこまで気が回らなかったらしい。
「で、いつ戻ってきたんだ?」
「ついさっきかな。母さんたちにはもう会ってきた」
「そうか。お前が来るまで飛翼くんにはたくさん世話になったぞ。こっちで必要な物を調べたり、被害状況を何度も行き来して陣営に伝えてくれたんだ。おかげで配給品も適切に配れている」
「えへへ、お役に立ててよかったです。昔は両親にも、周りのみなさんにもご迷惑をかけてばかりだったので、やっと恩返しができました」
「きっとご両親も喜んでるはずさ」
隣の家同士で家族ぐるみの付き合いがあったため、父親も飛翼の気質はよく知っている。引っ込み思案だった彼が成長したところは十分に伝わったらしい。
「遅くなったけど、オレも何か手伝えない?」
「ああ、実は少し前から柚葉のことを見かけてないんだ。ちょっと様子を見てきてくれないか」
父親によれば、集落の外れにある地域へ物資を届けに行った妹が帰ってきていないらしい。
合間に物資の積み下ろしを含んだとしても、一時間もあれば往復できる距離だった。ちょうど午前中に手伝いに出たとすると昼食時には戻ってくるはずだが、姿が見えないのは不自然だ。
「わかった、オレが探してくる」
「ぼくも一緒に行くよ。上から見た方が早いと思うから」
「頼んだぞ、二人とも! 仕事が終わったらゆっくり話しでも、」
「――急報ッ!」
父親の声を遮るように、外から鋭い号令が響いた。同時に敵襲を知らせる鐘が打ち鳴らされる。
「集落内部で民間人が襲われる被害が複数発生! 各部隊は全地域の住民を速やかに避難させ、陣営まで集合せよ! 繰り返す、集落周辺で民間人が襲われる被害が――」
父親が抱えていた荷物を取り落とす。愕然とした彼の横で飛翼と顔を見合わせると、紅葉は仮設テントを飛び出した。




