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蒼い背中  作者: kagedo
EP.7 討伐隊編成編
120/160

-最後の食事-




* * *




「少佐、あの、すみません」


 注がれた視線に耐えかねて、目の前の相手に頭を下げる。戻って早々に格納庫まで呼び出されたものの、前からずっとこの調子だ。


「お前は何に対して謝っているんだ」


 普段なら小言で終わるが、今日に限ってそうもいかないらしい。切り出し方を悩んでいると、とうとう牙雲が苛立ちの理由を露わにした。


「お前と澪が用もないのに戦況管理部隊の階層をうろついていると大将から苦言を呈された直後に、先のような騒ぎを起こして。精鋭としての自覚はあるのか!」

「ええと、そこは偶然が重なっちゃって」

「この期に及んでまだ言い訳をするとは」

「ホントに悪気があったわけじゃないんです! でも、少佐に相談するまでのことでもなかったですし、」

「対応が必要かを判断するのは俺だ。上官の命令以上に優先することがあるのなら、もう勝手にしろ!」


 突き放すような言葉に、紅葉は奥歯を噛み締めた。


 嘆願書のことで、彼はスマイリーから機密を漏らしたと疑われていたのかもしれない。そこに自身の部隊の精鋭たちが妙な動きをしていたとなれば、苦しい立場に置かれるだろう。


「……実は、澪についてここ最近で気になることがあって。できる範囲でこっそり調べてたんです」


 信頼している上官に誤解されたままではやりきれない。気を立てた彼を宥めつつ、紅葉はこれまでの経緯を洗いざらい話した。


 同僚の異変や天音とのやりとり、その過程で見聞きしたこと――そうして全てを話し終えた自分に、牙雲がやっと向き直る。


「天音さんが澪と親しいお前に相談してきたというのは理解した。俺に何も言わず、勝手をした点は褒められないが」

「だ、だって、カノジョがいるなんて知ったら気になるじゃないっスか! それに本人の顔色が悪かったり、反応鈍かったりっていうのはあっても、決定打がなかったんで」

「ふむ。俺も討伐任務の準備であまり時間を取れなかったのは事実だからな。ただ、どうしてお前たちはあの場に集まっていた?」

「オレは少佐と話がしたくて、スマイリーさんが出てくるまで廊下で待ってたんです。でも、途中で来た澪が知らずに部屋に入ろうとしたのを止めようとして、小火騒ぎをやっちゃいました」


 肩をすくめていると、牙雲が怪訝な表情を崩さずに尋ねた。


「お前は何の用だったんだ」

「オレも家族に討伐へ参加したことを残しておこうかと思ってました。だから、手続きのやり方を聞きたかっただけっス」

「それについては書面で個別に伝える。わかっているとは思うが、身内の気持ちも考えた中身にしろ」

「……少佐は、どうするんスか? 家に一言伝えたりとか」


 牙雲の顔がふと強張った。事情を知らない体でいるので深くは踏み込めなかったが、身内の嘆願はかなり堪えているはずだ。証拠に長い溜息が間へ落ちる。


「言うかどうかは別として――この討伐任務の重要性は、郷の者にも理解してもらわねばならない。犯人が生存資源に困窮すれば、我々の受け継いできた土地が狙われたり、間接的な争いへ巻き込まれたりする可能性が高まる。それを未然に防ぐためにも、俺は必ずこの任務で成果を出す覚悟だ」


 この先の未来のために、彼は討伐への参加を真正面から身内に認めてもらおうとしている。話の拡散を防ぐ意味でも、彼自身から理由を伝えるのが一番だ。


「前に家の人たちとも少佐を守るって約束してますし。ドラーグドの仲間として、オレも一緒にがんばります。だから、ちゃんと横に置いてください」


 水面の色を真っ直ぐに見つめると、今度は牙雲が視線を逸らした。


「先は話も聞かず、声を荒げて悪かった。勝手にしろというのも本意ではない」

「わかってますよ。しょーさは口下手ですからね」


 軽口を咎める台詞は返ってこなかった。代わりにふと思い出したような呟きが漏れる。


「戦況管理部隊を訪れていたから、てっきり耳飾りの件をまだ調べているのかと思っていたのだが。あれはもう解決したのか」

「え、まだ覚えてたんですか」

「俺も協力すると言った話だろ。反故にしたつもりはない」


 彼も律儀なものだ。ただ、その件は討伐任務よりも遥かに高い軍の機密だった。左耳の黒環に触れながら、紅葉は曖昧な笑みを返す。


「あー、実は、持ち主はもうここにいないってのがわかって。けど、オレも遠征や選抜試験とかでバタバタしてましたし、少佐も《覚醒》の訓練してたから、話に進展があったってことを言い忘れてました」

「……お前は、俺に何かを隠していないか」

「やだなぁ、オレのこと疑ってます? スマイリーさんに変なことでも吹き込まれたんじゃないっスか」


 妙に確信めいた響きだった。しかし――この嘘は、牙雲を守るためのものだ。


「残念ですけど、持ち主のことはもう追いかけようがありませんし。オレも諦めついたんで、この件は忘れてください」


 楼玄のことは、彼の存在を知る聖以外には伝えていない。聖も話すべきでないと理解しているから、牙雲は何も知らないはずだ。


「お前がそれでいいなら、この話は終わりだ。あと、戻るなら澪を呼んでくれ。彼からも事情を聞く必要がある」

「わかりました。じゃあ、失礼します」


 逃げるようにして扉を開けると、目の前には既に澪が佇んでいた。察しのいい相手は先を読んでいたのだろう。視線だけ交わすと、彼は黙って格納庫の中へ入った。




* * *




 夜霧の舞う窓枠を眺めながら、紅葉は手元の書類を机に伏せた。壁の時計を見れば、既に夕食の時間を迎えている。


 部屋にいたのは自席で数人の隊員と話している牙雲と、澪の姿だけだ。散らかした書類を棚へ戻しに向かうと、横に紙束を抱えた澪がやって来た。


「なあ、澪。暇なら飯でも食いにいかないか」

「長居はできないけれど、それでいいなら」

「予定でもあんの?」


 書類を戻す手が止まる。俯けていた顔を上げると、彼はおもむろに告げた。


「紅葉。一緒に食事をするのは、今日で最後にしたい」

「急にどうしたんだ」

「紅葉はもうすぐ討伐任務に出てしまう。一人で食事をしておかないと、紅葉のことを探してしまいそうだ」


 真面目くさった表情と聞いた中身の落差に、思わず勢いよく背中を叩く。


「アハハっ、わりぃ! そんなこと言われるなんて思ってもなくてさ」


 笑っている自分を群青色が自分をねめつけてきた。同じ部隊で行動していたこともあり、彼とは年月以上に深い付き合いになっていた。精鋭になってからも毎日のように食事をして、他愛のない話を交わしていたおかげだろうか。


「少佐もオレも任務に出ちゃうから、澪くんはこれから一人でお留守番だもんなぁ」

「どうでもいい人と食べるぐらいなら、一人で構わないけど」

「そんないじけるなって。ほら、例のカノジョとか天音ちゃんがいるじゃん」


 そっぽを向いてしまった相手の肩を軽く揺すりながら、紅葉は彼と共に執務室を出た。


 混み合っている食堂でどうにか席を確保すると、隅の方にある席に落ち着く。よく煮込まれたシチューにパンを浸しながら、紅葉は横にいる相手に尋ねた。


「そういや、なんで澪はあんな時間に会議室の前にいたんだ?」

「牙雲少佐を探している伝令兵が来たから、そこまで呼びに行った。でも、結果的に言えずじまいになってしまった」

「そっか。あと、オレたち知らないうちにスマイリーさんにも目ぇつけられてたんだって」

「おれは戦況管理部隊の知人に個人的な頼みごとをしていた。その件で不審に思われたのだと思う。牙雲少佐にも黙っていたことについては反省している」

「やっぱカノジョとちょこちょこ会ってたんだな? ヒミツにしてなきゃオレもフォローしたのに」

「……違う。牙雲少佐や紅葉が任務に出ると聞いていたから、討伐対象や任務へ参加する人員の情報を集めていただけ。それを元に勝率を上げられる布陣や立ち回り、戦闘に有利な気象条件や地形などを色々と考えていた」


 本来ならば、討伐任務の参加を判断する目的として得た情報を、彼は陰徳のために流用していたらしい。


「牙雲少佐も、やはり討伐任務へ出るつもりなんだね」


 尋ねるたびに澪はずっと考え事をしていると答えていた。そして、天音からも彼の悩みが自分に関することだと聞いている。討伐任務への参加を止められないと理解して手を回していたのだとしたら、自分としては責められない。


 ――しかし、彼の異変は討伐任務が自分たちに知らされる前から起きていたはずだ。


「少佐は最初から部隊長に志願してまで行くって言ってたじゃん。今さら計画は変えられないよ」

「ただ、牙雲少佐はまだ《覚醒》訓練の途中だ。しかも、あの人は水神家の跡取りだという話を聞いた。それに、紅葉を含めて討伐対象を知る者が全滅することになれば、軍としても痛手だ。これだけ理由があるのだから、紅葉も少佐を止めた方がいいと思わないか」

「澪の話も理解できるけど、少佐が自分でやるべきだと思って決めたことなら、今の判断が少佐の中では正解なんじゃないかな」


 ひとつだけ言えるとすれば、この出兵が牙雲の望む未来につながるかどうかは、天の導き次第だ。だが、次期当主としての責を果たそうとする牙雲の気持ちを汲んだ上で、自分は彼に同行を願い出た。


「前も言ったけど、オレは自分で納得した選択をすることが一番大切だって思ってるから。オレは少佐の考えを尊重したいし、支えるつもりだよ」

「……そう。紅葉はそういう意見なんだね」

「はは、オレと少佐が討伐に行っちゃうのがやっぱり寂しいんだな~?」


 澪はいつものつれない表情だ。それでもめげずに抱えた腕をぐいぐいと引っ張っていると、小さな溜息が零れる。


「紅葉は、自分が死ぬとはまったく考えていないみたいだ」

「あー、よく言われる。だって毎回そういうことばっかり考えてたら、生きるのも辛くなる気がして。代わりに帰ってきたら何やろうかなとか、ご褒美は何がいいかなとか――なるべく楽しいことを思いつくようにしてるんだ」


 そう言って笑えば、大抵は呆れたような顔を向けられる。自分にとってはそれが何よりの安心材料だ。相手に馬鹿馬鹿しいと言われるぐらいでちょうどいい。くだらないと笑って流してくれたら、それで満足だ。


「オレ、また澪と飯食いたいからさ。少佐と一緒に必ず帰ってくるよ。それまで待っててくれ」


 そうして見上げた先にあったのは、一切の感情を排した双眸だけだった。

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