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蒼い背中  作者: kagedo
EP.7 討伐隊編成編
119/160

-予期せぬ嘆願-




* * *




「討伐任務に参加する者は皆、集まったかい」


 壇上から響く明朗な声が冷えた朝霧の空気を震わせる。自分たちを集めた会議室で、聖が柔和な笑みを浮かべていた。一方、その横にいる牙雲と時平はずっと厳めしい顔だ。


「今日は諸君に二点の報告がある」


 定刻を知らせる鐘の音と同時に、聖が口を開く。


「一つ、討伐任務の部隊長が正式に決定した。今回は第二部隊の白銀大佐が統率者となる。第二部隊は《竜のとぐろ》から移動中で、一週間後に本部へ到着する予定だ。既に出兵の準備を進めていると思うが、最後まで抜かりないように」


 紅葉はそれに小さく頷いた。現在動かせる戦力の中で、軍も可能な限りの強力な布陣を敷いたのだろう。しかし、次の文へ目を通した上官はしばらく視線を伏せていた。


「……二つ、もし諸君の中で望む者がいた場合、後に残された者たちへ向けた手配を無償で行うことにした。今回の任務は困難を極めるだろう。そのため、親しき者へ宛てた文や身内へ遺したい品について、しかるべき時を見て送付する。

 その他にも我々の働きかけで叶う内容であれば要望を聞くが――私はこれが準備だけで終わることを、心から祈っているよ」


 壇上から降りた聖を少佐の二人が敬礼して見送った。辺りの空気が一層の冷たさを増す。


「聖大佐がおっしゃっていた件で、明日はお前たちに暇を出す。白銀大佐が戻られたらすぐに本部を発つゆえ、挨拶や手紙は今のうちに済ませておくように。以上、解散!」


 重い雰囲気を破る凛とした一声を聞いた紅葉は、会議室を退出する隊員たちの列に続いた。だが、すれ違い様に見た牙雲の口元はきつく結ばれたままだ


 思い詰めた顔を見て、紅葉は人の流れから逸れた場所で立ち止まった。引き返そうか悩んでいると、背後から声をかけられる。


「やあ、紅葉クン」

「わっ、スマイリーさん!? どうしたんスか」


 露骨に肩を跳ねさせた自分に、糸目の彼はゆるりとした口調で返してきた。


「実は牙雲少佐に用事があってねぇ。会議が終わるまで待ってたんだ」

「ちょうど解散したところなんで、まだ中にいますよ」

「ああ、噂をすれば」


 会議室から出てきた少佐たちに向かい、スマイリーが挨拶代わりに片手を挙げる。それを見た牙雲がすぐに駆け寄ってきた。


「わざわざご足労いただいたようで恐縮です」

「散歩ついでだから気にしないで。それで、聖サンからも話があったと思うんだけど――『例の件』も含めて相談したいことがあるんだ。少し時間をもらえるかな?」

「はい。私事のため、よろしければ中でお願いします」


 スマイリーと共に上官は再び会議室へ消えた。閉ざされた扉をしばらく見つめていると、今度は時平から背中を小突かれる。


「何ぼさっとしてんだよ、紅葉」

「あっ、いや。スマイリーさんがウチの少佐へ直接声かけにいくなんて、珍しいなぁと思って」

「余計な話に首を突っ込むのはやめとけ。大将が直接動いてるってことは、十中八九、悪い報せだろう」

「まさか、少佐になにかあったんスか」


 前を行く広い背中を追いかけると、廊下の隅で足を止めた彼がぼそりと呟いた。


「あんまりデカい声じゃ言えねぇが、牙雲の身内から出兵を取り下げろっていう嘆願書が軍に届いたらしい」

「まさか討伐任務のことを伝えたんスかね」

「けど、アイツの性格を考えてみろよ。こうして止められるのが目に見えてんのに、わざわざ自分から話を持っていくか?」

「オレもおかしいと思います。そもそもこの件自体が、精鋭以上で対応しなきゃいけない機密事項ですし」


 出兵に支障をきたすと思われたのか、牙雲自身も今朝になって嘆願書の件を聖から知らされたらしい。スマイリーが彼の元を訪れたのは、その事情聴取と解決策を探るためだろう。


 だが、軍に対する忠誠心も厚く、身内に心配をかけたくないと考えている上官が、うっかり機密を漏らすだろうか。


「お前の言う通り、この件はどうにも腑に落ちねぇ。ただ、実際に嘆願書が来ちまった手前、軍も何かしらの手を打つ必要が出てきた」

「にしたって、出兵の日取りが固まった直後だし。タイミング悪過ぎっスよ」


 牙雲自身は軍と良好な関係を保ちたいはずだ。ドラーグド側も地場で有力な家柄の彼を預かることで、有事の際にその身内が協力者になると目論んでいる。そのため、この嘆願には互いに慎重な対応が求められるだろう。


「この騒ぎをうまく収められなきゃ、アイツは討伐に参加できなくなるな」

「そんな! 少佐が抜けたら、討伐任務の計画や編成も一からやり直しじゃないですか」

「他の軍もオレらと同時期に仕掛けるつもりだろうから、ココでもたついてると仇討ちの機会もなくなっちまう。白銀大佐が戻るまでに片付けられるといいが」


 それだけ残し、時平は溜息交じりに石畳の廊下へと姿を消した。スマイリーは牙雲を思い留まらせに来たのだろうか。もし自分の上官が説得に応じれば、共に任務へ赴けない。


 だが、多くを背負っている彼は、絶対に生き残らなければならない存在だ。すべてを天秤にかけた結果、牙雲が任務から降りるならば――自分が彼の想いを継ぐべきか。


 その場で考え込んでいると不意に思考を遮る足音が聞こえてきた。誰かが会議室の付近で歩みを止める。


「澪? アイツ、なんでココに」


 柱の陰から覗いた先には執務室にいたはずの澪が佇んでいた。上官に火急の用でもあったのだろうか。しかし、中にはスマイリーもいる。入室を引き止めようとした瞬間。扉の前にいた澪の足元へ細い緑が走った。


「そこどいて!」


 反応した澪が振り返る。だが、格子状に組み合った蔦が既に彼の足首へ絡まっていた。密集していく緑に向け、紅葉は咄嗟に小さな炎弾を放つ。燻る煙に紛れ、緑の群れが奇声を上げながら退いていった。


 群青を見張っている彼の腕を掴み、急いで壁際まで引っ張る。緑が追いかけて来なかったことに安堵していると、蒼白な顔の彼が声を上げた。


「どうして、」

「あー、その。討伐任務の件で少佐に声かけようとして残ってたんだけど、スマイリーさんに先を越されちゃって。近くで時間潰してたら、澪が来たからさ」


 彼のことだから、遠慮もなく自分がこの場にいた事情について踏み込んで来るかもしれない。だが、聞いた全容を話すのは憚られる。ただ、心配をよそに、澪は青褪めたまま固まっていた。


「あの植物を攻撃したのはまずい。あれはスマイリー大将の――」


 開きかけた唇が閉ざされる。がちゃりと扉の開く音。


「外が騒がしいと思ったら、キミたちだったのか」


 会議室から出てきたスマイリーが自分と澪を交互に見つめた。その顔にはいつもの掴めない笑みが貼り付いている。刃の冴えに似たその細い瞳だけが、ぬらりとした光を放っていた。


「ボクたちの話を盗み聞きでもするつもりだったのかな」

「ち、違います! オレたちはそういうんじゃ」


 猜疑の視線が注がれた。ひゅ、と喉の鳴る音。背中の方から聞こえた呼吸もひどく乱れている。


「込み入った話だったから、念のために見張りの子たちを置いておいたんだけど――“火傷”して帰ってきたんだよねぇ。かわいそうに。一体誰がこんなコトしたんだろう」


 スマイリーは袖口から伸びた細い蔦を指先で愛でていた。本部内には彼の耳目の代わりとして、この緑が張り巡らされているのだろう。そして、それを攻撃したとなれば――


「大将、いかがされましたか」


 顔からさっと血の気が引くのを感じた直後。喉元に突きつけられた刃の視線が外れる。すると、牙雲が自分たちの姿を見て青い瞳を見開いた。


「申し訳ございません。彼らを近くで待たせていたのを失念しておりまして。待機を命じていたのですが、話が長引いていたせいで、様子を見にここまで来たのでしょう」

「おっと、ボクが先約に割り込んでしまったのならお詫びしよう。例の件はボクの方で対応を進めておくから、彼らの用事を済ませてあげて」

「恐縮です。では、こちらで失礼します」


 スマイリーの気配が消えるまで、牙雲は廊下の向こうをじっと見つめていた。やっとまともな呼吸が戻ってくる。後ろでは澪が深く溜息をつく音が聞こえてきた。しかし。


「……お前たちの行動については、後で個別に聞く。執務室へ戻るぞ」


 自分たちを庇ってくれたものの、彼の表情は剣吞なままだ。気まずい沈黙の中、紅葉は蒼い背中を追いかけた。

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