-志願対象者-
* * *
「本日の定例会議で、例の無差別襲撃事件の首謀者を討伐する部隊を編成せよという通達があった。臨時で編成された第七、第八部隊を除く各戦闘部隊の精鋭から兵を集めることになっている。そこで、我々からも討伐に参加する志願者を募りたい」
牙雲に呼び出された紅葉は、澪や他の精鋭たちと共に会議室へ集まっていた。しかし、壇上にいる上官の表情はずっと冴えずにいる。
「ただ、他の軍も首謀者の首を狙っているはずだ。同時期に複数の討伐隊が赴けば、様々な場面での衝突が予見される。この作戦はこれまで以上の危険を伴うだろう」
例の鬼神と対峙した自分としては、今の軍の意向が腑に落ちなかった。人的資源を守るためなら、あえて自軍が危険を冒しに行く必要はない。だが、組織の思惑は別にあるようだ。
「今回、首謀者を討ち取った軍は、ノーバディに対して情報を寄越すように圧力をかけられる。逃亡犯を生け捕りにすれば、さらなる機密を奪うことも可能だ。失った味方に対する報復も理由の一つだが、討伐隊を派遣する各軍としてはそれが最重要事項となる」
背景を聞きながら紅葉は爪の端を噛んだ。飆の討伐を機に、長年にわたって身を潜めていた《裏切り者》の尻尾をスマイリーが掴もうとしているらしい。
聞くに、全軍円卓会議で事の発端となったノーバディから、飆の討伐を成功させた軍へ対価を提供する取り決めがなされたという。矢面に立たされていた自分はすっかり聞き逃していたが。
巧妙に内部情報を隠している彼らの機密を奪えるなら、各軍としても多少の犠牲はやむを得ないということだろう。当然、ノーバディ側も自ら討伐に踏み切らなければ、他軍を有利にしてしまう可能性がある。
すると、自分の横で澪がすっと手を挙げた。
「牙雲少佐、本件について質問があります。今回の作戦では誰が部隊を率いるのでしょうか」
「それについてはまだ通達がない。ただ、標的の力量は中佐たちと同程度かそれ以上だと推定される」
「では《第一部隊》か《第二部隊》の部隊長が、統率者となる可能性が高いようですね」
飆の攻撃は時平の装甲を貫通し、牙雲の魔法も容易に相殺していた。加えて高い機動力まで持っている。そうなると、固定砲台を主力とするウェスカーが出るのは厳しいだろう。また、天音の部隊が得意とする無血戦闘を目指した支援寄りの体制では決め手に欠ける。
「最終的な判断をするのは上層部で、今は憶測で物を言うべきではない。ただ、俺も部隊長として志願した以上、選ばれたのならば必ず責務を果たすつもりだ――お前たちの意向は三日後に確認する。それまでに腹を決めておけ」
その一言を残し、牙雲は会議室を出て行った。精鋭たちがそこかしこで返事の中身を相談する間、澪はずっと群青の双眸を伏せていた。
「澪、寝てんのか」
「……いや、考え事をしていた。紅葉は討伐に参加するつもりか」
「少佐が出るっていうならオレも出るよ。澪は?」
「正直、迷っている。部隊長が誰になるかによって、部隊の生存率が大きく変わってくるだろう。話を聞く限り《第二部隊》の『白銀大佐』が統率者であれば、高い確率で生き残れると思うけど」
数々の誉を得ている《第二部隊》については、紅葉も多少は聞き及んでいた。彼らは中央区画の最前線で日夜戦闘を繰り広げ、領土拡大に多大な貢献を果たし続ける常勝集団だ。
そして、そこを率いる『白銀』は、ドラーグドにいる現役の部隊長の中で《最強》の名を冠する猛者だと言われている。
「白銀大佐かー。噂ではたまに《竜のとぐろ》にいるって聞くけど、その人も本部にあんまり帰って来ないみたいだし」
「おれも第四部隊にいた時は様々な場所へ遠征していたが、常に前線へ出ているせいで顔を見かけたことがない。《第二部隊》の隊員たちも並外れた気力と体力を持っているから、普段も最前線にある陣営で過ごしているのだろう」
「中央区画の最前線って言ったら、昼も夜もおちおち寝てられなさそうだなぁ」
苦い顔をした自分に彼もこく、と頷いた。本音では討伐の時に澪が横にいてくれれば心強いが、きっと彼にも思うことがあるはずだ。
「討伐の件で澪がどんな選択をしたとしても、オレは否定しないよ」
「……それについては少し考えてみる。返事を決めるまでには三日あるから、判断材料を集めたい」
「もし手が必要なら協力するし。それと他にも悩んでることがあれば、いつでも聞くから。たとえば恋愛相談とかさ?」
冗談めかして彼の顔を覗き込む。溜息交じりに綻ぶだろうと思っていた唇は、ずっと真横に結ばれたままだった。
* * *
執務室の自席に戻ってからも、紅葉は長いこと書類の上で筆先を彷徨わせていた。
会議室で別れた澪の様子をちらりと伺う。たまに遠くを見つめているような顔がやはり気にかかる。天音からの頼みを受けている手前、何かあるなら言ってくれればいいのだが――
「いてっ!」
「紅葉。お前だけ一文字も進んでいないぞ」
「物理手段の前に声ぐらいかけてくださいよ」
「先から呼んでいたのに、ずっとうわの空だっただろ」
耳を引っ張ってきた牙雲は眉間に皺を寄せるばかりだ。心ここに在らずだったのは、同僚だけではなかったらしい。
「まったく、いつまで経っても叱られ足りないようだな」
「……すんません。で、オレに用事っスか?」
「用があるから声をかけたんだ」
「ああ、てっきり小言が言いたいだけかと」
減らず口を返せば今度は額を小突かれる。上官の背中を追って格納庫の扉を閉めると、落ち着いていた牙雲の表情に陰が差した。
「今日伝えた討伐隊の志願についてだが。今の段階でいいから、お前の意思を知りたい」
「そりゃ当然行きますよ。オレだってアイツにやられっぱなしじゃムカつくんで」
「ならば、俺の頼みの結果はどうだ」
紅葉は何度か口を開いた。そのくせ一つも音にはならなかった。これまでの軽口を失った自分に大きな溜息が返ってくる。
「自ら報告をしに来ない時点で、そんなことだろうと思っていた」
「で、でも、ホントにあと少しなんスよ? 澪にも付き合ってもらって今がんばってるところなんで」
「彼からは定期的に進捗をもらっているぞ。昨日も俺の影を倒したと聞いた」
夜な夜な協力してくれていた同僚は、律儀に自主訓練の結果まで牙雲へ報告していたらしい。内心で彼の抜け目なさに辟易していると、上官が呆れ顔を戻す。
「お前も理解しているとは思うが、ヤツを討伐するには全員に高い能力が求められる。上層部が精鋭だけに声をかけるように指示したのはそれが理由だ。一人でも足手まといがいれば、部隊ごと全滅する可能性が高い」
厳格な眼差しに気まずくなって顔を伏せる。だが、牙雲は言い淀むどころかさらに語気を強めた。
「正直に言う。ホログラムを倒せる実力がなければ、お前を討伐に連れていくことはできない」
「でも、」
「当時、俺は判断を誤った。多くの味方を殺され、お前まで失いかけた。あれは俺の生涯に残る悔いだろう――あの悲劇を、もう二度と繰り返したくないんだ」
飆との死闘で聞いた慟哭が耳の奥で蘇る。今回は志願者が少ないと予想される以上、将校たちは兵の工面に苦労するのが目に見えていた。だが、牙雲は自分を思い留まらせようとしている。
表情を歪めた彼の気持ちは痛いほどに理解していた。同時に彼を安心させられない己が恨めしかった。不甲斐なさにまた唇を噛み締める。望まれた成果がない以上、上官の判断に口を出す権利はない。しかし。
「少佐。オレ、この三日間で必ず結果を出します。それでダメだったら諦めるんで」
「……ならば、俺がこの目でお前の力を確認する。そこで言った通りのことがこなせなければ、志願も受け入れない。話は以上だ」
牙雲も自分の努力を知っているからこそ、頭ごなしに拒否しなかった。だが、渋い顔で去ったのを見る限り、本心では自分の参加を望んでいなかったらしい。
自ら区切った期限は三日だ。それまでにホログラムとの戦闘で勝てなければ、彼と交わした約束が守れなくなる。
「澪のことも気になるけど。この先、どうするかな」
解決の糸口が見つからない問題を前に、格納庫には深い溜息ばかりが満ちていた。




