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蒼い背中  作者: kagedo
EP.6 覚醒訓練編
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幕間 幸せな復讐

 夜霧の立ち込める監視塔の頂。双眼鏡越しに覗くのは漂う白い霧の尾だけだ。凍えるような寒さと睡魔に見舞われる監視任務は心身に堪える。


 月明かりだけが照らす静謐の世界をぼんやりと眺めていた時。冴えた光を放つ望月に、紅葉はふと黒い点のようなものを見つけた。


「ん? なんだ?」


 黒い何かが次第に輪郭をはっきりとさせる。竜の翼を広げた人影から伸びているのは、明らかにそれとは見合わない大きさをした荷物だ。この時間帯に輸送物があるという話は聞いていた。だが、コンテナ一つと言われていたから、てっきり陸路だと思っていたのに。


「イヤな動きだな。報告しに行くか」


 太い鉄線で吊り下げられた鉄の箱がゆらゆらと揺れながら露骨に傾いていく。このままだと墜落しかねない。梯子から飛び降りると、紅葉は吹きさらしの鉄橋を駆けた。


 上官の姿を探している間に滑空する影が霧へ紛れる。飛翔体は正門の方角を向いていたが、今はどこに――


「……わああぁあぁッ!! そこどいてーーっ!!」


 突如、真横から上がった悲鳴が耳の穴を抜ける。霧を払う風圧と共に鉄橋へ現れたのは、長い黒髪を乱した隻眼の上官だ。


「ち、血炉さん!? こっち来たらヤバいですって!」

「わかってるけど荷物が言うこと聞かないんだよ!」

「ちょっ、ちょっと! ホントにぶつかる……!!」


 その場で咄嗟に身を屈める。ひゅん、と頭上すれすれのところをコンテナの角が掠めた。そのまま長い叫びが針葉樹林の中に落ちていく。轟音を連れた無様な不時着に、紅葉は空いた木々の隙間を覗き込むことしかできなかった。




* * *




 がたがたと騒々しい轍の音が山道に響いている。監視任務から一変、紅葉は墜落した輸送物の運搬を手伝っていた。


 本部の正門まではそう遠くないのだが、濃霧と暗闇に覆われた陸路は方向感覚を狂わせる。この自然の要塞に一人で取り残されたら、場合によっては命の危険も伴うだろう。


 しかし、重量を苦にもせず荷台を引く上官は、危機に見舞われたと思えないほどにあっけらかんとしていた。


「いやぁ、紅葉がすぐに人呼んでくれて助かったわ! でなきゃ一時間ぐらい枝に絡まってたと思う」

「オレも下敷きにされないでよかったっス」


 長い裾を引きずっている隻眼の彼へ溜息交じりにそう返す。話を聞いたところ、血炉は牽引しているこの鉄の箱を、山の麓から本部まで空輸しようとしたらしい。しかし、飛行している途中に箱を吊り下げていた鉄線の一つが切れてしまったのだという。


 傾いた荷物で飛行時に水平を保てなくなった結果、彼は木々の合間に絡まって動けなくなってしまったのだ。とはいえ、幸いにも自分がすぐに彼の姿を発見したのと、落下したコンテナも底が凹んだ程度で大事には至っていない。


 第五部隊の面々で血炉の救出を行った後、自分は陸路の付き添いを牙雲に申し出て、今は彼と一緒にこの山道を歩いている。


「中身が重量超過だったのかなぁ。そのせいで引っ張られてこのザマだよ」

「そもそもこんな荷物を一人で運ぼうなんて、無茶しないでくださいよ」

「みんな忙しいのに、わざわざ人手かけて陸路使わせるのも悪いじゃん。今回はちょっと失敗しちゃったけど、ここなら敵襲の可能性も低いし、オレの労力で済むならその方がいいっしょ? 紅葉も監視任務に戻ったって良かったのに」

「だってココの近辺は霧もすごいし、道なんか真っ暗じゃないっスか。オレだったら明かりが落ちても、自力で発火させればどうにかできるんで」


 篝火を片手にしていた自分の話に、血炉はしばらく首を傾げていた。しかし。


「あ、そっか。紅葉はオレが夜目が利くの知らないんだっけ? しかも今日は満月だから視界には困ってないよ。霧はすごいけど、ちょっと上まで飛んで顔出せば、監視塔の明かりで方角もわかるし」

「え、じゃあオレがついてきた意味って」

「そうだなぁ。こうして話し相手になってくれるぐらい?」


 振り返った自分を見て、彼はけらけらと笑っていた。篝火の炎がきらきらとした紅玉に影を生む。唖然としながらそれを見つめていると、不意に血炉の身体ががくん、と大きく崩れた。


「おわっ!? ……なんか車輪に噛んだ気がするなぁ。悪いんだけど後ろ見てきてくれない?」

「あー、右側の車輪が木の根っこに引っかかってるみたいっスね」

「ん、了解。動かすから離れてて」


 進路に張り出した障害物の存在を伝えれば、血炉が牽引していた荷台を軽々と横へずらした。覚醒した牙雲を押さえ込んでいた時もそうだが、あの細腕のどこを動かせばそんな力が出るのかと不思議になる。


「アリガト。さっきはあんなこと言ったけど、やっぱ紅葉がいてくれて良かったわ。右の方はどうしたって見えにくいんだよなぁ」


 がたがた、がたがた。轍の音に紛れた独り言。白い眼帯で覆われた場所を撫でた彼に、以前聞けなかった話がふと口をつく。


「あの、血炉さん。前に倉庫で話した時、誰かに傷つけられて右目が見えなくなったって言ってたじゃないですか」

「そんなどうでもいいこと、まだ覚えてたの?」

「実はオレが子供だった頃、集落が敵に襲撃された時にドラーグドの人に助けてもらったことがあって。血炉さんも小さい時に軍に助けてもらったから、ココにいることになったのかなって思ってました」


 がたん、と轍の音が止まる。あまり触れられたくない話題だったのだろうか。俯いた血炉の横で、紅葉は失言を謝ろうと口を開きかけた。しかし。


「結果としてこの軍に助けてもらったのは事実だよ。でも、オレの右目を潰したのは――竜人たちだった」


 鋭い犬歯が覗く口元から、血炉がぽつりとこぼす。


「オレが子供だった当時、吸血竜を討伐しにきたそいつらに棲み処を襲われてさ。どうにか命が助かったのはオレと、オレを庇ってくれた族長のお祖母様だけ。他のみんなは急所を突かれたり、焼かれたりして殺されちゃったんだよね」

「そんな! 竜人同士でそこまでするなんて、おかしいじゃないですか!」


 思わず大きな声を上げれば、なぜか血炉の方が残った片目をまん丸にしていた。


「さっきから思ってたけど、やっぱ紅葉って変わってるよな? ほとんど初対面みたいなヤツの身の上話を聞いただけで、自分のことみたいに怒ってくれるだなんて」

「だって何も悪いこともしてない血炉さんが、どうしてそんな目に遭わないといけないのか、オレにはわかりません」

「……紅葉はオレが怖くないの?」

「吸血竜が迫害種族だからってことですか? オレは別になんとも思わないっス」

「ふーん。じゃあ聞くけど――もしも毎晩オレと一緒に相部屋で過ごしてしてくれって言われたら、喜んで来てくれる?」


 つい首筋を押さえて口ごもった自分に、彼は空々しい笑い声を上げた。


「あはは! イジワル言ってゴメンなぁ? でも、結局はそういうこと。オレたちは存在そのものが《罪》なんだ。吸血竜が生き血を吸うのは事実だし、オレたちは他を傷つけながらしか生きられない。だから、普通の竜人たちが普通じゃないオレたちを怖がって、遠ざけて、排除しようとするのは当然だよ」


 紅葉はそれに何も返せなかった。はつらつとした彼の性格には勝手に親近感を覚えている。ただ、いくら頭ではわかっていても、皆が本能と直結する恐怖を無視することは不可能だ。しかし、竜人たちから迫害の眼差しを受けるたび、血炉自身も心に癒えない傷を負っている。


「戻る場所を失ったオレたちは数年も身を隠しながら暮らした。けど、族長を狙った襲撃が何回もあって。このままだとオレを危険に晒すから、お祖母様が最後の手段としてオレをドラーグドに預けたんだ」


 族長の責務として、血炉の祖母は生き残った仲間を探そうとしていたらしい。ただ、血炉はドラーグドに保護された段階で庇護施設を出る年齢に達していた。しかし、吸血竜の彼が集落で生計を立てることは非現実的だ。そのため、一定期間を過ぎれば戦へ赴く未来が決まっていた。


 それでも彼女は自らを傷つけた存在に、唯一残った希望を託さざるを得なかった。一族再建のために悩み抜いた末の決断だったのだろう。


「前にも言ったけど、オレは軍に入るのがどうしても嫌だった。戦闘部隊に配属された時は、この手で誰かの明日を奪うぐらいなら、自分が死んだ方がマシだって何度も考えたよ。オレ、お祖母様から『命は大切にいただくものだから、無闇に奪うのはダメだ』って言われ続けてきたんだぜ? けど、族長が一族の掟を破ってでも『殺せ』と言うのなら、オレは従うしかない」


 ――自らが受け入れられない存在だから。


 たったそれだけの理由で、彼は同じ竜人たちに傷つけられ、棲み処や仲間を奪われた。自分がいつか血を啜るだけの《化け物》になっていくと知りながら、望まない戦いへ身を投じるしかなかった。


 そして、すべてを失った彼は今、皮肉にも彼の仇を守るための《組織》に身を置いている。


「襲ってきた竜人たちのこと、恨んだりしなかったんですか」

「まあ、まったく恨んでないって言ったらウソになる。ドラーグドに入ってからも、そいつらと同じようにオレのことを見てくるヤツもいた。イジメとか嫌がらせもしょっちゅうあったしさ。ただ、その時はウェスや亜久斗が庇ってくれたし、おかげで今もこうして居場所がある」


 血炉が少年兵だった当時、本部の中でも吸血竜はまだ迫害の目で見られていた。しかし、二人が手を差し伸べてくれたことで、最悪の結末から逃れられたのだという。直接的な戦闘には関わらない輸送班の役に就けたことも、彼らの支援があったからだと言っていた。


「そうそう、あの二人にはいつも『やられたらやり返せ』って言われてたっけ。ウェスは『やられっぱなしのヤツを見るのは不愉快だから、俺が勝手にやり返す』なんて言ってたな。亜久斗はもっとすごいぜ? わざわざイジメてきたヤツをとっ捕まえて『どうぞ君の気が済むまで殴ってください』って突き出してきてさぁ。

 ――けど、たとえオレが報復したところで、失ったものは何も戻ってこない。この右目みたいに、別の誰かの心に同じような穴を開けるだけ」


 赤い爪の生えた指先が刻まれた虚ろを撫ぜる。彼はまた繕った笑みを自分に向けた。


「いくら二人から言われても、オレたちを襲ってきたヤツらと同じことは絶対にしたくなかった。だから、オレはやり返すんじゃなくて、お祖母様や、ウェスや亜久斗、そして、オレを受け入れてくれた人を支えるために生きていたい。今回の訓練もそういう気持ちで手伝ってたんだ。ほら、がうがうが強くなってくれれば、色んな人が助かるじゃん?」


 たとえ《覚醒》を制御できたとしても、彼はきっと『誰も傷つけない選択』をする。そうしなければ、自らが持っている醜い性が溢れてしまうのだとも。


 血炉は傷つくことも、傷つけることも恐れている。誰が味方で、誰が敵なのかも曖昧なままだ。その中で向けた矛先を収めるためには、自分の内側に全てを呑み込むしかない。そうして幼い頃から原罪と銘打たれた十字架を背負わされた彼は、いつになったら救われるのだろうか。


「――じゃあ、血炉さん。これから血炉さんたちを苦しめたヤツらに復讐しましょう」


 唐突な提案に彼は片目を瞬かせていた。


「うわ。紅葉もそんな顔して亜久斗みたいに怖いこと言うんだな?」

「いや、そういう方向じゃなくて。もしも血炉さんが自分の人生を目いっぱい楽しんで幸せになったら、意地悪してきた人は悔しがるじゃないですか。だから、自分が幸せなんだって思って生きてるのが一番の復讐ですよ」

「……ははっ。さすがのオレも、その発想はできなかったわ」


 がたん、と轍の動く音。前を向いた相手がまた鉄の箱を動かし始めた。


 どこか無邪気な顔を覗かせる彼の中には、渦巻く負の感情があった。いや、それは自分を含め、きっと誰もが持っているものだ。だが、優しい彼は憎しみの連鎖を自らの手で断ち切ろうとしていた。


 長い山道が続く。紅葉は隣で静かな夜に明かりを灯し続けた。しばらくして、人の気配を薄らと感じる場所に辿り着く。拓けた空間で、霧に霞む誘導灯の朧げな光がちらちらとこちらに合図を送っていた。


「よし、もう正門の近くだな! ここまで来れば、あとは他の輸送班がいるから大丈夫」

「了解っス。じゃあ、オレは戻るんで! 言いにくいことばっかり聞いちゃったのに、色々と話してもらってありがとうございました」

「んや、オレの方こそ聞いてくれてアリガト。紅葉が“オレたち”のこと、怖くないって言ってくれて嬉しかったぜ!」


 手を振った血炉が荷台を引きながら先へ進む。ごとごとと轍の音が続く。大きな鉄の箱が正門を潜るまで、紅葉は夜風に黒髪を溶かす上官の背を見つめていた。


 多くの苦難を背負いながら、天真爛漫に生きるその姿に思う。潰された右目に映っていたのは暗闇ではない。死にたがりの彼へ、手を差し伸べた者たちの姿だ。


 何度も死に近づいた彼がここで生き続けている理由。それは彼の本心が、差し出された皆の手を掴むことを選んだからだ。


 同じように、自分も誰かに手を差し伸べられて生きている。そして、いつか誰かに自らの手を差し伸べるためにここへ来た。


 ――あの日、戦火に浮かんだ遠い面影が脳裏を過ぎていく。


 たとえ相手にどんな事情があったとしても。幼い自分が握ったあの掌が確かな希望だったのは、紛れもない事実だ。


 閉じた黒鋼の門を遠くに望むと、紅葉は夜霧の舞う監視塔に向かって飛び立った。






fin.

いつも作品をご覧いただき、ありがとうございます。

EP.7開始まで小休止を挟みます。

書き終えてはいるものの、次章以降へのつなぎなどを調整したいためです。

復帰は2月頃となりますので、よろしくお願いいたします。

(2025/1/5時点)

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章を通してのピックアップキャラだった天音のエピソードと迷いましたが、ストーリー展開の関係で今回は血炉の方を選びました。

コンセプトは『陽キャな陰属性』だったので、そういうちょっとした暗い部分が出ていれば幸い。

彼もウェスカーや亜久斗が登場する番外編に深く関わってくるため、そっちの整理もしていきたいなと思います。

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