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蒼い背中  作者: kagedo
EP.6 覚醒訓練編
109/160

-誓いの証-

 機先を制したのはハルバードの矛先だった。


 しかし、迎え撃つ巨体はその鈍色を片腕で軽々と受ける。逆立つ己の装甲を盾に時平が距離を詰める。ぱんと膨れ上がった上腕が大鎚を地面へ叩きつけた。


 振動が地面から壁を伝う。上がる土煙。丸く抉れた場所に落ちる影はない。


「はあぁッ!」


 裏へ回り込んでいた牙雲が広い背へ肉薄した。白波の立つ刃が大柄な体躯を襲う。


「甘いんだよッ!」


 時平の瞳がぎらりと光った。煉瓦色の掌が伸びたハルバードの柄を鷲掴む。不安定な姿勢にも関わらず、彼は武器ごと牙雲の身体を投げ飛ばした。多少の攻撃を受けているはずだが、その装甲はまったくの無傷だ。


「紅葉、ここを見てくれ」


 手合わせの様子と計測数値を交互に見つめる自分の横で、澪がふと反応を示した。


「えっ、攻撃側だった牙雲少佐の方がダメージ食らってる?」

「時平少佐の鱗に得物をぶつける反動は、たとえるならおれたちが素手で岩を殴っているようなものだ」

「もちろん鱗はナシって前提だよな……いや、どうやったって倒すのムリだろ」

「本来、牙雲少佐は魔力を扱う方が得意なはず。それで互角にもっていくしか、」


 澪の言葉を遮ったのは、慟哭にも似た竜の咆哮だった。青い双眸の奥、本能を昂らせた禍々しい色が覗く。覚えのある“竜”の瞳――あれが《覚醒》の予兆だ。


 大鎚の猛打を掻い潜ると、牙雲が魔力で生み出された水槍を放つ。渦を巻く刺突が時平の全身を襲った。水圧が硬い鱗を抉ろうと激しく飛沫を立てる。しかし。


「ああ? テメェは《覚醒》してこんな程度か? ちっとは骨があるのかと思ったら、期待して損したぜ」


 黒鋼が事もなげにそれを打ち払った。血炉の身体が貫かれていたことを考えると、彼の装甲の堅牢さが際立っている。


 激流を物ともせず、筋張った体躯が大鎚を振りかぶった。突進の勢いをそのままに、干渉を拒絶する水柱を真っ向から打ち据える。


 ばしゃん、と派手な波飛沫。乱反射する水面の色が空間に舞う。牙雲がハルバードを構えた。だが、それよりも先にすべてを薙ぎ倒す破壊の力が彼を襲う。


「がッ……!!」


 妨害の間欠泉が間に合わず、細身の体躯が壁際にまで吹き飛んだ。手元の計測値が大きく下に振れる。かなりのダメージだ。


「ホログラムで戦った時とはまったく違う。今の牙雲少佐は、魔法の出力が安定していない」

「うーん、少佐は全力で魔法を使うのが怖いんじゃないかな? 味方を傷つけるかもしれないって、いつも抑え込んでたし」


 初陣の時、敵の傍から動けなかった自分を守るため、彼は不得手な物理手段を選択した。飆との戦闘でも、自身の魔法が味方へ累を及ぼすように仕向けられた瞬間に、彼は魔力を消失させた。


 誰かを守ろうとするたびに、牙雲はいつも自身の力を戒めている。彼にとって己の魔力は制御しきれない強大な力――“竜”そのものなのだ。


「仮にそうだとしたら、牙雲少佐にとって《覚醒》の制御は絶望的だ。力を無理に抑え込めば、本能との反発が強くなる。暴走状態になるだけならまだしも、心身が摩耗して命を落としかねない」


 飆と最後に刃を交えた時、満身創痍だった牙雲は完全に我を忘れ、命を削ってまで敵を討とうとしていた。己を制御できなければ、《覚醒》を発動させるたびに牙雲の心身は蝕まれていく。


 ああ、時平の言った通りだった。今の自分では、彼を隣で支えることも、内にある恐れを取り除くこともできない。こんな状況で戦えば、彼はいずれどこかの戦場で――


「さっさと立てよ、牙雲」


 膝をつく体躯の前に壁が立ちはだかる。修羅の形相を浮かべた時平が、物言わぬ彼の胸倉を掴んだ。


 不意に流れていた旋律が途絶える。振り向けば、天音が歌うのも忘れてヘーゼルの瞳を見張っていた。頬紅の上に生成りの鱗を浮かべた彼女の横で、血炉が慌てて仲裁しようと手すりに飛び乗る。


 ブーツの靴底が二階席を離れる直前。時平が荒げていた声をわずかに落ち着けた。


「テメェはそんなに弱かねぇだろ。何にビビッてんだ」

「……《覚醒》したまま魔力を使おうとするたびに、悪い衝動へ呑まれそうになる」


 ――これは、誰かを傷つける力だ。


 項垂れたままそう告げた牙雲の双眸からは、予兆の光が消えかけていた。すると、本能を抑え込もうとする彼の前に大きな溜息が落ちる。


「味方を殺しかねないから、テメェはその力を使わねぇって言うつもりか? じゃあその手に握ってるもんは何だ。テメェは人を殺したくて武器を持ってんのか? それなら、手柄目当てに一人で突っ走ってた昔と少しも変わっちゃいねぇな」

「……違う!」


 煉瓦色の手を振り解くと、牙雲が鈍色の柄を強く握り締める。


「当時の俺は青かった。お前のように体格に恵まれなかった以上、とにかく功績を積まねばと、後先を考えずに動いたこともある。だが、初めてこの武器を賜った時、俺は誓ったんだ……将として味方を守るためにこれを持つのだと」

「だったら、テメェの使う魔法も《覚醒》も、それと一緒だろ。テメェがその力を振るう理由は何だ!」


 真正面からぶつけられた問いに、ぎり、と牙雲が唇を噛み締める。


「オレにしか守れないものがあるように、テメェにしか守れないものがある。テメェが死んだら、誰が第五部隊の隊員を守る? 誰が故郷の身内を守ってくれんだよ? ――できるのはテメェしかいない。甘ったれたお坊っちゃまでいるのが嫌で、ここに来たんじゃねぇのか。だったら弱音吐くよりも先に、やることあんだろーが!」

「……知りもしないくせに、簡単に言うな。《覚醒》を扱うのに失敗したら、本当に多くを犠牲にしてしまうんだ。お前にこの恐怖が分かるはず、」

「分かる必要なんかねぇ。オレとテメェは違う。オレはこの身に背負ったヤツらを守るためなら、どんな力だって使い倒してやる。それぐらいの気概がねぇなら、軍人なんか辞めちまえ。立派なお家に守ってもらってのんびりしてりゃいい」

「ッ!」


 牙雲がとうとう青い眦を決した。頬の蒼鱗が次々と逆立っていく。次の瞬間、鈍色の閃撃が大鎚と噛み合った。


「お、痛いとこ突かれたってツラだな? 腹立つならオレをブッ倒してみろよ。生半可な太刀筋なら捩じ伏せてやっからなッ!」


 抱えている棘を刺激され、牙雲は長い銀の髪を逆立てる。咆哮を上げながら、彼は斧の刃先を垂直に振り下した。だが、どれだけ斬りつけても時平の装甲は崩れない。


「もしオレが敵なら! そのままじゃ殺せねぇぞッ!」

「ぐ、うぅッ……!」


 斬撃さえ弾き飛ばす横薙ぎの一打。威力が緩和されたのかさえ疑わしいほどの打撃を受け、細身の体躯が大きく後退する。


「どうした。コイツを防げなきゃ、テメェの身内が死ぬんだぞ? ……そら、この次はテメェんとこの部下だ! 一人っ、二人っ、三人ッ! ――そうやって全員殺されるまで、テメェは怖がって力を出し惜しみするつもりかッ!」


 怒号と共に何度も黒鋼が打ち込まれ、対峙する彼には大きなダメージが蓄積していく。計測装置を見れば、血炉から言われていた強制終了にかかる線の手前だ。


 紅葉は制止の声を上げようと口を開いた。だが、どうしても音にならなかった。止めなければいけないのに。あと何発も持つはずがないのに。喉の奥が締め付けられて、声が――


「いいかァ、この一発で澪のヤツを殺すからなッ!」

「ッ、させな……――っ、がはッ!」


 受け止めようとしたハルバードごと牙雲の身体が吹き飛ばされる。乾いた音と共に鈍色が地面へ転がった。その場へ伏してもなお、牙雲は誓いの証を掴もうと手を伸ばす。しかし、武骨な靴先が無情にもその柄を蹴り飛ばした。


「さて、最後に残ってんのは紅葉のヤツか。信用してる上官に助けてもらえねぇなんて、アイツも気の毒だな」


 ひゅ、とかざされた黒鋼が暗い影を生む。近くで天音が何かを叫んでいた。血炉も杖を片手に翼を広げている。だが、時平が手を止める気配はない。


「これで終わりだッ!!」


 渾身の力を乗せた鉄槌が牙雲の頭上に迫る。彼が迎える結末を予想して、咄嗟に目を伏せる。隣で澪が息を呑んだ。


 次いで流れてきたのは――ごうごうと呻る瀑布(ばくふ)の轟き。


「もう二度と、何も奪わせない」

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