-確かな自信-
時平の鍛えた精鋭が確かな実力を備えているのは、先に見た通りだ。緊張した顔を上げると、囲いの外から声がかかる。
「第六部隊の手合わせはなぁ、負けたヤツにはデカいペナルティがある。今回も例外じゃねぇぞ」
上官からじろりと睨まれた対戦相手は口元を真横に結んでいた。凍り付いた表情はこちらが気まずくなるほどだ。
「えっと、負けたらオレも腹パンされるとか?」
「さすがに違う部隊のヤツに手を出す気はねぇよ。ま、牙雲が許可したら別だが」
それならば、自分が賭すのは信念だけだ。ここで時平の協力を得られなければ、牙雲が苦しみ続けることになる。
「勝負は一回きりだ。どっちかが降参した時点で終了にする。さっさと位置につけ!」
太い号令がかかった。向かい合って一礼した相手は、自分よりも一回り大きく見えた。すると、こちらを向いた彼が装飾品だらけの耳をぴくりと動かす。
「誰かと思えば、第五部隊のひよっこか!」
「あっ! たしか、ウチの少佐の故郷で一緒に戦ってくれた人ですよね?」
「なんだか牙雲のアニキが困ってるらしいんだってな。ホントなら協力してやりたいが――ここで負けると、訓練ばっか増えてカノジョと過ごす時間が減っちまう」
「……あー、さっきまで巻き込んで申し訳ないって思ってましたけど。今ので全力出せそうっス」
前を睨み、ぶわりと赤い鱗を顕現させる。構えた自分を見て、相手も両腕へ深緑の鱗を浮かべた。周囲の喧噪が止む。食い締めた奥歯がぎり、と鳴る。
「準備はいいか? ――試合、始めッ!」
合図と共に紅葉は地面を蹴った。深く踏み込んだ姿勢から鋭く胴を捻る。速さと重さを乗せた一撃で相手の腹を狙う。しかし、突き出した右腕を襲ったのは、鉄板を殴ったかのような反動だけだ。
「それで入ったつもりかァ?」
「ぐっ……!」
軽く受け止められた拳が打ち払われる。仰け反ったところに強打が叩きつけられた。胴体は庇ったものの、かざした左腕の鱗がめくれかけている。自分の物とは硬さが段違いだ。
「こんな楽な勝負じゃ訓練にもならないっての!!」
息を吞んでいるうちに逆襲で猛烈な数の殴打を浴びる。いくら踏ん張っても、全身がじりじりと後ろへ下がっていく。防戦一方の身体が白線近くまで押し返された。
「おらああァッ!!」
咆哮を上げた相手が暗い色の拳を振り被る。あの硬さの一撃を食らったら、長く持ち堪えるのは難しい。それならば。
「うおっ……!?」
「さっきのお返しだッ」
突進してきた相手をギリギリまで引きつける。衝突の直前、掻い潜るようにしてその胴を掬った。
大柄な身体をどうにか地面へ沈める。こうして相手をいなす挙動は同僚の彼から嫌というほど食らっていたが、こんな場面で役に立つとは。
すばやく身を翻し、復帰直後の無防備な脇腹へ蹴りを見舞った。入った靴先にくぐもった声が上がる。だが、体重を乗せ切る前に足首をがっちりと掴まれた。解こうにもびくともしない。
「やってくれんじゃねぇかよ」
「わぁあッ!?」
腕力勝負に持ち込まれ、今度はこちらが引き倒される。この状況はまずい。振り下ろされる踵を見て、横へ転がって難を逃れる。抉れたのが自分の額でなかったのは幸運だった。
「ちっ、うまく逃げたもんだ」
耳をついた悪態に、紅葉は舞った土埃に身を潜めながら退避する。
第五部隊の前衛を務める中で言えば、自分は力が強い方だった。しかし、第六部隊の精鋭にはこれまでの戦い方がまったく通用しない。持久戦に持ち込まれても不利になる。隙をうかがい、確実に仕留める必要があるだろう。
「これだけやってきたんだ。自分を信じないと」
気持ちを奮い立たせようと深く呼吸をする。心から期待されていなければ、牙雲はあんな指示をしなかったはずだ。越えられぬ壁などない。立ち止まりかけた上官の背中を押すために、どうしてもそれを証明したかった。
「さっきのでビビってんのかァ? なら、待ってるだけムダだなッ!」
痺れを切らし、深緑を纏う体躯が迫ってきた。獰猛さすら覚える咆哮が耳朶を打つ。力で勝てないなら、相手の動きを読んで動かなければ。
しっかりと前を見据える。相手は拳を振り上げようとしていた。だが、迎え撃とうとした右上腕がほとんど隆起していない。防御姿勢を解くと、紅葉はすぐに後ろへ跳んだ。
「そらよッ!」
直後、拳よりもリーチが長い蹴りが繰り出される。風切り音を聞く限り、何度も受けたくない重さの攻撃だった。ただ、回避の動体視力は追いついている。身体の動きも遜色ない。
――自身を超える強さを前にしても、怯んでいてはダメだ。
「あいにく、オレも足癖悪い方なんでねッ!!」
「ぐあッ!?」
軽快なバックステップから、助走をつけて跳び上がる。大技の反動で相手の動きが止まった。その瞬間を狙い、空いた腹へ膝頭を打ち込んだ。仰け反った身体へ勢いそのままに乗り上げる。掴もうとする深緑の腕を掻い潜り、紅葉は空いた喉元を肘で押さえつけた。
「これでも“ひよっこ”って呼びますか?」
小さく首を横に振った相手が両手を挙げる。弱々しく震えているそれを見て、紅葉は押さえていた真紅の手を離した。
――これまで見ていたのは幻だった。寝ている相手の体躯を正しく観察すれば、今の己とほとんど変わらない。
もちろん、記憶にある彼らの雄姿と強さは本物だ。当時で言えばとても届かない存在だった。しかし、今は違う。隙を見極める目も、困難を打ち倒す強さも、自分は手にしている。ずっと自分を横につけてくれた牙雲や、共に競っていた澪のおかげだ。
額に滲んだ汗を拭っていると、盛大に手を叩く音が近付いてくる。
「おいおい、ウチのヤツをこうも簡単に組み伏せやがるなんて! 漢を上げたじゃねぇか、紅葉。いっそ牙雲のとこなんか辞めて、オレんとこ来いよ? 飛翼のヤツも喜ぶぜ」
部下が負けたのにも関わらず、時平は豪快な笑い声を上げていた。
「アハハ、最近はそういうお誘いが多くて困ってます」
「なにィ? オレの話には乗れねぇってか?」
「ウチの少佐が放してくれないんですよ」
「なら、オレが牙雲をボコボコにして頷かせれば、問題ねぇな」
「ってことは、その気になってくれたんですね?」
「――漢に二言はねぇ。ただ、オレはあくまでお前のために協力するだけだ。そこは勘違いすんなよ」
「はい! 今度こそありがとうございます、時平さん!」
顔を上げるように促されるまで、紅葉は深く頭を下げ続けた。あとは血炉に話をつけて、例の訓練に時平を参加させるだけだ。
「っと、すっかり忘れてたぜ。今の試合に負けたペナルティについてだが」
「……う、うっす」
話している間にこっそりと逃げようとした精鋭の彼が、ぎこちない仕草で振り返る。
「まあ、他の部隊のヤツとやった試合の結果だ。いつもと状況が違うってことを考慮してだな」
「あっ、もしかして免除ですか? 免除ですね!?」
「んなわけあるか! 逆に連帯責任で翌日は夜まで全員走り込みだッ!」
「ええッ! なんでそうなるんです!?」
「少佐ー、おれら関係ないじゃないですか」
「そうだそうだー!!」
「あぁ? 他の部隊に負けるってことは、普段の訓練が馴れ合いでヌルくなってるってことだろーが。それとも陽が登るまで走りてぇのか?」
「い、いや、それは……勘弁してください」
「ったく。わかったならさっさと全員で返事しろ!」
「「「押忍ッ、少佐!!」」」
声量とは裏腹に、この世の終わりのような顔をしている彼らの様子は少しばかり気の毒だ。が、そのうちの一人に彼女がいる時点で同情の余地はない。
時平の後をとぼとぼと歩いていく彼らに続き、紅葉は散らかった修練場の片付けを手伝った。




