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蒼い背中  作者: kagedo
EP.6 覚醒訓練編
105/161

-傷だらけ-




* * *




 紅蓮をまとわせた拳が空を切る。散った火花の先で、視界が青い輝きに染まった。すり抜けられたと思った瞬間、またいつもの痛みがやってきた。


 ごうごうと呻る激流に足元を掬われ、踏み固められた地面へ転がる。直後、首筋に鈍色の刃が触れた。見下ろす青い瞳に息を呑んでいると、低いブザーの音が鳴り響く。


「っ、これだけやってんのに、手も足も出ないなんて」


 膝をついた自分の前で、当然の勝利を収めた上官の影が消失する。


 牙雲が休んでいる間、紅葉は開放された夜の修練場を訪れていた。しかし、上官の戦闘データを反映した立体ホログラムは予想よりも遥かに精密な挙動だ。


 最初に戦闘シミュレーションを行った時は、数秒もしないうちにハルバードの矛先で心臓を突かれていた。それから数回に渡って勝負を挑んだものの、翻る軍服の裾を掴むことすら叶わない。今も多少の魔法を交えて仕掛けようとしたが、力の差は歴然だった。


「紅葉、大丈夫か」


 地面に背中を預ける自分の前で、澪がいつの間にか手を伸ばしていた。安全面も含め、事情を伝えた彼にも協力してもらっていたのだ。


「へーきへーき。あんまりにもすぐ負けるもんだから、逆に疲れてないわ」


 いつも守ってもらっていたせいで忘れかけていたが、牙雲の武器捌きは軍でも随一だ。ただ、平時の彼でさえ勝負にならなければ、《覚醒》で強大な魔力を解放した相手を御するのは無理だろう。彼が自分を信頼しきれないのも仕方ない。


「せめて手応えを掴むまではやらなきゃ」


 打ち付けた肩を擦っていると、自分に手を貸した彼がぼそりと返す。


「少し休んだ方がいい。開始した時に比べて、鱗が消えるのが遅くなっている」


 各所についたセンサーは生死やダメージの判定に加え、手足の端末と連動して実際に受ける痛みを疑似的に与えてくる。肉体的な衝撃を緩和させる機能が働いているとしても、防衛本能は刺激され続けるばかりだ。


 安全装置を付けていたはずの牙雲が痣だらけになるのも頷けた。


「じゃあ、ちょっと休憩するわ」

「なら、操作を代わってくれ。おれも挑戦したい」


 そう言って軍服を放った彼は、剝き出しの腕に浅葱色の鱗を生やす。構えた彼を確認してから、紅葉は装置を起動させた。


 微かな駆動音と共に、虚無の空間へブロックノイズが走る。無数の光が再び人影を形作った。浮かび上がるのは鈍色を構えた上官の影だ。


「気をつけろよ! めっちゃ初動早いからな!」


 澪が頷いた直後、戦闘開始の合図が鳴り響く。間髪入れずにハルバードの閃撃が走っていた。がきん、と激しい音をさせ、逆立つ鱗に鈍色が噛む。実態がないはずなのに、ホログラムの攻撃は確かな質量を感じさせた。辛うじて澪が受け止めるも、蒼い裾を翻した上官の影が刃へ淡い光を走らせる。


 魔力を纏った斧の刃先が鋭利さを増した。重さが乗り切る前にそれを打ち払い、澪が回避に移る。しかし、逃げようとした胴へ武器の柄が叩き込まれた。


「っ……やっぱり、簡単にはいかないね」


 低いブザーの音に紛れた溜息が落ちる。わずかに動きを止めた澪の首には、既に刃が当てられていた。


「今のアレ、腹に食らうとマジで痛いよな」

「体格はおれたちの方が有利だと思っていたけれど、そうでもないようだ」


 朴念仁の彼も上官相手ではさすがに歯が立たないらしい。歪む表情から受けた衝撃を思い出した紅葉も苦い顔を浮かべた。だが、ハルバードを手にした影を睨むと、澪は再び浅葱色の拳を構える。


「もう一度やってみたい」

「え、あのホログラムを倒せって、澪にまで命令されたわけじゃないんだぜ?」

「知っている。でも、紅葉にばかりいい顔をさせたくない。それに、いずれはおれ自身が乗り越えるべき相手だ」

「ふーん、そういうことね。じゃあ三戦やったら交代しよう」


 ホログラムとの戦いは、本来の趣旨である戦闘技能の向上に直結する。澪も高みを目指すつもりで挑んでいるのだろう。


「オレも負けてらんないな」


 低いブザーが戦いの始まりを告げた。残り時間でどちらかの拳が一つぐらいは掠るようになるだろうか。あの一方的な展開を切り抜ける術を探し、紅葉は爪を噛んでいた。




* * *




「……お前たち、その格好はどうしたんだ」

「昨日の夜に自主練やってて、ボコボコにされたんですよ」

「誰に?」

「その"張本人"と会話してますけど」


 翌日の昼下がり。執務室に復帰した牙雲が自分と澪の姿を交互に見やる。それもそのはず、自分たちの頬には大きな絆創膏が貼られていたからだ。


「まさか、俺のホログラムと戦ったのか」

「全然勝てなかったから、最後の方は二人してムキになっちゃって」

「おれたちが力不足だっただけです。かすり傷なので心配には及びません」

「澪も付き合っていたとは。お前たちがそこまで無茶をするとは思わなかった」

「しょーさだって人のこと言えませんよ。まだ痣も完治してないんでしょ?」


 呆れた表情にそう返すと、牙雲は口元を真横に引く。


「そのせいもあって、《課題》の訓練は三日に一度の実施とするように指示が出た。おそらく天音さんが心配して、聖大佐へ相談したのだろう」


 聖から告げられた表向きの理由は、《覚醒》の制御が叶うまで修練場を毎晩封鎖すると、他の隊員に影響が出るというものだった。ただ、牙雲を案じた上官の判断に、内心では安堵の溜息が漏れる。


「ひとまず、今日までは身体を休めるつもりだ。だが、俺の都合でお前たちを放っておくわけにはいかない。部隊の皆を驚かせないよう、事情を伝えた上で稽古を再開する」

「戻ってきてもらえるのはありがたいんスけど、少佐ってびっくりするぐらいタフですよね」


 呆れている自分の横で、澪もどこか渋い表情だ。


「俺がやりたいと思ってやっているだけだ。苦になるほどでもない」


 上官はむくれた顔のまま机に戻った。


 訓練の頻度が減れば、一時的に牙雲の負担も軽くなるだろう。しかし、取り組みに付き合っている天音や血炉は普段から忙しい身だ。遠征が増えることを考えると、中央区画の停戦協定が続くうちにけりをつけなければ、昇格も遠退く可能性が高い。


 だから牙雲は無理を押して励んでいたのだろう。


「つっても、オレや澪が数日で少佐より強くなるのは厳しいし。どうしたらいいんだろ」


 自分が同じ立場なら、きっと内心は穏やかでいられないはずだ。自身の実力が伴わないのなら、彼のために信頼できる者を探さなければ。


 黙々と書類仕事へ取り組む上官の姿を見て、今日は溜息が漏れるばかりだった。

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