美少女を庇ってトラックに轢かれたら、美少女が記憶喪失の俺に毎日お見舞いに来る。
諸君は、トラックに轢かれた経験はあるだろうか。
いや常識的に考えてあるわけない。愚問だったので忘れて欲しい。
そもそもトラックに轢かれたら命があるか怪しいところだろう。
こんな俺の独白なんて届かずに天国でのんびり暮らしてる人も多いんじゃなかろうか。
トラックに轢かれたら人間はどうなるか。
体が頑丈な上にものすごい幸運の上に成り立った現状から俺が思うのは、体の節々が糞痛てぇということだった。
「どうしました柏木くん。また露骨に顔を歪めて。体痛いですか?」
「痛いに決まってるだろ常識的に考えて」
「でも美少女が毎日お見舞いに来るわけですから回復効能が見込めたりしません?」
「なに言ってんだ」
現在進行形で頭も痛くなったところである。
俺は今、病室に居た。包帯ぐるぐるな上に右足は骨折、左手はなんか動かない。おまけに軽度の記憶障害。全治はおよそ1ヶ月間。それが今の俺の状況であった。
俺はどうやら美少女を庇ってトラックに轢かれたらしい。記憶はない。まったく覚えていない。
ただ、気づいたらこの病室にいて、心配そうに今リンゴを器用にウサギさんの形にしている美少女に顔を覗き込まれていたのだ。
体の節々が痛むが、医者曰く致命的なところまでは行っていないらしい。記憶障害も本当に軽度なもので事故と一部の『どうでもいい』記憶を失くしただけで結構なんでも覚えている。母親の顔もくっきりと鮮明に思い出せるくらいだ。
本当に自分の体の丈夫さと、神がかった奇跡で命を繋げたことをマジで幸運に思う。
これほど神様に感謝したこともそうない。トラックに轢かれて生き残るのはどのくらいの確率なんだろう。少なくとも宝くじの2等くらいよりはレアなんじゃないだろうか。
そう希少な経験もない。
しかもおまけに、俺が庇っただかなんだか知らない美少女が毎日お見舞いに来てくれるという神仕様。
神はいるわ。うん。マジで。
神の存在なんて信じてなかったけどこれを気にキリスト教に入信しようかな、と考えるくらいには状況が神がかっていた。
だって毎日美少女がお見舞いに来るんだぞ。
ありがとう記憶を失くす前後の俺。おかげで俺は今とんでもない幸運にありつけている。
「柏木くんリンゴ食べますー?」
「食べる食べるめっちゃ食べる」
「食欲旺盛なことで。左手は動かせます?」
「ああ、今利き手は闇を封じる呪いの包帯によって封印されて――――――」
「動かせないんですね」
「なんか突っ込んでくれても良くない!?」
「すいません私中二病はちょっと......」
「ガチ目に遠慮するなよ! 俺がマジもんの中二病みたいになっちゃうでしょうが」
え? 違うの、と言わんばかりの視線で彼女は俺を射貫く。
違う違うと全力で今動かせる首を横に振って否定する。だが、彼女の軽蔑の視線は止まない。
美少女に蔑まれてる現状がとてつもなくしんどい。
俺はトラックから庇った救世主の筈なんだが。とりあえずつまようじで刺されたウサギ型のリンゴを彼女が差し出してくるので、俺はそれにかぶりつく。
うめぇ。美少女から差し出されるリンゴだからなおさらうまい気がする。
利き手じゃない方の動く手で指を立てて見せる。そうすると彼女はそれを咎めるように視線を鋭いものにした。
「病人なんですから不用意に動かないでください。右足みたいに今は動く右手も何かの拍子にポキッと折れるかもしれないんで」
「俺のカルシウム摂取量を舐めてくれるなよ。毎日牛乳1パックを飲み干す健康優良児だぜ」
「だから無駄に身長が大きいんですね知ってました」
「なんか辛辣!? もっとなんか気心に溢れた反応をして欲しいとお兄さんは思うわけよ」
「別にいつも通りでは?」
「何を基準としていつも通りなのか分からない。そもそも俺と君はまだ3日程度の付き合いな訳だし辛辣な反応をするにはまだ共に過ごした時間が短いというかなんというか」
「......君?」
「ん?」
君、とその単語に反応して彼女は咎めるような視線を強くする。何か俺やっちゃいました? という雰囲気が流れ始める。別に間違ったことは何一つ言ってない筈だが。間違ったことは何一つ言ってない筈なんだが視線がすごく痛い。無意識の内に彼女の機嫌を損ねた可能性は否定できない。
いつも通りどうにか彼女の機嫌を取ろうとして――――――、俺は彼女の好きなものも、食いつく話題も、褒められると嬉しいこともなにもかも知らないことに気づいた。
どうしよう。適当にその銀髪綺麗ですねとか褒めておこうか。
今さらだが彼女はハーフっぽい。すんごい美人さんだ。身長はちっちゃいが。しかも童顔。中学生に間違えられても不思議ではない。まぁ同い年であるわけだが。
「もしかしてですけど。私の名前、知らないんですか?」
「へ?」
なんか知ってて当然みたいな、そんな言いぐさである。
お互い自己紹介をしたわけでもないのに知るわけがない。というかなぜ彼女は俺の名前を知っているんだろうか。病室のネームプレートを見たのだろうと一人合点がいく。というか、俺がそんな思考をしている間に沈黙の時間が訪れる。
なんだ。
すごい気まずいことだけは分かる。
彼女はなにか思案するように顎に手を当て、そして意を決したように口を開いた。
「私の名前は恋滝恋です」
唐突に自己紹介が始まった。その視線はあれか。俺にも自己紹介をしろと言うことなのか。いいぜ乗ってやる。というか乗らないと後が怖い気がする。
「俺の名前は柏木緋色ですどうぞ末長くよろしくお願いします」
「末長くよろしくされるいわれはないです」
「俺の渾身の告白をノータイムで叩き落とした!?」
「本気にする馬鹿がいます?」
それもそうだと俺は苦笑する。そうすると彼女もすこしだけ微笑んで見せた。
なんか不穏な空気は消えた。それと同時に話題も消えた。なにか全力で話題を振らなければいけない。そんな気がしてならない。
「それにしてもあれだな。名前に恋って文字が二つ入るのあれだ。いい感じだわ」
もっと褒める点がどう考えてもあっただろ俺。そんなことを考えても後の祭りな訳だが。
「言葉として聞いただけで文字を想像できます?結構レアな名前だと思うんですけど」
「いや、それは......なんとなく?」
「なんとなくですか」
そう彼女は呟く。そして彼女はすこし悩んだ後、リンゴをつまようじで差し出してくる。当然、それに俺はかぶりつくわけだ。うめぇ。リンゴってこんなに美味しいものだったのか。ものすごい感動している。まぁそれもこれも美少女が剥いたリンゴという神の見業がなせるものである。母から差し出されたリンゴだったら間違いなくこうはいかなかったと確信できる。それほどに、このリンゴは美味しかった。
「こうしてるとあれですね。ウサ――――――、ヤギに餌付けしてるみたいです」
「ウサギの例えを続けて良かったと俺は思うよ!?」
「いや、柏木くんはウサギほど可愛くないじゃないですかやだ」
「さっきから口撃が凄いよ!? 間違いなく命の恩人、ましてや出会って3日目の会話じゃないと俺は思うんですがそこらへんどうなんですかね」
「知ったこっちゃないです」
「酷くない!? 少なくとも怪我人の扱いじゃないよね俺」
「知ったこっちゃないです」
「二回連続で同じことを同じトーンで言われるの怖いから止めて!? ロボットかと疑っちゃう俺が出てきちゃうじゃん」
「知ったこっちゃないです」
「もうロボットじゃん絶対!」
そんな俺のオーバーリアクションが面白いのか、彼女は満面の笑みを浮かべながらリンゴを自分の口に運ぶ。リンゴは全部俺のって訳にはいかないらしい。
「柏木くんはあれですね。面白いタイプの人間ですね」
「ああ。クラスでは面白い方だ」
「そして社会に出て自分の笑いのセンスがそこまでではないという現実を知るところまでがセットですね」
「言い方ってものがあるよね!? 俺にとって都合のいい事実を並べてくれたらそれでいいから!」
「なんであなたの事情を考える必要があるんですか。もう少し私の立場になって考えてください」
「出会って三日目だよね俺たち!?」
だが、不思議と不快な感じはしない。恐らく俺と彼女の距離感は、これが適切なのだろうと直感できたからだ。
なんだろう。この感じ。彼女といると不思議と楽しいのだ。出会って3日目なのにまるで旧知の中のように離せている。実際今日まで名前すら知らなかったわけだが。
これはあれだ。病院退院後に、デートとかワンチャンあるんじゃなかろうか。
いや、ワンチャンを感じずにはいられない。それほどまでに俺は興奮していた。
ワンチャンどころかツーチャンまである。どうしようもなく本能がこの子とは上手く行くことを訴えかけていた。とりあえず、ラインを聞き出すことから始めないといけない。
そういえば、スマホどこだろう。
現代っ子である以上、スマホがないと手先をもて余すのが本音である。
ソシャゲの周回やらなんやら、現代っ子ならではの悩みがそこにはある。
唐突に彼女はあ、と声をあげてこちらへとなにかを投げた。
「これ、俺のスマホか?」
「はい。柏木くんのお母様から預かったものです。『そろそろあの馬鹿も手先をもて余す頃では』という憂慮により私が預かって、渡そうと思って投げました」
「投げる必要あったかな?」
「ないです。遊びです」
「遊び感覚で人のスマホになんてことを......」
慣れない右手でスマホを操作する。4桁のパスコードを難なく突破し、画面に広がるのはいつものアプリ群。
画面を覗き込んできた彼女がまたも咎めるように言う。
「パスコード4桁ってどうなんですかね。もうちょっと用心しません?指紋認証はいいにしてもせめて6桁にしたらどうです?」
「仕方ないだろ、思い入れのある数字なんだから」
「思い入れ?」
「ああ、うん?」
思い入れ、と俺は咄嗟に言ったが、なんで俺がそう答えたのか俺自身も分かっていない。
なんか、とてつもない違和感である。打ったパスコードを確認する。『0823』別にこの数字におかしいところは感じなかった。なんでこの番号にしてるのか。違和感はそこだった。俺の誕生日ではない。じゃあ、なんでこれが思い入れのある数字なんだろうか。
「そういえば、パスコード打った画面見てないんですが、一応何か聞いてもいいですか?」
「ん?ああ、『0823』だ」
「ぜろはちにーさん」
彼女がその数字を口にする。
すると、困ったように頬を掻いた。
「どうした?」
「いや、なんでも?」
「何かあったときのやつじゃん絶対それ」
その声色には喜色が乗っている。一体どうしたと言うのか。
「......あの。いきなりぶっこむんですけど」
「どうしたよ?」
急に真剣な声色になった彼女に視線を向ける。
「――――――私が柏木くんの彼女だって言ったら信じます?」
「はい?」
間違いなく、その日一番の困惑だった。
何をいわれているかわからない。
「多分写真フォルダ見れば分かると思います。ちょっと開いてみてください」
そう俺が誘導されるがままに写真フォルダを開くと、そこには彼女と俺が写った楽しそうな写真の数々があった。
「......これ」
どこか、脳裏の片隅に引っかっていた疑問がいま完全に形を成す。
なぜ彼女は俺の利き手が左手であることを知っていたのか。名前を聞いたとき、パッと頭で文字が浮かんだこととか。彼女と会話をしててなんですごい楽しいこととか。なんでこの子にワンチャンを感じたのか。いや、ワンチャンどころかそもそも確定してたっぽいが。
沸々と、失くした記憶が熱を帯びるような、そんな感覚。
記憶が戻ってくるわけではない。でも、俺と彼女との関係をこのスマホが雄弁に語っていた。
「マジで?」
「大マジだから私はこんなに真剣に話してるわけですが」
「なんで、記憶が......?」
「わたしだけ、なんて。意地が悪いですよね、神様も」
何故、大事なものを落っことしてしまったのだろう。
頭に差す痛みが、体の芯を突き抜けていった。
完成まで、あと1ピースのパズル。
でも、残りの1ピースが見つからなくて。ただ、失くしたパズルのピースを探すような、ヒリつく焦燥感だけがあった。
なんで、落っことしてしまったんだろう。
もしも神様がいるのなら、それはとんでもない糞野郎だ。
掌を返すようで悪いが。なんで俺は覚えてないんだろう。
よりにもよって、この子のことだけを。なんで今、泣きそうになっているこの子のことを俺は何一つ覚えてないんだろう。
なんで、なんで、なんで覚えてないんだろう。
スマホだけが、俺たちの関係を、記憶を語っていて。
何故だかそれがすごい虚しくなった。
「ねえ。緋色くん」
鈴のような、よく通る声。
凛として、静かで、何か夏の始まりを予感させるような、そんな声。
俺が好きだった筈の、これからも好きになる予定の声。
「思い出は、また作ればいいんです。夏休みはこれから始まります。実は昨日が終業式で」
彼女は続ける。
「記憶がなくなっても、生きていればまた思い出は作り直せます。作り直すだけじゃなくて、もっと楽しい思い出にして、それをまたスマホで撮るんです。今度はきっと一生忘れられない思い出になるから。だから、だから――――――」
彼女は一呼吸おいて、言う。
「――――――もう一度、私の彼氏になってくれませんか?」
二回目の告白。それも今度は彼女から。流石に一回目は俺からしたと信じたい。
意を決して、彼女は問いかけたのだろう。もしかしたら記憶を失くした俺に振られるのではないか、と。
だが、それはとんでもない大間違いだ。なぜならそれに対する返答はとうの昔から、彼女に始めてあったときから、いやきっとそれより昔からずっと決まっていたのだ。
「不甲斐ない彼氏だけど。これからよろしくな」
「......いいの?」
「断るわけがない」
本当に驚いたように彼女はぽかんと、口を開けて。
それから、笑って見せた。
記憶にない笑顔。
それでも、スマホのフォルダにある笑顔。
俺は、これから何回だって見たい笑顔に同じように俺も笑って。
それからすかさず写真を撮った。
「ちょ、何ですか!?」
「いや、なんとなく撮っとこうかなと。今のが初ショットだ」
「不意打ちです。盗撮です。消してください」
「一緒に思い出を作り直そうっていっただろ。どうせなら恋ちゃんも意図してないような、楽しいフォルダにしたくてな」
「......恋ちゃんですか。他人行儀な呼び方とは一転。悪くないです」
ふふ、と鼻を鳴らして彼女が笑うので。
またもや俺は写真を撮るのだ。
これで二回目である。俺たちのカップル関係も、二回目。
きっとこんなケースは、宝くじの一等に当たるよりレアなんじゃなかろうか。
◆
全治1ヶ月というのは、やっぱり1ヶ月だった。
夏休みが始まったらしいというのに動けない自分自身にモヤモヤする毎日だったが、彼女が毎日会いに来てくれるから寂しくなるようなことはなかった。
記憶喪失、といってもやはり軽度のもので(俺にとっては全然軽度ではない)彼女と事故の記憶以外失われていることはなかった。それに関しては、安心である。
忘れたことはともかくとして、もう忘れていることはないのだから。
思い出を作る。また、思い出を作っていく。
スマホに撮って、もう一度。それを忘れないように保存して、それを時々思い返して。
そうやって、俺たちの記憶は続いていくのだ。
彼女が記憶喪失になった俺のお見舞いに毎日来る。
めんどくさくないのか、と聞いたら「めんどいです」と即答。
でも、楽しいらしい。
女の子はよく分からない。
結局夏休み終盤まで俺が動けるようになることはなく、彼女には肩身の狭い思いをさせた。
でも、これからようやく退院である。
「よし恋ちゃん。いまなら海でも遊園地でも水族館でもネズミーランドでも。俺はどこにだっていけるぜ!」
そう自信満々に元気アピール。夏休みはあと3日残されている。やってやれないことはないだろう。
「ぜろはちにーさん」
彼女が呟く。それは、俺のパスコード。
「つまり今日なわけなんですけど。私、誕生日です」
それは知らなかった。忘れていた。
当然、何の準備があるわけもない。
いまからケーキ屋にでも走るか。
「いや、ケーキはもう予約してあるんで。あとは緋色くんがうちに来れば完璧の布陣が整うわけですよ」
「いいのか?」
「いいもなにも私が誘ってるわけなんですよ。ちなみに今日、親は家を空けさせているので。二人きりですね?」
「ん?」
「ちなみにケーキはホールなので」
「ん?」
「頑張ってくださいね?」
男として重大な何かを、俺は今日試されるようだった。
◆
写真は好きだ。
忘れそうになった思い出をすぐに思い返すことができるから。
いつの日かのホールケーキの写真を眺めて、俺は呟く。
「あの日は、地獄だったな」
男としての意地を見せ、完食したのはいいものの。
いいムードになったくせになにもできず、俺のヘタレが露呈するようになったあの日のことだ。
あれからだろう。彼女が積極性を見せてきたのは。
そういうところも可愛いんだが、と付け足してスマホの電源を切る。
それは単純に、彼女に呼ばれたからだ。
「ほら緋色くん! はやく行かないと。私の両親待ってますから」
そう、あの日と同じように男として重大な何かを試される日だった。
今日、俺は彼女の両親へ挨拶に行く。ぶっちゃけ緊張で何を喋ればいいか全くもって分からない。
どうにかなって欲しいと思う。
どうにかなるかは別問題として、だ。
「緋色くん?」
玄関先からひょこっと顔だけ覗かせてこちらへちょいちょいと手招きしている。
「ああ、今行く」
「はやくー」
彼女に急かされるまま、俺も外に出る。
あの日と同じようにどこか夏の始まりを予感させる、今日。
男として重大な何かを試される、ラスボスと相対する日でもある。
こんな日を、いつか写真で見て笑える日が来ればいいなと、俺は一歩意を決して踏み出した。
記憶喪失になる主人公を見たかった。そしてその記憶がスマホだけに残っていて若干エモい雰囲気を作りたかった。敬語系彼女を作りたかった。こんな可愛い彼女に恵まれたかった。
そんな願望を書き連ねた結果がこれだよ。やっぱり自給自足だわ。
久しぶりって言うほどの頻度でもない。一週間から二週間に一度短編を投稿する感じの私です。
お気に入りユーザ登録してくれると作者が作品を投稿したときにすぐに反応できるので是非。
あとブクマ評価も嬉しいですが感想のが私は嬉しいです。あとついでにいいねください(強欲の壺)
季節が夏っておかしくないって突っ込んだ方は思いっきりグーで顔面を殴ります。