13.
イゼリアさんと解散した後、寮の部屋でひたすら漫画を読んでいました。
このモヤモヤの理由は分かりきったようなものなのに、恋愛漫画に答え合わせを求めてしまっています。
どの主人公を見ても、私の頭に浮かぶのはあの2人。
認めたところで次の問題にぶつかるだけで、きっとその正解は人それぞれにある。数学の問題のようにこれが答えだとはっきりするものではないのです。
珍しく早朝まで眠気が来ず、借りた漫画を全て読み終わってから短い睡眠の末、お昼頃に起きた私。
もう一度寝る気にもなれず、かといってこのままベッドに転がっていてもモヤモヤが晴れる訳もなく。
着替えて出かけることにしました。特に当てなどありませんでしたが、足が自然と向かったのは動物公園。
お気に入りの猿山を眺めることにします。
よくよく考えると学校じゃない場所へ1人で休日のお出かけ。イゼリアさんや芹菜先輩と遊ぶようになってから、初めてではないでしょうか。そもそもここに来るのも随分と久しぶりな気がします。
そう考えると、なんだか落ち着かなくなってきました。だって、いつもなら裾や袖がもっとヒラヒラふわふわとしていて、首元もレースでいっぱいなのに、今は制服です。それにメイクもしていません。
目の前では、のんびりと大きなあくびをしたり毛繕いをしている猿たち。いつもなら見ていると気持ちが穏やかになっていくはずなのに。
どうしてこんなに気が急いているんだろう。
「あれ、野々ちゃん?」
「い、イゼリアさん? ど、どうしてここに」
そこにいたのは、私が悶々としている原因その人で、ますます落ち着かなくなります。連絡もしていないのに初めて出会ったこの場所で会うなんて。顔に出てないといいのだけど、自信はありません。
チラッと隣に立つイゼリアさんの顔を盗み見ると、視線は猿たちの方を向いていて、少しホッとします。
「バイト上がったとこなんだー。少し歩いて帰ろうかと思ってさ」
「そう、ですか」
「外で制服姿を見るの、久しぶりだね。それに、メイクしてないのも。やっぱり野々ちゃんは元が良いから、どんどん可愛くなってくね。ま、ボクが1番なのは変わらないけど!」
か、かわいいと、言われてしまった……。イゼリアさんに?
どうしよう、いよいよ隠せないくらい、顔が熱いのを感じます。ああ、本当に今日は、落ち着かない……!
「ありがとうございます」
「本当のことだよ。きっと今の野々ちゃんがボクみたいにSNSに写真をあげたら人気者になるよ。ボクが霞んじゃいそうで怖いくらい」
SNS、か。
顔写真をあげるのはリスクがありますが、イゼリアさんは素顔が分からないんですよね。相当気をつけているでしょうし。ま、私がすることは無いでしょう。でも、
「イゼリアさんが霞むなんて想像できませんね。そんな人、いるんでしょうか」
「星花には芸能人だっていっぱいいるし、ボクなんてまだまだなんだよ」
「そうなんですか? 私はイゼリアさん以上に可愛い人を知らないですが」
「ありがとう。野々ちゃんに褒めてもらえると嬉しいな。さて、お腹空いたし、ボクそろそろ行くね」
「あ、あの。次、いつ会えますか?」
思わず引き止めてしまいました。
「あー! プリクラのリベンジ、約束してなかったね。でもシフトがまだ決まってなくてさ、」
……次の約束ができないって、こんなにもどかしいことだったんですね。同じ学校に通って寮の部屋も知っている芹菜先輩はともかく。イゼリアさんとは会いたいと思ったときに会うのが難しいです。
「予定が分かったらまたここに来るよ」
そう言って去っていくイゼリアさんの背中を眺めながら、私はある決心をしました。
✩
「あれ、今日は彼女来ないよ?」
帰ってきて早々、パジャマや枕を手にする私に、ルームメイトが不思議そうな顔で言います。
「用があるので。そのまま泊まってきますね」
「ふーん。野々の相手なんて大変だねぇ」
彼女が嫌味を言っていることはちゃんと理解しています。自分が面倒な性格だということも。
「そうかもしれないですね。最近どんどん頻度上がってますし」
自分の意見を押し付ける事は良いことではありません。とはいえ、どうしても譲れない部分もあるわけで。そういったぶつかりが多いルームメイトとは、正直仲が良いとは言えません。別に、嫌ってはいませんが。
「それって嫌われたら私のせいってこと?」
「違いますよ。あなたを言い訳にして、私は自分の意思であの人に会いに行っているんですから」
彼女のように私の事を面倒だと思っている人はたくさんいるでしょう。しかし、両親の他に例外が2人。
勝手に暖房を切っても何も反論せず同じベッドに入れてくれた芹菜先輩と、文句なしの綺麗な食べ方をしたイゼリアさん。まだ知り合って間もない2人だけど、居心地の良さが、また会いたいと思う理由なのだと思う。
「彼女?」
「……いいえ。そんなんじゃないです」
他とは違い特別な存在だと感じている。最近は特に。気になる人がいる、と芹菜先輩に話した自分。そして以前メイドカフェに行った時の事が頭をよぎる。
「だよね。野々のことだし」
「そろそろ行きますね」
「いってらー」
あっさりと納得したルームメイトに安堵しつつ、荷物を持って部屋を出る。……顔が熱い。けど、気付かれてはいないでしょう。
「いらっしゃい、野々ちゃん。ほんと、お互い大変だね」
快く迎えてくれた先輩ですが、どうやらお疲れのようです。
「何かあったんですか?」
「実は今日は出かけてて、さっき帰ってきたんだけど。ルームメイトが珍しく帰ってきてると思ったらちょうどお楽しみ中だったの」
「えぇ……じゃあ今日はやめておきましょうか。本当は私、」
「いーっていーって! あたしらのことは気にしないで! 」
いつも来た時は誰もいない2段ベッドの上段から、ひょっこりと顔を出したこの人が、先輩のルームメイトさん、でしょうか。
「そんなこと言って。またするつもりでしょ?」
「そりゃだって、夜はこれからだし」
「あのねぇ。気にしないでなんて言える立場じゃないですよねそれ」
「え。だって2人もするんじゃ?」
きょとんとした顔で当たり前のように言うので、反応が遅れてしまいました。今のお話って、前に借りた部誌みたいなことを……っていう話、で、合ってるでしょうか? 芹菜先輩と、私、が?
「ちょっと何言ってるんですか? 野々ちゃんが困っちゃうでしょ? 私の可愛い後輩になんてことを」
「え、ただの後輩? 彼女じゃなくて?」
「違いますから! 全くもう」
……はっ! 私ったらなんて妄想を……いけない。このままでは目的を忘れてしまいそうです。
「あの、実は今日スマホを買ってもらったので、芹菜先輩の連絡先とか、アカウント教えてほしくて来たんです」
「そうなの? いやでも待って。もし野々ちゃんに迷惑じゃなければ泊まってくれない? 流石に隣の部屋と同じ部屋だと全然状況が違って居づらすぎるというか。一緒だったら気が紛れるというか」
このまま私の自室に招くという手もあるのですが、ルームメイトに会わせるのも、芹菜先輩に中等部の寮まで来てもらうのも申し訳ない……
「えと、私は構いませんが……」
「まあ、彼女ちゃんはこの通り寝ちゃってるから、しばらく大人しくしてるよ。安心して」
「それ、全然安心出来ないから! ま、とりあえずそのお話は置いといて、連絡先の話だったよね」
一通り教えてもらって、また少しだけ使い方が分かったような気がします。皆はいつもスマホを見つめていますが、何をそんなに見るものがあるんでしょう。それはまだ謎ですね。
「そういえば野々ちゃん、よくうちに来るけど、部活仲間でお泊まりとかしないの?」
最初にここに泊まりに来た時の事を思い出してみると、部屋を追い出された時、1番に頭に浮かんだのが芹菜先輩でした。そのままここへ来て、お言葉に甘えてお邪魔させてもらっていましたが、
「そういう手もありましたね」
別に、毎度お世話にならなくても、部活メンバーだけでなく、クラスメイトでもいいんですよね。
「実家生とか、恋人がいる子ばかりなのかなって勝手に思ってたんだよね」
「どうでしょう。恋人がいるとは聞いたことないですけど」
「そうなんだね。てっきり……」
「なんですか?」
「すごく仲が良さそうなイメージだったから。部活の子たちよりも先に連絡先聞かれたの、ちょっと意外だったかな」
まあ、うちの部はそこそこ活動が盛んだと思いますが、仲の良さは同じ部活動生だという域を超えないかと。少なくとも私はそう思っています。まあ、たまに以前のように遊びに行くことはありますが。
「悪くは無いでしょうけど……芹菜先輩との方が、プライベートな時間を多く過ごしてるかと。基本は部活動以外で会わないですから─」
そんないつも通りの他愛ない話を続けたあと、布団に入ります。芹菜先輩と一緒に。
「そういえば今気づいたけど、暖房切ってる?」
「あ。私です。寒いですか?」
「えっ」
芹菜先輩が返事をしたことにびっくりしてしまいました。そういえば、最初にお泊まりした時以降、そのことを注意していないような。
「いんや。今暑いからむしろ助かるわ」
「それなら良かったです。おやすみなさい」
「おやすみなさい」
「おやすみー」
まだ彼女さんは眠っているようで、もぞもぞと布の擦れる音がしたあと、上は静かになりました。
「あの、暖房切ってるのって」
「一緒に寝るのが暖かいって、野々ちゃん教えてくれたでしょ? だから、来てくれた時は消すことにしたの。1人の時も最近はなるべく厚着するようにしてるよ」
……この人は、素でそんなことを言ってるんでしょうか。それに、寝る体制に入った芹菜先輩は、反対側を向いているとはいえ、背中を体にぴたりとくっついています。温かいのですが、それ以上に熱いです。私の顔が。
芹菜先輩にはきっと他意は無いのでしょう。私だけ、なんだか振り回されている気がして悔しいです。心を乱されてしまうのも悪くはないですが。
「芹菜?」
また悶々としていると不意に上にいる先輩が小声で呼びますが、すでに先輩は夢の中のようです。教えてあげようにも、起こしてしまいそう。
「うん、もう寝てるっぽいね。後輩ちゃん、教えてあげる。芹菜ったら洋服とかメイクで大人っぽく見えるけど、恋愛に関する免疫マジでないからね」
「……はぁ」
「押せ押せだよ。間違いなく、効くね」
「わ、私は、別に……」
「誰でも気づくよ。あと芹菜は寝たら朝まで起きないタイプだから大丈夫」
なんか、いろいろ読まれてる……。
押せ押せ、と言われましても、この気持ちは同時に2人に向いてしまっているわけで……
「あたしなら横に好きな人寝てたら、襲うねー」
経験値の違いというやつでしょうか。顔も姿も見えませんが、楽しそうな声色です。
襲う……? 私が……いえ。ありえません。今の状況は中途半端というものです。特にイゼリアさんなんて、素顔も知らないのにそういう関係になるなんて。芹菜先輩は私を可愛がってくれますが、そこに恋愛感情は無いみたいですし。
ほら、こんな無防備にぐっすりと寝てます。警戒心無し、私がなにか変なことをするなんてちっとも思っていないんでしょう。
「ま、なんにせよどうなるか見ものだ。さて、そろそろあたしも寝ようかな」
そうしてまた静かになると、布が擦れて芹菜先輩が身動きする音、寝息や体温を一層感じてしまいます。隣室の方は相変わらずのようですし、少し慣れた気でいましたがこれは勘違いだったようです。
また、眠れない夜になりそう……。
感情難しい