光の雨は、しとしとと21
翌朝、腹がねじれるような痛みでユイナは目が覚めた。
「痛い……」
お腹を押さえてベッドで丸くなる。どうしてこれほど痛いのだろうと思い返してみれば、昨日、いや、一昨日の夜から何も食べていなかった。失恋と失望で、食堂に行く気力がなかった。
痛みに耐えながら洗面所へ行き、水を汲み上げて飲む。のどを流れる水が、腹に落ちるのを感じ、少しだけ痛みが落ち着いた。
失恋しようが、人生に悩もうが、お腹は空くのだろう。
カラーンラーン、カラーンラーン。
始業を知らせる鐘の音だ。
ユイナはふらふらとした足取りで部屋を出て、廊下のステンドグラスに身体を預けながら歩いた。寮を出るとつかまる物がないので、両腕でお腹を押さえながら歩き、どうにか食堂へとやってきた。すでに一時限目の講義が始まっているので生徒は一人もおらず、食堂の女性が後片付けをしていた。
ユイナは近くの椅子につまずき、床に倒れた。
「大丈夫ですか!?」
テーブルを拭いていた女性が駆け寄る。だが、倒れたのが貴族令嬢だと気付くと、触れるのをためらった。不用意に触れて後で問題になったらと心配しているのだ。
「どうしたの?」
異変に気付いた他の女性達も集まってきて、倒れたまま丸くなるユイナにギョッとする。
「急に倒れられて」
途方に暮れた女性が見たままを説明する。
「何を突っ立っているの。このままにするわけにはいかないでしょう」
一人の女性が近付き、肩をトントンとした。
ユイナは力のない瞳で彼女を見上げる。
「体調がすぐれないなら医務室へお連れしましょうか」
「何か、食べるものはありますか?」
「わ、わかりました。すぐに用意しますから、椅子に座りましょうか」
女性の肩を借り、近くの椅子に座る。空腹でめまいもしてきて、テーブルに頭を預ける。
食堂の女性達は手分けして動いた。ユイナの傍で見守る者、食事の用意をする者、食器の用意をする者。そして、一人が器を運んできた。
「ポタージュです。他の料理もすぐにお持ちします」
ユイナは身体を起こす。
「ありがとう、ございます」
力の入らない手でスプーンを受け取り、ポタージュを口にした。少しぬるくなっていたが、野菜の甘みが身体に沁みた。それだけで生き返るような心地がした。二口、三口と飲み進め、ふと、集まる視線に気付いた。黒髪が珍しいのか、それとも、食事が用意される舞姫学校において倒れるほど空腹になっているのが不思議なのか、どちらにせよ、まじまじと食事を見られるのは気まずかった。
「ああ、気付かずに申し訳ありません。見られていたら気になりますね。近くにいますから、何かあればお申し付けください」
女性の配慮に頭を下げる。
「お待たせしました」
料理が運ばれてきて、一皿、また一皿と並べられていく。最終的には四つの皿が目の前を取り囲むように並べられ、ユイナは面食らう。
「好きなだけ食べてください」
配膳した女性が食い入るように見詰めてくる。
食べてもらえるか心配らしかった。
「ご馳走様でした」
久しぶりにお腹を満たしたユイナは、食堂の女性達に頭を下げた。
「お顔を上げてください。当然の事をしたまでです」
「ですが、助かりました。本当にありがとうございます」
もう一度頭を下げると、女性達は困ったように顔を見合わせた。舞姫学校の生徒から頭を下げられる事に慣れていないのだろう、むず痒そうな顔をしている。
「顔色もだいぶ良くなったようで安心しました。――医務室まで付き添いましょうか?」
ユイナは首を横に振った。
「大丈夫です。元気が出ました」
ねじれるようだった腹の痛みもいくらかやわらいでいた。むしろ、食べ過ぎて吐きそうだ。
テーブルに手を突いて立ち上がる。若干のふらつきがあり、女性が手を添える。
「大丈夫ですか?」
「平気です」
心配されると、つい、気丈に振舞ってしまう。やさしさが照れくさかった。
こういう時は、素直にやさしさを受けられたらいいのに……。
食堂の外に出ると、一限目の授業が終わったのか、校内を歩く生徒達の姿があった。
向こうからやってくる上級生の集団が、ユイナに気付いて剣呑な眼つきをよこした。その視線に気付かない振りをしていると、すれ違いざまに、
『授業にも出席しないで、良いご身分よね』
聞えよがしの声に、足が止まった。
『あの娘、特待生で授業料も払っていないそうよ』
『知っているわ。最低よね』
ユイナが特待生だという事が上級生にまで知れ渡っているらしい。悪い噂はすぐに広まる。それに、青髪しかいない校内においてユイナの黒髪は目立った。
「きゃっ」
道端で立ち止まっていると、後ろから突き飛ばされ、用水路に落ちそうになった。どうにか地面にしがみついて落ちる寸前で踏みとどまったが、肩にかかる黒髪が滑り、毛先が水面に落ちた。
振り返り、突き飛ばした相手を探す。笑いをこらえる同学年の集団が通り過ぎて行く。
誰が押したかはわからない。それを問い質そうとしたが、知らぬ顔をされて終わりだ。きっと犯人は見つからない。
ユイナはうつむいた。水面に映る顔が、唇を噛み締めていた。
生きるのが惨めだった。嫌な事ばかりだった。
だけど、どんなに惨めでも、捨てきれない自分もいた。悔しいと思う自分がいた。
それに、食堂の女性達のように優しい人もいる。世の中捨てたものでもない。
ユイナは立ち上がり、毛先についた水を絞った。
「思い通りにはならないよ」
人生とはそういうものだと自分に言い聞かせる。
戦争で多くの命が消えた。行き場のない孤児達は、奴隷商人に捕まり、売り物にされた。
特待生として入学させられたユイナは、きっと、多くの生徒から恨まれる。
世の中には大きな流れがあって、人ひとりの人生なんて簡単に呑み込まれてしまう。
「だけど、思い通りにはならないよ」




