光の雨は、しとしとと19
バロッサに連れていかれた先は岬の灯台だった。
「静かで見晴らしの良い場所でしょう」
視界を遮るものがなく、青空と青い海を見渡せた。それに、街や港からも離れて人気はなく、話をするには良い場所だった。
二人は日陰に腰を下ろした。
「まずは、どうして彼を好きになったのか聞いてもいいかしら?」
ユイナはうなずき、自分と彼について話し始めた。
実父や奴隷商人から暴力を受けてきた。その経験がユイナの心に恐怖を植え付け、根を張り、支配していた。ところが、彼のやさしさがその恐怖を一つ、また一つと取り除いてくれた。男性恐怖しかなかった心に、気付けば恋が芽吹いていた。
もちろん、好きになった相手が銀狼のアレスだとか、彼に守られながら祖国から逃げてきた事など言えない部分は伏せた。
「片想いの彼と話もできないまま別れてしまった、というわけですね」
「はい」
「しかも、彼には許嫁がいて、貴女ではなく、許嫁を連れて行った」
「……はい」
「勝ち目はあるのですか?」
グサリと胸に突き刺さった。突き刺さるどころか抉られるような痛みが伴う。
苦しくなって、胸元のペンダントを握りしめる。
「まだ、わかりません……」
アレスの本心を聞くまでは、望みを捨てたくない。
黙り込むユイナに、バロッサは思案する。
「どうにも理解できませんね。傷薬を塗るほど貴女を気にかけていたにも関わらず、何も言わずに旅立つでしょうか?」
「私が、穢れた人間だからかもしれません」
ペントを助けるためだったとはいえ、魔炎で人を殺した。最悪の罪を犯した。
そして、アレスの旅に付いて行きたいからと、戦場で敵を殺せると言ってしまった。
「彼が望んでいないとわかっていながら、彼と離れたくない一心で、彼が望まない言葉を言いました。私は間違ってしまったのです。だから嫌われたのかもしれません」
「言い訳をしたいのですか?」
「え?」
「許嫁がいるとか、自分は穢れているとか、振られても仕方がない理由を並べて、いざ振られた時に自分が傷つかないように言い訳をしていませんか?」
「そんなつもりはありません……」
「では、許嫁を蹴落としてでも、彼にふさわしい恋人は自分だと言い張れますね?」
ユイナは言葉に詰まった。メリル王女を蹴落とせる気がしなかった。
バロッサが呆れたように首を振る。
「まるで漂流者ですね。目印を見失い、真っ暗な海に漂う。自分の居場所も、向かう先もわからない。辛いですよね。ですが、ままならない恋とはそういうものかもしれません」
「…………」
「諦めるのもいいでしょう。物分かりのいい娘、聞き分けのいい娘、都合のいい娘、彼も悩まなくていいでしょう。きっと許嫁とも衝突しなくて済みます。それでいいのなら、その人生を歩めばいいではないですか」
「――っ」
突き放すような言葉が、暗闇から抜け出せない心にぶつかり、火花を散らせた。
――詳しい事情も知らないくせに。
怒りの炎が燃え上がり、肩が震える。
「諦められるわけ、ないじゃないですかっ」
立ち上がり、バロッサを睨みつける。
「軽い気持ちで好きになったわけではありません。諦められるわけないじゃないですか!」
バロッサは驚いたように片眉を上げた。
「おとなしそうな顔をしているのに、意外と激しいですね」
「自分の気持ちを否定されたら、誰だって嫌じゃないですか」
そうですね、とバロッサは同意した。
「彼を追いかけても、望んだ言葉は得られないかもしれませんよ? それでも、彼の気持ちを確かめたいですか?」
「確かめたいです」
きっぱりと答えられた。
アレスの気持ちは分からない。だけど、自分の気持ちは答えられた。
ユイナは深々と頭を下げる。
「お願いです、私を、船に乗せてください」
「驚きましたね。貴族様を船に乗せろというのですか?」
「彼に会いたいのです」
バロッサは声を上げて笑った。
「素直でいいですね。ですが、気持ちばかり先行していませんか? 行先もわからないのでしょう?」
「わかりませんが、魔眼の海賊を探していけば、どこかで出会えるはずです」
バロッサの顔が慎重になる。
「何のために魔眼の海賊を?」
「子供を守るためです。魔眼の海賊が子供を誘拐していると知った彼は、魔眼の討伐に向かいました」
「だから、危険な海賊のところへ連れていけと?」
言葉に詰まった。身勝手なお願いをしていることに今更ながらに気付いたのだ。
「行く先も定かではないのに、多くの船員を巻き込むつもりですか? 私達にも生活があります。そして、品物をお客に届けるという使命もあります。善意だけでは動けません」
「……すみません。身勝手なことを言ってしまいました」
ユイナは頭を下げた。
「焦る気持ちはわかりますが、他をあたってもらえますか」
「わかりました……」
バロッサは立ち上がる。
「教頭も待っています。そろそろ戻りましょう」
歩き出す彼女に、ユイナは渋々と従った。
***
バロッサは、むすっとした顔で船へと戻った。
甲板の掃除をしていた船員が、手を止めて振り向いた。
「何かありましたか?」
「なんでもないわ」
吐き捨てて船員を困らせる。だが、この気持ちばかりはどうしようもない。
恋に悩む少女は昔の自分を見るようで愛おしい。だが、それと同じくらいに憎らしかった。
相反する気持ちに揺さぶられて、胸のざわめきが止まらない。
通路の先にある扉を開け、暗室に入る。
そこは船長室だが、窓に帳を下しているので、昼間にも関わらず暗闇になっていた。
「はぁ」
閉めた扉に背中を預け、息をついた。
「珍しいな。ため息か」
暗闇の奥から声がして、紅い双眸が開かれた。
「そうよ。とある少女の恋を聞いているうちに、過去の自分と比べてしまったわ」
生娘だった頃のバロッサも淡い恋をしていた。ところが、海賊船に連れ込まれ、言葉にするのもおぞましい暴力を受け、絶望に落とされた。身体を穢され、もう二度と恋はできないと思った。恋をするのも許されないとさえ思ってしまった。だから、恋する少女が太陽のように眩しく、煩わしかった。
「私も素敵な恋をしたかったわ」
紅い双眸が目の前まで近付いてきて、背中に腕を回される感覚があった。
「俺では不満か?」
「デュオに不満は無いわ」
穢されて死のうとしたバロッサを、助けてくれたのが魔眼の力を持つデュオネスだった。彼はロム商会の人々を集め、バロッサがひとりにならないように指示した。誰もが心配してくれた。昼間はロム商会の人々が代わる代わる見張り、夜はデュオネスが傍にいた。名前も知らないのに、たまたま助けただけの少女を守っていた。そして、バロッサはデュオネスと身体を重ねるようになった。
「私達は恋をしているんじゃない。愛し合っているのよ」
「何か違うのか?」
「大違いよ。好きな相手に会いたくなったり、触れたくなったり、求める気持ちが恋よ。愛は違う。相手を思いやり、二人で育んでいくものよ。私は恋を飛び越えてあなたを愛したの」
くっくっ、と魔眼を細めて笑い、バロッサの身体を軽々と持ち上げると、ベッドに寝かせた。そのまま覆いかぶさってくるので、手で押し止める。
「待って。大事な話があったわ。あなた、命を狙われているわよ」
「今さらどうした」
「違う。さっき出会った少女の想い人にも狙われているのよ」
「恨まれるような覚えはないぞ」
「魔眼の海賊が子供を攫っていると知ったらしいの。それで、正義感で」
デュオネスは鼻で笑う。
「正義感で魔眼と戦うつもりか。奇特な男だ」
確かに、魔眼と聞いて恐れない人などいるのだろうか。
「奇特と言えば、さっき会った恋する少女も珍しい髪色をしていたわ。どんな色だと思う?」
「ロートニアで珍しいなら――紫だな」
期待通りに間違えてくれたので口元をゆるめる。
「ロートニアなら紫は珍しいわね。でも、残念。答えは黒よ」
「なに?」
紅い双眸が瞬きする。その反応に満足する。
「見かけない色でしょ。黒と言ったら暗闇のような印象があるけれど、彼女の黒髪は何て言えばいいかしら、つややかで光に愛されているの。きらきらと風に流れて、ふとした瞬間に光の輪が揺れるの。私には似合わないだろうけど、指通りのいい髪って一度は経験してみたいわ――ねぇ、話、聞いてる?」
黙りこくられるので口をとがらせる。
「黒髪の娘、世界に何人もいると思うか?」
「知らないわよ。世界がどれだけ広いと思っているの。だけど、初めて見たわね」
貿易商として何年も世界を巡ってきたが、それでようやく一人目だ。
「俺も一人だけ知っている。銀狼のアレスと一緒にいた娘だ」
「銀狼……いつかの夜に攻め込んできた」
「その銀狼だ。そいつのせいでヴィアント・ロムが損傷した」
戦船を傷つけられた恨みを思い出したのか、魔眼が怒りで歪んでいる。その戦船を修理するためにノノルへと来たのだが、銀狼の船が一足早く修理に出されていて、一か月近く待つしかなかった。そういった理由でデュオネスは銀狼に対して悪感情を抱いていた。
話がそれてしまった。
「その銀狼が黒髪少女をつれていたの?」
ああ、とデュオネスがうなずく。
「女でありながら炎の魔術を使っていた」
「嘘でしょ?」
「事実だ。黒髪の娘は魔術師だ。油断しない方がいい」
「まさか、私が出会った少女と同一人物だと思っているの?」
「思っている」
「いや、ないわよ」
バロッサは首を振る。
「その娘は舞姫学校の生徒よ。貴族令嬢が危険な海に出ているわけないじゃない」
そうだ、あり得ない。きっと別人だ。
だが、黒髪少女の眼差しを思い出した。
おとなしそうに見えた少女の、恋のためなら火にも飛び込みそうな眼差しが頭から離れなかった。




