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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第三章
83/88

光の雨は、しとしとと18

 膝を抱えてベッドに座り、泣き腫らした目を見られないように壁を見詰めていた。

 窓の外から小鳥のさえずりが聞こえる。一睡もできないまま朝を迎えていた。


「現状を、わかってもらえるかしら……?」


 一人でしゃべり続けていた教頭が、不安そうに問いかけてきた。

 ユイナは抱き寄せた両ひざに顔をうずめ、声を絞り出す。


「どうして、踊らないといけないのですか」


 声を出すのも億劫(おっくう)だ。風邪気味なのか喉も痛い。


「……憂鬱(ゆううつ)よね。一か月も友達と引き離されて、舞踏大会で踊れだなんて強要されたら誰だって嫌になるわ。……でも、そんな事を言っていられる状況ではなくなってしまったの。大会で踊らなければ、契約の不履行として賠償(ばいしょう)を求められるでしょう」

「賠償? お金を払わされるのですか?」

「そうよ」


 当然のように返事され、唖然としてしまう。


「ど、どうしてですか。私を強引に学校へ連れてきたのは校長です」

「その通りよ。だけど、入学書に署名したでしょ。その時点で契約は結ばれたの。その契約を反故にしたとなれば賠償を求められても仕方ないわ。なにより、貴女を入学させるために、校長は多額の私財を投じてきた。そこまでしたのに思い通りにならないから激怒してしまっているの」


 肩を掴まれて揺さぶられた恐怖がまざまざとよみがえった。身体の震えが止まらない。

 踊れないから賠償請求だなんて理不尽で強引だ。

 ユイナは首を振る。


「あんな契約書、おかしいですよ。書面には『舞踏大会』について書かれていませんでした。それなのに、みんなに踊りを見せるという条件が、舞踏大会への出場だと後になって聞かされました。そうだと知っていたら断っていました。アレ……いや、カトレアさんだって舞姫学校行きを許さなかったはずです。――教頭も知っていて騙したんですよね?」

「それは……」


 動揺を隠せずに目が泳いでいたが、心を決めたような瞳で見詰めてきた。


「そうよ。貴女を騙していたわ。ごめんなさい」


 深々と頭を下げた。そして、「でも」と顔を上げる。


「公には訴えないでもらえるかしら」

「どういう事ですか」

「行商人の娘でありながら貴族の教育を受けたなど、貴女にとっても、私達にとっても知られてはいけない事だわ」


 確かに教頭の言う通りだった。平民が貴族教育を受ける事は禁止されている。


「それとも、貴族令嬢だったりしないわね?」

「え?」

「お手本のような筆記体を書けるわね。それは、貴女が貴族だからではなくて?」

「ち、違います」


 口元が引きつった。

 当たり前のように筆記体を使ってしまったが、本来なら有り得ない。

 だが、知っているのが筆記体だけなのだから仕方がない。素性を隠すためにも平民の文字も書けるようになっておくべきだった。


「行商では貴族を相手にしますから筆記体に触れていたのです。それで知っていました」

「そう……。そうよね。でも、筆記体を使える事を学校の外では知られないようにしなさい」

「……はい」

「話が逸れてしまったわ。とにかく、踊ってもらえないかしら。貴女のためにも」


 私のため?

 ちがう。校長と教頭のためではないか。


「まだ猶予はあるわ。一週間後に貴女が踊れる事を証明して舞踏大会に出場するの。出来る限りの助力はするわ。差し当たって、気分転換に友達と会ってみないかしら。たくさんおしゃべりすれば――」

「今は会えません」


 教頭が困惑する。


「ど、どういう事? 何かあった?」

「…………」

「どうしたらいいかしら? 私に出来る事ならなんでもするわ」


 それは懇願だった。心配もしてくれているのだろう。

 だけど、今は前向きな気持ちになれなかった。すべてを放り出してしまいたかった。

 でも、このまま何もしなければ事態はさらに悪化しそうな気配もある。

 逃げても現実からは(のが)れられない。

 希望があるわけでもないが、自分の目で確かめたい事があった。


「港に行きたいです」




 ガラガラと音をたてて正門が押し開かれ、外界への道ができた。

 待ち望んでいた光景のはずなのに、ユイナの胸には何の感情も湧いてこない。


「どうしたの?」


 歩き出さないユイナにサマンサ教頭が心配する。

 門兵も(いぶか)しんでいた。


「さぁ行きましょう」


 サマンサ教頭が歩き出し、それに従った。

 日傘を差した二つの影が車道を並んで歩く。

 馬車移動が当たり前の貴族だが、気分転換にと徒歩を提案されたのだ。


「いい天気ね。空が青いわ」

「……はい」

「海も綺麗ね。風もおだやかだわ」

「……はい」


 気遣われているとわかっていても、それに応える元気もなくて、申し訳ない気持ちにさえなってくる。

 会話が途切れて黙々と歩いている内に、ノノルの街へとやってきた。

 久しぶりの街は以前とは違う雰囲気がした。人が多く、市場にも活気があり、騒がしかった。ただ、舞姫学校の制服で訪れたので、人々が珍しそうに振り返っている。


「港が見えて来たわね」


 人通りの向こうに、停泊する船の帆柱が並んでいた。

 二人は潮のにおいがする方へと歩みを進め、ノノル港へとやってきた。

 あたりに人影はなく、停留する船で海鳥が休んでいる。

 アレスの船は、やはりというべきか見当たらなかった。


「すっかり(さび)れてしまったわね……」


 サマンサ教頭がつぶやいた。


「ヘリオン鉱石が採れていた頃はにぎやかだったのよ。何度か来たことがあるけれど、船の往来も多くて、多種多様な髪色をした人も多かった。今は、見てのとおり閑散としているわ。――海、好きなの?」

「いいえ。他に行くところがなかっただけです」


 ぼんやりと海を眺めた。

 アレスは、世界を救うために水平線の向こうに消えた。

 魔眼の海賊と戦うつもりかもしれない。シルバートの追手と遭遇するかもしれない。それを考えると不安になってくる。いかに強いアレスでも無事である保証はない。

 魔眼の海賊は暗闇に紛れて襲ってくる。現代によみがえった魔神ベロントスの力は恐ろしい。

 考え出すとアレスが心配でならなかった。力になりたかった。


 ――舞姫だったなら一緒についていけましたか?


 神話の絵画なら、救世主の(かたわ)らには必ず舞姫が描かれている。それほど救世主と舞姫は離れられない象徴だった。だからこそ魔術師は大切な花嫁を『舞姫』と呼んだ。

 ところが、アレスは、舞姫のカトレアを置いて行った。ましてや、行きずりに出会ったユイナを連れていくわけがない。


「ぁ……」


 海を眺めていたユイナは目を見開いた。


「船……」


 一隻の帆船が海原に浮いていた。先ほどまでなかったのに、まっすぐこちらに向かっているようにも見える。


 アレス達が戻ってきた?

 日傘を持つ手に力がこもってしまう。少しでも近付きたくて、波止場の先へと足が向かう。


「ユイナ?」


 サマンサが驚いたように追いかけてくる。

 波止場の先端に立ち、船を見詰める。サマンサが隣に並んだ。


「貿易船でしょうね。定期的に来るのよ。有名な商人なのだけど、名前は何と言ったかしら。船乗り一人ひとりが強くて、海賊に襲われても無事に荷物を運んできてくれるのよ」


 たしかに貿易船のようだ。落胆してしまう。

 船は海風をつかまえてすいすいと海を滑ってくる。近づいてくるにつれて、甲板で働く男達の様子も見えてきた。帆をたたみ始める男達の腕は筋骨隆々としており、海と戦う船乗りだった。動きも統率がとれており、海賊を撃退したのもうなずけた。

 船はユイナ達の前を通り過ぎて港へと入ってきた。


「荷下ろしを見に行きましょう」


 誘われるまま船着き場に向かった。

 貿易船は速度を落として港に停まった。船乗りが飛び下りてきて縄を係留用の柱に固定した。

 橋板がかけられ、樽を担いだ男達が渡ってくる。邪魔をしないように離れて見物していると、一人の女性が船べりに現れた。ゆるやかにウェーブする茶髪が海風になびいている。


「あの人……」


 ティニーを思い出させるような茶色の髪だったので覚えている。


「知り合い?」

「いいえ、一度話をしただけです」


 どこで会っただろう?

 ああ、思い出した。コルフェ達と花かんむりを作って遊んでいた時だ。たしか、魔眼の海賊に襲われたという村に行ったらしく、遺品を手にしていた。

 名前は……思い出せない。

 彼女はユイナ達に目を止めると、橋板を渡ってきた。

 晴天で蒸し暑いせいか薄手の服を着ており、腰のくびれが際立っていた。歩いてくる姿に、カトレアとは違う大人の色気がある。


「久しぶりですね」


 彼女は近付いてくるなり話しかけてきた。


「舞姫学校の生徒だったのですか?」

「え、ええ」


 触れてほしくないので曖昧にうなずく。

 茶髪の女性はサマンサ教頭に一礼した。


「はじめまして。ロム商会のバロッサです」

「サマンサです」

「教頭でしたか。いつも私共の商品をお買い上げいただきありがとうございます。新しい茶葉が出始める季節となりましたが、教頭は紅茶がお好きでしょうか?」

「ええ、毎日飲んでいます。以前に購入しましたスパラキア皇国産の紅茶は香りが豊かで素晴らしかったです」

「ありがとうございます。皇国の紅茶は最高品質ですからね。ですが……困りましたね」


 バロッサが難しい顔をする。


「どうしたのですか?」

「皇国産の紅茶をご用意したいのですが、最近では買い手も多く価格が跳ね上がって入手が困難になっているのです」

「それは残念です」


 本当に残念そうな様子に、バロッサは思案してうなずいた。


「皇国の紅茶がお好きでしたら、皇国の隣にあるキケタイト王国の紅茶はいかがでしょう?」

「キケタイト王国?」

「はい。山間部が多く、茶葉の育成に適した気候と土壌もあり、良質な茶葉が採れます。近年の紅茶不足を受けて開拓されたそうで、まだ無名ではありますが、その品質はスパラキア皇国の物と比べても遜色(そんしょく)ないと言われています」

「それは、気になりますね」

「でしたら、入手しましたら教頭にお声掛けさせていただきます」

「よろしくお願いします」


 ただの世間話だったのに、いつの間にか商売になっていた。


「それにしても、キケタイトという国は初めて聞きました」

「それは仕方がありません。山ばかりの国で他国との交流がほとんどありませんでしたから。ですが、茶葉を輸送するために皇国が港を建設して様変わりしました。今ではこの船で生産地の近くまで行けるのですよ」

「船で……」


 ユイナは貿易船を見上げた。


 船があればアレスを追いかけられる!

 閉ざされていた世界に、一筋の道が開かれた。

 でも、追いかけて、もしも再会できたとして、アレスはどんな顔をするだろう?

 笑顔で迎えてくれるだろうか?

 その光景を想像できなかった。それどころか、拒絶される気がした。

 嫌われたくなかった。嫌われるくらいなら彼とはもう二度と……。

 考えるとますます落ち込んでしまう。


「元気がありませんね」


 様子を見ていたバロッサが話しかけてきた。


「……そんな事はありません」


 否定したが、声はかすれた。

 バロッサは思案顔になり、


「お耳を拝借してもいいですか?」

「え? はい」


 ユイナは戸惑いつつも同意した。

 バロッサは日傘に入ってくると、耳元に顔を近付けた。


「(失恋ですか?)」


 ささやかれた言葉があまりにも衝撃的で、目を見開いた。

 動揺を隠しきれない。


「ど、どうして……」

「そうではないかと思っていました。最初に出会った時に比べ、別人かと思えるほど沈んでいましたから。どのような事情があったかは存じませんが、辛かったですね」


 赤の他人なのに、同情されると心が弱ってしまう。

 辛い出来事から抜け出せず、友達にも当たって自己嫌悪で弱っているというのに……。

 涙があふれてきて目元を隠すユイナに、サマンサが驚く。


「ど、どうしたの?」

「いいえ、思い出してしまっただけです。たいした事ではありません」


 言葉とは裏腹に、涙が頬をつたう。

 その様子を、バロッサは複雑な瞳で見ていたが、


「教頭、彼女と二人きりで話をしてもいいでしょうか?」

「ユイナと?」


 サマンサはためらったが、危害は加えないだろうと判断したのか、「え、ええ、構いませんけど……」と答えた。バロッサが振り向く。


「少し歩きませんか?」


 誘いの手を差し伸べてきた。急かすわけではなく、じっと待ってくれている。


 ――彼女と話をすれば何か変わるだろうか?

 ――彼女と仲良くなれば船で海に連れ出してもらえるだろうか?


 そして、無遠慮な打算に自己嫌悪してしまう。

 でも、彼女の誘いを断る理由はない。


「わかりました」


 並んで歩き始めると、バンダナの男が駆け寄ってきた。


「副船長、出かけるならお供します」


 振り向いたバロッサは首を振る。


「いいわ。そのあたりを散策するだけだから。オーカには会いたい人がいるのでしょ」

「会いたいと言いますか……まぁ、そうですね」


 バンダナの男は照れを隠すように首筋をなでた。


「私の事はいいから行きなさい」


 バロッサが手で追い払った。


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