光の雨は、しとしとと16
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サマンサは、おぼつかない足取りのユイナを支えながら、彼女の寮部屋へと連れて行き、ベッドに座らせた。いつもは、背筋が伸びた美しい姿勢のユイナが、今は背中を丸くして項垂れている。それに、冷たい雨に打たれているように身体を震わせ、両腕で胸を守っているのも気になる。異常な怯えだった。
「大丈夫? いきなり怒られて、怖かったわね」
気持ちを落ち着かせられないかと、かがんだ姿勢で話しかけるが、ユイナの震えは止まらない。
確かに、激怒したドルドランは行き過ぎた暴力を振るった。それだけ、ロートニア舞踏大会での勝利を望み、ユイナの踊りに期待していたのだろう。その期待があまりにも膨らみ過ぎたのだ。この少女が優勝へと導く舞姫だと思い込み、熱に浮かされていた。そして、その熱が消える時、絶望感に襲われ、その喪失を埋めるように怒りの矛先を彼女へと向けてしまった。
教頭として長年付き添ってきたため、彼の悔しさがわからないわけではない。それでも、暴力はまずかった。
ユイナは、出会った当初からドルドランを怖がっていたが、今回の暴力で決定的なものとなってしまった。問題はそれだけでなく、勝負から逃げたユイナを、他のメンバーは認めないだろう。
これからユイナは、ドルドランだけでなく、彼女達からも責められるに違いない。
そう思うと、小動物のように震え続ける彼女が不憫でならなかった。
「今日はゆっくりと休みましょう。少し横になったほうがいいわ」
どうにかユイナをベッドに寝かせ、部屋を出る。
戸口から、おとなしく横になっている彼女を確認しながら扉を閉めると、そこでようやくため息がもれた。
ずっと呼吸が浅くなっていたように思う。
いつの間にか夕暮れ時となり、廊下のステンドグラスから、淡く寂し気な光が落ちていた。舞踏場へと戻るため、近くの裏口から外に出る。
すると、そこで三姉妹が待っていた。
「あなた達……来てくれたの?」
合同練習をイズカルテとヘレンに任せてきたが、ユイナを心配して抜け出してきたのだと思った。ところが、三姉妹の顔に心配の色は見えない。それどころか、「話があります」と言ったカノンは険しい顔をしていた。
「込み入った話かしら」
三姉妹はうなずく。
「こっちに来てください」
シノンに手を引かれるまま橋を渡り、近くの広場へと連れてこられ、ベンチに座らされた。昼の休憩時には生徒達の憩いの場となっている広場も、夕暮れ時は誰もおらず、ひっそりとしていた。
両隣にシノンとセノンが座り、正面にはカノンが来て、顔色をうかがうように中腰になる。絶対に逃がさないという意志の表れを感じた。嫌な予感がする。
「何かしら、話って」
「ロートニア舞踏大会の件です。ヘレン先輩とシーマ先輩は良いとして、他の先輩方に大した実力はありませんし、校長お気に入りのユイナはあの有り様で、本当に優勝できると思いますか?」
いつもは冷めた目をしている彼女達が、本気の目をしていた。
だから、本気で答えた。
「今のままでは無理よ。個々の能力以前に、息が合っていない」
他校ではかつての優勝経験者を招いて個別指導をしており、長年培ってきた表現力を次の世代へと脈々と受け継いでいる。一方、舞姫学校『ノノル』が優勝したのは、二十年前の一度だけ。サマンサは当時の優勝経験者だが、優勝の立役者だったソニアは他界し、王妃となったカミラは王都を離れられず、他のメンバーも疎遠になり、サマンサが独りで生徒を指導していた。他校とは体制が違う。
いや、それはただの言い訳だ。指導力がない自分から目をそらしているだけだ。優勝から遠ざかって二十年が経ち、一度きりの花と揶揄される学校でくじけそうになっているだけだ。
カノンが苛立たし気にため息をつく。
「負けるのは嫌ですよ。今回のロートニア舞踏大会が私達にとって初めての大舞台となります。校内の同学年で私達に敵う人はいませんが、最弱の舞姫学校だからと思われたくないのです。私達が真面目に踊りを練習してきたのは、大会で優勝し、実力を王国に証明するためです」
「あなた達が練習に力を入れているのは知っているわ」
授業は自習で終わらせ、空いた時間で練習しているのだと聞いた事がある。
「でしたら、ユイナを大会メンバーから外してください」
「ユイナを?」
「舞踏大会まであと一か月あまりしかありません。それまでに彼女が立ち直り、集団演舞を覚え、踊れるようになるのは厳しいでしょう。足手まといがいてはメンバーの士気に関わります。優勝するために最善のメンバーにしてください」
「私の一存では決められないわ」
「校長ですか」
サマンサがうなずくと、カノンは吐き捨てるように言う。
「最近の校長はおかしくありませんか? 夜の踊り子を執拗に探していたかと思えば、中途半端な時期に入学してきたユイナを大会メンバーにして、ユイナが踊れずにいると暴力まで振るいました。傍若無人ぶりが目に余ります」
「気持ちは分かるわ。こんな事態になる前に止めるべきだった。でも、これだけは分かって頂戴。校長は、大会で勝ちたい気持ちが強いあまりに周りが見えなくなっているだけなのよ」
「それはつまり、ユイナがいれば勝てると思っていたのですか?」
言動は静かだが、瞳の奥に怒りがこもっていた。見なくてもわかる。シノンとセノンも同じ目をしているはずだ。三姉妹は、自分達の踊りに誇りを持っている。彼女達を差し置いて、同い年の少女一人が勝敗を左右すると思われているのが許せないのだろう。
「一人の力で勝てるほどロートニア舞踏大会は甘くないわ。一人ひとりが力を発揮して、皆で力を合わせなければ勝てない。だから、あなた達にも期待しているわ。もちろん、メンバー全員に期待している。そこにユイナが加われば、新しい風を吹かせられるかもしれない。そう思ったのは確かよ」
「あれほどの醜態をさらしたというのに、まだ期待しているのですか?」
「それを言われると返す言葉もないわ。……だけど、彼女が素晴らしい踊り子なのは本当よ」
「ヘレン先輩も話をしておりましたが、教頭もユイナの剣舞を見たのですか?」
セノンの問いに首を振る。
「剣舞は知らないけれど、彼女の踊りは見たわ。楽しそうに踊る姿は、心が湧きたつようだった」
それだけは自信を持って言える。だが、三姉妹は信じられないようで疑いの目をしている。
「ユイナはいったい何者ですか? こんな時期に入学してくるのもおかしいですし、それに、あの黒髪です。ヴィヴィドニア大陸の人間は、濃淡の違いこそあっても青髪が基本です。別大陸の人間と子を生したとしても、子の髪に青が混じると聞きます。ところが、ユイナは黒髪でした。青の要素を一つも感じません。違う国の出身なのではないですか?
たとえば、シルバート大陸には灰色の髪が多いと聞きます。その灰色が極限まで濃くなった色だとしたら、どうでしょう? ユイナはロートニアの貴族ではない、という事になりませんか?」
確かに、ユイナの黒髪を見た時、ロートニアの出身ではないと思った。
だが、それを認めるわけにはいかない。
出身不明の、それも平民を入学させたと知られたら、ユイナも、校長も、もちろん、共犯者の自分もただでは済まない。貴族社会において、特権を守るための規律は絶対だ。特に、貴族が貴族であるための教育は平民が触れてはいけないものだ。下手をすればユイナの命はないかもしれない。隠し通すしかないのだ。
「髪色による出身大陸の判断は、例外もあると聞くわ。黒色だからと決めつけるのは早計よ。とにかく、複雑な家庭なのよ。前にも話をしたかもしれないけれど、あまり詮索しないであげてほしいの。誰にも突かれたくない過去や秘密はあるものでしょ?」
カノンは、およそ少女にはにつかわしくない瞳でサマンサを見詰めていた。
「家庭が複雑なのは私達も同じです。それを理由に隠そうとするのは納得がいきません」
「私も」と、シノンが手を挙げ、
「答えてください。秘密は守りますから」と、セノン。
「もう一度聞きます。ユイナは何者ですか? 図書室の書物では、彼女の家名であるファーレン家を見つけられませんでした。少なくとも南部の貴族ではないはずです。ユイナは舞姫学校『エデル』の出身だと言っていました。ファーレン家は北部の貴族ですか?」
「家名や領地を聞いてどうするの? あなた達には関係のない事でしょう。そろそろ合同練習に戻るわ――ちょ、ちょっと何をするの」
立ち上がろうとするサマンサの肩や腕を、シノンとセノンが押さえている。
「どうして隠そうとするのですか? そんなにユイナの素性を知られたくないのですか」
「な、何を」
「ずっと不思議に思っていたのです。校長は、夜の踊り子を血眼になって探していました。それは、夜の踊り子を舞踏大会に出場させるためだったはずです。ところが、大会メンバーに選んだのは入学したばかりのユイナでした。あれほど執着していた夜の踊り子をあっさりと諦め、ユイナを選んだ理由が分かりませんでした。だから、考えを改めました。ユイナこそが、夜の踊り子ではないかと」
じっと見詰められ、顔が引き攣りそうになる。
「そんなはずがないでしょう。夜の踊り子が現れたのはユイナが入学する前よ? 生徒でもない人が夜の学校に入れるわけがないでしょう。別人よ」
「私もそう思っていました。高い塀で外界から隔離されたこの舞姫学校で、生徒でない人が夜に踊っているわけがない、と」
見上げた先には、三階建ての校舎よりも高い壁が学校全体を囲っている。
「この学校は高い壁に囲まれていますから、侵入も不可能です。ただ、許可があれば立ち入るのは簡単です。ですから、ギーシュのような男がふらっと遊びに来られるわけです。……そして、夜に入校を許されている者がいますね」
「そんな者いるわけ……」
「夜の掃除婦です。彼女達は夜に舞姫学校へとやって来て、清掃をして夜のうちに帰ります。ユイナはその掃除婦で、夜の学校で踊りました。それを目撃した校長はユイナを探しますが、生徒ではないので、どれだけ呼びかけても出てきません。ですが、ある時、ユイナを見つけ、彼女が夜の踊り子だと気付いたのではないでしょうか。そして、彼女を舞踏大会に出場させるために学校へと招き入れました――」
「ま、待ちなさい。それではまるで……」
「そうです。ユイナが平民だと分かっていて入学させました。違いますか?」
隠してきた核心を突かれ、血の気が引き、めまいまでしてきた。
頭を押さえてどうにか抑え込む。
「突拍子もない考えだわ。あり得ない」
「そうでしょうか? 私はこの推理に自信があります。校長がユイナに対して暴力を振るうのを見て、おかしいと思ったのです。貴族令嬢に対しての蛮行は裁判沙汰になります。あの短気な校長もそれをわかっているから生徒に暴力を振るいません。ところが、ユイナに暴力を振るえたのはなぜでしょう? それに、学費や制服などの費用を肩代わりしているそうですね。『金を返せ』と脅していたのも気になります。校長がユイナに暴言暴力を振るえたのは、彼女が貴族ではなく、舞踏大会のために雇った平民だからではないですか?」
実に的確な見識だった。
だが、ここで認めてしまってはユイナの身に危険が及ぶ。
「ユイナは貴族よ。礼儀もしっかりしているでしょ? 綺麗な筆記体も書けるのよ?」
「確かに、礼儀や所作に不自然なところはありません。それに、調べ物をした時、彼女は調べた内容を一つ一つ要点がわかるようにノートへとまとめていました。教育を受けてきた者の書き方です。そして、なにより、お手本のような美しい筆記体は、並大抵の努力で身に付くものではありません。指導する先生もいたはずです。そもそも、平民が筆記体を使えば重罪です」
「そうよ。そこまでわかっているのなら、平民だと疑う必要はないでしょう。ユイナは貴族よ」
ここが正念場なので念押しする。
カノンはにこりと笑う。
「教育すればどうとでも誤魔化せます。筆記体は、平民が使う楷書体から派生した文字ですから、形さえ覚えてしまえば文章もすぐに書けます。もちろん、楷書体を習熟している事が大前提ですが。つまり――平民を貴族だと偽るため、教育したのではないですか?」
サマンサは首を横に振った。
「教育など、していないわ……」
事実だった。ユイナは初めから筆記体を使っていた。行商人だと思っていた娘が、実は只者ではなかった。しかし、平民だと気づかれずに済むから好都合と、校長と一緒に見て見ぬふりをしてきた。
「貴族だとおっしゃるのなら領地を教えてください。その地方の貴族名簿を入手して――」
「待ってください。カノ姉さん」
黙って聞いていたセノンが話に割り込み、視線を向けてくる。
「答えられないのは、ユイナが貴族の隠し子だからではないですか?」
「はい?」
思わず声が裏返った。
ユイナが貴族の隠し子?
予想もしていない問いかけだった。
カノンが諭すように言う。
「おもしろい考察ね。貴族の隠し子なら、貴族の礼儀作法や筆記体を扱えるのは当然という訳ね。でも、考えてみて。表に出せないから隠し子ではないの? 全土から有力な貴族が集まる舞踏大会で踊らせるのは本末転倒だと思わない? それに、貴族の隠し子なら、校長が暴力を振るったのをどう説明するの?」
「望まれずに生まれてきたから酷い仕打ちを受けているのではないでしょうか。黒髪も普通ではないですし、忌み嫌われてきたのかも。追い出されて平民に預けられたとしたら、掃除婦になる事もできます。もしかすると、憧れていた舞姫学校に来られて踊ったのかもしれません」
普段はあまりしゃべらないセノンが熱弁を振るった。
数奇な運命と偶然が重なったような作り話だが、筋は通っていた。カノンもそう思っているのか、押し黙ったまま考え込んでいる。
「面倒だなぁ」
シノンがしびれを切らして言った。
「ここで議論するより、ユイナに吐かせた方が早いよ。部屋も近いし、行こ?」
呼びかけに誰も動こうとしない。シノンはあきれ顔だ。
「いいよ。私ひとりで行くから」
サイドテールの髪を振って歩き出そうとする彼女を呼び止める。
「だ、駄目よ。彼女の精神状態を分かっているでしょう。今は話せる状態じゃないわ」
「じゃあ、教頭先生が説明してくれるのですか?」
それを言われると言葉に詰まる。ユイナの素性について何一つ分かっていないのだ。
だが、隠していても今度はユイナが尋問されるだけだ。サマンサから見てもユイナは素直でまっすぐで、それだけに嘘や世渡りが壊滅的にできそうもない。間違いなく三姉妹の餌食にされる。今も真相を狙うような瞳がこちらを見ていて油断できない。
「わ、わかったわ。ユイナの事は校長と相談して話をする。それまで待って頂戴。絶対に追及しないで」
三姉妹は、髪型が違うだけのそっくりな顔を見合わせる。表情こそ三者三様だが答えはまとまったのかこちらに振り向く。
「あまり悠長には待てません。ロートニア舞踏大会まで時間がないのですから」
「……ええ、わかったわ」
ユイナの事も心配だと言うのに、早急に対策を立てなければいけなくなった。




