光の雨は、しとしとと15
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放課後、自室に戻ったユイナは、浮かない顔で練習着に袖を通していた。
これから合同練習なのかと思うと気が重かった。できることなら欠席したい。しかし、そんなことをすればドルドラン校長が怒るに決まっている。逃げられないのだ。
扉がノックされて三姉妹の声がした。
『ユイナ、一緒に行きましょ』
「は、はい。すぐ行きます」
帯を締め、急かされるまま身支度を終わらせて部屋を出る。
「日傘は?」
「あ、すみません。練習で使うのでしたね」
壁に立て掛けていた日傘を手に取る。
「行きましょう」
三姉妹に連れられて舞踏場へと向かった。足取りは重い。まるで沼の上を歩いているみたいだ。いっそのこと沼に沈んで消えてしまいたい。でも、許されないのは分かっている。逃げ場などないのだから。
舞踏場に着くと、舞台では、舞姫候補生達が練習前の柔軟体操を始めていた。教頭や校長の姿はない。まだ来ていないようだ。
観客席横の階段を下りていくと、舞台上にいた八名の生徒がユイナ達に一瞥をくれ、何もなかったように各々の準備運動を続けた。
この学校では生徒同士の挨拶はないようだ。
広い舞台に上がったユイナ達は柔軟体操を始めた。最初は指や手首足首などの末端を動かし、徐々に腕や脚、首や肩そして腰をほぐしていった。最後の仕上げに、床へと腰を下ろし、両脚を広げ、上半身を前に倒して床に額をつける。ほとんど眠れていないせいか、体が強張っていて痛みもあった。深い呼吸で身体を伸ばす。
準備運動を終えた他の生徒は、日傘を手に踊りの確認を始めていた。その場を歩いてスカートを揺らしてみたり、日傘を開く動作を繰り返してみたりとバラバラに練習している。
日傘を使った舞踊……。
舞姫学校『セフィル』では一度も教わったことがない。そもそも、シルバート王国では日傘を使う人がいなかった。こういうところで文化の違いを感じた。
観客席の奥にある扉が開き、教頭と校長がやってきた。
先輩達が練習を止め、舞台に横一列に整列して二人を待つ。それに従い、ユイナと三姉妹も並んで待った。
ドルドラン校長とサマンサ教頭が舞台に上がってくると、生徒達は一斉に頭を下げた。
「「「よろしくお願いします」」」
「今日は校長が見に来てくれました。皆さん、いつも通り気を引き締めていきましょう。それと、新しく来てくれた生徒を紹介します。――ユイナ、こちらへ」
とつぜん声をかけられ、緊張しながら前へ出る。
皆の視線が集まる。値踏みするような視線もあれば、敵意のこもった視線もある。どちらにせよ歓迎されているとは言い難い。
「ゆ、ユイナ・ファーレンです。よろしくお願いします」
早口で自己紹介し、教頭から戻っていいと言われて急ぎ足で列に戻る。
「イズカルテ、準備はできたかしら?」
「できていますわ。課題演舞の確認もしていたところです」
答える女性は、ウェーブのかかった長い青髪をリボンで束ねており、これから運動するにも関わらず、気の強そうな化粧を施していた。自尊心が高そうだ。
「上級生は三年前に同じ課題をしていたわね。オルゴールに合わせて通しでできるかしら?」
「もちろんですわ」
誰にも確認せずに即答した。周囲の女性も自信があるのか、否定する者はいない。教頭はうなずく。
「わかりました。それでは、さっそくだけど課題の集団演舞を上級生にやってもらいましょう。下級生はしっかりと見ておくように。そして、上級生は下級生を観客と思い、本番として踊ってください」
「「「はい」」」
カノンが制服の袖をクイクイと引いてくる。
「端で座って見ましょう」
舞姫候補生一年のユイナと三姉妹、それに、二年生らしいもう一人の少女が後ろに下がって舞台の壁際に座る。
ちなみに、舞姫学校『ノノル』では、結婚可能な十四歳になる学年から舞姫候補生となり、候補生の一年~三年を下級生、四年~六年を上級生と呼ぶ。それ以上の学年はない。つまり、ロートニアの貴族令嬢は、十九歳までで卒業となる。
上級生は七名なのだろう。日傘を手にすると、舞台中央に距離を開けて並び、こちらに振り返った。閉じた日傘を両手で持ち、すらりと立つ上級生には、大人の魅力があった。
ただ一人、背の高い女性が挑むような瞳で見下ろしてくる。ヘレンだ。
彼女はユイナと目を合わせると、真剣な顔つきで前を向いた。
――観ていなさい。
そう言われている気がした。
その時、足音に気付いて身構えた。上級生の踊りを見るために移動してきたドルドラン校長が、ユイナ達のいる壁際に立ち、腕組みをする。ユイナはゆっくりと足を引き寄せ、両手を床についていつでも逃げられる大勢になった。
(怖がらなくていいわ)
カノンが安心させるように肩を寄せてささやく。
(こういう時の校長は踊りのことしか考えていないから)
生理的な拒絶は消えないものの、浮かしていた腰を戻してみる。校長に注意を払いながら視線を動かす。
サマンサ教頭が舞台袖にある両開きの扉を開け、彼女の背丈ほどもある機械を前に作業をしていた。上半分に木琴とそれを鳴らすためだと思われるバチが並んでおり、下半分には何かを乗せる台と取手があった。教頭は近くの棚から突起のある鉄板を引き出し、それを機械の台座に置くと、取手を握ってぐるぐると回し始めた。ゼンマイ式なのかカチカチと音がする。それを回し終え、振り返ったサマンサ教頭は「いきますよ」と声をかける。
上級生はうなずいた。
教頭が取手を引いて手を離す。
しばらくして、バチが木琴をポーンと叩いてやさしい音色を奏で始めた。
上級生が閉じた日傘を手に横へと歩き出す。ただ歩くだけではなく、緩急や腰の動きをつける事でスカートを揺らしている。円を描くように歩いていた上級生は、手のひらを上に向けて振り仰ぎ、雨が降ってきたかのような仕草をする。正面で日傘を開き、肩にかけて再び円を描くように歩いていく。
選び抜かれた生徒だけあって、足の運びなど美しかった。その中でもヘレンはずば抜けていた。音に合わせて動くすらりと伸びた肢体、計算されたようにスカートを揺らす腰の使い方、日傘を自在に回す繊細な指先、大きな虹を描ける柔軟な肩、そして、時おり日傘の影からのぞかせる美貌。
カノンが身を寄せてきてささやく。
(右から三番目がヘレン先輩。校内一の踊り子よ。背も高いし、圧倒されるでしょ)
ユイナはうなずく。
間違いなく、彼女がもっとも美しい。それだけに、周囲から浮いていた。スカートの揺れ一つをとっても、ヘレンのスカートが生き生きと揺れて広がるのに対し、他の生徒のスカートは広がらずに崩れてしまう。些細な動きの違いなのだろう。だが、その違いが一つ一つ積み重なる事で大きな違いとなっていた。本来ならぴたりと合わせるべき集団演舞がちぐはぐに感じ、どうしてもそれが気になってしまう。
もやもやしたまま演舞が終わる。
カノン達が立ち上がるので、ユイナもそれに従って立ったが、身体が重い。
サマンサが前に出てくる。
「ありがとう。通しで踊るのは久しぶりだったと思いますが、動きや流れは覚えていましたね。まだ完成には程遠いですから、一つずつ練習していきましょう。下級生はどうでしたか? 一人の時はできているように見える踊りも、集団で合わせると違いが出てくるでしょう? 動き出しや身体の使い方など個人の癖が集団演舞では違いとなって表れます。それを合わせるのは難しいですが、合わせられると一体感があり気持ち良いですよ。舞踏大会では、いかに一体感があり、完成度も高いかが評価になりますので意識して練習していきましょう」
「「「はい」」」
「それでは、動きを最初から見ていきますので下級生も集まってもらえますか」
「教頭、その前にいいですか」
ヘレンが挙手している。
「なにかしら」
「ある噂を耳にしました。大会の独り演舞をユイナにさせるというのは本当ですか?」
「……え?」
とつぜん名を呼ばれて口の中が乾く。
ざわつく生徒達。教頭は目を見開いている。
「な、何を言い出すの? 誰がそんな事を……」
「では、選考会で首席を取った私が、通例にのっとって独り演舞をする、ということでよろしいですね?」
「それは……」
教頭はまごついた。うまく言葉が続かず、困り切ったようにドルドラン校長へと視線を向ける。
ヘレンは校長をにらみつけた。
「校長、どうなのですか。舞姫学校『ノノル』は実力主義で、舞踏大会への出場者は選考会で決められてきました。舞踏大会に出場するために、ここにいる誰もが努力し、選考会を勝ち抜いてきました。ですが、ユイナはどうですか? 選考会を受けていませんよね? 校長の独断と偏見で選出され、そのせいでミグが補欠に回されました。それどころか、独り演舞までユイナに与え、首席の私に舞台から降りろと言うのですか? これほどの屈辱がありますか?」
訴えかけるヘレンに、「そうですわ」と、イズカルテも同意した。
「これは、大会に出場するために努力してきた私達への冒涜ですわ。どういうつもりなのか、きちんと説明をしていただきませんと」
他の生徒も同じ気持ちなのだろう、追及の目で校長とユイナを見ている。
まるで悪人へと向けられる蔑視に胸が痛んだ。望んだわけではないが、ドルドラン校長に踊り子として見出されてしまったために、校長の一存でミグが補欠にされたのは事実だ。
だが、当の悪人は平然と鼻で笑った。
「大口を叩くなら、まともな踊りをしてみせろ。さっきの演舞はなんだ? てんでバラバラだったではないか。自分だけ目立とうとする者、周囲に振り回される者、何も見えていない者……見ていて見苦しかったぞ」
「――っ!」
上級生達の目が見開かれ、怒りに揺れた。
両者ともにらみ合ったまま沈黙した。戦場とは違ったピリピリとした空気に包まれている。
ヘレンが怒りを抑え込むように息を吐いた。
「私達の踊りが酷い出来だとおっしゃるのなら、校長が選んだユイナは、さぞかし素晴らしい踊りができるのでしょう。どうですか。そこまで信頼する踊り子なら、今、ここで、決着をつけませんか。実力主義の世界でやってきたのですから、彼女が私よりも優秀な踊り子なら、私は、独り演舞への出場権を譲るつもりです。――ミグはどうかしら?」
ミグが驚いたようにヘレンを見詰め返し、覚悟を決めたようにうなずく。
「もちろん、私もユイナと勝負します」
「そうですわね。実際に白黒つけていないのに納得できませんもの。校長もそうは思いません?」
イズカルテに同意を求められ、校長が渋い顔をする。
「勝手に進めるな。彼女はこの学校に来て日が浅い。課題の集団演舞を一度見ただけでこなせるわけがないだろう」
雲行きがあやしいと感じたのだろう、その場をしのごうとする。
「誰が課題の集団演舞と言いましたか。ユイナが得意な演舞で構いません。私達も舞姫としての自負があります。たとえ違う踊りであっても技量を計る事はできるつもりです。それとも、私達を酷評しておきながら、自分が推しているユイナが負けるのを心配しているのですか?」
「なんだと?」
「逃げようとするなら、誰だってそう思うでしょう」
ドルドランは苛立ちも露わに舌打ちをすると、「やってみせろ」と顎をしゃくった。
「そんな……こんな状況で踊れるわけが……」
「ユイナ、貴女が優秀な踊り子であることを証明しなさい。手を抜くのは許さないわ」
ヘレンのまっすぐな視線に耐えられなくて視線を逸らすが、左から三姉妹が、右からドルドラン校長とサマンサ教頭が、そして、正面から上級生が見詰めてくる。
ユイナは後ずさり、壁に背をぶつけた。身体が震えていた。
何かを言わなければと思うが、言葉が出てこない。
決着など望んでいなかった。大会の出場権など譲れるなら譲りたかった。しかし、ドルドラン校長がそれを許すはずがなかった。学費、食費、宿泊費、そして、制服や練習着などの衣服……あらゆるものが用意され、金銭面の援助までされ、その代わりに舞踏大会で踊るという契約を結ばされ、果たせていないのだ。
ヘレンが近づいてくる。床に置いていたユイナの日傘を手に取り、差し出す。
「剣舞、できるのでしょう? ロートニア舞踏大会に出たいのなら本気で踊りなさい」
「ユイナ、やるしかないよ」と、カノン。
「応援しているから頑張って」と、シノン。セノンもうなずく。
だが、身体が動かない。日傘を受け取ることができない。
「やれ。実力を示せ」
ドルドランが厳しい声で命令する。
どうして?
何のために?
やりたくない事をやらされないといけないのだろうか。
――一人で舞姫学校へ行けば、少しは冷静になれるだろう。
あれほど舞姫学校に行きたくなかったのに、アレスは入学を決めてしまった。
もう一度、会って話をしたいと願っていた。
――無理だ。アレスはもう旅に出た。
――アイツは戻って来ない。
私が重荷だったのですか?
だから、私を置き去りにして、旅に出てしまったのですか?
私は今、苦しいです。
アレスの力になりたかったのに否定され、やりたくもない舞踏大会への出場を決められ、上級生から責められ、誰も助けてくれなくて……。
様々な想いがあふれて胸を掻き乱す。
目の前では、ヘレンが日傘を差しだしたまま待っている。
身体が動かない。踊ることを拒絶していた。
「で、できません……」
泣きそうになりながら首を横に振る。こんな気持ちで踊れるわけがない。
「甘えるのもいい加減にしろ!」
凄まじい形相でドルドランが目をむいた。その豹変ぶりにユイナが身をすくませていると、肩に掴みかかってきて力任せに壁へと叩き付けた。背中への衝撃で呼吸が止まりそうになる。
「ご、ごめんなさい! 許してっ」
反射的に謝っていた。だが、それで許す相手ではない。
「やる気がないならやめるか!? お前にどれだけ金をかけたと思っている! その練習着も! 制服も! 学費も! 食費も! お前に払えるのか!」
何度も何度も壁に押し付けられた。なすがままに身体を揺さぶられ、怯えることしかできない。
「こっちを見ろ! 何とか言え!」
獰猛な獣の目で怒鳴りつけてくる。私利私欲で他人を利用することしか考えない醜い姿が、親友のシェスを殺した奴隷商人と重なり、過呼吸になる。反抗したら自分も殺されるのではないか。命の危険さえ感じた。
「校長! それ以上はやり過ぎです!」
教頭が顔面を蒼白にして止めに入る。
「ユイナが怯えています! やめてください!」
教頭が身体を張って止めに入ってくれたおかげで、ドルドランが引きはがされた。
壁からずり落ちて尻もちをつき、両腕で頭を護るように丸まった。
ドルドランの怒りは収まらない。
「約束を守れ! できないのなら金を返せ!」
すすり泣くユイナに、容赦のない罵声が浴びせられた。
***
こんなはずではなかった。
どうしてこうなったのだろう、と、ヘレンは悔やんだ。
ミグの出場権と、自分の独り演舞を賭け、ユイナと勝負する。
それだけではない。単純に、ユイナの踊りを見てみたかった。
林の奥で彼女の剣舞を見た時、衝撃を受けたのだ。
彼女には人を惹きつける才能がある。
だが、同時に苛立つのだ。才能があるくせにロートニア舞踏大会の出場を辞退しようとする彼女と、どんなに練習しても《白い舞姫》と呼ばれた母に追いつけずに苦しんでいる自分を比べてしまうのだ。
負けたくなかった。
だから、本気のユイナと勝負してみたかった。
ただそれだけなのに……。
ヘレンは、小さく丸くなって怯えるユイナを前にして立ち尽くしていた。
彼女を追い込んでしまったのは自分にも責があると思った。
「ケガはない?」
サマンサ教頭がかがみこんでユイナを介抱している。
ドルドランが、チッと舌打ちして背を向けて去っていく。その背を唖然としたまま見送っていた。父を恐ろしいと思ったのは初めてだった。
貴族令嬢であるユイナに対して、まるでボロ雑巾のように暴力を振るった。
近くにいたのに何もできなかった。
その無力さに、また、打ちのめされていた。




