光の雨は、しとしとと13
夜になり、冷えていく壁に背中を預けていた。ランタンの灯りがぼんやりとあたりを照らし、用水路を流れる水音だけが静かに聞こえる。
まだ来ないのだろうか。
はやる気持ちを抑えられずにいると、草を踏む音が聞こえてきた。壁から背を離したユイナは、用水路に身を乗り出した。侵入者防止の鉄格子の向こうに、ランタンの灯りが近づいてくるのが見えた。
「ペント?」
問いかけると男の子が顔を出した。
「お待たせ。待った?」
「ちょっとだけ。それより――ザイさん、そこにいますか?」
「あ、ああ」
「大事な話があります。ペント、ごめん、先にザイさんと話をさせて」
「う、うん。わかった」
楽しみにしていたのだろう、少し悲しそうな顔をさせてしまった。
「大事な話って、なんだ?」
「魔眼の海賊についてです」
「…………」
沈黙があたりを包んだ。あまり踏み込まれたくない話題のようだ。だからこそ、確信した。
「不思議に思っていたんです。アレスは救世主で世界を救わないといけないのに、シルバート王国では魔神骨が兵器として使われようとしていて時間もないのに、どうして人助けのために海賊を倒しに行くのだろうと……」
ザイは笑った。
「ただのお人好しなんだよ。子供さらいや人殺しをする海賊を見逃しておけないんだ」
「それだけじゃないはずです」
へらへらとはぐらかそうとするザイを遮り、断言した。
「魔眼の海賊はただの海賊ではなく、魔神の力を持っているのですね? だから野放しにできないのですね? あの夜に襲ってきた海賊は眼が紅く、夜の闇でも自由に動いていました。まるで魔神ベロントスのように」
寮のステンドグラスにも魔神ベロントスの恐ろしさが表現されている。血のように紅い瞳を光らせて。その瞳は、魔眼の海賊と同じに思えた。
「なるほど……。ロートニアの舞姫学校なら、ベロントスについて教えるのは当然か」
隠し通せないと悟ったのかため息をつくように言った。
「もしかして、海賊が魔眼を使えるのは、魔神骨の力ですか。アレスはその魔神骨を消滅させるために動いているのではないですか?」
「分からない。とある地方では稀に、魔眼の力を持った子供が生まれると聞いた事もある。魔神骨は関係なく、生まれ持った力なのかもしれない」
「ですが、魔神の遺物である可能性もあるのですよね?」
「まぁな」
「私も戦いに連れて行ってください」
「それはできない。アレスにも言われているだろ? 女は戦いに連れていけないと。それが原因でこの学校に入れられたのを忘れたわけじゃないだろ?」
忘れたわけじゃない。戦いで相手を殺せると答えた時の頬をはたかれた痛みは、一生忘れることはない。だけど、引き下がる訳にはいかない。
「女は戦いに連れていけないのに、メリル王女を連れて行くのはおかしいじゃないですか」
「あー、あれは例外だ。連れて行かないとややこしくなる。それに王女が使役する魔獣は探索に重宝するからな」
きっと、アレスと同じ言い訳をするだろうと思っていた。それを待っていた。
「私の力だって役に立ちます」
「何の役に立つんだ? たしか、炎を出すのが得意だったか? それ以外はできないんだろ? 風の刃とか」
「できません。ですが、知っていますか? 魔神ベロントスは夜にしか現れなかったことから《夜の魔神》とも呼ばれています。でもそれは、夜の暗闇が得意だったというより、太陽の光が苦手だったからではないかと文献にありました。暗闇に強いがために、光に弱いのではないでしょうか。魔眼にとって太陽の光はまぶしすぎるのだと思います。私の炎は、魔眼の弱点になるはずです。だから私を連れて行ってください」
「……それは、できない」
「ザイさんが言えないなら私が話をします。アレスに会わせてほしいとお願いしていましたが、できそうですか? そこまでしていただければ私が頑張って説得してみます」
「無理だ。アレスはもう旅に出た」
「え?」
言われている意味が理解できなかった。
「それは、どういう……」
「すまない。思ったよりも船の修理が早くて、昨日、出港した……」
気まずげな声が事実だと告げていた。
「どうして……、話をすると言ってくれたじゃないですか」
「もちろん話はした。ユイナが会いたがっている事も伝えた。だが、どうにもできなかった」
「それは……つまり……」
――避けられた?
怖くて聞けるわけがないし、聞きたくもない。
「戻ってきますよね? だって、一緒に戦ってきたザイさんを置いて行くわけないですものね」
「いや、俺はカトレア達の護衛をするために残った。あと一か月してユイナが戻ってきたら、内陸へ移動するように言われている。ここまで追手が来ないとも限らないからな」
「アレスは……? 戻ってきて一緒に行動しますよね?」
「アイツはノノルには戻って来ない。別行動だ」
「うそです……。アレスが、カトレアさんや他のみんなを置いて行くなんて……」
信じられなかった。信じたくなかった。何より自分が置いて行かれた事を認めたくなかった。
「事実だ。アイツは戻って来ない」
ユイナは舞姫学校の壁に額を押し付けるようにすがった。いや、そうしていないと崩れてしまいそうだった。
トン、トン、トン……。
何度も壁をたたいた。
硬い壁はびくともしない。
何も知らなかった。何も知らされていなかった。
唇をかみしめる。
「話をすることもできないのですか? 力になりたいと思っているのに、それすらも許されないのですか?」
「…………」
問いかけに対する返事はない。ザイにも分かっているのだ。
アレスは、決めたことをやり遂げようとする人だ。よほどの事がない限り、戻ってはこないだろう。
予想もしていなかった現実を突きつけられ、胸が張り裂けそうに苦しかった。
好きな人に必要とされていない事が何よりもつらかった。
「あんなひどい別れ方をして……もう会えないなんて、あんまりじゃないですか……」
どこにぶつけたらよいのかわからない悔しさと悲しみが、涙となって流れ落ちた。




