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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第三章
75/88

光の雨は、しとしとと10

 ***


 誰よりも早く教室にきたユイナは、窓際で最後尾の席を確保し、机に教科書とノートを広げた。教室に生徒達が入ってきて、教師が壇上に上がって講義が始まる時だけ他の生徒と同じように立ち上がって挨拶をする。それからはずっと外の景色を眺めていた。


 ――はぁ………。


 青い空にポツンと漂うわた雲に向かって吐息をもらした。その息が届くわけもなく、ゆっくりとした雲は海の方角から滑ってきて、そのまま通り過ぎてしまった。雲を追いかけていた視線が天井に(さえぎ)られ、見えないものを追いかけているような気がした。


『ロートニア王国が貿易国へと舵を切れたのは彼の功績が大きいと言えます』


 窓の外に視線を戻すが、他に雲もなく、する事がなくなってしまう。いや、本当は王国史を学ぶ時間なのだが頭に入って来なかった。

 何も手に付かない。


 ――アレスと話ができるだろうか。


 会わせてもらえるようにザイに頼んでみたものの不安だった。面倒ごとは嫌がるし、のらりくらりとした印象が強いので、ちゃんと話を通してくれるかどうか……。人選を誤っていなかっただろうかと自問自答してしまう。

 しかし、あと一週間ぐらいで旅立ってしまうとしたら、ザイにお願いするのが確実なのも事実だった。アレスと作戦を立てているのは彼だ。彼なら旅立ち前のアレスと会うはずだ。コルフェ達では伝えられないかもしれない。

 あと一週間の中でアレスと面会できるのだろうか。

 アレスと会っている光景を想像できなかったが、信じて待つしかない。


『彼が(のこ)した交易路にはいくつもの標識が立てられ、表には地名と番号が、裏には彼の名が刻まれています』


 講義はよどみなく進んでいる。真面目に板書する生徒もいれば、隣席の友達と手紙の交換をしている者もいるし、うたた寝している者もいる。それぞれが自分たちの関心ごとに興じている。だから、外を眺めるユイナを注意する者はいない。

 最初こそ奇妙な転入生への注目度は高かったが、非社交的で数か月の付き合いとなれば話しかけてくる者はいなくなった。

 他には何も考えたくないので好都合なのだが、一つ気になる事があった。


 ――これでも心配しているんだぜ。ユイナは、なんというか、仲良くなるまで壁をつくって中に入れないようにするからな。


 決して認めたくはないが、ザイの言う通りの状況だ。

 実際に舞姫学校『ノノル』の生徒と距離を置いていた。もともと社交的ではないのもあったし、関わる人が増えればアレス達の動きを敵に察知されるかもしれないという恐れもあった。

 ともかく、自分の過去を振り返ってみても、相手の為人(ひととなり)が分かるまで距離を置いてきたのは事実だ。

 どうして? と考えた時、青い空にぽつりと一つだけ白雲が流れて来た。

 その雲が、今の自分と(かさ)なって見えた。

 自分には自分の流れみたいなものがあって、それを乱されたくないのだ。

 だから他人と距離を置いて、自分を乱さない相手か、安心できる相手かを確かめてからでないと近付けないのだ。


 カラーンラーン、カラーンラーン。

 終業の鐘が鳴った。区切りの良い箇所なのかは分からないが、板書していた教師の手が止まり、そこで授業は終わった。他の生徒達と同じように起立して教師に礼の言葉をかける。

 次の講義はマナーだ。

 王国史、マナー、文学、刺繍、世界史、社交……。

 本日の時間割りはそのような流れになっている。本当にここは舞姫学校なのだろうかと疑いたくなる。舞踊の授業が週に二度しかない。昨日したばかりだから次の授業は二日後だ。こんな事はシルバートの舞姫学校では考えられなかった。しかし、この舞姫学校『ノノル』は教員不足で、サマンサ教頭がたったひとりで全生徒の舞踊を見ているのだから仕方がない。


 次の教室に移動するためにカバンを手に提げたユイナは、ふと、二階の窓から歩道を見下ろした。白い傘を差した生徒達がぞろぞろと歩いている。その中で、立ち止まる二人がいた。

 一人はサマンサ教頭だ。もう一人は見覚えのある少女だった。たしか、舞踏大会の補欠にされたという生徒だったはずだ。彼女は教頭に熱心に話していた。

 ユイナは自分には関係ないと思い、カバンを胸に抱きしめて次の教室へと向かう。

 孤独だけど、平穏な学生生活を守ろうとしていた。



 その後も窓際の最後尾で講義を受けた。昼食も食堂の隅で一人食べて、誰ともしゃべらないまま日が暮れた。夜が更けるまで自室で過ごし、頃合いを見計らって湯浴み道具を手に廊下へと出た。

 暗い廊下は左に行けば同級生の部屋が続いているが、そちらに背を向けて廊下の突き当りへと行く。そこには非常扉があり、それを開けて星空の下に出た。

 細い裏道を通り、舞姫の石像が並ぶ中央大通りを横断する。そこから舞踏場の前を通り抜けたほうが大浴場に近いし、夜は人通りもない。この裏道を発見してからは多用していた。


「?」


 誰かの声を聞いたような気がして足を止める。舞踏場の前だった。出入り口に目を凝らすと、ドア下の隙間からほんのりと灯りがもれている。


「こんな時間に……もしかして消し忘れ?」


 ランタンの火を消し忘れただけなら良いが、火事だったら大変だ。

 ユイナは重たい扉に近づき、そろりと押し開けた。

 舞踏場のにおいがして、観覧席の後ろに出た。

 遠くから女性の声が聞こえる。


『身体が流れているわ。必ず正面で止めること。ここで皆がそろうかどうかが演舞の評価を分けるわよ。回るところからもう一度』


 観覧席の続く先に舞台があるのだが、そこにサマンサ教頭と運動着姿の少女がいた。少女には見覚えがある。ユイナの代わりに補欠にされた少女だ。こんな夜更けに舞踊の指導を受けているようだ。二人とも集中しているのかこちらに気付きもしない。時おり熱のこもった指導が飛んでくる。

 ユイナは扉をそっと閉めて退散した。何かが動き始めている気配に胸がざわついたが、それを見ないように大浴場へと急いだ。



 無人の大浴場は静まっていた。ランタンの灯りを壁にかけ、桶を手に浴槽へと近づく。ぬるま湯をすくい、まずは左の肩からかける。桶を持ち替えて右の肩にもかけて汗や汚れを落とし、それから前かがみになってゆっくりと黒髪を洗っていく。

 過ぎていくだけの毎日が今日も終わろうとしている。楽しくもなく、悲しくもなく、ザイからの吉報を待つだけの日々。

 明日は知らせがあるだろうか。

 それだけを考えて一段目の棚湯に肩までつかった。お湯が止まって時が経っているのでぬるいのは我慢するしかない。

 それにしても、待つだけの日々はどうにももどかしい。だからと言って舞姫学校に閉じ込められている身ではどうにも外との連絡が取りづらい。


 ――外に出られたらたくさんできる事あるのに……。


 しかし、外に出るためには門をくぐらなければいけない。正門は頑丈で、警護の兵士もいる。もちろん屈強そうな男だ。脇門も頑丈な鉄扉だし、出入りも人数確認が行われている。


 ――いっそのこと門兵を魔術で脅して開けさせれば……。


 ユイナは頭を激しく横に振った。


 ――ダメダメダメ、魔術を使うなんて最悪の方法だよ。ただでさえ黒髪で目立っているのに、女が魔術を使っているなんて話が広まったらアレスやみんなにも迷惑かかってしまう……。


 はぁー、とため息。


「あの人、練習していたな……」


 思い出すのは先ほどの練習していた少女だ。胸騒ぎが強くなってびくりと震える。いつの間にかぬるま湯がさらに冷めてしまった。体が冷えないうちに上がろう。

 身体についているしずくを丁寧に拭きとり、壁にかけていたランタンを手にして引き戸を開ける。


「え……」


 眼前に裸体の少女が立っていた。思わず凝視してしまう。相手もこちらを見ている。舞踏大会の補欠された少女だ。

 横によけて道を開けると、少女が浴室へと入ってきた。肌には汗が浮いている。こんな時間まで体を動かしていたのだ。しかも、気温の下がる夜間でこれだけ汗をかいているのは軽い運動ではなかったはずだ。嫌な予感がした。


「あの」


 入れ替わりに出ようとしたユイナの背に声がかけられる。振り返ると少女は言った。


「あの言葉、撤回します」

「…………」


 ユイナは眉根を寄せて相手を見た。


「私も大会に出たいです。だから、勝負しましょう」

「それは……」


 言い(よど)んだ。勝負をしなくても出場を譲りたい気持ちはある。しかし、それをドルドラン校長は許さないだろう。ユイナが舞踏大会出場する事に異常なまでに執着している。大会に出ないと言おうものならどんな暴挙に出るか。その危害は眼前の少女にもおよびかねなかった。


「そういう事なんで」


 分かっているのか分かっていないのか、少女は言い切り、引き戸を閉めた。

 ユイナはどうする事もできず、閉じられた引き戸を前に振り仰いだ。


 ***


 窓辺で夜の景色を眺めていたヘレンは室内へと視線を戻す。向かいのベッドではシーマが真剣な顔で恋愛小説のページをめくっていた。辞書や歴史書のように分厚い本ももうすぐ読み終わりそうだ。

 部屋にミグはいない。用事があるからと夕食後に分かれてからかなりの時間が過ぎている。

 ヘレンは再び窓の外へ視線を戻した。

 いくら何でも帰りが遅い。何かあったのではないか心配になってくる。それなのに、シーマは読書に没頭している。少しは心配にならないのだろうか。

 何度か外の景色を見ていると、本の閉じられる音がした。長編小説を読了したのか、シーマは読後の余韻に浸って瞳を閉じていた。しばらくして開かれた瞳はヘレンを見ていた。


「気になりますか」

「?」

「ミグの事です」

「当然でしょ。シーマは気にならないの?」

「心配は()らないと思います」

「どうして言い切れるの」


 友達を心配しているのに、平然としているのが気に食わなかった。

 しかし、シーマは顔色一つ変えずに言った。


「ミグは諦めてはいません。自主練も頑張っています。それに、今はサマンサ教頭の指導を受けているはずです」


 ヘレンは瞬きする。


「踊りの練習をしているの? こんな夜更けまで?」

「そうです。ミグからは内緒にしてくれと言われていましたが、探せばわかる事です。ミグは本気で舞踏大会に出場するつもりです」


 その言葉に困惑した。


「でも、どうして……? 補欠でもいいと言っていたじゃない」

「一度は諦めたのかもしれません。ですが、弱音を吐くことで弱気な自分に気付いたのだと思います。それに、ヘレン様の信じる姿に心動かされたのかもしれません」

「そう……」


 嬉しいはずなのに素直に喜べない。ミグの決意には問題がある。


「あの校長が一度決めた事を覆すとは思えないわ。何か計画でもあるの?」

「それは私にもわかりません。ただ、ミグは黒髪少女に勝負を挑むつもりです」

「勝負をして勝ったら、出場させてほしいと言うわけね……」


 十年近く練習してきたミグはもちろん基礎はしっかりしている。しかし、日傘で舞う黒髪少女の剣舞は次元が違っていた。身軽で美しく、そして、鋭い。


「ヘレン様も認めるほどの踊り子なのですか。あの黒髪少女は」


 胸中を見透かしたかのような言葉に、ヘレンは渋い顔をした。


「認めてなんかいないわ」


 声に棘が出てしまう。


「いいえ、ヘレン様は彼女の実力を認めています」


 珍しく言及してきたので、思わず見返してしまう。長年付き添ってきたが、『いいえ』という否定を使われたのはこれが初めてだ。呆気にとられていると、シーマは続ける。


「ミグが代表から外された事で直談判に行った時、黒髪少女の踊りについて触れられても反論しませんでした。あれは、すでにどこかで彼女の踊りを見て、少なからず認めていたからではないのですか? 先ほどもミグが勝負を挑むと話をした時も、勝てる見込みが持てないようでした。違いますか?」


 見抜かれていた事に驚く。


「あの黒髪は、並みの踊り子でない事は確かよ。それにしても分からないのは貴女よ。今まであまり意見を言わなかったのに今日はどうしたの。まるで別人だわ」


 シーマと言えば月のように穏やかで相手の言葉を否定しない女性だと思っていた。いつだって物静かでうなずくだけだった。それが今は違う。


「生き方を、変えたいのです」

「生き方を……? 今の生活に不満でもあるの?」

「今の生活に不満はありません。ですが、いつか私達は結婚する事を求められます。卒業すれば私達の生活は一変します。私は今まで母から教わった事がすべてだと信じ、実践してきました。女の価値は、家柄、容姿、献身、そして、舞踊で決まるといわれています。そして妻となった女は、夫を支えるために多くのものを(ささ)げていかなければいけません。しかし、父の暴力に耐えなければならない母を見ていて、ずっと疑問に思っていました。なぜ母は殴られないといけないのでしょうか。国を動かす男がどれほど偉いのでしょうか。母が居なければ食事の用意すらできないのに、どうしてそこまで威張り散らせるのでしょうか」

「…………」


 何も言えなかった。

 彼女の家庭事情について教えてもらった事はなかったが、家柄としても経済的にも厳しい家庭だと耳にしたことがある。そしてこの時、月のように穏やかに見えたシーマが、実は心に激情を抱えていたのを知った。


「男も女も結局は一人の人間です。どっちが優れているとか、いないとか、一つだけでは決められません。いいえ、そもそも決められる事ではないのかもしれません。ですから、認め合ったり、信じ合ったりすることが人には大切なのかもしれません。それを、この本に気付かされました」


 そう言って本の表紙をなでる。それだけでシーマがその小説を大切にしているのが分かる。


「凄いのね。その本」

「そうです。たかが作り物の恋愛小説と侮ってはいけません。少なくとも、私の人生観を変えてくれました」


 なるほど。人生を左右する事は意外なところにあるのかもしれない。


「ヘレン様はどうしますか」

「私?」

「不安や不満を自分の中に溜めているだけでは現状は変わらないと思います」

「そうね……」


 本気で考えているつもりだった。だけど、本気で行動していたとは言えなかったかもしれない。どこかで無理だと諦めている自分がいた。

 自分に何ができるのか。

 ヘレンはもう一度考え直してみようと思った。



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