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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第一章
7/88

闇夜の賊と月夜の踊り子6

 

 ***


 自分のベッドにもぐったユイナは、しばらく横になって浅い眠りに落ちたものの、波のように押しよせる寝覚めと眠気の間をただよい、そこに落ちてきた一滴の妙な胸騒ぎで瞳を開いた。真っ暗な天井から、ガタ、ゴトン、という物音がきこえてくる。階上の甲板で大がかりな作業でもしているらしく、多くの足音や物音が天井をぬけて響いてきた。

 体を起こすと、隣で寝ていたペントも目を覚ましていたらしく、上半身を起こす。その顔は暗闇でもほんのり白く浮き、白塗りされた人形のようだった。


「ユイ姉さん、何の音だろう?」


 天井を見上げ、眉を引き締める表情から警戒心がにじみでている。


「私にもわからない。とりあえず上がってみる?」

「そうだね」


 ペントは先にベッドから降りると、机上に置いてある愛用のナイフを手さぐりで探して腰にさげ、ユイナが靴を履くのを待って一緒に廊下を出てくれる。彼は小さく幼くとも、ナイフの扱いに関してはアレスやザイも認めるほどの使い手だ。

 彼はもともとシルバートの密偵として極秘裏に育てられた子供の一人だった。幼い容姿で相手を油断させて情報を盗み、場合によっては暗殺さえもこなす。心優しいペントがそんな隠密集団に所属していたのは、任務成功に対する報奨金で、自分の母親かもしれない女性を貧困から救うためだった。そして、ペントは報奨金を手に入れるため、アレスに近付き、その狙いや行動を雇い主へと伝えていた。

 もし、その事に気付かず、作戦を最後まで決行していたら、アレスやザイやカトレアや子供達、それにユイナも、シルバートの魔術師団とウィンスターの艦隊に挟まれて捕まっていたか、その場で殺されていたに違いない。そうならなかったのは、ペントが真実を打ち明けて一緒に戦ってくれたからだ。母親を救いたいなら、ユイナ達を見捨てればよかった。だけど、ペントはそうしなかった。彼の中でどんな葛藤があったかは今もわからないが、カトレアや子供達を助けるために一緒に死線をくぐり、本当の意味で仲間になれたとユイナは思っている。

 ただ、彼の正体を知っているのはユイナ以外にアレスとザイだけだ。他のみんなには不安を与えないという理由で伝えていない。子供達が話を受け入れられるほど落ち着いたら、アレスの口から伝えられるだろう。



 ペントと甲板に出ると、追い風だったはずの風が少し横から吹いており、乱れる黒髪を耳裏に流してマストを見上げると、最上部の帆が星空を背にしてかすかにばたつき始めていた。そのばたつきに急かされるように船乗りが総出で動き回り、帆をたたんだり、横帆の角度を変えたりしている。

 帆船にとって帆の乱れは悪い兆候らしい。適切な角度で風を受け止めないと帆が破れたり、最悪、正面から風を受けた場合、風の負荷に耐えられずマストが折れて倒壊する事もあるという。だが、そこは船の男たちも手慣れているのだろう。針路変更にともなう風向きの変化に対応し、帆の向きを調整していた。


「こういう風に布を広げたりするんだね。こんな景色なかなか見られないよ。それに、真っ黒な海がずっと広がってる」


 ペントは年相応に顔を輝かせて船上からの夜景を見回した。

 ユイナは夜の海原を見渡し、その夜景でも異様に集まった島々へと首をめぐらせる。そこには植物が存在しないのか、暗黒の岩肌がむき出しになっていた。


「あれは?」


 隣のペントが前方に指をさして聞いてきた。白い指は船乗りの男たちを越え、ユイナが見ている前方の黒い島々をさしている。ここ何日かは海原と空しか見ていなかったので、島が珍しくてしょうがないのだろう。


「あれは“海の壁”と呼ばれる列島だよ」

「海の壁……?」

「うん、そこを船が通れないからそう呼ばれているみたい」


 海を突き破って夜空に伸びる島々は、海の壁という呼び名にふさわしいほど並んでそそり立ち、その黒い影で星空さえも呑み込もうとしている。遠くから見た時はあまり気にならなかった島々は、近付けば近付くほどその存在を見せつけていた。


「あ……」


 ユイナは横から気配を感じて振り向き、近付いてくる銀狼と視線を合わせる。


「アレス……」

「眠れないのか」

「足音で起きてしまいました」


 なぜだか正視できなくて視線をそらしたまま答え、両手を前で重ねて緊張気味な手を握りしめる。


「ユイナ達の部屋はこの下だったな」


 ペントが首を縦に動かす。


「あと二回は舵をきる。そのたびに帆をいじるだろうからまたうるさくなるかもしれない。良ければカトレアの部屋へ行くといい。あそこは足音もあまり聞こえないはずだ」

「私は大丈夫です。起きて星でも眺めていますから」


 星を眺める……そんなの嘘だ。本当はアレスの(そば)にいたいだけだ。それで、振り向いてくれるのを待っているんだ。でも、それを気付かれたくはない。


「ペントは、どうする?」


 ユイナは平常を装って言った。


「僕も星を見てる」

「そうか」と銀狼は言い、「邪魔にならないようにするんだぞ」と、甲板で行われる作業に視線を動かす。船乗り達が声をかけ合い、帆の調整を終えてロープをくくりつけて固定しているところだった。


 ユイナはふと気になる。海賊とそれに追われていた船はどうなったのだろうか。しばらく甲板から離れていたので状況を把握できていない。

 階段口からではマストが邪魔して星がよく見えないので、ペントがトコトコと船の端まで歩いて行くのを視界のすみに置く。


「あの」


 海賊の話をペントに聞かれたくないので銀狼に近づいて声をかけた。銀色のピンとたった耳を見上げ、そこに背伸びしようとすると、察してくれた銀狼が口元まで耳を寄せてくれる。


「(海賊とか、追われている船はどうなったんですか?)」

「(海賊は北のほうに離れていった。斥候(せっこう)の話だと、襲われた船は燃えて沈んだようだ。これから壁の横を抜けて生存者を救いに向かうところだ)」


 ユイナは銀狼の耳元から首を動かし、前方の群島を見る。ここからではまったく見えないが、これから助けに向かう船が壁の向こう側に沈んでいるはずだ。


「ねぇユイ姉さん」


 船べりに立ったペントが振り返って呼んできた。


「うん?」

「カトレアさんが言っていたんだけど、星には名前があるって知ってる?」

「知ってるよ。学校で習ったからね」


 ユイナはアレスと別れ、船べりに近付く。


「あの星の名前を教えて。教えてもらったのに忘れたんだ」


 なになに、とペントの横に立ち星空を見上げる。

 夜空に浮かぶ星は天女達が残した世界の記録だといわれている。その中でひときわ強く光る星が二つ。一つは大天女が世界に人間や生物を生み出した時に記された星。もう一つは最大の災厄と伝えられている魔神アボカリトスとの天魔大戦で記された。天女たちは世界にとって重大なことがあると夜空に星を浮かべ、何百年、何千年、いや、それ以上の途方もない歴史を記録してきた。星空はいわば、天女が地上の生物に残した世界の足跡なのだ。

 そのことを教えると、ペントが感心した。


「すごいね」

「うん、そうだね」


 そう言い、ユイナも星空を見上げる。今夜はやけに星が瞬き、まぶしいほどだった。そうやって壮大な歴史の残滓(ざんし)を仰いでいるうちに、ふと、大それたことが胸をかすめる。天女に代わって世界を救おうとしているアレスや私達は、いつかあの星々の中に記されていくのだろうか。


「――舵をきれ」


 甲板で船長のシュガースが舵手に指示を飛ばす声が聞こえた。それに応じてゆっくりと舵がきられ、船がゆるやかなカーブを描いて曲がっていく。

 船べりから見渡す夜景が横に流れていき、海の壁と呼ばれる岩山の連なりが正面に見えてきた。

 船は岩山の連なりに沿って走る。近くで見れば見るほど、岩山の一つ一つが星空を背にして巨大な牙のようにそそり立ち、見ているだけで近付きたくない気分にさせた。


 ……?


 連なる岩山の陰にユイナは妙な岩を発見して眉をひそめた。それは島々の間を音もなく横切っていき、別の岩山の蔭へと消えていった。

 予期していなかった光景に何度も瞬きして声をもらす。


「岩が……動いた」

「? 何か言った?」

「今、岩が動いたように見えたの」


 ペントが眉根をよせるので、信じてほしくてもう一度言った。


「本当に、そう見えたの」


 本当に。


 ユイナは島の間をわたる不審な影を探し、ペントも目を凝らす。

 しばらく目を凝らしていると、岩山の間を横に移動する岩を、再びユイナの目は捉えた。それをペントも見たようだ。目を丸くしている。


「ぼ、僕も見たよ……」

「あそこの岩に動くものが……、っ!?」


 振り向いて銀狼に伝えようとしたら、そこには名も知らない船乗りがいて、声をかけた相手が銀狼ではないことに表情を固まらせた。間違えて声をかけてしまった相手は眉間に皺を寄せてユイナを見下ろす。


「動く影? ふざけた事をぬかすな。作業の邪魔だ」

「は、はい……」


 相手に気圧されて後ろに数歩下がり、古びた甲板の段差に足を取られて転びそうになる。それを後ろから支えたのは銀色の狼だ。


「大丈夫か」

「はい、大丈夫です」

「船乗りというのは気性が荒いものだ。それで、どのあたりだ」

「え?」

「不審な影はどこにいった」


 どうやら聞こえていたらしい。


「あそこの少し尖っている岩の後ろに消えていきました」

「生き物の影か?」

「いえ、岩みたいに大きな影でした」


 指差す方向に狼の顔を向け、鼻にしわを寄せる。


「風向きが悪い……においで気配を探るのは無理だな」


 銀狼はマストの見張り台を振り仰ぎ、指示を飛ばす。


「テンマ、近くに船が隠れていないか探してくれ!」


 見張り台の上からテンマが顔を出し、うなずくのが見えた。


「どうした」


 振り向くと、シュガースがこちらの様子を気にして近付いてきて、銀狼が答える。


「彼女が群島の間に動くモノを見たらしい。海賊船の可能性もある」

「馬鹿な。俺は説明したはずだ。あれほど島が密集した海域は浅瀬も多い。ましてや、あそこは壁とも呼ばれる大型船での通り抜けは不可能な場所だ。小舟だとしても正確な航路を知らなければ通過できるかどうか……。それに、たとえ正確な航路を知っていたとして、距離感も失う夜中で舵を正確に操れるはずがない。自殺行為だ」

「でも、確かに……」

「僕も見た」

「見間違いだろう。黒い雲を岩と勘違いしたんじゃないのか?」

「やめないかシュガース。ここで二人を疑ってもしょうがない。今ほしいのは真実だ。俺達はあの群島に海賊はいないと判断した。だが、夜でも船をあやつり、岩山の間を抜けてくる相手がいるとしたらどうするつもりだ」


 シュガースは数瞬だけ沈黙し、顔を上げる。


「わかった。厳戒態勢をとらせよう」

「頼む。普通では考えられないことを可能にする相手がいるなら、手強いぞ」


 シュガースはうなずいて部下の男を呼び止め、見張りの強化と盾の装備を命じた。その男を通じて、伝令が隅々に伝わっていく。

 甲板が再びせわしなく動き始め、その騒ぎを聞きつけたのか、甲板と船内をつなげる階段から銀髪の女性と何人かの子供達が上がってきた。


「カトレアさん。みんな」

「何かあったの?」


 甲板の慌ただしい動きで異変を察知し、カトレアが白銀の柳眉をひそめる。


「実はあそこの岩山の陰に――」

「船を確認した! こちらに近付いている!」


 とつぜん説明をさえぎるようにテンマの警告が頭上から落ちてきた。

 甲板にいた人々の視線が群島へと向けられ、一瞬、あたりが静まり返った。その静寂の中で、岩陰の一つから黒い闇が伸びていき、星の瞬きを一つ、また一つと呑み込んでいく。いや、それは岩の後ろから現れた船影だ。岩山と同等の高さをほこる巨大で鋭い輪郭の帆船。誰もがその船影に目を見張っていると、別の岩山を見上げていた銀狼が吠えるように怒鳴った。


「盾を構えろ! 岩の上から弓兵が狙ってるぞ!」


 ユイナはびっくりして海の壁に視線を走らせる。斜め左方向、瞬く星を背にしていくつかの人影がこちらを見下ろしていた。しかも、全員が弓を構えている。

 とつぜんの危機に息を呑みこんだ瞬間、弓矢を引き絞る人影達がいっせいに矢を解き放った。上空に放たれた矢が星の瞬きを切り裂いてカトレア達に向かって落ちてくる。それに気付いたカトレア達は船内に戻ろうとしていたが、狭い階段で誰かが転んだらしく、逃げようとした後続が完全に立ち往生した。


 このままでは犠牲者が出る……!


 ユイナはみんなをかばうように矢面へ回り込むと、胸もとのペンダントを魔法の触媒(しょくばい)とし、額に力をこめて叫んだ。


「魔法陣、開いて!」


 額から放たれた感情は空間をねじ切り、魔法陣という名の盾を開く。だが、とっさに開いた魔法陣は中途半端な大きさで成長を止めてしまう。広範囲に落ちる矢を防ぐにはあまりにも小さかった。


「下がれ! 俺が止める!」


 銀狼が横から割り込み、瞬間的に巨大魔口を開く。頭上に見えていた星空が黒く塗りつぶされ、魔力の急激な発散で空気が嵐のように渦巻き、飛び散り、そこに幾本もの矢が突き刺さる気配がした。


「――――――」


 銀狼は呪文を唱えていた。暗黒の魔口に、青みがかった銀色の紋様・封魔の紋様が走り、魔力の嵐がぴたりとやむ。


「カトレア、子供達を船内へ連れ戻してくれ。ケガ人の救護も頼む」


 銀狼の指示に従い、カトレアが子供達を少しでも安全な船内へと誘導する。その間もアレスの魔法陣が矢を受け止めていた。


「舵は何をしている! 岩山から離れろ!」


 シュガースが転舵(てんだ)の指示を出すが、舵手は敵の矢を受けたらしく倒れている。最悪なことに、舵取りを失った船が少しずつ岩山へと寄り始めていた。それに気付いた船員の一人が、ふらつく舵を取りに階段を駆け上がっていく。


「応戦しろ!」

「弓矢がない! 矢を持ってこい!」

「ケガ人を船内に連れて行け!」


 怒号が飛び交う中、銀狼は鋭い眼光で甲板の状況と敵の位置を確認し、肩越しに振り向いて言う。


「ユイナ、ペント、お前達も船内に戻れ」


 ユイナはぎゅっと手に力を込めて言う。好きな人の力になりたい。


「私も戦います!」

「船内に戻れ!」


 思いもしない強さで怒鳴られ、立ちすくんだ。


「ユイ姉さん、ここはあぶないよ」

「う、うん……」


 ペントに手を握られたものの、後ろ髪を引かれるように振り返る。


「ザイ、守りを頼む! 俺は攻めにまわる!」


 そう言うや否や、銀狼は身を(ひるがえ)して加速すると、凄まじい力で甲板を蹴って海を跳び越え、銀色の流星となって黒い岩山へと飛び移っていった。



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