冷血王
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謁見の間には三人の侯爵が並べられ、右端の男が額に汗を浮かべながら報告書を読み上げていた。彼はウィンスター南方の海を守る海軍大将を任されているが、とある失態からその地位を危ぶまれていた。そして、その彼が頭を上げる事ができないのが、ウィンスター王国の頂点に君臨する金髪の男だった。
彼こそが百十二代目ウィンスター国王フェニエド。白く輝くビッツリー織のゆったりとした着物を身にまとい、赤に金の刺繍を施した豪奢なマントを流している。ひじ掛けに頬杖をつき、細目の奥から碧い瞳を光らせる姿は、齢三十を超えたばかりとは思えないほどの威厳があった。その圧はすさまじく、暗号文を読み上げる海軍大将の額には、玉のように浮かんだ汗が流れ始めていた。
「シルバートは、和平を本気で考えているようです。シラ=エンのミラヌイ大臣のもとへ、シルバートの密偵が和平の嘆願書を渡してきた、という情報もあり――」
「それがどうした?」
フェニエドが報告を遮る。
「新しい情報はないのか」
「そ、それは……」
「それに、貴様には大事な任務を与えていたはずだ。あの二人の消息はつかめたのか」
冷血王と呼ばれる所以となった淡々とした声に、男が震え上がった。食い入るように暗号文を見直す。
「そ……、それにつきましては……まだ見つかっていないようです。増員して捜索しているところです」
「銀狼とともに逃げた、という事はないだろうな? それとも、シルバートの捕虜になっている、という事はないだろうな?」
問われる男は、身体に一本一本針を刺されるような苦悶の顔で脂汗を浮かべている。すでに取り返しのつかない失態を犯しているだけに、後がない事を理解しているのだ。
一か月前、シルバート国から驚くべき書状が届いた。その書状によれば、銀狼のアレスが国家転覆を計画し、それをオルモーラ地方のオーデル伯爵が援助しているのだという。それどころか、秘密裏に開発した兵器を海外へ持ち出そうとしている事まで書かれていた。そして、この緊急事態に魔術師団をオルモーラに派遣するので許可と協力を願う、と。それが叶わなければ、強制的に入国し、銀狼のアレスとオーデル伯爵の一味を殲滅するというのだ。
許可もなく他国に軍を派遣するなど、侵略以外の何物でもない。もしもそうなれば、条約に基づき、シラ=エン王国、ネフェタリカ王国、そしてウィンスター王国の連合軍から攻め込まれても文句は言えない。立場を悪くするのはシルバートだ。
しかし、シルバートがオーデル伯爵を捕らえた場合、裏で糸を引いていた事が伯爵の口から洩れる恐れがあった。そうなれば、窮地に立たされるのはウィンスターの方だ。
それだけは回避しなければならなかった。
すべての証拠を消し去るため、最新鋭の軍艦でオルモーラに向かったのが、フェニエドの前で震えている男だった。そして、オーデル伯爵を抹殺し、デルボを焼失させることに成功した。だが、その爆発から慌てて逃げたために船を座礁させてしまい、アレス達を取り逃がすどころか、オルモーラへの上陸も遅れるという失態を犯した。上陸したのは、シルバート兵がオーデル伯爵の城を調べ上げた後だった。証拠は何一つ出てこなかったというが、それを信じるわけにはいかない。交渉の切り札として隠し持っている可能性もあるからだ。
「こ、これは一つの可能性ですが、オーデルの息子と研究者ハマーは、デルボの精製方法を伝えるために、シルバート兵が引き上げるまで身を潜めているかもしれません」
「貴様が全身全霊でひと月も捜索させているにも関わらずか?」
男がゴクリと喉を鳴らした。
「も、もしくは、デルボの炎に巻き込まれ、すでに死んでいるのかもしれません。あれほど大きな炎に呑み込まれたら、生きていられるはずがありません。遺品が見つからないのもそういう理由ではないかと……」
「根拠でもあるのだろうな?」
「い、いえ……」
「不確かな情報で私を惑わす気か!」
「め、滅相もございません!」
恐れるあまり冷静さを欠いていた。これ以上責めたところで進展しないだろう。フェニエドは見る気も失せたように若手の侯爵へと視線を動かす。
「密偵からの報告は?」
「はい。シルバート王城に貴族らしい男が匿われている件ですが、どうやら一人だけのようです。少なくとも若いという事でしたので、可能性があるとすれば、カーマルではないかと」
そのやり取りに海軍南方大将の顔が青ざめた。そして、屈辱に震える。
「新しい情報があればすぐに知らせろ」
「かしこまりました」
「――魔眼計画はどうなっている」
視線を向けられた真ん中の侯爵が背筋を伸ばす。
「はい。他国の人間を利用した実験ですが、陛下が推察された通り、荒れた大地の出身者ほど魔力耐性が強く、魔眼への適応能力も高い結果となりました。今回の実験で言いますと、シーリング列島の子供です。二週間経った今でも生き延びております。逆に、緑豊かなロートニア王国の子供は、半日ともちませんでした」
「もたなかったというのは、前回と同じか?」
「はい。幻覚を見て奇声をあげるようになり、それが限界まで達すると、身体から血を流し、そのまま魔眼に喰われます」
「やはり……。魔力耐性のない人間に適正がないとなると、我が国の人間で魔眼を生み出すのは難しいという事だな?」
「はい、おそらくは」
フェニエドは眉間にしわを寄せた。
半世紀前まで、戦場の主力と言えば剣兵・槍兵・弓兵だった。国によっては魔術師も存在したが、世界的に見ても千人に満たず、また、そよ風を生み出す程度でも魔術師と呼ばれたので、戦場ではむしろ邪魔になっていたぐらいだ。
当時のウィンスターでも魔口を開ける者は数人いたと報告されているが、その珍しさや見た目の派手さから大道芸にしか使われていなかった。逆に、誰でも扱える剣や弓の方が殺傷能力も高く、当時の王は莫大な資金力で武器を買い集め、最強の海軍を築き上げた。
だが、四十年前、小国に過ぎなかったソイルバインが魔術革命を起こした事で情勢は一変する。殺傷能力を飛躍的に伸ばした魔術で隣国を滅ぼしていき、アドラー大陸を統一してしまったのだ。
以降、世界の国々がこぞって魔術師の育成に力を入れる事となる。それに成功した国はシルバート大陸で言えば、シルバート王国、シラ=エン王国、ネフェタリカ王国だった。特にシルバート王国は、魔術師になれば裕福な暮らしができると噂が広まった事で人々が殺到し、その中から希代の魔術師が数多く誕生している。
八年前の真王戦争では、シルバートの魔術師団によってウィンスターだけでなく、シラ=エンやネフェタリカも退けられ、それどころか攻め込まれている。シルバートの狂王が弑逆された事で終戦したが、もしも長引いていれば滅ぼされる国が出ていただろう。それほど魔術師は、戦局を左右する存在となっていた。
終戦後、若くして王となったフェニエドは危機感を抱き、魔術師を超える存在を生み出そうと考えた。そこで目を付けたのが、神話の時代から語り継がれてきた魔神だった。死んでも消えないと言われる魔神の肉体。それを体内に取り込めば、魔術師を超える力を手に入れるのではないか、と。
そんな時、採石場から古代の遺跡が発見された。壁面には人の形をした何かが描かれていた。それはまるで浜辺で遊ぶ子供のように見えた。砂浜に手を刺し込んで、砂を空に放り投げて遊んでいる子供だ……。しかし、天高く放り投げられたそれが、砂などではなく壊れた民家だと気付いた時、背景の山よりも高い巨人が、その腕の一振りで街を巻き上げるという恐ろしい画となる。
その魔神の名はベロントス。ヴィヴィドニア大陸の近海で生まれたとされ、昼は光の届かない海底で眠り、夜になると海から現れて大地を荒らしたと言う、別名“夜の破壊者”
その遺跡は、魔神を崇拝する異端者が築いた神殿だった。そして、その中心部となる祭壇には暗黒の池があった。人が近づくと波打ち、血の匂いを漂わせる。それはフェニエド王が探し求めていた魔神の一部――黒血の池だった。
かくして、魔神の力を手に入れるための実験が始まった。大量の野ネズミを用意し、黒血を飲ませていった。多くのネズミが痙攣して黒く変色した後、皮膚から黒血をあふれさせた。そうなると出血は止まらなかった。ネズミは自身から吐き出される黒い血だまりに呑み込まれ、最後には消えてしまった。研究者は『黒血に食われた』と表現をした。
しかし、ただ一匹だけ、呑み込まれないネズミがいた。体が黒く変色したネズミは、驚異的な生命力と暗闇を見通す力を持っていた。それは紛れもなく、魔神ベロントスの能力だった。生物であっても魔神の力を手に入れられる第一例となった。
時を同じくして研究員が姿を消す事件が発生した。当初は研究を持ち逃げしたのではないかと騒がれていたが、そうではなかった。夜の闇に紛れた黒ネズミが、研究員を襲って食っていたのだ。さいわいと言うべきか、黒ネズミは日光に弱く、幾人かの死者を出しただけで済んだ。
その事実を知ったフェニエドは確信した。魔神の力を使いこなせば、最強の国と謳われたかつての栄光を取り戻せると。
そこからは罪人に利用した人体実験を始めた。そして、それは数えきれない失敗の上に少しずつ実を結び始めていた。だが、黒血に適合するには高い魔毒耐性が必要だと分かった。ウィンスターの恵まれた大地で育った人間に耐えられるものではない。自国の人間では魔眼を生み出せないとなれば、自国民の魔眼部隊は諦めるしかなくなる。
「もしも魔眼部隊を作るのであれば、他国から耐性の強い人間を連れてくるしかないでしょう。それも、若く順応性のある子供です。ただ、大陸の人間を攫ってくるのは目立ちます。何度もできることではありません」
「奴隷を買うというのはどうでしょう?」
その場にいた若手の侯爵が口を挟んだ。
「シルバートでは今でも人身売買が行われていると聞いた事があります」
「それは何年も前のことだろう? コルセオスが王になってからは禁止となったはずだ」
「表向きはそうでしょう。ただ、禁止したからといってすべての領土を取り締まるのは不可能と考えます。おそらく、今でも監視の目をかいくぐって行われているのではないでしょうか。三年前にシルバートを訪れた時も、子供を売らなければ生活していけないほど、貧困層はひっ迫しているように感じました」
「だが、本当に奴隷商人がいたとして、どうやって渡りを付けるつもりだ」
「それについては考えがあります。――陛下、私にその役目をいただけないでしょうか」
フェニエドは男を見詰め、その目に自信を見て取った。若手だが、実績を積み上げて西方の海軍大将になった男だ。周辺諸国の情勢にも詳しい。任せても問題ないと判断した。しかし、魔眼計画が露見すればオーデル伯爵の二の舞になるとも限らない。
「詳細をまとめて見せろ。それからだ」
「かしこまりました」
若い侯爵は恭しく頭を下げた。




