一花と呼ばれた舞姫学校へ36
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ユイナと別れた後、サマンサは校長室へ戻って来た。ノックしても返事がないので、そっと開けてみると、応接間にドルドランの姿があった。なにやら難しげな顔で手にした紙を見詰めている。
「サマンサです。どうされました?」
戸口から声をかけても反応がない。気になったので近づいて、
「どうされました?」
もう一度声をかけると、そこにいたのかという驚いた顔で振り向かれた。
「戻っていたのか。ちょうどいい。これを見てみろ」
差し出されたのは入学書だった。署名欄には、ユイナの手で自署されていた。その署名があまりにも綺麗に整っており、感嘆の声がもれた。
「クセのない、まるでお手本のような字ですね」
「確かにそうなのだ。これほど整った字はなかなか見る事が……いや、驚くのはそこではない。よく見ろ。貴族しか使わない筆記体を使っているのだぞ。いったいどういう事なのだ?」
ハッとして紙面を見返した。確かに筆記体だ。それも、サマンサから見てもお手本にしたいような、癖のない字なのだ。見様見真似でできるものではない。
得体のしれない、恐ろしさにも似た感情に、入学書を持つ手が震えた。
平民が学ぶことを許されているのは楷書体までだ。いや、楷書体ですら一部の平民が学べるかどうか。それなのに……、
「行商の娘が、どこで貴族教育を受けられるというのだ」
「それは……わかりません」
本当に分からなかった。ユイナという少女がますます謎めいた存在になってきた。
ドルドランはしばらくぶつぶつと独り言をもらしたが、頭を振った。
「彼女が何者であろうと、どうでもよい事だ。大会で美しい演舞を披露するだけでいい」
それからサマンサと視線を合わせる。
「娘の様子はどうだ?」
ユイナのことを聞いているようだ。
「かなり元気がないようです。やはり、友達と離れ離れになったことが辛いのでしょう」
ううむ、とドルドランはうなった。
「あの娘は人見知りが激しいようだ。馬車に乗っている時もかなり怯えていた。反対の席に座るだけでは足りず、体をドアに押し付けるぐらい遠ざかろうとしていたぞ。何もしないからと声をかけても、目を合わせようともしなかった。まさか、あれほど怖がられるとはな……」
「そうなのですか? そこまで他人と接する事を怖がっているようには感じませんでしたが……」
子供達に踊りを教えている時の姿は、活き活きとしていたのだが……。
「とにかく頼むぞ。なんとしてもあの娘のやる気を出させ、大会までに間に合わせてくれ」
「それなのですが、もう一度、選考会を開くことはできないでしょうか?」
ドルドランが怪訝な顔で振り向いた。
「なぜだ?」
「彼女は選考会を受けておりません。無理やり選出するとなると……、他の者から不満の声があがるかもしれません」
「今さら何を言うのだ。ほとんどの生徒は舞踏大会に興味などない。一人補欠に回ったところで、文句を言う者もいないだろう」
「たしかに大半の生徒達は舞踊を二の次にしております。しかし、舞踏大会に出る資格のある生徒達は別です。日々努力を積み重ねております。この学校で長年努力してきた生徒ならいざ知らず、どこの生まれとも分からない少女に代表の座を奪われるのは、屈辱的なことでしょう」
「言いたい事はわかるが、今から選考会の準備には時間がかかり過ぎる。あの娘は課題の踊りも知らないのだぞ。それに、あの娘が気落ちした状態で満足のいく踊りができると思うか?」
「それは……そうですが……」
「とにかく、代表の決定をこれ以上遅らせるわけにはいかない。ユイナを大会に出す。これは決定事項だ。そのために制服を用意し、学費免除まで踏み切ったのだ。今さら後戻りはできない」
「……わかりました」
ドルドランは小太りの体を起こすと、机の引き出しから紙を取り出し、机上に置いた。紙面には舞踏大会に出場するメンバーの名が羅列されている。
「それで、代表から外す者は決まったのか?」
「……はい」
ユイナの入学が決まってからサマンサは悩み続けた。何しろ、どの生徒も自分が手塩にかけてきたのだ。全員を大会に送り出したかった。しかし、ユイナの実力を考えたら、誰かが補欠に落ちるしかなかった。
その者の名を告げる。
「ミグ・マードックです。私の見立てでは、候補に挙げられている十名の中で最下位でした。しかも、九位の生徒とはかなり開きがあります」
「そうか。ミグか……」
ドルドランは腕組みをしてうなった。渋い顔をするのも無理はない。
未来の舞姫学校『ノノル』のために、踊りに専念させた生徒の一人だ。ヘレンの友達でもある。
「ヘレン様が何と言うか」
「言われなくてもわかっている。ちなみに九位の生徒は?」
「イズカルテ・キーデル様です」
「そうか……」
ドルドランは組んだ指の上にうなだれた。
舞姫学校『ノノル』に多大な寄付をしている後援者の娘でもある。彼女を外すわけにはいかない。
「その次は」
「僅差ですが、あの三姉妹かと」
「三姉妹か……」
「はい」
「やはり、ミグしかないか……」
「……ええ」
「気にしてもしょうがない。ミグもユイナの踊りを見れば納得するだろう。背が低い上に踊りも普通となれば、より優勝を狙える生徒に代表を譲るのが当然だとな。これは我が校の名誉にかかわる事だ。舞踏大会はただの行事ではない。いわば学校と学校の誇りをかけた戦争なのだ。非情と言われるかもしれんが、勝つためのメンバーを用意するつもりだ。そのためには何としてもユイナを舞踏大会のメンバーにするぞ」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げたサマンサは、パンッ!という音に顔を上げた。
ドルドランが左手の平に右拳を叩きつけた音だった。
「ようやく返り咲く時が来た。目に物見せてくれる」
その眼にはギラギラとした復讐の炎が燃えていた。




