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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
59/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ35

 

 ***


「ようこそ」


 馬車から降りると、サマンサ教頭が出迎えた。

 微笑みかける彼女は、しかし、感情が抜け落ちたユイナに気付き、ぎこちない笑顔になった。彼女がユイナを見つけなければ、独りぼっちで舞姫学園に来ることもなかった。八つ当たりだと分かっていても恨まずにはいられなかった。


「荷物を持ちましょう」

「大丈夫です……」


 無機質な声に、サマンサが救いを求めるように校長へと顔を向ける。

 校長は気にした様子もなく教員棟へと入り、振り返った。


「何をしている。付いて来い」


 ユイナは無言のままドルドランに従って教員棟に足を踏み入れた。

 道の途中、絨毯の敷かれた廊下で教師らしき女性と出会った。彼女は校長や教頭に挨拶した後、ユイナの黒髪に気付いて息を呑んだ。慣れている事だが、ここでも髪の色で奇異の視線を向けられるのかと思うと、明るい未来は期待できそうもなかった。

 二階に上がり、しばらく廊下を進んだところで部屋へと通された。

 大きな出窓のある明るい部屋だった。磨かれて艶のある机、整然と並べられた本棚、そして来客応対用のソファーと机。その後ろにトロフィーが一つだけ置かれていた。磨かれてはいるが、台座の木は古ぼけて艶を失っていた。

 ドルドランは小太りの体でのそのそと歩き、机から一枚の紙を取り出して戻ってくると、それを応接の机に置いた。


「こっちへ来るんだ。入学書に署名してくれ」


 差し出される紙を見詰めたまま動けなかった。

 入学書に署名すると、誓約によって拘束される。

 本人の意志には関係なく、紙切れ一枚で。

 まるで奴隷に戻ったような気がした。ユイナが幼い頃に経験した人身売買も、契約書一枚で何人もの子供が売られていった。だけど、子供達は文句を言えない。どんなに苦しくても、どんなにまずい食事しか出なくても、貧困にあえぐ世界を子供だけで生きていくのは難しいと分かっているからだ。

 奴隷商人から一緒に逃げて亡くなった親友のシェスを思い出し、目に涙が浮かんできた。


「どうした、何をしている」ドルドランが催促している。


 涙をこらえてソファーに座ると、教頭がペンとインクを置いた。

 ユイナは入学書に目をやった。

 書面にはつらつらと文字が並んでいた。数か月の間だけ舞姫学校の生徒になって皆に踊りを見せる事、他の生徒に危害を加えない事や素性を明かさない事、授業料など免除されている旨が記載されているだけで、別段怪しい箇所はなかった。

 これ以上は先延ばしにできないと思い、名前を書いた。

 校長は入学書を手にすると、教頭に筆記用具を片付けさせながら、舞姫学校『ノノル』についての簡単な説明をした。

 風の大天女テンルを祭っている事。近隣の畑から新鮮な野菜が運ばれてくるので料理がおいしい事。天女の泉から引いてきた水で湯を沸かした自慢の大浴場の事。そして、一か月後に舞踏大会がある事。


「あとは教頭に聞いてくれ。――案内を頼むぞ」

「かしこまりました」


 頭を下げた教頭は、こちらへ向き直った。


「学生寮に案内しますね」




 教員棟の裏口から出たユイナ達は、芝生に挟まれた小道を通り、用水路にかかった橋を渡っていく。その間、一つも言葉を交わしてない。

 ちらちらと振り返るサマンサ教頭が、無言のユイナを扱いにくそうにしているのは明白だった。だが、このままではダメだと思ったのだろう、橋の真ん中あたりで声をかけてきた。


「ねぇ、ユイナさん。今日は授業もあるのだけれど、右も左も分からない状況で参加するのも大変でしょうし、今日一日は学校の案内や決まり事などを教えますね。と、言っても、私は一時限目の講義があるからしばらく部屋で休んでいただく事になりますね」


 それから次の話題を探すように視線を動かし、


「生徒達は朝食をとっている時間ね。あそこに見えるガラス張りの建物が食堂よ」


 ゆるやかな斜面にはうす紫色の花畑が広がっており、その先に朝陽をはじく建物があった。青空を映したガラスの向こうに食事中の少女達がうっすらと見えた。


「朝食は取ってきた?」

「はい」

「そう……。校長もおっしゃっていたけど、料理は泉水で栽培した野菜を使用しているからとてもおいしいのよ。お昼を楽しみにしていて」


 返事の代わりにこくりとうなずいた。


「さ、ここが学生寮よ」


 レンガ造りの建物に入っていく。床は石畳になっており、細長く続く静かな空間にコツコツという足音がやたらと耳に付いた。


「下級生の部屋が一つだけ空いていて、ユイナさんにはそこを使ってもらう事になるわ」


 進んでいく一階の歩廊には色とりどりの光が落ちていた。俯いて歩いていると、純白のスカートに赤や黄色、緑や青色が流れていくのが見えた。


「ステンドグラス、綺麗でしょう」


 話しかけられてぼんやりと顔を上げた。どことなく気を使った瞳が、ユイナを通り越して窓側を見ていた。そちらに目をやると、色鮮やかなステンドグラスが並んでいて、その眩しさに目を背けた。


「この絵柄は神話を忠実に再現しているのよ。災厄の魔神と、勇敢に戦う英雄と舞姫の姿が描かれているの。ガラス職人をウィンスターからわざわざ呼び寄せて作らせたと聞いているわ。だけど、国が違えば神話も違うそうで、作り直した窓もあるとか。他にも、中央通りに並ぶ舞姫の石像や、光や風を取り入れる舞踏館はロートニアを代表する芸術家や建築家が作ったそうよ」


 落ち込んでいる時に、神話だの芸術だの聞かされても何の感情もわいてこなかった。もしも友達と一緒に見る事ができたなら、このどんよりとした心も動いたのだろうか。

 廊下の一番奥まで来たところで部屋に通された。

 レンガと石畳の部屋に、木製のベッドや机が二つずつ、それと金属製の棚や衣装かけが並んでいた。どれも古びていたが、きちんと掃除されていた。数日前だったか、コルフェ達が昼間に来てシーツを干して掃除をしたと言っていた。それがこの部屋だったのかもしれない。

 せっかく元気づけようと話しかけてくれたのに、アレスに叩かれたショックで礼も言う事ができなかった。コルフェ達はその時、どんな顔をしていただろう。今になって思い起こされ、自分の事ばかり考えていた恥ずかしさと自己嫌悪で胸の奥がチクリとした。


「一限目が終わったら案内に来るわね」


 振り向くと、サマンサが部屋から出て扉を閉めるのが見えた。

 ぼんやりと立ち尽くしていたユイナは、荷物を机に置いた。正面に窓があったが、近くに別の寮が並列していて、晴れた空も見えなかった。

 新天地への不安からか、それとも、先行きの見えない未来への恐怖からか、足に力が入らなくて、ふらふらとベッドに腰掛けた。そのベッドは、宿屋の硬いベッドとは違って雲のようにふんわりしていたが、薄暗い部屋のせいかお日様のにおいはしなかった。

 友達の声も、子供達の笑い声も聞こえない。みんなのいる宿屋からはそれほど離れていないのに、異国に来てしまったような気がしてならなかった。

 ユイナは胸を押さえた。薄っぺらな紙に水が落ちてきて破ってしまうように、静寂が胸に染みてきて、重圧でぽっかりと穴が開きそうになっていた。暗い気持ちにのみこまれてはいけないと分かっているのに、そういう時に限って悲しい記憶しか思い出せない。目を閉じた今も、みんなとの別れが荒波のように押し寄せて止まらなかった。

 ミアが目に涙を浮かべていて、

 コルフェが『また掃除の時に会いましょ』と言っていて、

 ルーアがその横でうなずいていて、

 カトレアがやさしく微笑んで『せっかくだから色んな経験を積んできなさい』と励ましてくれて、

 女の子達が憧憬の眼差しを向けていて、

 男の子達が妙に黙っているというかもじもじというか静かにしていて、

 でも、そこにアレスの姿はなかった。


「見送りに来てくれたわけではなかったのですね……」


 アレスが宿に来てくれた時は期待で胸がドキドキしたのに、まさか顔も見せてくれないとは思いもしなかった。見晴らしの良い展望台に呼び出され、そこから突き落とされたような気持ちだった。

 どうしてそこまで嫌われてしまったのだろう。


「力になりたかっただけなのに……」


 世界を救う旅はきっと厳しい戦いになる。だから、少しでも力になりたいと魔術や魔法を鍛錬してきた。そうしなければ、アレスとともに戦う事ができないと思っていた。

 でも、それが彼を苦しめたのかもしれない。

 子供達と遊んでいる時は穏やかでやさしい顔をしている彼が、ユイナを見る時はいつも辛そうだった。力になりたいと頑張ろうとすればするほど、彼の心は離れていくようだった。


「もしかして、避けられているのは、私が(けが)れた人間だからですか?」


 ひとりでずっと考えていた。

 アレスの瞳が子供達を見る時やさしくなるのは、子供の純粋さが、戦いで荒んだ心を癒しているからではないか。アレスにとって、純粋無垢な子供とのふれあいは、救世主という重荷を下ろせる時間なのではないか。

 そんな彼の瞳に、『人を殺せる』と言った私がどれほど汚れた人間に映ったか。

 彼の気持ちを考えただけで恐ろしくなった。後悔で気が狂ってしまいそうだった。

 もし、あの時に戻ってやり直せるなら……。そう思ったが、あの時をもう一度やり直せたとして、彼と離れ離れになると分かっていて、彼の言葉に素直に従えただろうか?

 そんな事はできないと思った。

 きっと、何度やり直しても同じ結果になっていた。

 誰かの力になりたいとこれほど強く思ったのは生まれて初めてだった。それは恋心もあるのかもしれない。でも、それだけではない。彼が目指す平和な世界を、ユイナも夢見るようになっていた。


 世の中には悪い人間が沢山いて、そんな彼らがのさばっていたら、世界はいつまで経っても平和にはならないと思った。たとえば、親友のシェスを殺した奴隷商人や、カトレアを我がモノにしようとした男達だ。そういった連中がこの世から消えてしまえば、世界はきっと平和になる。そう信じたから、アレスが目指す世界のために悪人を倒そうと決意した。


 だけど、


『わかっているのか?』あの時、アレスは厳しい顔で問いかけた。

『敵を倒すという事は、殺すという事だぞ。相手の未来をつぶしてしまうんだ』

『覚悟はできています。私はもう、人を殺しています。世界を救うためなら敵の一人や二人……』


 自分の言葉が頭の中で羽虫のように飛び回り、両手で耳をふさいでうずくまる。


「どうしてあんな事を言ってしまったの……。人殺しなんてするのは他人の命を何とも思っていない極悪人だけなのに……」


 沈む気持ちを振り払いたくて、救いを求めて顔を上げた時、視界の隅で何かが動いた。部屋に誰かがいるのかと思った。だけど、違った。壁際の鏡に、自分が映っていた。そして、そこに映る顔がどことなく悪人の様だった。


「恩人のガモルド男爵やアリエッタを置き去りにして、自分の恋ばかり追いかけている……。私って、こんなに醜い人間だったの……?」


 化粧で綺麗に飾った顔の内側を想うと、寒気がした。

 アレスは分かっていたのかもしれない。戦いに連れて行けば、醜い部分が大きくなり、隠せなくなってくる。そして、醜い人間は周囲の人々にも悪影響を与えてしまう。

 だから、遠ざけられたのではないか。子供達からも、友達からも。

 船の修理はいつ終わるのだろう。終わったら、アレスはユイナを置いてどこかに行くだろう。


「このまま離れ離れなんて嫌です……!」


 大切な人が離れて行って、最後には独りぼっちになるのではないかと思うとたまらなく寂しくなった。心にあいた闇が濁流のようにユイナを呑み込もうとしていた。


「胸が痛いよ……」


 ベッドの上で両膝を抱き寄せ、今にも破れそうになる自分を守ろうとしていた。



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