一花と呼ばれた舞姫学校へ33
***
馬車へと手を振る子供達を横目に、ザイはひとり宿の中へと戻った。それから階段を上がって二階へと向かう。
まだまだ子供だと思っていたが、どうして、立派な女じゃないか。
黒髪少女の制服姿があまりにも美しく、今も目に焼き付いている。
誰かを一目見て驚いたのはカトレアに出会って以来だろうか。
儚げな姿が妙に大人びていた。
「恋する女は美しい、か……」
ザイは廊下を歩き、ある部屋の前で立ち止まった。
「アレス、ちょっといいか」
しばらくして扉が開いた。
「なんだ」
朝が弱いのかいつもより低い声だった。
「あっちでのんびり話をしようぜ」
部屋の奥ではメリル王女が睨みをきかせていた。
大人しくしていればかわいいが、他人を見下した目がどうにも気に食わなかった。
お互い様だ。
ザイはアレスを連れて廊下を歩き、空き部屋に入った。使われていないが子供達が掃除をしているおかげでホコリは見当たらなかった。
話を聞かれないようにドアを閉めてからアレスの背に声をかける。
「せっかく帰って来たんなら見送ってやれば良かったのに。綺麗だったぜ、ユイナ」
「………」
振り返ったアレスは無言だ。無理やり口を閉ざしているようにも見える。なので、追い打ちをかけてみる。
「あの舞姫姿は見ないと損だぞ。カトレアの横に並ぶと、天女とその妹みたいな感じに――」
「別に、彼女を見送りに来たわけではない」
「じゃあ何のために戻ってきたんだよ」
「休憩するためだ」
ザイはため息をついた。
「まだ朝だぞ。もう休憩しなければいけないほど疲れたのかよ」
口を閉ざすアレス。
素直じゃない奴だ。
「あの時、ユイナと何をもめていたんだよ」
「あの時?」
「海上警備隊とかいうゴロツキを追い返した後だよ。遠くてほとんど聞こえなかったが、ユイナと言い合いになっていたじゃないか。ましてや、お前が少女に手を上げるとはな……。テンマが言っていたぞ。かなり辛そうに見えたって」
「いや、それでいいんだ」
「ん?」
「自分がどれほど危険な発言をしたのか、反省すべきなんだ」
「おい、誰の話をしているんだよ」
「もちろんユイナの……。違うのか?」
「ああ、俺が言っているのはお前だよ。ユイナを叩いて、後悔しただろ」
「まさか」
フン、とザイは鼻で笑った。
「言い逃れはできないぞ。テンマが目撃していたんだぞ。動揺しているお前をな。あんな顔、初めて見たと言っていたぞ」
付きつけられる指に、アレスの眉間にしわが寄った。
手荒く指が払いのけられる。
「痛ぇな。人がせっかく心配にしてやってるのに」
「心配してくれと頼んだ覚えはない」
「はいはい。なぁ、本当は叩いてしまった事を謝りに来たんだろ?」
「違う。彼女が舞姫学校へ行くのを確認しに来ただけだ」
「ほぉ、そうですか。さっきは『休憩』だとか言ってたけどなぁ」
「む」
しかめ面のアレス。思わず苦笑した。
「戦いになれば無敵だというのに、人を騙す才能はからっきしだな。――それで、ユイナと何があったんだよ。相談なら乗ってやるぜぇ」
「……まさかとは思うが、楽しんでないか?」
「そ、そんなわけあるかよ。――それより」
ザイは外に声が漏れないように声をひそめた。
「ユイナと何があったんだ? 告白でもされたか?」
「……告白?」
「だから、好きだって言われたのか?」
アレスの目が見開かれる。それから顔をそらした。
「いや、そんな事は言われていない……」
「そうか、まだか。だが、気付いているんだろ? いや、お前ほどの手練れが他人の視線に気付いていないわけがない。男性恐怖症のユイナが、お前を見る時だけはまっすぐな目をするんだ。あの目は好きだと言っているようなもんだ。見ているこっちが恥ずかしくなってくる。あー、考えただけで熱くなってきたぜ」
手で、パタパタと扇ぐ。
アレスは黙り込んだ。何かを考え込んでいるようだが、それを振り払うように首を振る。
「俺のどこに好意を抱くと言うんだ? 彼女を巻き込んでしまった張本人だぞ」
「追手から守ってやったんだろ? それに、カーマルとかいうあの変態貴族から貞操を守ってやった。男から距離を置いてきたユイナからすれば十分に惚れる要素だと思うぜ」
「……思い過ごしだ」
「強情な奴だな。じゃあ、あの時、ユイナからなにを言われたんだよ。お前が叩いてでも止めなければと思うことを言われたんだろ? 例えば……世界の為に戦うお前の役に立ちたい、とか」
「ザイ。本当は話の内容をテンマから聞いているんじゃないか?」
「聞いてねぇよ。あいつの口が堅いのは知ってるだろ。だけど、否定しないという事はハズレではないんだろ?」
「………。ああ、その通りだ」
「別に隠す事でもないだろ」
アレスは逡巡したが、隠したところで付きまとわれる事を理解しているようで最後には諦めた。
「わかった。だが、今から話す事を誰にもしゃべらないと誓えるか」
「誓うぜ。俺の口の堅さは知っているだろ?」
おどけて言うと、
「やはりやめておくか……」
「待て待て、本当に言わねぇよ。冗談に決まっているだろ。誰にも言わない。大天女に誓うぜ。本当だ」
それでも信用されていないのかしばらく黙考――何気にひどいな――した後にうなずいた。
「力になりたいと言われたんだ。俺達と一緒に戦うと。世界を救う戦いには少しでも多くの仲間がいるべきだと」
「ふむふむ、やっぱりな。思った通りじゃないか」
予想が的中した事で得意満面になった。
「一緒に戦うというのはな、お前の傍に居るための口実だ。戦争を経験した娘なら戦争の怖さを知っているだろうに、それでも付いて行こうとする……、けな気じゃないか。俺だったら惚れてしまうね」と、何度もうなずいて見せる。
「だが、殺し合いになるかもしれないぞと脅したら、『殺せる』と返してきた」
「うんうん……うーん? 血生臭っ!?」
思わず大声を出してしまった。
メリル王女に怪しまれないかとドアを振り返り、声をひそめる。
「恋する乙女に何を言わせてんだ」
「言わせたって、俺のせいか?」
「そもそも、本当に『殺せる』と言ったのか?」
「……ああ」と、目を伏せる。辛そうだった。ユイナの口から残酷な言葉が出て来たことに打ちのめされているようにも見えた。言葉は時として世界を変えるほどの力を持つ。たった一言から時代が変わることもある。言葉に感化され、気持ちがそちらに引きずられていくのだ。
ザイは腕組みして考え込み、ぽつりともらす。
「まぁ、それだけユイナも後に引けなかったんじゃないのか?」
「どういう意味だ」
「舞姫学校へ行けと言われて、好きな人から拒絶されているようで、心に余裕があると思うか? そんなユイナに『殺し合いができるか?』という聞き方はまずかったと思うぞ。お前から離れたくないユイナからすれば、『できない』とは言えなかっただろう」
「それは……、そうかもしれないが……」
アレスは額に手を当てた。心の中でもだえている。それが見えるようだ。
「俺にはわからない。どう言えば素直に引き下がってくれた? どう言えば正解だった?」
苛立ちも露わに自問自答している。
「説得は難しいだろうな。お互いの望みが真っ向からぶつかっている。ここは男らしく、ユイナの気持ちを受け止めるのはどうだ?」
両腕を広げ、抱き締める様な身振りをする。
「そうすれば丸く収まるだろ」
アレスが白い眼をする。
「それを、メリル王女が受け入れると思っているのか?」
「あぁ……」
天井を仰いだ。
「無理だな」
それこそ女同士の血みどろの戦いになるかもしれない。女という生き物はか弱い様でいて、男でもゾッとするほど手加減を知らない事がある。やらなければやられるとでも思っているのだろうか。特にメリル王女は容赦がなく、敵に回したくない存在だ。
アレスは椅子に腰かけ、がっくりとため息をついた。その沈み様ときたら芝居がかって見えるのだが、本人は真剣そのものだ。少女の恋慕に、鉄槌が振り下ろされたかのような受け止め方をしている。
律儀なやつだ。だが、それがアレスの良いところなんだろう。
いや、そうだとしても、このまま落ち込まれても困るんだけどな。
「ま、今すぐに結論を出す必要もないだろ。舞姫学校に追い出したんだからな」
「嫌な言い方をするじゃないか」
「事実だろ? ユイナは一人で舞姫学校に行かされたんだ」
アレスは舞姫学校がある方角を見やる。
「ユイナには酷な事をしたと思っている。友達と離れ離れも寂しいだろう。だが、舞姫学校は高い外壁に守られていて警備も厳重だ。俺も安心できる」
「我が子を預ける母親か。舞姫学校は託児所じゃないぞ」
軽い冗談のつもりだったが、睨まれた。眼光に殺気がこもっている。首筋がぶるりと震えるのを感じ、
「悪かった。まじで怖いから、そういう時だけ暗殺者の顔に戻るなよ。……だけどよ、これだけは言わせてくれ。舞姫学校に行かせたのはやり過ぎだったと思うぞ」
「……やり過ぎなものか。ユイナの怖さを知らないからそんな事が言えるんだ」
「は? ユイナの怖さ?」
アレスの殺気の方がよっぽど怖いんだけど?
「まだ十四そこらの少女を怖いってどういう事だよ。ちょっと魔術を使えるだけだろ。怖がってやるなよ」
「俺が言いたいのはそういう事ではない。ユイナの性格だ」
「性格? 人見知りでおとなしい少女のどこが……、ああ、『一緒に戦う』と宣言したところか? 健気でかわいいじゃないか」
「健気も度を過ぎれば災いとなる。普段は慎重なくせに、一度腹をくくると止まらなくなるんだ。たとえ火の中だろうが行くと決めれば飛び込むだろう。彼女にはそういう危うい所がある」
ザイはハッとして口元に手を当てた。
「……なるほど。怖いというのは、自分の命ですら顧みないところか……。言われてみれば、カトレアが捕まった時も暴漢相手に殺意をむき出しにしていたな。アレスが来なければ武器を持った男達に突っ込んでいたかもしれない」
思い返してみれば、ユイナは自己犠牲を厭わず、危険に首を突っ込んできた。
魔力中毒になったペントを助けるために城を抜け出そうとしてテンマに襲われて返り討ちにした。
魔神骨を戦争に利用しようとする危険を訴え、百雷のラインハルトに啖呵をきってみせた。
魔眼の海賊に襲われた時も立ち向かった。
……意外と、度胸あるな。
健気でかわいい少女という印象がどこかに消えてしまう。
「俺は危険な炎から彼女を遠ざけたい。炎に包まれ、焼かれてしまってからでは遅いんだ。失った命は元には戻らない」
そりゃあ、死んだらそれで終わりだろうよ。
「それで、危険から遠ざけるために舞姫学校へ入学させたわけだ。だが、独りぼっちになるのはつらいだろうな。人見知りするユイナからすれば、あそこは牢獄みたいなものだぞ」
「何度も言わせるな。俺の気持ちは変わらない。俺は彼女を巻き込んでしまった。だから彼女を無事に親元へと帰す。それが俺のやらなければいけないことだ。そのために距離を開ける必要があるんだ」
「それはユイナが望んでいることなのか?」
「………」
「ユイナが望んでいないのなら、それは偽善だぞ」
「口出しはするな。彼女のことは俺が何とかする」
「何とかする、か」
「なんだ」
そうやってまた怖い顔する。
「別に、馬鹿にしている訳じゃないぜ。誰かのために本気になれるって事が俺にはないから感心してるんだよ。ま、お堅い者同士、相手を思いやりながらぶつかってみれば何か答えが出るんじゃないか? 俺はどっちも応援するぜ」
“おもしろそうだから”と、心の中で付け加える。
なにしろ、堅物で知られるアレスを動揺させてしまうほどの堅物が現れたのだ。おもしろくないわけがない。
「俺が言いたいのはそれだけだ。じゃあな」
「待てザイ」
部屋を出て行こうとすると呼び止められた。
「さっきの話は誰にも言うなよ」
「わかってるって、お姫様に知られたら色々と面倒だもんな」
「わかっているならいい。それと、これをやる」
「?」
振り返ると、アレスが手の中に隠していた小物を親指で弾いた。キラキラと光る物体が放物線を描いて飛んできた。それを右手で受け止め、確かめると、銀色の指輪だった。顔をしかめる。
「おい、男から指輪をもらう趣味はないぞ」
「よく見ろ。ヘリオンの指輪だ」
もう一度手の中の指輪を見る。銀色の光にあたたかみがあった。
「これが魔毒を中和するという金属……初めて見るぜ。で、どこで盗んできたんだ?」
「勝手に決めつけるな。報酬で手に入れた物だ」
「へー。気前の良い話もあったもんだな。ここまで加工されたヘリオンと言えば貴族が護身用として持ち歩く物だろ? きっと高いはずだぜ」
「ああ、一つ十万ギロするらしい」
「十万!? はぁ、凄いな。で、それをいくつもらったんだよ。俺にも渡すぐらいだ。一つや二つではないんだろ?」
「ああ、俺とメリル王女、それとテンマとザイの分だな」
「四つ……四十万ギロか!?」思わず目を見開いた。
「仕事の報酬にしては豪勢だな。しかし、どんな仕事をしたんだ?」
「……、それは聞くな」
「お、おう」
どうやら触れてはいけないらしい。善良な市民から巻き上げたとは考えられないので、悪い組織に乗り込んでふんだくって来たのだろう。もしくは、昔の伝手で暗殺の依頼を受けてきたとか……。
平和そうな国に見えて、麻薬の栽培など物騒なところもあるからなぁ。
どちらにせよ、綺麗な仕事で手に入れた指輪ではないのだろう。
***
帯状に伸びた炎が、ひらひらと空を泳いでいく。無数の紅いひらひらが、自分の周りを通り過ぎていく。その向かう先には、炎と戯れるように舞う少女。その可憐さに……、
アレスは瞬きした。そして、もう一度瞬きした。
アレスは窓辺に立っていた。窓の外は穏やかな朝。人通りもなく静かなノノルの宿泊街。その向こうには捨てられたヘリオン鉱山が見えた。
彼女の事を考えるあまり、白昼夢を見ていたようだ。
デルボの炎から子供達を救った少女の姿はどこにもない。
子供達もカトレアも、本人ですら、あの時の出来事を覚えていなかった。覚えているのはアレスだけだ。
ザイには伝えておこうかとも思ったが、言えなかった。
ユイナが舞姫かもしれないという事を。
言ってしまえば、舞姫として連れて行くべきだと言われるかもしれなかった。
連れて行くわけにはいかない。
ユイナは巻き込まれただけで、関係ないのだ。
家族のもとに帰す。それが彼女の幸せになると信じて。
『確かに私には大切な家族がいます』
どうしてだろう。ユイナの事を考えると、目頭が熱くなる。
『家族のもとに帰りたいと思った事は何度もありました。ですけど、今はもう、家族にも負けないぐらい大切な友達や仲間ができました。……あなたもです』
思いもよらない言葉だった。多くの人を殺し、血に塗れた心が、その一言で洗われた気がした。
落ち着いた今だからわかる。あの時、胸が熱くなるほど幸せだったのだ。
だからこそ、そんな気持ちにさせてくれた人に、同じ道を歩ませたくなかった。いつ途切れるとも限らない危険な道を。
「もう決めた事だ。振り返る訳にはいかない」
氷のようにさめた瞳でアレスはつぶやいた。




