一花と呼ばれた舞姫学校へ31
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「大丈夫?」
宿のベッドにユイナを座らせ、カトレアは問いかけた。
「……ぇ?」
何を聞かれたのかわかっていないユイナに、もう一度問いかける。
「口の中を切っていることはない?」
「はい……だいじょうぶです……」
アレスにはたかれた頬は、軽くたたかれたようでいて、赤くなっていた。
血は出ていないが、ずっと放心状態になっているのが気になった。
叩かれた事が精神的にきつかったのかもしれない。その前に言い合いになっていたのも気になる。
泣きながら謝るモンシーを抱きしめていたので遠くから見ていただけだが……。
いったい何を言われたの?
聞きたかったが、落ち着くまで触れないほうがいいだろう。
「ルーア達が清掃してくれるから、今夜はゆっくり休んでいなさい。落ち着いたら、夕食を食べに降りてくるのよ? 私はモンシーを診てくるから。ペント、一緒に降りましょう」
「ううん、僕はもう少しここにいる」
「そう。わかったわ。ユイナをお願いね」
「うん」こくりとうなずくペント。
カトレアは部屋を出てドアを閉めた。
小さなため息をつくと、男に殴られた頬が少し痛んだ。
危険な集団だとは思っていたが、暴力を振るってくるとは思いもしなかった。港町の広場で二人組の男を追い返してから二週間以上が過ぎて油断していたかもしれない。負傷したモンシーには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
しかし、心配なのは再び彼らが襲ってこないかという事だ。大事を取り、宿を変えるべきだろうか。だが、ザイの知人が経営しているこの宿ほど格安で泊まれる宿もない。だとすれば野宿か……。それはそれで危険がある。
(みんなと相談する必要がありそうね)
そんな事を想いながら階段を下りていくと、階段下でアレスとメリル王女が向き合っているのが見えた。
「はぁ? どこに行くのよアレス」
メリル王女の声は苛立っていた。対するアレスは穏やかな表情だった。
「寄る所があるので、王女はいつもの場所で休んでいてください」
そう言って玄関を開けて出ていく。その背中があまりにも静かで、逆に不気味だった。
そんな背中を前もどこかで見たような気がした。そして、それが八年前の戦場に向かう朝だった事を思い出し、立ち尽くした。
***
「クソっ! あの野郎ゆるさねぇ!」
岬にある住家に戻るなり、ジバは椅子を蹴り飛ばした。
興奮しているせいか、折れた腕の痛みはあまり感じなくなっていた。
途中でザムザが助けに来るかと思っていたが、顔も見せなかった。それにも腹が立つ。
「てめぇはいいじゃねぇか。あの女の尻をたっぷり楽しめたんだからよ」
「なんだと? お前も腕を折られてみるか?」
「そう尖るな。うるさくてかなわねぇ」
茶々が入り、鼻を鳴らしてどっかりと椅子に腰を落とした。
近くの酒瓶をつかんで中身をあおると、いくらか気分が紛れた。
力の入らない右腕が、鼓動に合わせてズキズキと痛んだ。
この屈辱、どうやって返してやろうか……。
「それにしても、あんな別嬪がいるとはな」
「まったくだ。思い出すだけでも体がうずいてきやがる」
「だけどよ、後からきたあの銀髪、ただ者じゃねぇぞ。二階の屋根から飛び降りて、平然としてやがった。あいつをどうにかしねぇとあの女にはありつけないぞ」
「寝ている時ならどうとでもできるんじゃねぇか?」
ひとりの発言に皆の視線が集まった。
「寝込みを襲うってか?」
「それがいい。野郎は殺して、女は縛り上げようぜ」
「目を覚まして大声を出されたらどうする? すぐに他のやつらが来るぞ」
「相手は寝てるんだ。口を塞いでからすればいいだろ」
「確かに……だが、明らかにあっちのほうが数は多いぞ」
「ほとんどが小さいガキだ。面倒な奴は少ないから、起きる前にナイフで一突きにして終わらせればいいじゃないか」
「ああ、そうだな。この人数ならどうにかできるだろ」
「それなら、誰がどこで寝ているか、下調べといこーぜ」
「言っとくが、あの女を抱くのは俺が最初だぜ」
ジバはぎらぎらと目を光らせながら言った。
「わかったわかった。お前が一番だ。その次は俺がいただくけどな」
「ふざけんな。くじか何かで決めるのが普通だろうが」
その時、古い戸がひとりでに開き、ギギギと音を立てた。
「あ?」
異音に振り返った男達はギョッとした。
「てめぇはさっきの……!」
戸口の向こうに銀髪の男が立っていた。
ジバ達は戸口から離れ、壁に立てかけてある武器を手にした。
ひとりだけのようだが油断はできない。並外れた身体能力を持っている。
銀髪はジバ達の殺気を受けながら建物に入ってくると、立ち止まって部屋にいる人数を数えた。それから手にした紙に視線を落とす。
「これで全員だな?」
「あ? 何が言いたい」
「お前達の事は調べさせてもらった。海上警備隊とは名ばかりで、恐喝や強姦など好き放題にしているそうだな。お前達に良心はないのか?」
「説教をしに来たのかよ」
「いいや、お前達の悪だくみを潰しに来た」
仲間が鼻で笑った。
「一人で勝てると思ってるのかよ。のこのこ出てきやがって」
十対一の戦力差。一斉に斬りかかれば、いかに強い相手でも防ぐのは不可能だ。一撃でも浴びせられれば、あとは動きが鈍くなったところを切り刻むだけだ。
だが、銀髪の男は動じない。それどころか、こんな事を言った。
「俺がなぜお前達を逃がしたかわかるか」
「あ? なに訳のわからない事を言ってやがる」
「そうだな。わからなくていいことだ」
ゾッとするような冷たい声だった。周囲の空気も冷やりとしたものに変わった。
ジバ達は危険を感じて武器を握り直した。
「最後にもう一度聞く。改心する気はないか」
「誰がするか」
「血祭りにしてやるぜ」
「そうか……」銀髪の男は無表情になった。
人差し指と中指を合わせると、虚空をトンと叩いた。そこに魔術の黒穴が生まれる。あまり大きな穴ではない。人の頭が入るぐらいの、神秘の穴を生み出す魔術師からすれば小物だった。銀髪はその穴に右手を差し込むと、ガラスのように透明な剣を引き抜いた。長く、鋭い。
「なっ!?」
戦場で数多の魔術師と戦ってきたが、魔口に手を突っ込んだ人間はいなかった。魔力中毒に侵されるからだ。だが、目の前の男は顔色一つ変えずにそれをした。それどころか、氷の剣を取り出した。透きとおった剣がほんのりと靄をまとって見えるのは、冷気をまとっているからだろう。証拠に、その剣が現れてから部屋の温度が下がった。
銀髪が前に出てきた。
ジバ達は数で押し切るために銀髪を取り囲もうとした。その陣形が整う前に銀髪の体がゆらりと前に傾いたかと思うと疾駆した。あまりの速さに横合いからの攻撃が追い付かず、虚空を切る。
銀髪は前方のひとりに狙いを定めた。迎え撃つ男が上段から剣を振り下ろすが、避けずに腕ごと斬り飛ばし、そのまますれ違いざまに横腹を斬り払った。
包囲の外に抜けた銀髪が振り返るのと、斬られた男が腹と口から血を吐いて崩れるのは同時だった。
あまりの早業にジバ達は凍りついた。
この男には人数など関係ないのだ。数で考えてはいけない相手だったのだ。
圧倒的な死の恐怖が、そこにあった。
ここで終わる……? 馬鹿な! こんな所で終わるわけがない!
俺はいくつもの戦場を生き抜いてきたんだぞ!
だが、体が動かない。敵う相手ではないと体が理解している。
銀髪が歩を進めてくる。死のにおいをまとい、近付いてくる。
「うおおお!」
「おらああ!」
仲間が雄たけびをあげて斬り込んだ。
まずは二人が同時に斬りかかった。銀髪は、すいと半身になって躱したかと思うと、追撃を氷剣で弾きかえし、素早く刃を返して二人目を斬り伏せた。
倒れる男の陰から襲いかかった男も、神速の突きで胸を串刺しにされた。
抜け駆けで逃げようとした男の背に手投げナイフが深々と刺さった。
「うああああ!」
もはや悲鳴だった。
四人、五人……斬りかかった奴から血飛沫をあげていく。
銀髪が振るう神速の豪剣に、武器が両断され、指が飛び、首が落ち、血飛沫が壁や天井にまき散らされる。それはまるで血と肉の嵐だった。
男の首が転がり、しばらくして音が止んだ。
部屋には死体が散らばり、血のにおいに満たされていた。
不意に部屋が明るくなる。
床に転がる死体が蒼白い光の粒子となり、虚空にとけているのだ。
その光に包まれていた銀髪は、ふと、裏手に視線を向けた。
警戒したまま、裏戸を開く。
戸の向こうには小さな裏庭があり、裏庭の柵のさらに向こうには海が広がっていた。夕暮れの海は、少しずつ闇に沈み始めていた。
周辺に目を配った銀髪は、柵に近付いて崖下を覗いてみたが、怪しい人影はなかった。
「気のせいか」
つぶやき、顔を隠すようにフードを目深にかぶると、近くの林に向かい、深くなる闇にまぎれていった。
***
ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!
打ち寄せる波に揺られながら、ザムザは岸壁の窪みにしがみつき、銀髪に気付かれないように息を殺していた。
海に飛び込んだ時に岩礁でくじいた足は、すでに感覚がなかった。
だが、あのまま裏庭にひそんでいたら、確実に殺されていただろう。
とっさの判断で海に飛び込んだのは間違いではなかったはずだ。
(バケモノめ!)
ザムザは口に入ってきた海水を吐き出しながら、このような状況に追い込んだ銀髪を呪った。そして、即座に復讐の方法を考え、にやりとした。
(バケモノには、バケモノを……)




