一花と呼ばれた舞姫学校へ30
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カトレアが殴られ、地面に崩れるのを見た瞬間、ユイナの心は凍り付いた。
思っているより、人はあっけなく死ぬ時がある。
親友のシェスは奴隷商人に殺された。たった一撃、鞭で打たれ、辺りどころが悪かっただけで。
実の両親は兵士に殺された。それも、無実の罪で。
ユイナに舞姫のペンダントを託した女性は、小刀を喉に刺し、自害した。
深く関わった人が、自分と記憶を共有した人が、死んでいく。それは自分を失うほど怖い事だった。
もし、カトレアを失ったら……。
死んでいった人の記憶がユイナを激しく揺さぶった。
息が熱い。全身にズンズンと響く鼓動は、大地を揺るがす魔神の足音のようだ。
足が震えているのは恐怖のせいだ。歯もかみ合わない。
だが、黒い瞳だけは暴漢達をにらんでいた。
欲にまみれた男達が、大切な人を食い物にしようとしている。彼らにとって、他人の命も心も関係ないのだろう。ただ、自分の欲望を満たせばいいと思っている。
心の底から許せなかった。そんな男達がどこにでもいるから、弱者に平穏は訪れない。こんな世の中で、大切な人を失う辛さは、もう耐えられない。
ユイナは瞬きをして死者の幻影を振り払った。そして、
「カトレアさんを自由にしてください」
男達を睨み付けて言った。
凶悪な男達を前に、怖くないわけがなかった。男達に近付こうとする足は立ちすくみそうなほどに震えていた。だが、そんな恐怖は、カトレアを失う恐怖に比べるまでもなかった。
「カトレアさんを自由にしなければ、貴方達を殺します」
時が止まったかのような静けさの後、男達が大笑いした。
「その細い体で何をしようって? 武器も持たずによォ」
「早くこっちに来いよ。かわいがってやるぜ」
ユイナは油断なく相手を見た。
こういう男達は歯止めがきかない。
人でありながら、同じ人を物のように扱う。
親友のシェスを殺した奴隷商人のように。他人の命の上にどっかりと腰を下ろしている。誰かの利益は誰かの不幸からできている。そんな不等な世の中にしたのは、腐った男達だ。彼らさえいなければ、みんなが平和に暮らせるのだ。
こういう男達さえいなければ……!
恐怖は裏返り、殺意に変わった。
黒髪が風に逆らって揺れた。
身に着けた白いワンピースも激しくはためいた。
全身から放たれる負の感情が空間を削り、目に見えないほどの極小魔口を弾かせ、周辺の空気を乱しているのだ。
男達の顔から笑みが消えた。
ユイナが放つ殺気を、文字通り、肌で感じていた。
「待て」
テンマが止めに入る。
「へたに手を出せばカトレアの身に危険が」
「いいえ、そうなる前に私が、終わらせます」
ユイナは一歩前に出た。
男達が武器を構えた。棍棒の先が、ユイナを狙っている。
たとえ呑んだくれでも男達は傭兵だ。いくつもの死線をくぐりぬけてきた力と経験があるのだろう。だが、相手は女だと油断している。魔術を使える事も知らない。付け入る隙は必ずあるはずだ。男達からカトレアを救い出すためにはどう動けばいいか、頭の中で思い描き、それを実行するために右手をかざして魔法陣を開こうとした時だった。
視界の隅、建物の屋上が銀色に光ったかと思うと、男達の集団のど真ん中に、人影が降ってきた。影は音もなく着地し、カトレアを捕まえている男の手首をひねりあげた。
「ぐあああぁぁ!」
その絶叫に男達は振り向いたまま硬直する。アレスがひねりあげた腕が奇妙な方向に曲がっていた。骨が折れているのだ。
アレスは男からナイフを奪い取ると、その男の首に切っ先を向けた。
そして耳元で一言二言ささやくと、男は脂汗を浮かべてカトレアを解放した。
「お前達も武器を捨てろ」
狼のような声で命令する。だが、男達は硬直したまま動かない。
「聞こえなかったか。武器を地面に置いて離れろ。さもなくば武力に訴えるぞ」
不意にバサバサッと羽音がしたかと思うと、上空を無数の黒い影が横切り、建物の屋上に群がった。メリル王女が操るコクシチョウと呼ばれる怪鳥だ。屋上の端にひしめき合う黒い瞳が男達を見下ろしている。
不気味な光景に、男達は視線を交わした。その視線には迷いがある。
戦うのか、それとも引き下がるのか……。
いつ攻撃してきても応戦できるようにユイナは身構えた。
結論が出たのか、男達はのっそりと動いた。警戒しながらもそろりそろりと武器を地面に置いていく。降参を認めたのだ。
全員が武器を手放すのを見届け、アレスは捕まえた男を突き飛ばした。
「去れ。そして、二度と仲間に手を出すな」
男達はアレスやザイの攻撃がこないかと気を張り詰めた様子で、だが、自尊心が許さないのか、走って逃げるような事はせず、悪態をつきながらこちらに歩いてきた。
「おい、道を開けるぞ」
テンマに引っ張られ、ユイナはふらつきながらも道の端によった。
膝がガクガクと震えていた。テンマの袖にしがみついていないとまともに立っていられないほどだ。男達と戦わずに済んだ事で、張りつめていた緊張が解け、抑圧していた恐怖が表に噴き出したのだろう。
男達が宿泊街から出ていく。
アレスはそれを見届け、こちらに近付いてきた。
ユイナは、脚の震えをどうにか抑え込み、助けに来てくれた事に感謝を伝えようと歩み寄った。ところが、アレスの厳しい眼差しに気付いて立ち止まった。
「また魔術を使おうとしたな?」
怒っていることが低い声でわかった。
そして、怒られていることにひどく動揺した。
渇いたのどがヒリヒリとした。
だが、何も悪いことはしていない。
「確かに使おうとしましたけど、そうしなければカトレアさんが連れて行かれると思ったからです。それに、魔術が世界を壊しているのは十分に分かっているつもりです。ですから、アレス達がしているように、魔術の穴を魔法でふさぐ事も忘れてはいません」
「そんな事は関係ない。もう二度と力を使うな。君は戦士ではないと言ったはずだ。危険に飛び込む必要はないんだ」
「私は、そうは思いません」
「なに?」
鋭い眼光でにらまれた。だが、引き下がるわけにはいかなかった。ここで身を引けば、彼との旅が終わってしまう。
「私がこの力を手に入れたのは、きっと、あなたと一緒に戦うためです。海賊に襲われた時、私は力になれたはずです」
アレスは首を横に振った。
「君は戦場を甘く見ている。殺さなければ殺される世界で、たった一度のミスが君の人生を終わらせるかもしれないんだぞ。それは相手も同じだ。だから、死に物狂いになる。死を前にした人ほど、怖いものはない」
その言葉は、英雄と呼ばれ、いくつもの戦場をくぐりぬけた彼だからこそ重みがあった。
「そんな危険な場所に、女性である君を連れて行くことはできない」
ひとりの女性として扱われる事がうれしくもあったが、ユイナが求めているのはそんな事ではない。
「メリル王女はどうなのですか。一緒に連れて行っているではないですか」
「彼女は特別だからだ」
「許嫁だから?」
「そういう訳ではない。彼女には帰る場所がない。国や身内を敵に回したのだからな。だが、君には家族がいる。帰る場所があるんだ」
「それは……確かに私には大切な家族がいます。家族のもとに帰りたいと思った事は何度もありました。ですけど、今はもう、家族にも負けないぐらい大切な友達や仲間ができました。……あなたもです」
アレスは一瞬、目を見張った。だが、すぐに頭を振った。
「これ以上は平行線だ。俺は君を戦場に連れて行くつもりはない」
「嫌です」
きっぱりと答えた。誰かに対してこれほど強情になったのは生まれて初めてかもしれない。それほど傍にいたいのだ。
「言う事を聞け」
「なぜですか。アレスはみんなの気持ちを尊重してくれる人なのに、なぜ私の願いは聞き届けてくれないのですか。私はあなたの力になりたいのです……。それに、世界を救おうとする方が、この人数でどうやって戦うのですか。私たちはもう、シルバート国を敵に回しているのですよ? 敵を倒すだけの戦力が必要なはずです! 今はひとりでも多くの」
「わかっているのか? 敵を倒すという事は、殺すという事だぞ。相手の未来をつぶしてしまうんだ」
「覚悟はできています。私はもう、人を殺しています。世界を救うためなら敵の一人や二人――」
言った瞬間、パンッと乾いた音がした。
アレスの後方で、遠目にもみんなが驚いているのが見えた。
頬をはたかれたのだと気付くのに、しばらくの時間が必要だった。
叩かれた? アレスに?
「命を軽く見ている奴を、戦場に連れて行くわけにはいかない」
しぼりだすような声だった。
「頭を冷やしてこい。一人で舞姫学校へ行けば、少しは冷静になれるだろう」
(うそ、でしょ……?)
血の気が引いていく。
アレスが拒絶するかのように背を向けて歩き出した。
追いかけたいのに、足がまったく動かない。
まるで目の前に、跳び越える事のできない巨大な溝ができてしまったようだ。
その距離がどんどん広がっていく。
(待って……待って……!)
のどがしぼられたように渇き、叫ぶどころか、呼吸をすることすらままならない。
絶望がユイナを包み込んでいた。
視界が狭くなり、足がぐらつき、その場にへたりこんだ。
今までユイナを支えてきた想いが、音を立てて崩れていった。
5/29 表現の修正をしました。内容に変更はありません。




