闇夜の賊と月夜の踊り子4
「海賊……? 狙われているの?」
右腕を立てて起き上がったカトレアの額に、彼女の特徴とでも言うべき長い銀色の髪がかかる。アレスの指示で彼女を起こしにきたユイナは首を横に振り、「狙われているのは私達ではなくて他の船です」と答える。
「近いの?」
「いいえ、かなり遠くにいます。それで、カトレアさんに甲板まで出てきてほしいんです」
カトレアは片目にかかる銀髪をかき上げ、両目でユイナを見据える。
「襲われている船を助けるつもりね」
「たぶん、そうだと思います」
「分かったわ。行きましょう」
ネグリジェ姿のカトレアは、すらりと伸びる足をベッドから出し、きびきびとした動作で靴を履いて立ち上がる。ひざ裏まである白銀の髪が、シーツの上を滑って広がり、窓からの星明かりを浴びて、月よりも白く輝く。カトレアは近くの机からリボンを取り出すと、サッと空中で伸ばし、広がる銀髪を両手で首筋に集め、肩の後ろで束ねた。
「急ぎましょう。のんびりしていたら救える命も救えなくなるわ」
「はい!」
返事をしたユイナは机に置いていたランプを持ち、先に歩いていくカトレアの左側に並んで、暗い通路を照らした。
カトレアは、銀狼のアレスと同じ血を引くだけあって女性としての体格にも恵まれ、横に並ぶとまずはその背丈に驚かされる。どちらかというと小柄なユイナの目線は、彼女の胸と同じ高さにあり、その胸があまりにふくよかなので視界の半分が極端に狭く感じた。視線をついと上げてカトレアを見上げると、彼女の顔は凛として前方だけを見据えている。
「怖がらなくても大丈夫よ」
「え?」
「さっきから視線が落ち着いてないし、ランプを持つ手も震えているわ」
言われて手元に向けると、ランプの中で炎が小刻みに震えており、ユイナは硬い笑みをもらす。
「わたし、怖がっている、みたいですね」
「心配しなくても、海賊に近付くようなマネはさせないわ。戦えない小さな子供達もいるんだもの。でも、海に飛び込んで生き延びている人もいるかもしれない。助けられる命を見捨てたくはないでしょ? 見て見ぬふりをしたら後味が悪いもの」
「は、はい……」
「ほら、どうしてそこで暗い顔をするの」
強張る肩に手を置かれて、ほぐすように撫でられる。
「すいません」
「それで、海賊の船は何隻?」
「遠目に見たかぎりでは、一隻に見えました」
そう、と返事があり、カトレアは右手に現れた甲板への階段を上っていく。その足もとを照らすようにして付き従う。が、半分ほど上ったところでカトレアが振り返った。
「一応、ランプの灯は消しておきなさい。少しでも暗くしたほうがこちらの船も暗闇に紛れやすいわ」
ユイナは頷き、火を消すと、辺りは一気に暗くなる。残りの階段は、階上から差し込む星々の明かりを頼りにして甲板へと出た。
辺りを見回し、右方の黒い海原に小さな紅い点を認める。帆を燃やされながらも逃げようとする船と背後から追いかける船。その追走劇は水平線で行われている。逃げる方の船は帆を燃やされて船足を鈍らせ、通路の窓から見た時よりも、かなり距離が縮まっている。もう少ししたら海賊に追いつかれ、略奪が始まるのだろうか。
遠くにいるのに、妙に落ち着かない。それはそうだ。こちらから船が見えるという事は、相手からもこちらが見えることになる。見つかったら、たとえ離れていても追いかけてくるだろう。
盗賊……それは飢えた獣だ。誰かのモノをどれほど奪っても満腹にならない貪欲な獣だ。だから、その獣がこちらに気付いていないうちに、他の船が狙われているうちに、離れるべきだ。今ならまだ、襲われている人を知らないから、見捨てられる。
灯火の消えたランプを持つ手に力が入る。すると、船首の方からザイが近づいてきた。
「カトレアが来たという事は、向こうで襲われている船を助けるかどうかを話し合うんだな?」
「そうみたいね。他の人たちは?」
「アレスが呼び集めています」
ユイナがそう答えていると、階下から足音が聞こえ、銀狼とメリル王女、それに船長のシュガースが甲板に上がってきた。それぞれが現場の海域へと視線を向け、船長は望遠鏡で、現状を把握する。
「そろそろいいか?」
現状確認が終わるのを待って銀狼がいい、皆が首を縦に動かす。輪の外にいるユイナも一緒にうなずき、銀狼を中心として話し合いが始まった。
「見ての通り、海賊に襲われている船を発見した。一応、海賊とは戦闘せず、海賊の襲撃から生き延びた乗組員を拾いに向かう事にする。それに対して異論のある者は――」
「ないわ」とカトレア。
「俺もない」とザイ。
銀狼はみんなの顔を見回し、全員一致で賛同されていることにうなずき、「それでは助けに行くとして、どのようにして、どの経路をとるかだが、――メリル王女。海図をお願いします」
「わかったわ」
両手のつかえない銀狼に代わってメリル王女が海図を取り出し、片方をカトレアに持たせてみんなの前に広げる。ウィンスターへの航路を記した図のようで、右側にウィンスター大陸の南部とシルバート大陸の北部が描かれ、左側に描かれているヴィヴィドニア大陸とソイルバイン大陸は半ばで途切れていた。大洋の部分には航行の注意点らしきものが文字で書き込まれているが、星の明かりだけでは識別しづらい。
「ユイナ。悪いけどもう一度ランプをつけて頂戴」
カトレアの指示で手早くマッチを擦り、ランプに火を灯して、海図に明かりを向ける。灯火が周囲にもれないように皆が輪を狭めた。
「北北西に見える群島は海図にある“海の壁”の先端だから、今はここだ」
銀色の爪で指し示し、念のために船長の確認をとる。
「それで間違いないな? シュガース」
「間違いない」
群がった島々が壁のように連なり、大洋を抜ける航路を南北で二分している。シルバート方面へは南の航路を、ウィンスター方面には北の航路を使うらしかった。
「海賊に見つかった場合は、こちらまで狙われる可能性がある。それで、海の壁とも呼ばれる群島の陰を利用して現場に近付き、海賊が見えなくなるまで離れるのを待って群島を迂回し、救出に向かおうと思う」
「待ってください」
手を上げて言うと、みんなが振り向いた。ザイやカトレアはまっすぐこちらを見てくれるが、シュガースとメリル王女は“要人以外の人間がなんでここにいるのか”とでも言いたげな顔をしている。少し嫌な空気だ。
声を詰まらせるユイナに、銀狼が首を傾げる。
「どうした? 些細な事でもいいから遠慮せずに言ってくれ」
「あの、海賊は無人島を根城にしている事が多いんですよね? もしそうなら、今から近付こうとしている場所にも海賊が潜んでいるとはかぎりませんか?」
「ユイナと同じ事を俺も心配している。問題は、その群島に海賊が潜んでいるかどうかだ」
銀狼の言葉に、シュガース船長は「あり得ない」と首を横に振る。
「あれだけ密集した岩場に船が停泊できるわけがない。海図にも書いてある通り、あそこが海の壁と呼ばれるのは島々の間を通り抜けられないからだと聞く。おそらく座礁するほど海が浅いのだろう。船の事を知っているやつだったらそんな危険な場所に近付くやつはいない。それに、たとえ通れるだけの道を見つけて停泊できたとしても、嵐が来たら終わりだ。荒れる波で岩場に打ち付けられ、船底がずたずたになって航行はできなくなる。そんな場所を母港にするやつはいない」
「そうか。だが、海賊はどこから現れて襲ってくるかわからない。周囲への警戒は怠らないようにしよう。風向きが少々悪いが、明け方には現場につく予定だ。それまで休める者は休んでおいてくれ。現場に近づいたら、前もって決めておいた持ち場についてもらう。以上だが、他に何かあるか?」
銀狼は言い、皆が沈黙を守る。
「よし、それでは解散だ」
その号令で話し合いは終わった。メリル王女が銀狼を見上げる。
「アレス、私は寝るわ」
「ええ、そうしてください。私は見張りをしておきます」
銀狼は言って王女を見送り、はるか遠くの紅点へと目を向ける。
燃える船と海賊船はほぼ重なっているように見えた。望遠鏡を覗いたシュガースの話だと、もうすぐ横に並ばれるようだ。船を呑み込む炎は勢いを増しているのか、紅い点が大きくなった気がした。
「海に飛び込む人がいるとして、助けにいって間に合うか?」
「飲まず食わずでも漂流物につかまっていれば助けられるといったところだろう。それも、波が悪くならなければの話だがな」
「――ユイナ、何をしているの」
振り返ると、カトレアが階段の近くで手招きしていた。
「私達も休んでおきましょう」
「……はい」
待ってくれるカトレアの横に並び、足を進める。だが、彼は休まないのだろうかと思い、階段の前で振り返った。
幾万もの星々が輝く夜空の下、銀色の狼が遠い戦場をのぞみ、血がにじむほど唇を噛み締めている。
なんとなく、彼の気持ちが分かるような気がした。本当は、今すぐにでも襲われている人を助けたいのだ。でも、この船には戦う事もできない子供達が乗っていて、彼らを危険に晒すわけにもいかない。だから、海賊が去っていくまで救いに行けないことを悔しがっている。
ユイナも唇を噛み締めた。襲われている人を助けにいけない事にではなく、襲われる事を恐れてアレスと同じ気持ちになれない自分に、唇を噛み締めていた。