一花と呼ばれた舞姫学校へ25
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「どうしてあの夜の踊り子がユイナだってばれたんだろ。みんな秘密にしていたのに……っ」
ミアの声は少し怒っていた。
場所は、ユイナとペントの部屋だった。二つあるベッドに、ユイナ、コルフェ、ミア、ルーア、それにペントが腰かけて向かい合っていた。話題はドルドランが突然訪問してきた事についてだ。
「誰かが告げ口したのかな」
勘繰るミアに、コルフェが言った。
「詮索はやめときましょうよ。今さら言ってもしょうがないもの。それよりこれからどうするか、よね?」
その一言でみんなの視線が集まり、ユイナは返事もできずに膝上の両手を見つめた。妙な間が空いてしまった。
気を取り直すようにミアがしゃべる。
「それにしても、とんでもない事になったね。貴族の人からお誘いがあるなんて」
「僕もどきどきしちゃった」
舞姫に夢を抱いているペントは興奮気味だった。その様子を見ていると、なおさら、舞姫学校に行きたくない事に罪悪感を覚えてしまう。
「元気ないねユイナ」
「う、うん……。ちょっと、ね」
「もしかして敵が攻めてきた時の事を心配しているの?」
「……」
「大丈夫だって。アレスは、ユイナを置いてどこかに行くような事はしないよ。だから気にせず自分のやりたい事をした方がいいと思う」
気を使ってくれているのは分かるが、今のユイナにはそれがもどかしかった。
よく知らない相手からの誘いだし、一人で行くのも寂しいし、なにより、帰ってくるアレスに会えないのが辛かった。ただでさえ会えない時間が長くて恋焦がれているというのに……
「こんなチャンスは滅多にないよ?」
勧めてくるミアにユイナは眉をひそめた。
「分かってる……分かってるけど……、私は、一人で舞姫学校に行きたくない。舞姫学校の清掃に行くのが楽しかったのは、みんなと一緒だったからだよ。一人で行くのは寂しい……みんなは良い事だと思うかもしれないけど、私は嫌だよ」
「あ……」
コルフェ達が胸を突かれたような顔をしていた。でも、言葉は止まらない。
「他国の舞踊にはもちろん興味はあるけど、まったく知らない人からのお誘いは怖いよ。だって、舞姫学校の生徒を発奮させたいという理由だけで、無名の私に無償で制服を与えたり、授業料を免除したり、それどころか礼金まで用意するのはおかしいとは思わない? みんなは裏に何かあるような気はしないの?」
「それで乗り気じゃなかったんだね……。気付かなくてごめん」
謝られると逆に胸が痛んだ。彼女達は悪くない。舞姫学校へ行くのを勧めたのもユイナの為であって、礼金欲しさではないはずだ。
「ごめん、私のためだと分かっているのに……」
ううん、とミアが首を横に振る。
「これはユイナの問題だもの。ユイナが決めるべきだよ」
「私もそう思う」とコルフェ。ルーアも首を縦に動かしている。その横でペントが残念そうに「僕もそう思う」と言った。
ユイナは心を決め、カトレアの所へ向かった。舞姫学校のお誘いを辞退すると告げるためだった。話を聞いてくれたカトレアは最後に一言だけ「貴女が決めたなら、そうしなさい」と理解を示してくれた。これでユイナの舞姫学校行きはなくなるはずだった。
開け放した窓から春風が吹き込んできた。頬にかかる黒髪を耳にかけていると、読んでいた薬術の本がパラパラとめくれ上がり、ユイナは「ぁ」と声をもらした。進んでしまったページを戻し、続きを読もうとしたところで、今度は廊下からドタドタと足音がした。何事かと怪訝に思ったが、すぐに気付いた。二階の窓から身を乗り出すと、メリル王女の後ろ姿が玄関の方へ消えていくのが見えた。
アレスが帰ってきたのだ。
階下へと急ぎ、玄関を出ると、
「「「おかえりー」」」
アレスはすでに子供達の歓迎を受けていた。長旅で疲れているだろうに遊びに誘われたり、せがむモンシーを片腕で抱え上げたりしていた。それは見慣れたいつもの光景だ。しかし、輪に加わろうとしたユイナは、ふと、違和感に足を止めた。
子供達の相手をするアレス……その笑顔が、どことなくぎこちなかった。
もともと軍人育ちで硬い印象のアレスだが、子供の笑顔を前にして笑顔にならない事はなかった。それが今は硬い表情をしている。
何か心配事でも……?
気になって様子をうかがっていると、子供の相手をしていたアレスが、誰かを探すように頭を巡らせた。通りから玄関先に向けられた視線は、ユイナの所でピタリと止まり、穏やかな眼差しに変わった。
その眼差しに胸の奥をなでられたような気がした。意味が分からず、目で問いかけようとすると、アレスは視線をはずし、男の子達に誘われるまま川の方へ遊びに行ってしまった。
「はぁ~」
男の子達に混じってまで川遊びに行く勇気を持てなかったユイナは、部屋で薬術の本を開きながらため息をついていた。
アレスが見せてくれた安堵は何だったのだろうか……。
そればかりが気になって薬術の勉強どころではなかった。開いたページから一つも進んではいない。
「あぁっ」
ため息ともうめき声ともつかない声が漏れ、本の上に突っ伏した。
あの時、追いかけて問いかければ良かっただろうか。
“先程の眼差しはどういう意味ですか?”
問い詰めて困らせ、自分に目を向けさせれば良かったのかもしれない。
空想の中ではそれができたし、アレスの気持ちを引き付けられるような気もした。しかし、それは空想だった。現実には一歩も動けなかったし、もし、子供達がいるあの場で無理にでも聞こうとしたら、アレスへの恋心に気付かれてしまう恐れもあった。
何もしなくて良かったと思う反面、解決しないもやもやで悶えた。
あの穏やかな眼差しには、とても大切な意味があったのではないか。
「あぁ…っ」本日二度目の。
「どうしたの?」
後ろからの問いかけにガバッと振り返った。
戸口にペントがいた。川遊びから帰ってきたらしい。
「な、なんでもないよ。それより濡れてるね。拭かないと風邪ひくよ」
椅子から立ち上がってタオルを用意しようとしていると、
「自分でやるからいいよ。あ、それと、アレスがユイ姉さんのこと呼んでたよ」
驚きと喜びのあまり弾かれたように振り返っていた。
「アレスが私を呼んでるの?」
大げさな反応にペントは小首を傾げていたが、
「うん、二人きりで話がしたいんだって」
またもや鼓動が早くなるような事を言う。
「ふ、二人きり……?」
顔が紅潮していくのを止められなかった。
しかし、すぐに疑念で曇った。二人きりでする話が、自分にとって良いとは限らなかった。
追手が来ているのだろうか? しかし、だとしたらみんなと話し合うべきであって、二人きりで話をするのはおかしい。
「話って、どんな話?」
「わからない。詳しく教えてくれなかったから。でも、悩んでいるみたいだった」
「そう……。わかった。ありがと」
何かに悩んでいるようだが、何に悩んでいるのかはさっぱり分からない。とにかく会って話を聞くしかない。ユイナは祈るように胸に手を当て、アレスの待つ部屋へと向かった。




