一花と呼ばれた舞姫学校へ24
***
宿泊街の裏手にある高台に馬車が止まった。
教頭が窓の外を指差した。
「あそこにいる、黒髪の娘です」
ドルドランは身を乗り出し、車窓から町を見下ろした。
ヘリオン鉱山の閉山に伴い、出稼ぎ労働者が去った町に子供達がいた。彼らは何人かのグループに分かれて踊りの練習をしているようだ。そして、教頭が指し示す先に黒髪の少女がいた。少女は、子供達が踊るのを見て回っていた。
ひとりの子供が、黒髪少女に近づいた。うまく踊れないらしく教えを乞うていた。
黒髪の少女は、子供のつま先に触れたり、背中に触れて背筋を伸ばさせ、身振り手振りで何かを説明した。それから実際に演じる事にしたらしい、周囲の子供達が一挙手一投足を見つめる中でくるりと回ってみせた。
肩にかかる黒髪を風になびかせ、細くしなやかな身体が、風に舞う花びらのように回った。
ドルドランの胸がざわついた。
その場でくるりと回っただけなのに、ただそれだけなのに、どうしてそこまでに美しくなれるのだろう。
「清掃の女は週に一度だけ深夜に訪れるのです。もしかしたら校長が見た舞姫というのは……」
教頭の言葉が耳に入ってこなかった。
ドアを開け、馬車を降り、もっと近くで見たいと道の端に立つ。
「まさかまさかまさか……そういう事なのか……」
ずっと追いかけていた踊り子の幻影と、少女の姿が一つに重なっていく。
少女を見れば見るほど、あの夜の踊りを思い出す。
「間違いない……見間違えるはずがない……月夜の舞姫だ。夜に踊っていたのは掃除の娘だから……、破格の報酬にも応じなかったのは生徒ではなくその場にいなかったから……。それなら辻褄が合う。いや、そうとしか考えられないではないか」
ようやく見つけた探し人に歓喜の笑いがこみ上げてきた。居ても立ってもいられなくなり、道から飛び出し、短い脚を懸命に動かして草原の斜面を駆け下りていった。服が汚れるのも構わず、草に足を取られて転びそうになりながら、いや、最後は本当に転び、顔面で着地した。
「ぐおぉぉっ」
かなり痛い。治りかけていた顔のキズが再び開いたような気がする。しかし、そんな痛みなどどうでもいい。立ち上がり、猛然と広場へ突進していく。
その前に立ちはだかったのは、広場のベンチに座っていた青髪の男だ。
「おい、そこで止まれ」
「うぉ!?」
どこから取り出したか、棍棒を突き出してドルドランの行く手をはばんだ。
接近者の存在に気付いた子供達が警戒の目を向けてきた。
ただ近づいただけで何を恐れるというのか。
私は貴族だぞ、野蛮な賊とは違うのだ。
「おっと、それ以上近づくなよ」
棍棒の先が鼻先に付きつけられ、のけぞった。
「な、何だ貴様は」
「俺か? 俺は、こいつらの保護者だ」
髪を掻き上げる男の後方では、嫌そうな顔の子供達が、
「いつからそうなったんだよ。見張りはテンマさんに任せていつも昼寝してるくせに」
「うるさい。今は俺が守ってやってるんだぞ」
「カトレアさんに頼まれたからだぜ、きっと」
「……言ってくれる」
青年は口をゆがめた。その横で放置されたドルドランの眉間にもシワが寄った。
「仲間割れはやめろ。話が進まないではないか。私はその娘に用があるのだ」
「はぁ? どこの誰だか知らないが、素性の分からない奴を近づける訳にはいかないんだよ」
無礼な男だ。長身で、上から見下ろしているのも気に食わない。
だが、武器を向けられては下手に動けなかった。
『そこの貴方! 武器を下ろしなさい! 私達はお願いに来ただけですよ』
血相を変えたサマンサ教頭が駆けつけてきた。
青髪の男は胡乱げな顔をする。
「お願いだぁ?」
ドルドランはうなずく。
「私は舞姫学校『ノノル』の校長をしているドルドランだ。そこの黒髪の娘と話をしたい。もちろん危害は加えない。大事な話をしたいだけだ」
夢にまで見た舞姫がそこにいるのだ。何としても引き入れたい。
ドルドランが視線を向けると、黒髪の少女は怯えたように身を強張らせた。
「話ならそこでもできるだろ」
男はあごをしゃくってみせた。いちいち癇にさわる男だったが、少女に話しかける好機を手に入れたのだ。文句をグッとこらえ、できるだけ穏やかな声で少女に語りかけた。いや、そのつもりだった。
「私はずっと、とある舞姫を探していた。雨が降ろうが、風が吹こうが、どんなに眠たかろうが、痛い思いもしながら何日も、何日もっ!」
寝ずに耐えた夜の寂しさや、地面で顔を削った痛みや、いかつい女に足蹴にされた屈辱がよみがえってくると、ついつい語気が厳しくなった。
黒髪少女がこちらを凝視したまま怯えているので「コホン」と咳払いを一つ。
「十日前、真夜中の校内で踊っていた者がいる。――身に覚えがあるだろう?」
鎌をかけてみると、黒髪少女は目を見開いたまま石像のように固まった。傍にいた少女達の視線がドルドランと黒髪少女の間を行ったり来たりして動揺している。それで確信した。
「やはりそうだったか」
ビクリと肩を震わせて後ずさりする黒髪少女。
「貴様だったのか、夜中に踊っていたのは」
「ご、ごめんなさい。さぼった訳ではないのです。ちゃんと清掃は終えていました。ただ、真夜中の舞姫学校が初めてだったので舞い上がってしまい、踊っていました……」
「誰も責めてはいない。むしろ礼を言いたいぐらいだ」
「……?」
漆黒の瞳から問うような眼差しが向けられた。
「舞姫学校に来い。貴様を舞姫として迎え入れてやる」
子供達がどよめき、ささやき合った。
「舞姫学校ってあれだよね?」
「貴族が花嫁修業する所だよ」
「すごい」
だが、言われた本人は目を見開いて怯えている。
「い、嫌です」
その返答にドルドランは首を傾げた。
「貴族と同じ経験をさせてやると言っているのだぞ」
名誉なことなのに、なぜ嫌がる?
怪訝な顔のドルドランにサマンサが耳打ちした。
「(もしかしたら友達と離れるのが嫌なのではないでしょうか? 学校に行けば今のように友達と遊べなくなってしまうから寂しいのでしょう)」
「(ふむ、そういうものか?)」
女ばかりの舞姫学校で育ってきたドルドランにとって、同性の親しい者がおらず、友達という存在がいまいち理解できないのだった。幼い頃は上級生の令嬢にかわいがられていたが、それは友達とは呼ばない気がした。とにかく、今は教頭の言葉を信じる事にした。
「よし、友と離れるのが嫌なのであれば、週に一度ぐらいは会える時間を作ってやろう。それならどうだ?」
「そ、そんな、勝手に決められても困ります」
「では、どうすればいい。どうすれば我が校に来てくれる?」
「そ、それは、私ひとりでは決められません。カトレアさんと相談しないと……」
逃げるように言う。
(カトレア? 母親か何かだろうか?)
「わかった。その者と話をしよう。どこにいるのだ」
問いかけると、互いに見合った子供達が肩を寄せ合って密談を始めた。
「(どうする?)」
「(会わせる?)」
「ユイ姉さんもこっち」
呼ばれたらしい黒髪少女とその傍にいた少女達もその輪に加わる。しばらくして答えが出たのか、十歳にも満たないような男子が先頭に立ち、「おっちゃん、案内してやるからこっちについて来いよ」と偉そうに言った。
「お、おっちゃん?」
こめかみが、ピク、と反応したが我慢して従う事にした。横に並んだサマンサが気を使ったか、声をひそめた。
「(まだ子供で礼儀を知らないのでしょう)」
「わかっている」
だが、礼儀を知らない以前に、侮られているような気がした。
平民が貴族の事をどう思っているのかは知らないが、土地を与えられている関係上、波風を立てないように従順な態度を見せるのが当たり前だと思っていたのだが……。
子供達の後方を歩きながら、ふと、彼らの髪に目をとめた。灰色の髪だ。
彼らはヴィヴィドニア大陸の生まれではないらしい。灰色の髪と言えば、子供の頃に何度か港で見かけた記憶があった。確か、シルバート大陸の人間だったか。
もしかすると彼らは流民なのかもしれなかった。だから貴族に頭を下げる必要もないのかもしれない。
しかし、貿易商人ならいざ知らず、こんな子供が海を越えてきて何の得があるのだろうか。何やら訳ありの集団な気がしてきた。
案内されたのはとある宿屋だった。客足はほとんどないだろうに、玄関先の花壇にも手入れが行き届き、小奇麗にされていた。
玄関の前にやってくると、買い物かごを片手に出かけようとする中年女性と出会った。彼女はドルドランとサマンサを見ると目を見開いた。
「こ、こんにちは。何かご用でしょうか……?」
「カトレアという者と話をしたい」
貴族がわざわざどうして? という顔をした女性だったが、
「彼女なら中にいます。どうぞお入りください」
出てきたばかりの玄関を開けてドルドラン達を促す。
それから奥に向かって声を張り上げた。
「あなた、貴族の方がいらっしゃいましたよ」
『ん? なんだって!?』
カウンターの奥から宿の主人らしき男が顔を出し、慌てて駆け寄ってきた。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました。……あの、本日は何のご用で?」
恐る恐る問いかけた主人の横で先ほどの女が口を開く。
「カトレアさんに話があるそうです」
「あ、ああ、そうでしたか。彼女なら二階にいます。ご案内します」
「案内なら俺達がしてるから大丈夫だよ。なぁ、おっちゃん」
子供の言葉に主人はぎょっとした。額に冷や汗を浮かべながら頭を下げる。
「も、申し訳ありません。まだ子供でして……」
「わかっている」
主人は何度も頭を下げ、「すみません。私が案内いたします」と言うと、女に水の用意を頼んだ。
「どうぞこちらへ」
主人は低姿勢で二階へと先導していく。貴族の来訪ですっかり恐縮したようだ。
そう、これが普通の反応だ。私は貴族。しかもただの貴族ではない。舞姫学校の校長だ。このロートニア王国で四名しかいない偉い存在なのだ。
子供に踏みにじられた自信が息を吹き返してきた。
手すりつきの階段を一段一段と上りつつ二階に並ぶ扉を見た。あの部屋のどこかにカトレアとやらがいるらしい。その者を説き伏せ、少女を手に入れる。
多少の金なら積んでやってもいいだろう。
あの少女にはそれくらいの価値がある。
さて、強情な女が出てくるか、それとも……
『お客様ですか?』
澄み渡る春風のような声が二階から吹き抜けてきた。
ハッと見上げた先に、いつの間にか銀髪の天女がいた。手すりの傍に立ち、まっすぐにこちらを見つめている。
ドルドランは呆けたように口を開けることしかできなかった。未知の美しさに衝撃を受け、夢か幻を見ているような心地がした。
「ああ、カトレアさん。貴族の方が貴女にお話があるそうです」
だから、店主が当たり前のように話しかけるまで、その人物が今から話し合いをする女だとは思いもしなかった。
隣のサマンサと顔を見合わせると、彼女も驚いているようで声を失っている。
同性のサマンサでさえ打ちのめされたような顔をしているのだ。
ドルドランが年甲斐もなく見惚れてしまうのも、無理はないはずだった。
「どうぞ、そちらの椅子へおかけになってください」
「あ、ああ、ありがとう」
勧められた上座にドルドランは居心地悪く腰掛けた。短足なために両足が浮き気味だった。美人を前にした劣等感からか、自分が貴族だと名乗ることさえ恥ずかしく、小太りな体を隠したくて縮こまっていた。
隣席の教頭は、学校では作法の指導も行っているだけあって背筋が伸びて凛としていた。女として負けたくないのではないかという気がしないでもなかった。
「カトレアさん、これに座って」
子供達が隣の部屋から椅子を運んできた。
「ありがとう」
銀髪の美女は、まさしく天女のような微笑みを見せた。
子供達が照れたようにうなずく。先程までの不敬な態度はどこかに消え失せていた。その中でもじもじした女の子が上目づかいにカトレアを見た。
「ねぇ、一緒に話を聞いてもいい?」
「どうしたの急に」
「舞姫学校の話、聞きたいの」
「舞姫学校?」
成り行きを知らないカトレアは少し黙考したが、深くは聞かずに振り向いた。
「子供達が居ても構いませんでしょうか?」
「あ、ああ、構わない」
どの道、黒髪少女にはしっかりと話を聞いてもらわなければいけないのだ。
すらりとしたカトレアは、長く美しい脚をそろえて椅子に腰かけた。腰下まで伸びた白銀の髪は、傷めないように肩から前に垂らしている。
まるで天女のようだ、と同じ感想を内心でつぶやいた。
年は二十にかかったぐらいにしか見えないが、年齢からは計れない風格を身にまとっていた。舞姫学校の令嬢は自分を高貴に見せるために化粧で自分を作っていたが、カトレアからは自然と醸し出される気品があった。
部屋のドアが開き、水が運ばれてきた。
机に水が置かれるのを待ってカトレアが切り出した。やわらかな唇が言葉を紡ぐ。
「それで、お話とは何でしょうか?」
「あ、ああ」
見惚れていた自分を戒めるように姿勢を正した。
「た、単刀直入に言わせてもらう」
声が上擦った。手には汗を握っている。
「そこの黒髪の娘を、我が舞姫学校に招き入れたい」
「彼女を?」
「そ、そうだ」
美人に見つめられると緊張で汗が噴き出した。ハンカチを取り出し、額を拭いた。
「今の話を聞く限り、貴方は舞姫学校の関係者ですか?」
「そ、そうだ」コクリとうなずく。
「その方は舞姫学校『ノノル』の校長です」
戸口の陰からちゃっかり盗み聞きしていた店主が口をはさんだ。
「男性の校長ですか?」
疑問の意味が分からずに見つめ返すと、
「いいえ、お気になさらず。それより大変失礼いたしました。ご無礼をお許しください」
深々と頭を下げられ、慌てた。
「か、構わないのだ。それより、話を受けてもらえるだろうか」
カトレアと目が合って縮こまった。
「も、もちろん、授業料や教材、生活費……その他もろもろの費用はこちらで持たせていただく」
高圧的に言えばいいのだが、それができない。心に余裕がなかった。
それとは対照的にカトレアは落ち着いていた。
「理由を聞かせていただけないでしょうか」
「理由?」
「経費や生活費の負担までして彼女を舞姫学校に入学させたい理由です」
「そ、それは……その娘の踊りに惚れ込んだからだ。入学して、他の生徒に刺激を与えてほしいと、思ったのだ……」
本当の理由を話すわけにはいかなかった。大会で勝つために流民から助っ人を呼ぶなど、考えてみれば情けない話だった。
「ユイナはどう思っているの?」
「……行きたくないです」
「な、なぜだ」腰を浮かした。
カトレアが柳眉をひそめ、黒髪少女を振り返る。
「テンルの舞踊を学びたいと言っていなかったかしら?」
「それは……そうですけど……」
なら、何故。
周囲の少女達も、黒髪少女が渋っている事に対して怪訝な顔をしていた。周囲の視線に黒髪少女は逡巡していたが、意を決したように口を開いた。
「私達は旅の途中です。いつ旅立つかわからないのに、みんなと離れる訳にはいきません」
「貴女を置いていきはしないけれど、確かにそうね。いつ、この地を離れるか分からないのに返事はできないわね」
「ま、待ってくれ」
雲行きの怪しさに慌てた。ここで逃がしてしまったら舞踏大会優勝の夢が遠ざかる気がした。
「わかった。謝礼もいくらか用意しよう。それならどうだ」
隣席のサマンサが振り向いた。金銭的に余裕がないと言いたいのだろう。
言いたい事はわかる。だが、金に困っているのは相手も同じはずだ。
子供ばかりの流民が金に不自由していないわけがない。
その証拠に、履いている靴は手入れこそされているが、非常に使い古されていた。買い替えるだけの金がないのだ。後方で聞いていた子供達がひそひそと密談している。そして、子供達の様子にカトレアも迷っていた。
ここが勝負どころだと思った。
「お互いにとって悪い話ではないと思うのだが、どうだろう。私は、私の生徒達に舞姫としての刺激を与える事ができ、そちらは謝礼が手に入る。それに――」
黒髪少女へと視線を転じる。
「君は踊りが好きなのであろう? 我が校に来ればきっと素晴らしい経験ができる。こちらのサマンサ教頭は、ロートニア舞踏大会で優勝した舞姫だ。彼女に君を指導させよう。平民の娘が一流の舞を経験するなど、この好機を逃したら二度と訪れないだろう。そうは思わないか?」
問われた少女は、ドルドランの気迫に怯えたように顔をそらした。
「それで、滞在はいつまでだ? もし一か月程度なら、旅立つまでで構わない。来てほしい」
全力で訴えた後、相手の返答を待った。
皆が口を閉ざし、部屋が静寂に包まれた。
カトレアの宝石のような瞳が、真意を探ろうとドルドランを見ていた。
ゴクリと喉が鳴った。まるで水中にいるような息苦しさを感じた。
黒髪少女を利用する事を見抜かれると思った。
「ユイナ、ちょっといいかしら」
少女を呼び、一言二言、耳元でささやいた後、正面に向き直った。
「舞姫学校の話は少し考えさせてください。お返事は後日でもよろしいでしょうか」
「あ、ああ……わかった」
どうにかそれだけ返事をして部屋を後にした。
玄関から青空の下に戻ってきたドルドランは冷や汗を拭った。
天女の審判から解放された気分だった。もしも悪事を働き、それを天女に咎められたとしたら、こんな気持ちになるのかもしれなかった。
だが、願いを聞き入れてもらえたわけではない。
祈りながら返事を待つしかなかった。




