一花と呼ばれた舞姫学校へ22
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天女を崇拝する王国には、四大天女を祭るための舞姫学校が『火』『水』『風』『大地』に合わせて四つ存在する。そんな舞姫学校を有するロートニア王国では、年に一度、各校から選りすぐりの舞姫が集い、技を競い合う大会がある。その名も『ロートニア王国舞踏大会』。記念すべき百回目を迎える大会は、王国一と誉れ高い『エデル』の筆頭舞姫が足首捻挫で欠場するという波乱の幕開けとなった。
主席を欠いた『エデル』の舞姫達は焦りと重圧からミスを連発。その間にトップに躍り出たのは南の『ラウル』。そして、それを追うのは、万年最下位に甘んじていた東の『ノノル』だった。
そして今、舞台上では演奏に合わせて『ノノル』の生徒達が最高の舞を披露していた。その勇姿にドルドランの胸は高鳴った。
「おおお、私の生徒が頑張っている……!」
中でも空色の髪をなびかせる舞姫に注目が集まっていた。緻密で美しく、まったくゆらぎのないヘレン・モーリックの舞は観客を魅了した。
「さすが私の娘だ。なんと美しくなめらかな演舞なのだ」
亡き妻の若かりし頃を思い出すようで胸が熱くなった。しかも、妻は卒業の年に優勝を飾っていた。
「これはもしかすると、もしかするぞ……」
先代から校長を任されて以来、絶望のどん底を歩き続けてきたドルドランだが、今、自分の生徒達が躍動し、奮闘している姿を見せられると、 “王国一”という夢と野望が胸の底からよみがえってくるのを感じた。
演奏が終わり、踊り切ったヘレンに、どっと歓声が湧いた。王族や貴族が列席する観客席から惜しみない拍手が送られ、ヘレンは一礼一礼、丁寧にお辞儀をしていく。
「よくやった!」
手が赤く腫れるほど拍手し、舞台から戻って来る生徒達に労いの言葉をかけていった。
「よし、次はいよいよ独り演舞だな。我が校にとって最大の見せ場だ。あの生き生きとした白い舞姫を目にしたらみんな度肝を抜かれるぞ」
馬鹿にしてきた他校の奴らが間抜け面になるのを想像するだけで早くも笑いがこみ上げてきた。と、そこへ血相を変えた教頭がやって来た。
「校長、踊り子がいません!」
「む? 誰がいないって?」
「白い舞姫です!」
その瞬間、笑みが凍った。それから徐々に目を見開く。
「な、なんだとォ!? もうすぐ始まるんだぞ!」
先ほどの興奮はどこへやら、焦りで背筋が寒くなった。
「どこに行ったのかわからないのか!?」
あたふたしていると、実行委員の男がやってきた。
「ノノルの踊り子はまだか。もう出番だぞ」
「それが……」
ドルドランは事情を説明して時間を伸ばしてもらおうとしたが、相手の顔がみるみる怒りで赤くなった。
「踊り子を用意できないだと!?」
「いや、ちゃんと踊り子は用意しているのだ。おそらく、手洗いにでも行っているのだろう。まったく何をゆっくりしているのだ」
「どうされたのですか」
苦しげに言い訳をしていると、騒ぎを聞きつけた他校の校長が集まって来た。彼らは実行委員の男に事情を訊くと、血相を変えた。
「そんな状態でよくも由緒ある舞踏大会に参加できたものだな! この恥曝しめ!」
「ま、待ってくれ! 踊り子は本当にいるのだ。それも最高の踊り子だ。まさに『舞姫』と呼ぶにふさわしい踊り子がいるのだ!」
「その踊り子はどこに? 何という名なのだ?」
「な、名前……?」
突然の質問に頭が真っ白になった。月夜に踊る姿は今も思い浮かぶのに、名前が出てこなかった。それどころか顔すら思い出せない。
男が腹立たしげにため息をつく。
「失格だな」
ドルドランは戦々恐々として男にしがみつく。
「ま、待ってくれ! 本当にいるのだ! 素晴らしい舞姫がっ!」
「戯言はそのくらいにして諦めたらどうですか」
舞姫学校『エデル』の校長が呆れたように言う横で、『ラウル』の校長が「まったくだ、みっともない」と吐き捨てるように言った。
「舞姫も用意できないとは、『ノノル』も落ちる所まで落ちましたな」
『バサル』の校長があごひげをなでながら白い目をする。
ドルドランはわなわなと震えた。
「違うのだ……本当にいるのだ……信じてくれ……」
悲痛なうめき声は誰の耳にも届かず、がっくりとその場に崩れ落ちた。
報告を受けた審査委員長が立ち上がり、失格を告げた。
この瞬間、舞姫学校『ノノル』は十四大会連続の最下位が決定……
ドルドランは突っ伏していた机からガバッと起き上がった。
寝ぼけ眼で辺りを見回すと、王都の熱気はどこへやら、見慣れた校長室がそこにあった。
「……ゆ…め…?」
胸に手を当てると怯えとも怒りともつかない激情で鼓動が早くなっていた。
「そうか、夢か……なんだ」
安堵の息をついてそのまま机に突っ伏した。と、思ったら顔面に激痛が走った。
「イタタッ」
顔にそっと触れると、かすかな凸凹の感触……かさぶたができていた。指先を見ると、まだ固まりきっていないのか、わずかに血もついていた。昨夜の、石畳で顔を削った痛みと、清掃女に踏みつけられた屈辱が沸々と湧いてきた。アゴも痛い。
「あの女、本気でつかみやがって。くそ、まだ痛むわい」
だが、そんな事よりも――。
カーテンの隙間から朝日が射し込んでいた。
「もう朝か……」
悪夢は見るし、寝不足だし、顔は痛いで寝覚めは最悪だった。
席から立ち上がり、カーテンを開けると、窓の外がやたらと眩しくて傷口に染みた。朝もだいぶ時間が過ぎているのか、学校をぐるりと囲んだ高い壁から朝日が顔を出し、校内には日傘をさして歩く生徒達の姿もちらほらと見えた。視線を鏡へと動かして自分の姿を写し出すと、そこには醜く傷ついた自分の顔があった。
「何をやっているのだ私は……」
結局、月夜に踊る白い少女の正体はわからないままだ。
「なぜ名乗り出てこない? 何がいけないと言うのだ」
授業料を免除するという最高の条件を提示した。それにも関わらず、数人の偽物が名乗り出てきただけで、一目で白い舞姫とわかる少女はいなかった。それでも血眼になって探し続けるドルドランに、近頃は生徒も職員も呆れていた。
その時、コンコンとドアを叩く音がした。
『校長、よろしいでしょうか』
ドアの向こうから礼儀正しい女性の声がした。年を感じさせない背筋がまっすぐ伸びた教頭サマンサの声だ。「入れ」との指示に『はい』と返事があってドアが開いた。
「失礼します……、!?」
ドルドランの顔を見た教頭は目を見開いた。
「そ、その傷はどうされたのですか!?」
「転んでしまったのだ」
しゃべるだけでも傷が痛む。
「消毒はお済みですか?」
「いや、水で顔を洗っただけだ」
「それではいけません。すぐ手当しましょう」
言うや否や部屋を出ていく。
小走りになっているのか、慌ただしい足音が遠ざかっていった。
ドルドランはぽかんとした顔で教頭が消えていったドアを見つめた。
「珍しい、あやつが走るなど。それほど大怪我に見えるのか……」
しげしげと鏡を覗き込むと、右眉から鼻や上唇にかけて幾筋もの裂傷が見られた。
確かに、見ていて気持ちの良い顔ではない。
「この顔で王都に行かなければならないとは……最悪だな」
王都では毎年、ロートニア王国舞踏大会の受付を兼ねた四学校校長を集めての慰労会が行われるのだが、今回の開催は明後日だった。今日には出発しないと間に合わないのだが、気持ちは行きたくなかった。参加した所でどうせ自慢話しかないのだ。
令嬢を預かる舞姫学校の校長ともなれば、手にする富と権力は絶大だ。
血筋の繁栄を願う親達は、娘が有望な家系に嫁げるように財と努力を惜しまず、より優秀な花嫁を求める貴族もまた、舞姫の個人情報を収集するために接待や賄賂で近付こうとする。そのため、舞姫学校校長には金と人脈が集まった。
お礼の金で舞踏館を増設しただの、他国から有名な舞姫を講師として招いただの、王族男子と王国一の舞姫を結びつけた事で結婚式に恩人として招待されただの、校長達の自慢話は尽きない。権力を持つ人間ほど、自分の権力を見せびらかせたいのかもしれない。
「低俗な連中だ」と、胸中で罵ってみても、それは僻みでしかなかった。
舞姫学校『ノノル』が優勝から遠ざかってから、はや数十年。『二流の学校』という不名誉な看板が定着してしまい、優秀な舞姫やその親は見向きもしない。だから慰労会での自慢話が悔しくて、苦痛でしかなかった。
ドルドランは校長席に戻ると、どっかりと椅子に座った。
壁際の棚には古ぼけたトロフィーが飾ってある。すでに数十年前の輝きはなく、まるでそれは今の舞姫学校『ノノル』を象徴しているかのようだった。
色褪せた過去の栄光を思い出し、情けない気持ちになっていると、教頭が戻ってきた。
「お待たせしました。手当てします」
「ああ、頼む」
ドルドランは目をつむり、顔の手当てをサマンサ教頭に任せた。
綿に薬を染み込ませ、手際よく、それでいて丁寧に消毒していく。
ドルドランからすれば、出来た女だと思うのだが、未だに独り身だった。自分にも他人にも厳しい性格が損をさせているのかもしれなかった。
「校長、どうされるのですか」
教頭が問い詰めるように聞いてきたのは、治療を終えて、傷薬を箱に収めている時だった。
「何がだ」
「舞踏会に出場するメンバーの件です」
先月の実技試験で出場させる十名と、補欠の六名を選んでいたが、ドルドランはどうしても月夜に見た舞姫を出場させたかった。しかし、その舞姫が見つかっていない。名前だけでも分かれば補欠枠に入れておけるのだが……。
押し黙っていると教頭が眉をひそめた。
「今日には出発しないと受付に間に合わなくなります」
「わかっている。だが、今のメンバーで勝てると思うか?」
その問いかけに教頭は難しい顔をした。それから言葉を選ぶように、「ヘレンお嬢様は立派になられたと思います。安定感があり、計算された舞は、王国でもトップクラスだと思います」
「だが、一番とは言えない。それに、他の者がヘレンの踊りについていけないのでは集団演舞で負けてしまう。せめてあの舞姫が見つかっていれば……」
どうしても諦められないのだった。
ドルドランは覚悟を決め、薬箱を手にしたまま見詰めてくる白髪混じりの青髪女性を見上げる。
「教頭」
「はい」
「私は舞姫探しを続ける」
その言葉に厳格そうな眉がひそまる。
「ですが、それでは受付が……」
「わかっている。だから王都へは君に行ってほしい。そして、補欠の一人は空白にしておいてくれないか」
教頭は何かを口にしようとしたが、決断は早かった。
「かしこまりました。支度してきます。後でメンバー票をいただけますか」
「わかった。用意しておこう」
教頭は頭を下げて部屋を出て行った。




