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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
45/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ21

 

 ***


 深い紺色の空にうっすらと雲がかかる夜だった。淡い月光の下で広げた扇子を真横に払い、その細く伸びた指先へと視線を向ける舞姫……その石像の陰でドルドランは岩のように丸まって息をひそめていた。


 場所は中央校舎の南側。教員棟へと続く大通りには、両端を飾る花壇の他に、実在したと言われる十七人の舞姫が等間隔に並び、薄闇の中にぼんやりと浮かんでいた。昼間は神々しく見える彼女達の立ち姿も、夜はどこか妖しく見える。

 そんな石像と校舎に挟まれた場所から貴族令嬢の寄宿舎が見えた。建物から出てくる人影はないかと、ドルドランは目を凝らして待ち続けているのだが……。

 夜も更け、ほとんどの生徒は眠りについたのだろう。百ある部屋の明かりはほとんどが消え、数えるほどしか灯っていなかった。


「ふあ~あ」


 肉体的にも精神的にも疲れが溜まり、眠気で大きなあくびがもれた。

 そうしている間にも寄宿舎の窓からまた明かりが一つ消えた。残るのはあと一つ。


「くそっ、なぜ私がこんな事を続けなければならんのだ」


 夜の静寂に愚痴がこぼれた。


「それというのもあの白い舞姫のせいだ」


 目蓋を閉じると美しくも激しく踊る姿が思い浮かぶというのに、彼女はあの夜から一度も姿を現さず、こうして見張りを続けること一週間、ドルドランの我慢は限界に達しようとしていた。


「……いったい誰なんだ」


 あの舞姫さえいれば他校の連中に一泡吹かせてやれるのに……!


 脳裏を過ぎるのは今まで散々コケにしてきた他校校長の悔しがる顔だった。それ見たさに白い舞姫を探していると言っても過言ではない。それに、『幻を見たんじゃないの』と小馬鹿にした娘のヘレンを見返してやりたい気持ちもあった。


 すべては、あの舞姫さえ見つかれば……。


「だがこれだけ姿を現さないということは、警戒しているのか?」


 朝の食堂で全生徒に呼びかけたせいで、引っ込み思案な少女は踊ることを控えたのかもしれない。


「言うべきではなかったか。このままでは大会受付が閉め切られてしまう……。いや、まだだ。まだ今夜がある。弱気になるな。何としても見つけ出すのだ」


 くじけそうになる自分を鼓舞し、発奮し、決意した時だった。


「―――――」


 ドルドランは周囲を見回した。

 夜風に混じって誰かの声を聞いた気がした。

 耳を澄ますと、宿舎とは違う方角、ちょうど舞踏場へと続く道から女の声がした。しかも近づいてくるようだ。


『よりによって船乗りを好きになるなんて! 馬鹿だねアンタは!』


 令嬢とは思えないほど品のない言葉づかいだ。


「(誰だ?)」


 そう呟いて腰を浮かした時、足の指先がピーンと張って、大通りの方につんのめった。長時間座り続けていたために足が攣ったのだ。


「ぉぉぉぉ、指が……っ」


 指先に触れると、まんまるとした親指と人差し指が綺麗な『V』の字を形作っていた。器用なつり方だった。

 痛みで脂汗を浮かべながら顔を上げて舞踏場の方角に目をやると、道を曲がってこちらに近づいてくる女集団が見えた。掃除をやらせている平民の女達だった。


「ぅぅぅ……」


 痛がっている場合ではなかった。


(隠れて見張っている所を見つかったら変な疑いをかけられてしまう)


 痛みを堪え、身をよじって石像と低木の陰に小太りの体を隠した。



 ***



 夜の校内をぞろぞろと女達が進んでいく。その集団の真ん中あたりでユイナはとぼとぼと歩いていた。

 いつもなら友達と歩く夜の舞姫学校は幻想的で胸が躍るのに、今夜は楽しむ気分にはなれなかった。


 “私、聞いてしまったの。アレスがメリル王女に婚約している所を”


 アレスとメリル王女の婚約は、親同士の決め事だったり、王女が一方的に取り付けた約束だと思っていた。でも、アレスもその気だとしたら……。

 ユイナの心は揺れていた。それこそ崩壊してしまいそうなぐらいに。

 隣にはコルフェがいる。

 昼間はうっすらと涙を見せた彼女だが、今はしっかりと前を向いて歩いていた。それが強がりなのかどうかわからなかった。


  “告白したら今までと何かが変わってしまうような気がして怖いの。アレスはきっと普段通りにしてくれるよ。だけど、それは無理をしていると思うの。そうなるぐらいなら今のままがいい。アレスを困惑させたくないの”


 “私にとっては憧れの人。それだけの人なの”


 万感の思いで下した決意は、今も鈍い痛みとなって胸に残っている。

 恋敵が減ったと思う余裕はなかった。それよりも、同じ人を好きになり戦おうとしていた戦友を失ったのだと心細くなった。

 身勝手だと自分でも思った。

 コルフェがアレスを好きだと気付いた時はどうしようと慌てていたくせに、いざ諦めると知ると『戻ってきて』と願っている。

 だけど、それほど不安になっているのだ。

 アレスに「一緒に行こう」と声をかけられたから信じてついてきたのに、その彼がメリル王女と結ばれ、一緒にいられなくなるのだとしたら……。


(逆賊の汚名まで着せられて、何のために遠い国まで付いてきたの……。もう引き返せないんだよ……)


 心細さで今にも泣き出してしまいそうだった。涙を流さないように夜空を見上げ、静かに呼吸をしてみたが、継ぐ息は弱々しく吐息は震えていた。

 風が吹いた。夜空に貼りついていた黒雲が流れ、立待月(たちまちづき)が姿を現した。まん丸から徐々に欠けていく月が寂しげで、無性にアレスに会いたくなった。会って、彼のやさしさにふれていたかった。

 でも、それでは何も変わらない事も分かっていた。


(コルフェが決意したように、私も覚悟を決めないといけないのかな……)


 アレスの本心を確かめる……そのためには、自分の恋を告白しなければならなかった。自分の、ありのままの心。誰にも見せたことのないやわらかな恋心をむき出しにして相手に差し出す。

 それがどれほど怖い事か。

 もし、彼の口から望む言葉が返って来なかったら、恋は闇に落ち、恋でいっぱいだった心には、何もない穴が残るのだろう。大切なものを失う。それがとても怖くて踏み切れないでいた。だけど……ぐずぐずしていたら、アレスとメリル王女は本当に結ばれてしまうかもしれない。そう思うと、焦りが、『告白しろ。告白しろ』と背中を押してきて、断崖絶壁まで追いやってくる。


(やっぱり、告白したい。見ているだけなんて嫌だから……)


 婚約の事は考えないようにした。確かにアレスはメリル王女と婚約したのかもしれない。だけど、それはアレスが彼女を好きだからとか愛しているからではなく、ただ、許嫁だからという義務感から発せられた言葉かもしれないのだ。

 それに、ユイナには心の支えにしている事が二つあった。


 一つは、アレスをかくまったがために逆賊にされたユイナを、アレスがずっと気にかけてくれている事。あの時に噛まれた傷はほとんど消えてしまったのに、今でも薬を持ってきてくれている。

 そしてもう一つは、アレスと目を合わせる回数が多い事だった。

 くだらないと笑われるかもしれないが、他の子供達に比べて回数が多い気がするのだ。特に踊り終わった時に彼を見ると、必ずと言っていいほど目が合った。それも、吸い寄せられるように見詰め合い、アレスが視線を逸らすという形だ。

 ユイナを見ていたのか、それとも踊りを見ていたのかは分からない。だけど、彼の視線に好意らしき何かを感じずにはいられなかった。そして、少しでも望みがあるのなら彼の本心にすがりたいと思った。

 そんな事を考えている時だった。何やら集団の前方が騒がしくなった。


「それは本気で言っているのかい!?」


 何事かと振り向くと、


「よりによって船乗りを好きになるなんて! 馬鹿だねアンタは!」


 リーダーを務める巨体の女が周囲の視線もはばからず、若い(と言ってもユイナより五歳は年上の)女をなじっていた。若い女性は周囲にあまり知られたくないのか少し慌てた様子だったが、高圧的な口調に押されて縮こまっていた。態度も体もでかい女に、誰も面と向かって意見できなかった。


「せっかくアンタにも春が来たと思ったら船乗りはないよ。海上警備隊の連中よりマシだけど、一時的に寄った街で女に声をかけるなんてロクな奴じゃない」

「でも彼は……本気だからと言ってくれて」


 若い女が勇気を振り絞って小声で反論したようだが、相手は聞く気がないのか「それはないよ」と切って捨てた。


「ろくでもない男ってのはねぇ、だいたいそんな事を言って女の気を惹くんだ。特別だとか何だとか言ってね。だけど心の内では女を抱く事しか考えてないんだよ。だからそれはアンタの為に言ってるんじゃない。自分の為に言ってるんだよ」


 高説を垂れる女に対して、嫌だな、と思った。心配しての言葉なのかもしれないが、あまりに一方的で、好きな人を否定される女性が可哀そうだった。


「(あんなに責める事ないのにね)」


 ミアが小声で話しかけてきた。ユイナがうなずいていると、急に集団の足が止まった。

 シン、と周囲が静まり返る中、リーダーの女が振り返った。前方の人垣が割れ、たまたまその視線がユイナのまっすぐな瞳とぶつかった。


「……なに?」


 言いたい事でもあるの?と、ぎょろ目をむいた恐ろしい形相でユイナを見下した。小柄なユイナからすれば縦横を合わせると倍以上もある相手だ。その威圧感に身を引きかけたユイナだが、ここで逃げてはいけないような気がして踵を揃えて背筋を伸ばし、まっすぐ相手を見詰めた。


「言いたい事ならあります」


 周囲の女達が弾かれたように振り返った。まさか口答えする者が現れるとは思っていなかったのだろう、口を開けたまま時が止まったかのように凍りついている。


「へぇ、言いたいことがあるのかい。言ってみなよ、お嬢ちゃん」


 見下した態度をそのまま、口元に余裕の笑みを浮かべている。その顔に向かって問いかけた。


「貴女は、誰かを本気で好きになった事がありますか?」


 女の口が歪んだ形で固まった。


「何が言いたいのかわからないねぇ」

「誰かを本気で好きになったら、その人の事で頭がいっぱいになってうれしいけど、それと同じくらい胸が苦しくなって、不安になりませんか?」


 問いかけた後、成り行きを見守っていた若い女へと視線を動かした。


「彼女はきっと不安になっていると思います。不安で、不安で、助けてほしくて……だから相談したのではないですか? でも、貴女は彼女の恋を踏みにじって、他に好きな人を探せと言います。それは酷ではありませんか?」

「悪い男に引っかからないように忠告しているだけだよ」


 その返答にユイナはギュッと拳を作った。


「それは、本当に忠告と言えるでしょうか」

「何だって?」


 剣呑な目付きで凄まれた。しかしユイナは動じなかった。魔術師とか暗殺者に比べれば怖い相手ではなかった。それに、他人の恋を踏みにじっておいて『忠告』だと平然と言う女を許せなかった。


「貴女は、彼女の好きな相手がどんな人か知っているのですか?」

「知らないよ」

「では、知らないのに船乗りというだけでその人を決めつけたのですか?」

「船乗りってのは似たような連中だからね」

「だからその人もロクな人間ではないと言い切れますか? その人は違うかもしれないじゃないですか。性格も、話し方も、彼女の事をどう思っているかも……。そういった事を確かめもせずに忠告だなんて、それが本当の忠告と言えますか?」


 ユイナの反論に、リーダー格の女が鼻白んだ。

 横で聞いていたミアがこっそりと指先で拍手していたぐらいだ。

 でも、アレスならきっとこう言うだろうと思い、口にしただけだ。

 リーダーの女は分厚い唇をわなわなと震わせた。


「言わせておけば……生意気な小娘だねっ!」


 怒鳴り声とともに手にした箒を近くの低木に叩きつけた。

 ガサッという葉音と共に「ひぃっ」という悲鳴が上がった。

 予想もしなかった悲鳴に、辺りは水を打ったように静まり返った。

 リーダーの女が箒を振り上げ、低木に叩きつけた。すると、ふたたび「ひぃー」と悲鳴が上がった。


「不審者だ!」


 誰かが叫んだ。


「捕まえて臨時給料だよ!」


 リーダーの女が低木の後ろから回り込むように指示を出していると、木陰から小太りの人影が逃げ出した。いや、逃げ出したのも束の間、数歩で足をもつれさせて前のめりにぶっ倒れ、石畳で顔面と太っ腹を削った。あまりに痛そうな転び方に捕まえようとしていた女達が躊躇したぐらいだ。


「何してんだ! 取り押さえるんだよ!」


 伸し掛かる女性陣。ダメ押しとばかりにリーダーの女が泥棒の背中に飛び乗った。


「ぐえぇ」

「縄を持ってきな! ふん縛るよ!」


 立ち尽くしていたユイナ達は弾かれたように動いた。

 縄はすぐに運ばれてきて不審者は後ろ手に縛りあげられた。


「痛い! 放せ! 私は校長のドルドランだぞ!」


 ジタバタと暴れていた不審者は妙な事をわめいた。

 苦し紛れの言い逃れに女達は失笑した。


「騙そうたってそうはいかないよ。校長がこそこそと隠れるような真似をするか。校長とは面識があるんだ。そのぶよぶよした汚い面を見せな!」


 前に回り込んだリーダーの女が、不審者の顎を下から鷲掴みにする。


「もがもが」と暴れる男。

「この顔は……?」


 女は眉をひそめて手の力をゆるめる。それでもまだ歪んでいたので、もう少しゆるめていくと、すぼまっていた口が元に戻り、男の素顔が月光の下にさらされた。


「ほ、本物!?」


 悲鳴を上げて後退ったのはリーダーの女だ。取り押さえていた女達もギョッとして飛び退く。自身を校長のドルドランだと名乗った不審者はようやく重圧から解放されたが、後ろ手に縛られているためか裏返った亀のようにジタバタした。


「な、何をしてるの! 縄を解くんだよ!」


 縄が解かれ、自由になった不審者、いや、ドルドラン校長がむっくりと立ち上がった。背はユイナよりも低く、丸々と太っていた。周囲の女達が膝をついて頭を下げ、ユイナ達もそれにならった。


「お怪我は」

「傷だらけだ」

「大変失礼いたしました。賊と間違えてしまい、何とお詫びすればいいのか」

「もう良い。それより、お前達に聞きたい事がある。夜中に踊っている者を見た事はないか」


 ユイナはギクリとして顔を上げられなかった。神聖な校内で踊った事を罰せられるのだと思った。


「い、いえ……見た事ありませんね」


 嘘をつくリーダーの声もさすがに震えていた。


「そうか」と、ドルドランは言った。

「夜中に踊っている生徒を見つけたら必ず報告するのだぞ」

「「「は、はい!」」」


 女達は声を揃えて頭を下げた。


「助けてくれてありがとうございました」


 ドルドランが去った後、ユイナはリーダーの女に頭を下げた。

 女は面白くなさそうに見下ろすと、


「あんたが捕まったら、私達まで監督不行き届きで怒られちまうだろ。隠し通すしかないんだよ」


 なるほど、と得心した。

 それから女性達はいくつかのグループに分かれて石像の掃除を始めた。


「危なかったねー。冷や冷やしたよー」


 ルーアの言葉にうなずく。


「それより、啖呵を切るユイナ、格好よかったよ」

「そ、そうかな」


 照れていると、青髪の女性がユイナの前にやって来た。船乗りに恋をした女性だ。


「さっきはありがとう。貴女のおかげで勇気が湧いてきたわ」


 名前も知らない女性が礼を言って持ち場へと戻っていく。

 礼を言いたいのはユイナの方だった。

 もやもやした気持ちが吹っ切れて、自分の恋に全力でぶつかりたい気分だった。


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