一花と呼ばれた舞姫学校へ20
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数日が過ぎた朝の事だった。
宿裏にある手洗いで用を済ませたユイナは、前方からやって来る人影を認めて立ち止まった。
早朝で眠たげなメリル王女は、ユイナを一瞥しただけで興味なさげに横を通り過ぎ、手洗いへと入って行く。
その背中を見送っていたユイナはハッとした。
彼女がここにいるという事は……、アレスも戻ってきている!
一番に挨拶をしようと駆け足で玄関前まで戻った。すると、
『おかえりー』
『おかえりィ!』
『ただいま。元気にしていたか?』
『もちろん!』
一足遅かったようで、アレスは玄関前で子供達に捕まっていた。近づこうにも小さな人垣にはばまれて話しかけづらい状況だ。まさか、はしゃぐ子供たちを押し退けてまで挨拶できるわけもなく、人垣の向こうから彼と目を合わせた時に会釈をするので精いっぱいだった。
しばらくしてアレスが玄関へと顔を向けた。
「話は中でゆっくり聞くから、少しだけコルフェと話をさせてくれ」
子供達をなだめ、割れた人垣の間を歩いた後、石段を下りてきた灰色髪の少女と向き合う。それから白い花を差し出した。
「リコリの花を摘んできた」
今日はコルフェの兄が亡くなった日だった。午後から鎮魂の儀式を行うという事で、それに合わせて帰ってきてくれたのだ。
想い人を前にしたコルフェは、約束通り来てくれた事に安堵したように微笑み、うれしさで声が出せないのか唾を呑むように小さくうなずいた後、うつむき加減で花を受け取り、「ありがとうございます」と頭を下げた。
その様子を見ていたフィックスが不思議そうな顔をする。
「照れてるー?」
「て、照れてるわけじゃないよ」
コルフェは否定したものの言葉が続かない。
後方で見守るミアが嬉しそうに口もとをゆるめているのが見えた。
「ねぇねぇユイナ」
ミアに呼び止められたのは、アレスや子供達と一緒に宿に入ろうとしている時だった。
「なに?」
「ここではちょっと。外で話をしない?」
「うん……、いいよ」
三日ぶりにアレスに会えたのだから近くにいたかったのだが、友達の呼びかけを無下に断る訳にもいかない。
ミアに連れられて宿の裏手に回り、窓から見つからないように壁際に身を寄せた。
「コルフェとアレスの事なんだけどさ」
「うん」
「ぁ……」
何かをしゃべろうとしたミアは急に口をつぐんだ。ユイナもその気配を察して身を固くし、メリル王女が横を通り過ぎて表へ消えていくのを見守った。
固まっていた二人はホッと肩の力を抜く。王女に聞かれていたらものすごい目つきでにらまれていただろう。
「それで、コルフェとアレスが……?」
「うん、二人がくっつきやすいように二人きりにしてあげたいんだけど、協力してくれない?」
まじまじと見詰め返す。友達の提案だから断りたくはなかったが、アレスを好きなだけに快諾できる話でもなかった。
その迷いをどう感じ取ったのかわからないがミアが続ける。
「もう気付いているかもしれないけど、コルフェはアレスの事が好きなの。だからコルフェが自分の気持ちを伝えられるように二人きりにさせてあげたいの」
「で、でもどうやって二人きりにするの? 宿に帰ってきた時は子供達に囲まれているし、そうじゃない時は王女がべったりじゃない」
「問題はそこなんだよね。何か良い案はない? 二人きりになれる方法」
「うーん……」
ユイナは考え込んだ。そんな方法があるなら自分が教えてほしいぐらいだ。
しかし、過去を振り返ってみれば、今まで二人きりになった事は何度かあった。逆賊にされて二人で逃げている時は例外として、地下牢に閉じ込められている時や、独りぼっちになった時に、ユイナを心配して声をかけてくれた事があったが……。
「独りでいる時にアレスが来てくれたら二人きりになれるけど……」
「それ名案だよっ!」ミアは指を鳴らした。
「適当な用事でコルフェを独りにして、そこにアレスを誘い出せばいいんだ。問題は、どんな用事を作ればいいかだね」
『そんなに気を遣わなくてもいいよ』
第三者の声に顔を上げると、建物の影からコルフェが出てきた。その後ろからルーアも顔をのぞかせ、ミアは視線をそらして、気付かれたかぁ、ともらす。
「二人の姿が見えなかったら何かあるのかなって気付くよ」
部屋で休む以外は基本的に一緒にいるので気付かれて当然かもしれなかった。
「無理にくっつけようとしなくていいからね」
「でも、出会ってから七年間ずっと想い続けているんだよ」
七年間……そんなに長く想いを重ねてきたのか。その年月にはうれしい事も辛い事もたくさんあっただろう。
「それだけ想い続けてきたんだから、そろそろ願いが叶ってもいいじゃない」
「それは違うよ」コルフェは首を横に振った。
「七年も想い続けてきたから、諦めがついてしまったの」
そう言われると返す言葉がなかった。
「気持ちはありがとう。だけどそれで十分だから。それより鎮魂式の準備をしよ?」
コルフェがどんな気持ちでそう言っているのかは表情からは読み取れなかった。
ユイナが鎮魂の儀式について知ったのはつい最近のことだ。
亡くなった人の魂は記憶を地上に残したまま天界へと昇り、天女の補佐役となる。しかし、魂は人だった事を忘れておらず、一年に一度、失った記憶を求めて家族や親しい人の所に降りてくると言われている。そして、降りてくる魂が迷わないように案内するのが鎮魂の儀式だそうだ。
昼下がりの青い空の下、アレスや子供達に見守られ、ユイナ、コルフェ、ミア、ルーアの四人は少し距離をあけて横一列に並ぶと、静かに儀式を始めた。
両手を胸元に当てて一礼し、右手で円を描いて胸元へ、左手で円を描いて胸元へ、両腕を広げながら片膝をついてしゃがみこみ、大地に眠る故人の想い出を両手ですくい、こぼさないようにゆっくりと頭上に掲げる。
“私はここにいます”
“あなたもここに来てください”
“あなたの思い出は私と共にあります”
鎮魂の舞にはそんなメッセージが込められているらしい。そして、大地に眠る故人の思い出をすくい上げ、降りてきた魂と一つにすることで共に生きた過去を語らいなつかしむ。
同じ動作を何度も繰り返した後、コルフェは簡易的な祭壇の前に膝をついて、そこに飾ったリコリの花に兄の魂を乗せるようにそっと両手を開いた。
ユイナとミアとルーアも祭壇に近づく。
「お兄ちゃん、今日は友達が一緒に鎮魂の舞をしてくれたよ」
「ミアです」
「ルーアです」
「ユイナ・ファーレンです」
「貴族の娘さんだよ。すごいでしょ」
そんな説明をされるとくすぐったい。
「私、みんなとがんばって生きていくから、見守っていてね」
コルフェは祈るように両手を握り合わせ、目を閉じた。
近況報告をしているのだろうか。
それとも花屋を開く夢を話し合っているのだろうか。
隣りに目をやると、ミアとルーアも目を閉じている。
ユイナも両手を合わせ、『いつまでも友達でいられますように』と祈った。
「ユイ姉さん、持って行くカゴはこれでいい?」
ペントが抱える麦わらのカゴを見てユイナはうなずく。
「そうだね。ちょうどいい大きさだと思う。ありがとう」
カゴを受け取ってコルフェの部屋に入ると、そこに用意していた雑巾を入れる。今回の掃除はいつもと違って大がかりなもので、普段は掃除しない石像も綺麗にする事になっていた。
廊下に戻って屋上の手伝いをしようかと思っていると、洗濯物を取り込んだコルフェ達が屋上から降りてきた。
「ユイナ、エプロンを持ってきたよ。着替えよ?」
「わかった」
前掛けを受け取ろうと廊下を歩いていると、二つ隣のドアが開いて銀髪の男が出てくる。
「これから舞姫学校の掃除か?」
アレスの問いかけにユイナ、コルフェ、ミア、ルーアの四人はうなずいた。
「はい、今日は早めに集合するみたいなので、今から着替えます」
「そうか。俺達もそろそろ出かけ……」
そこまで言いかけたアレスがギョッとして振り向いた。その視線の先に、妖艶な微笑みを浮かべた美女がくびれた腰に手を当て、扇情的に立っていた。
「まさか、テンマか?」
ポーズを決めていた美女は片方の眉を上げる。
「なぜ気付いた?」
「い、異様な気配がした」
「そうか。私の変化もまだまだですわね。もっと精進しないといけないですわね」
奇妙な女言葉でテンマは悔しがる。心に傷を負ったような顔をしていたが、どちらかと言えばアレスのほうが心に傷を負ったようだ。開いた口がふさがっていない。
「そろそろ行きましょ」
メリル王女の一声でアレスは咳払いする。
「わかりました」
それからユイナ達を振り返り、
「テンマの腕は確かだ。離れないようにして守ってもらえ。――俺達はもう出る」
「お気をつけて」
「いってらっしゃい」
ユイナ達は二階の廊下から彼の背中が見えなくなるまで見送った。それから着替えるために部屋に入っていく。
「ねぇ、本当に気持ちを伝えなくていいの? 伝えてみるだけでも」
扉を閉め、ミアが気になってしょうがないように言った。
目を伏せたコルフェは胸が張り裂けそうな顔で首を振った。
「やめとく。アレスにはメリル王女がいるから」
「許嫁だからって言いたいの? それは親が決めただけじゃない。気にしなくていいと思うよ。――ねぇ、ユイナもそう思うでしょ?」
「え? えぇ……」
「いいの。この気持ちは胸にしまっておくの」
「しまっておくって……。それで辛くないの?」
心配の眼差しに、コルフェの眉がゆがんだ。
「辛いよ……。辛くないわけないじゃない」
その悲痛な声に、ユイナの胸は締め付けられた。
「だけど私、聞いてしまったの。アレスがメリル王女に婚約している所を。『この戦いが終わったら結婚します。だからそれまで待ってください』って、はっきりと……。アレスが約束を守る人だって、みんなも知っているでしょ? これ以上何かできると思う?」
誰も応えられなかった。
ユイナは言葉を失ったまま立ち尽くしていた。
コルフェは手にしたエプロンをきつく抱きしめた。
「告白したら今までと何かが変わってしまうような気がして怖いの。アレスはきっと普段通りにしてくれるよ。だけど、それは無理をしていると思うの。そうなるぐらいなら今のままがいい。アレスを困惑させたくないの」
好きだからこその決断はあまりにも苦く、救いがなかった。
「私にとっては憧れの人。それだけの人なの」
寂しげな横顔は、本当は一緒になりたいと願っていた。




