一花と呼ばれた舞姫学校へ17
***
「あら、おかえりなさい」
港街を離れ、宿へと戻ってきたアレス達を迎えたのは、ロビーでくつろいでいたおばさんだった。
「こんにちは」
アレスは会釈して宿を見回し、眉をひそめる。人の気配がしなかった。
「子供達は外出しているのですか?」
「遊びに行っています。そろそろ戻ってくる頃だと思いますよ」
「そうですか」
「疲れたわ。早く休みましょう」
王女の言葉に、おばさんは上階を振り返る。
「二階の奥が空いていますよ。そこで休んでもらえますか。あとで水を持って行きます」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
アレスは王女とともに二階に上がって子供達を待つことにした。
部屋は綺麗に掃除されていた。ベッドが二つに、共有の棚が一つ、窓辺には机があり、両脇に椅子が置かれていた。椅子に座って休もうとしていると、手荷物を置いたメリル王女が再び外に向かいだした。
「どちらへ?」
問いかけると、「……手洗いよ」と恥ずかしげに答えた。
アレスは王女の背中を見送り、椅子を引いてそこに座った。窓辺から景色を眺めていると、近くの曲がり角からにぎやかな団体がやってくるのが見えた。何かと思えば遊びから帰ってきた子供達だった。五人一組でたのしそうに踊っている。見たことのない踊りだ。その時、お盆に水差しとコップを乗せたおばさんが開けっ放しのドアをノックして部屋に入ってきた。そして、窓から聞こえてくる子供達の声に気付いて笑顔になる。
「ああ、帰ってきたようですね」
机に水差しとコップを置いてくれる彼女に「ありがとう」と礼を言い、問いかける。
「あの踊りは?」
「あぁ、あれは踊りじゃなくて動物家族という遊びですよ」
「動物家族?」
「性格の違う五種類の動物がいて、それぞれ相性があるんです。それで同時に動物の真似をして相性のいいグループだったら喜びのポーズをして、逆に悪かったら隠れる真似をするんです。私が小さい頃に船乗りのおじさんから教わったんです。他にも色んなルールがあってあの頃は流行りましてね。最近はまったく見なくなったのですが、あの子達が楽しそうに遊んでくれるので、なつかしいようなうれしいような気がします」
「それは、思い出の遊びを受け継いでくれたから?」
「それもあるかもしれませんが、見ているだけで楽しくなりませんか?」
その気持ち、分かるような気がした。子供達の元気を見ているだけで胸の奥があたたかくなり、やさしい眼差しになるのだ。
「子供の元気ほど勇気付けられるものはありませんからね」
「おもしろい方ね」と、おばさんは笑った。
「お、おもしろい、ですか?」
「ごめんなさいね。若いのに老境な雰囲気で語られるからビックリしてしまって……。貴方は二十歳かそこらでしょう? 私から見ればまだ子供ですのに」
「そうですか?」
二十四歳は子供とは思えなかったが、不思議と腹立たしさはなかった。むしろ、そうかもしれないという気持ちになった。親にとっての子はいつまで経っても子だ。産みの親が生きていればおばさんと同じぐらいの年になっていただろう。
アレスは窓の外へと視線を戻した。
幼児に合わせて遊んでいるのは年長の少女達だ。特にユイナやカトレアの二人を中心によくまとまっている。そして、遊びの輪に入らずに横で固まって歩いているのは少年達だ。異性を意識し始めた少年達は恥ずかしくて輪に入れないのだろう。友情とは違う感情が芽生え、子供達の関係も複雑になってきたかと思うと、感慨深いものがこみ上げてくるのだった。
ふと足音を感じて振り返ると、戸口からザイが顔を出した。
「やっぱり戻っていたか。王女の姿が見えたからそうじゃないかと思ったぜ」
「様子を見に戻った。特に問題はないな?」
「ああ、バッチリだぜ。宿の手伝いもしっかりできている――よな?」
「ええ。助かってます」
おばさんは笑顔で答えた。
「それは良かった」
アレスはうなずき、子供達と一緒に遊ぶ黒髪の少女を見詰めた。ユイナは両手を頭の上でぴんと伸ばし、ぴょんこぴょんこと跳ねている。
ウサギだろうか?
なんとも愛くるしい姿だ。それを本人に言ったら顔を真っ赤にして否定するかもしれないが……。
ザイも同じ気持ちになったのかしみじみと言う。
「ユイナもかわいくなったな」
「手を出すなよ」
「ちょ、そんなことするわけないだろ。ガキには興味ないって公言しているだろ」
「信じられないから言っている」
「お、おい、そこは信じろよ。俺はガキには興味ない。興味があるのはカトレアのような大人の……」
ギロッ。
「じょ、冗談に決まってんだろ。怖い顔すんなよ。――おっと、子供達がこっちに気付いたぞ」
話を逸らすためだろうが、振り向くと一斉に駆け出す子供達の姿が見えた。ただひとり、ユイナだけが道に立ち尽くし、まっすぐこちらを見詰めていた。
――アレス……
切なげに動いた唇に名を呼ばれた気がした。彼女の唇に瞳を吸い寄せられた。
ハッとして視線を逸らしたのは、アレスもユイナも同時だった。ちらりと横目で見るとユイナが小走りで宿に戻ってくるところだった。
どどどと子供達の足音が近づいてくる。
『アレスお帰りぃ!』
『な、なによ貴方たち! ここは私とアレスの部屋よ』
『わわ、姫様だ』
『下がりなさい。私達は長旅で疲れてるの』
『姫様は疲れても、アレスは疲れないもん』
『な、なんですって!?』
部屋の前で王女と子供達が言い合いになりそうな雰囲気だった。仲裁に入るべく立ち上がって戸口に近づく。
「あ、アレスだ」
アレスはうなずき、王女へと顔を向ける。
「部屋で休んでいてもらえますか。私は別の部屋で子供達と話をしてきます」
王女はすねた顔をしたが、「子供に甘いんだから」と部屋に入っていく。その背中に頭を下げ、子供達へと向き直る。
「元気にしてたか?」
「うん、当たり前じゃん」
わいわいと声をあげる子供達に「しーっ」と口の前に人差し指を立てた。
「静かに。とりあえずあっちの部屋に行こう」
うるさくすると機嫌が悪くなるから、という言葉は伏せておいたが、みんな察してくれたらしく、口元で人差し指を立てて回れ右をし、忍び足で行進を始めた。本人が見たら逆に『馬鹿にしているの?』と怒りそうな光景だ。
メリル王女と子供達は仲が悪い。王女の見下した態度に子供達が反発せずにはいられないのだ。そのいがみ合いは王女のわだかまりが消えれば解決するのだろうが、腹の底に染み着いて固まった感情は、そう簡単には拭えない。
華やかだと思われがちな王室だが、国王の目の届かないところでは随分と醜い争いもある。側女の娘というだけで陰湿な差別を受けてきたメリルは、自身もまた地位の低い相手を蔑むことで自分を守ってきたところがある。彼女にとって、平民と同じ服を着たり、同じものを食べたり、同じ場所で寝る事は、王女としての品位が貶められているようで堪えられないのだ。だから子供達を蔑んで遠ざけてしまう。
唯一、アレスには心を開いているが、それで心の闇が消えるとも思えなかった。
「あー、フィックス間違えた」
「しまったぁ」
鷹のポーズをしていたフィックスが天井を振り仰いで叫び、周囲の子供達が大笑いした。熊の真似をしていたアレスも一緒になって笑う。
今日はフィックスの誕生日祝いと子供達の様子を見に戻ってきたのだが、実のところ、アレスにとっての息抜きでもあった。ひとしきり動物家族で遊んだ後、休みながら元気な子供達を見守っていると、四人の少女が近づいてきた。
「お話があります。聞いてもらえますか?」
話しかけてきたコルフェを真ん中にして左側にルーアとミアの姉妹、そして右側にユイナがいる。コルフェは肩に力が入った様子で、ミアは応援するような顔で見守り、ルーアはいつも通りに妹に付き従い、ユイナは気がかりなことでもあるのかコルフェの横顔をちらちらと見ていた。四者四様の様子に眉根が寄った。
「改まってどうした。何かあったのか?」
「兄の命日ですけど、鎮魂の舞は昼間に行おうと思います」
「……そうか。そうしてくれるとありがたい。夜だと参加できそうになかったからな」
銀狼の姿をむやみにさらすわけにはいかない。
緊張していたコルフェが顔を上げた。
「参加してくれるのですか?」
「もちろんだ。今まで参加しなかったことはないだろ?」
「はい。ですが、魔眼の海賊を探しているのでは?」
「野放しにしておけない連中だが、今は手がかりが少ない。気にするな。それより、鎮魂の舞は夜にしなくていいのか?」
「夜は、舞姫学校の掃除がありますから」
「舞姫学校の掃除?」
脳裏に浮かんできたのは岬にある舞姫学校だ。堅牢な壁に囲まれ、大天女の巨大石像を岬に建てていた。目立つので寄港する船乗りの目印にもなっていると聞いた。
その学校の掃除をしていると言うのだろうか?
「実は、怪我で動けないおばあさんに頼まれたんです。その人、舞姫学校の掃除を仕事にしているんですけど、何週間も仕事を休んだら仕事を辞めさせられるみたいで、私たちが代わりに仕事をしているんです」
「人助けか。それは感心だ」
「はい。それと、鎮魂の舞を昼間にした方が友達の顔も兄によく見えるかと思ったので……みんなが一緒に舞ってくれることになったのです」
コルフェが友達に顔を向けると、ミア、ルーア、ユイナの三人がうなずいた。
「それは良いことだ。始めるのは昼食後か?」
「はい。少しゆっくりしてから始めようと思います」
アレスはうなずき、「必ず参加しよう」と約束した。
***
ユイナはベッドの上で膝を抱えてぼんやりと先ほどの事を考えていた。
「はぁー……」
どうしたらいいのだろう、という気持ちが膨らみすぎて、何度目かのため息が漏れてしまった。窓辺でナイフを磨いていたペントが気になって仕方がないように振り返った。
「どうしたの? ため息ばかりついて」
「え? うん……そうだね。ちょっと、気になる事があって」
応える言葉は歯切れが悪い。
休憩がてらに戻ってきたアレスは、子供達の遊び相手を務めた後、ろくに休みもしないままメリル王女を連れて魔眼の探索に出発した。その後ろ姿を見送るコルフェの切なげな瞳を思い出すと、胸を掻きむしられるような焦りに襲われた。
まさか、彼女もアレスを好きだったなんて……。
今まで恋敵はメリル王女ただ一人だと思っていた。傲慢不遜で、不幸な生い立ちの子供達でさえ邪見にする……そんな人はアレスを不幸にする。そう思う事で闘争心に火が付いたが、相手がコルフェとなると迷いが生じておどおどしてしまう。友達と争って不仲になるのが怖いのだ。
しかし、だからと言って、コルフェとアレスが恋仲になればいいというわけではない。もしそんな事になったら、二人の前でどんな顔をすればいいのかわからない。とてもコルフェを応援する気にはなれなかったし、自分の恋を諦めるつもりもなかった。いや、諦めようとしても諦められるわけがない。この気持ちはもう、心にとけ込んで切り離せなくなっている。アレスに気にかけてもらうためなら、ユイナを戦いに巻き込んだ彼の負い目でさえ利用していいと思っていた。でもそれは、コルフェも同じなのかもしれなかった。大切な兄をアレスの部隊に殺され、辛い日々を過ごしてきた。それを間近で見てきたアレスが、彼女のことを気にかけないわけがなかった。だから、兄の命日には必ず戻って祈りをささげているのだろう。
不意に、胸を締め付けられるような痛みが走った。アレスが魔眼の調査でなかなか帰ってきてくれないだけでも寂しさが積もるというのに、彼の心が他の誰かに向いているかと思うと、寂しさが耐え難いほどに重くなった。
心に余裕がなくなってきているのが自分でもわかった。離れ離れで心を通わす事もできない現状と、新しい恋敵の出現に焦り、悪い想像が豪雪のように圧し掛かってくる。もし、アレスが他の誰かを選び、自分に振り向いてくれなくなったら、その寂しさに耐えられる自信がなかった。
一度悩み始めると憂鬱は大きくなり、もがけばもがくほど閉ざされた思考に押し潰されそうになる。気持ちがどこまでも沈んでいきそうで、このままではダメだ、気持ちを切り替えないと、と自分に言い聞かせようとした時、不意に肩をたたかれた。
「な、なに?」思わず泣きそうな声が出てしまった。
驚いて振り返った先にペントの心配顔があった。
「コルフェ姉さん達が呼んでるよ?」
言われて戸口を振り返ると、ルーア、ミア、護衛のテンマ、それに、気になっていたコルフェがいた。
「ごめん、ボーっとしてた。ありがと」
ペントにお礼を言い、立ち上がってコルフェ達に近づいていく。
「大丈夫? 体調がすぐれないとか?」
「違うの。ちょっと考え事をしていだけ。それよりどうしたの?」
「これからお花をつみに行くの。一緒に行かない?」
おそらくは部屋の飾りと、亡兄のための献花を摘みに行くのだろう。
「もちろん行くよ」
うなずいたユイナは、ひとまず悩みを置いて、友達と一緒に外出する事にした。
「どこで花を摘むの?」
コルフェから渡された手編みの花籠を指にかけて、階段を下りながら問いかける。
「林の中にリコリが咲いている場所があるらしいの。そこに行ってみるつもり」
「え? いいの?」ユイナは思わず聞き返した。
これから向かおうとする林の奥には、魔眼の海賊に襲われた村があると聞いていた。廃墟となった村に再び海賊の襲撃があるとは考えにくいが、それを抜きにしても、林の中は視界が悪くて危険に巻き込まれる可能性があったので、『近づかないように』とカトレアから厳重に注意されていた。
コルフェはしかし「いいの」と言った。
「『テンマの護衛があるなら』って、カトレアさんの許しももらったよ」
「そうなんだ。――よろしくお願いします」
頭を下げると、テンマは「それが私の役目だ」と答えた。
玄関を出ると、昨日まではなかった黄色い花が石段の隅に咲いていた。ノノルは戦争に巻き込まれることもなく平和続きだったので、植物の彩りにあふれていた。国土の半数が荒野となってしまったシルバート王国ではめったに見られない光景だ。
四人の少女と護衛のテンマは、ひと気のない大通りを歩いて行く。数年前の鉱山閉鎖にともない、宿を埋め尽くしていた坑夫は去っていった。この村に残っているのは移住することのできなかった宿主達だ。彼らはたまに港を訪れる船乗りや商人、それに旅行者を集客して細々と食いつないでいる。人が少ないためか、周囲の建物はそれほど古くはないのに村に活気はない。砂ぼこりにまみれた窓ガラスには雨跡が刻み込まれ、そこから見える薄暗い部屋を見ていると、数年前までヘリオンで栄えた村だとは思えなかった。
閑散とした通りを抜けて馬車道へと出てくると、そこから深い青に染まる穏やかな海原と、それに寄り添う港の街並みを見渡せた。左に視線を転じると、ヘリオンの鉱山と麓に広がる林が一望でき、その林から流れ出た一筋の川が、丘の間を縫うようにして、時には丘を削るようにして港町へと水を運んでいた。
不自然に流れる川は、人が手を加えた水路だった。大昔、水に困ったノノルの人々が、鉱山の麓にある天女の泉から湧水をかき集め、港町まで水路を作ったのだそうだ。
馬車道を歩くユイナ達は、途中、草原に囲まれた細い通り道を見つけ、そこから水路の沿道へと下りてきた。道端の斜面には紫色の小さな花が夜空に浮かぶ満天の星々のように咲いていた。近寄ってみると、黄色の雌しべと雄しべがあり、その周りを雫のように小さくてふっくらとした四枚の花弁が開いている。
立ち止まったミアの隣で、ユイナもしゃがんで眺める。そよ風に揺れる花を見詰めているだけで心がなごんでくるようだ。
「かわいい花だね」
「うん」と、ミア達も同意する。
小さくて花瓶に活けられないのが惜しいぐらいだ。
「ねぇコルフェ、これは何ていう花なの?」
「これはサキン花だね。砂に金で砂金花」
「え? 砂金? なんでそんな名前なの?」
「砂金が取れる山の周辺に咲いていて、金山を見つける時の目印にされてきたから砂金花って呼ばれるみたい」
もしそれが本当だとすると、この近くでも砂金が取れるのだろうか?
「かわいそう。もっとかわいい名前があっただろうに」
「あっちにもかわいい花が咲いてるよー。見に行こうよ」
ルーアに促され、みんなは立ち上がって歩き出した。水路の向こう岸にも青々とした草にふんわりとした丸い白花が咲き、ミツバチが花にしがみついて蜜を集めて回っている。
「あれは鈴花だね。三方向に広がる丸い葉と、無数の花弁が鈴のような丸い形をしているのが特徴。幸せの花とも呼ばれていて、シルバートにはあまり咲いてなかったけど、穏やかな気候の平地にはどこでも咲いている花だよ。今頃、オルモーラも咲き始めているかも」
「この花で冠を作ると、輪の向こうから幸せがやってくるんだよねぇ?」
ミアの問いかけにコルフェは、「そう、だね……」と、なぜだか目を伏せて答えた。その違和感に首を傾げたユイナだが、「すごいね。花のことなら何でも知っているみたい」
褒めるとコルフェは首を振って照れた。
「何でもってことはないけど、お花屋さんを開くのが夢だから勉強はしてるよ」
「お花屋さんかぁ……。うらやましいな。私にもやりたい事や好きな事があったらいいのに」
ミアの言葉に姉のルーアもうなずいている。
「ユイナはもちろん踊りだよね」
急に話を振られたのでびっくりしたが、「そうだね」と、うなずいた。舞踊の美しさは奥が深くて探求心をくすぐられるし、みんなと合わせて踊るのも楽しくて心が温まる。
「将来は踊り子か踊りの先生になって生計を立てるの?」
「え? そこまでは考えてないよ。私の踊りは趣味みたいなものだし……」
「えー、謙遜しなくてもいいのに。だって、ユイナの踊りすごいもん。お金払ってもいいと思う。お金ないけど」
「私もそう思う」と、コルフェ。
「もう、コルフェまで。私は踊りで生計を立てようとか考えたことないよ。みんなが楽しめて自分も楽しめたらそれでいいの。第一、お金のために踊るなんて考えたら苦しくなりそうで嫌だよ」
「うーん、気持ちも分からないでもないけどなぁ。そこまで嫌なら仕方ないか」
ミアは残念そうな顔をした。空を振り仰いで、それから不意に後ろ歩きになってテンマと視線を合わせた。
「テンマさんは趣味とかあるんですか?」
「ある」
「えぇ!? あるんですか?」
「失敬な。驚くところではないだろう」
「も、もしかして女装?」
笑ってはいけないのだろうが思わず口元がほころんでしまった。コルフェも同じようで口元を不自然なまでに引き締めている。その横でルーアが「あぁ、それでー」と手を打った。
「待て、納得する要素がどこにある! だ、断じて違うぞ!」
感情を表に出さないテンマにしては珍しく動揺している。
触れられたくない所だったのだと思っていると、
「え、でも、かなりノリノリでしたよね」
追撃の手を緩めないミアに、ユイナは舌を巻いた。いじめっ子の素質があるようだ。
「何をどう見たらそうなるのだ。ノリノリではない。しぶしぶだ。舞姫学校は男人禁制だというから女人に変化したまで」
「すごい美人さんでしたね。もしかしてテンマさんの好きな人ですか?」
ユイナはまじまじとテンマを見た。
恋愛とは無縁に思えたテンマですら恋をするのかと思うと、なぜだか胸がざわついた。もしかして、みんなも同じなのだろうか。隠しているだけで、本当はみんな恋をしているのだろうか。もしも、ミアやルーアまでアレスのことを好きだったら、どうすればいいのだろう……。
気晴らしに出かけたのに、胸の奥がまるで荒波に呑まれるように乱れた。胸に手を当てて押し込めようとするが、その程度でおさまるはずもない。
「大人をからかうものではない」渋面のテンマが言った。
「あ、逃げたってことは図星ですか?」
「図星とかそういう事ではなく……。おい、この娘をなんとかしろ」
テンマは救いを求めるように視線を向けてきた。
しかし、胸の痛みを堪えるユイナに、他人に構っていられるほどの余裕があるはずもなく、誤魔化すような硬い笑顔を返すだけになった。
「どことなく目もとがカトレアさんに似ていたような」
ミアがぽつりとつぶやく。
「ええい、私のことは気にするな。私は単なる護衛だ。そこら辺の木と同じように無視を――」
「あー、橋があるよー。あれで向こう側に行こうよ」
ルーアが空気を読んだのか、それとも読んでないのかよくわからないタイミングで会話に割り入ってきた。マイペースというか、調子が崩れるというか、とにかく、テンマはそれを好機だと思ったのか、「前を向いて歩け」と、小鳥を追い払うように手を払った。
ミアは肩をすくめてみせ、前を向いて歩いた。
「(そうなんだ。テンマの好みはカトレアさんのような美人か)」
その口元はおもしろい事を知ったとでも言わんばかりにほころんだ。後ろのテンマは、好きにしろ、と半分あきらめたような苦い顔をした。
同情はしたが、そっとしておいた。自分に矛先が向いて『ユイナの好きな人はどんな人?』と聞かれるのが怖かったからだ。
鼻歌まじりのミアを中心に、ユイナ達は水路の沿道を上流に向かって歩いていく。
ふと、その香りに気付いた。横で聞こえていた、ふふふーん、という上機嫌な鼻歌も止まる。どうやらミアも甘い香りに気付いたようだ。目的の花はもうすぐそこだと分かり、足早になって丘をぐるりと回った所でそれは見えてきた。
「うわぁ、たくさん咲いてるねー」
林の入り口に群生するリコリの花々を見てルーアが感嘆の声をあげた。膝程の高さに伸びた茎の先に美しい薄紫色の花が咲いている。ユイナはしゃがんで近くの花にそっと顔を近づけた。
「いい香り」ホッとするようなやさしくなれるような香りだった。
そうだね、とミアは同意する。
「リコリって不思議な花だよね。潮風にあたると白から薄紫色に色づくなんて。恋の花って呼ばれるのも分かる気がする」
ミアの説明に驚いた。
「リコリは恋の花なの?」初耳だった。
「そうだよ。白い花の時から水をあげていると天女様が降りてきて恋愛運が上がるんだって。だけど、別に好きな人いないし、私には関係ないかなぁ」
「そ、そうなんだ。好きな人いないんだ……」
「だから私にはリコリの花より鈴花の方が合ってるかも……あ、そうだ」
不意にミアが立ち上がった。
「提案なんだけどさ、鈴花で花冠を作らない?」
急にどうしたのかと思っていると、
「鈴花で冠を作ったら輪の向こうから幸せがやってくるんでしょ? みんなで作ろうよ。子供達の分もさ」
「いいね。だけど全員分を作れるかな?」ユイナは考え込んだ。
一つ作るのにどれだけの花とどれくらいの時間がかかるか分からないが、かなり大変な気がした。
「全員分は無理だよ。部屋に一つずつ飾るのでいいんじゃない?」
「それならいいかもね。九部屋だから一人で二つか三つかな」
「テンマさんに手伝ってもらったら一人二つだよ」
「なるほど」と少女達は手を打つ。
「待て。私を数に入れるな」
傍観者でいられなくなったテンマが口を挟んだ。
「いや、そんな事よりも本気で作るつもりか?」
ミアが首を傾げる。
「何かいけないことでもありますか?」
「花を摘んで帰るのが目的だったはず。のんびりと道草をしたせいで面倒な連中に見つかっても知らないぞ」
柳眉をひそめるユイナの横で、他のみんなも口を閉ざした。
『面倒な連中』とは海上警備隊の事だろう。本来は貿易船の護衛として集められた傭兵だが、最近では仕事がなく、昼間から酒をあおって暇をつぶす男達も少なくないと聞く。いや、それどころか年頃の女に嫌らしい視線を送ったり、卑猥な言葉でからかったりと問題行為が多いらしい。実際、ユイナ達も目をつけられ、からまれた。カトレアの度胸と機転でなんとか追い返せたが、連中の恨みを買ったのは間違いない。去り際に見せた彼らの憎々しげな眼光を思い出すと、仕返しにくるのではないかと不安になった。
今は彼らの居住区から離れた宿に泊まっているので顔を合わすこともなくなったが、彼らに見つからないという保証はどこにもなかった。宿の外で遊んでいる時、洗濯場で洗濯をしている時、舞姫学校の掃除のために港町まで足を運んだ時、連中にからまれる危険はどこにでもあるのだ。
ましてや、連中と同じ街に住む人々、特に年頃の娘やその家族は心が休まるはずがない。『傭兵の解雇』という案も出たらしいが、それには五年契約が災いした。途中で解雇するとなると名誉を傷つけられたとかで莫大な慰謝料を要求されるのだそうだ。その上、近くの村が海賊に襲われたこともあり、腕っ節のたつ傭兵を契約期間だけでも残しておけばいいのではないかという意見も出てきた。そうして、傭兵達は今もノノルの港町に居座っている。
契約の終了まであと半年……。いつまでノノルに滞在するかわからないが、その間ずっと彼らの脅威が付いて回ることになると思うと気がかりではあった。
「大丈夫ですよ。あの海上なんとか言うのは、街でごろごろしているだけって言うじゃないですか。この中流までは来ませんよ。第一、見つかったとしてもテンマさんが私達を守ってくれますよね?」
「確かにそうだが……」
テンマは渋い顔をしたが、やがて諦めたようにため息をついた。
「わかった、好きなようにしろ。だが一つだけ忠告しておく。油断はするなよ。どんな状況でも守れるとは言い切れないからな」
「……わかってます」
少女達は神妙な顔をしてうなずいた。
ルーアとミアは戦争で両親を、コルフェは兄を亡くした。そして、ユイナもまた戦時中に実の両親を失った。残酷な世界が牙を剥く瞬間を少女達はよく知っていた。
ただ、世界はそれだけじゃないという気持ちもあった。
たとえばそれは、奴隷商人から逃げて廃墟の片隅で震えていたユイナを自分の娘として招いてくれたガモルド男爵のあたたかさだったり、たとえばそれは、舞姫学校『セフィル』で孤独だったユイナに声をかけてくれた親友ティニーだったり、そして今は、シルバートのお尋ね者になったユイナを見守ってくれるアレスや、一緒に笑い合えるコルフェ、ミア、ルーアが傍に居てくれる……。
ミアが幸せの花冠を作りたいと言い出したのも、今の幸せをもっと感じていたいという気持ちの表れなのかもしれなかった。
「あーあ、テンマさんのせいで辛気臭くなってしまいました」
「悪かったな」
「あ、本当に悪いと思ってます?」
ミアの瞳が、きらり、と輝いた。
良からぬことを企んでいる顔に、テンマの眉がひそめられた。




