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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
40/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ16

 

 ***


 翌日、アレスはノノル港を訪れていた。

 堅牢だが、中には何もない倉庫(昔は採掘したヘリオンの貯蔵庫だった)の間を抜け、舗装された坂を下っていると、ちらほらと男達の姿が見えた。

 最近は出入りの船がなくて静まりかえっていた港だが、今日はいくらかにぎやかだ。それというのも、水平線の向こうから近付いてくる船影を見つけたからだろう。『寄港』の船舶信号を確認したらしく、のんびりとだが、入港の支度を始めている。


 アレス達が船の存在を知ったのはそれよりもさらに前、昨夜のことだ。偵察に回していたシュリと呼ばれる鳥が、東の海で船を発見し、知らせてくれた。

 シュリは、渡り鳥のような持久力と、猛禽類のような速さを併せ持った中型の鳥だ。しかし、シュリはこの世の鳥ではない。メリル王女の魔口から呼び出された魔物だ。


 普通、魔術で呼び出せるのは風や水などの無機物だが、生物を呼び出す王女の魔術は特殊だった。そして呼び出した獣や鳥は、王女の命令に絶対服従する。たとえそれが『捨て身で敵に突っ込め』という無謀な命令であってもだ。ただ、知能が低いためにすべての命令を忠実にこなせるわけではない。たとえば『特定の人物に手紙を届けてほしい』という命令は魔物を混乱させるだけだ。魔物は、人と獣の違いは認識できても、人の顔を見分ける能力はない。

 だから、今回のノノルに近付く船の探索でも、『海を進む大きなモノを見つけてこい』と命令し、その大きさを大まかに伝えただけだ。鯨のような海の巨大生物の誤認や、まったく別の場所に向かう船を見つけてこないかと心配もしたが、今回はうまくいったようだ。内陸の探索を中止し、ノノル港へと戻ってきて正解だった。


「このにおい、好きになれないわ」


 横に寄り添うメリル王女が潮風に顔をしかめている。岸壁のオルモーラ城で毎日嗅いでいたはずだが、どうにも気になるらしい。ここ数日は内陸の都市で聞き込みしていたので、ひさびさの潮風が際だって臭ったのかもしれない。

 アレスは別段気にならなかった。むしろ、生命の息吹を内包した大海原のにおいに畏敬の念さえ禁じ得ない。

 とはいえ、アレスにも苦手なにおいがないわけではなかった。煙のにおいや血のにおい、研ぎ澄ました刃のにおいや毒のにおいなど、危険がからむモノには過剰に反応してしまう。暗殺稼業に就いていたせいだろう。


「香水でごまかせないかしら」


 メリルは幼い首筋を見せつけるようにして、襟に香水を染みこませた。大人びた香りが鼻孔をくすぐる。十四歳の王女にはあまり似合わない、まるでつぼみが背伸びをしているような香りだった。嗅覚がにぶるので、そのにおいが逆に気になったが、あえて触れないことにした。忠告や指摘をすると、反発されるのは目に見えていた。王女に平民の服を着せた時も、トゲのある小言をたっぷり浴びせられて閉口したものだ。


 顔を前に戻し、海へと視線を転じると、海原の真ん中にぽつりと帆船が浮かんでいた。距離が離れており、港への到着には時間がかかりそうだった。

 アレスは港の外れにある船の修理工場へと顔を向けた。坂道の脇に小道があり、弧を描くようにして工場へと続いていた。


「先にシュガースと話をしておきましょう。船の修理状況も気になりますし、彼なら『あの船』の所属が分かるかもしれません。……王女?」


 王女を先導しようとすると、うらめしそうな目で見られていることに気付いた。


「どうしました?」

「歩き疲れたわ」


 どうして今この時にわがままを言うのかわからなかったが、(なだ)めておくことにした。


「宿に戻るまでの辛抱です。言っておきますが、魔獣の背に乗って楽をすることだけはやめてください」

「わ、わかってるわよ。人目のあるところで魔獣を出すわけないでしょ。子供扱いしないで」


 よほど怒っているのか、頬をふくらませた。そういうところが子供っぽくてかわいいのだが、本人はまったく気付いていないらしい。


(自分のことは見えているようで見えないものだからな……)


 そんなことを考えていると王女がにらんできた。


「なんで笑うのよ」


 アレスは目を瞬かせた。


「笑っていましたか?」


 どうやら口許がゆるんでいたらしい。

 年頃の王女を前に、不用心だったかもしれない。

 口許をさすって引き締め、頭を下げる。


「失礼しました。王女があまりに可憐だったので気が緩んだようです。許してください」

「な、何を言って……。わ、わかっているわよ。そんな事ぐらい」

「はい」


 アレスがうなずくと、王女はキッとにらんできた。


「言っておくけど、機嫌取りなら不要よ」

「いいえ。本心ですよ」


 世辞は苦手だった。

 王女は真偽を確かめるようにしばらく見詰めていたが、口許を妙にもぞもぞさせ、ぷいっと、そっぽを向いた。そのまま、ずんずんと細道をのぼっていく。


 まだ怒っているのだろうか?


 アレスは首を傾げ、ゆったりとした足取りで歩みを進めた。先を行く王女の歩調は早かったが、もともと歩幅が大人と子供の差がある。ゆっくりしていても楽に追いつけた。


 木材運搬用の大通りに入ると、船の修理場は目前にあった。海辺の窪地を利用した修理場に、長い航路を耐えてヴィヴィドニア大陸まで運んでくれた船が揚げられていた。いつもは海中にある船底を見上げるというのは、不思議な感覚だった。


 カン……、カン……。


 船大工の振るう金槌の音がやけにまばらに聞こえた。

 青空の下で船体を見ると、海賊船の体当たりを受けて破損した箇所が、まだ半分も修復できていない状態だった。その修理状況を遠目に眺める男を認め、アレスは近付いた。


「シュガース」


 呼びかけると、相手も気付いて手をあげた。


「修復には時間がかかりそうだな?」


 問いかけると、シュガースは苦笑し、声をひそめた。


「腕はいいのだろうがのんびり屋でな。雨が降れば休み、のどが渇けばまた休む。他に修理する船もないから輪をかけてゆっくりしてやがる。この様子だと半月はかかるだろうな」


 シュガースの言うとおり、甲板で休んでいた青年が手すりから身を乗り出してメリル王女に向かって『ピュー』と口笛を吹いた。どうやら振り向かせたいらしい。

 王女はエメラルドグリーンの瞳で軟派青年を一瞥した後、アレスに視線を戻した。


「急がせればいいじゃないの。暇そうにしているわよ」


 辛辣(しんらつ)だが至極当然な言葉にシュガースは苦笑した。


「すでに急かしてはみたのですが……」


 濁された言葉の先がアレスにはわかった。


「無理強いすれば反感を買う、か」

「そんなところだ」

「腕は信頼できるのか?」

「それは問題ない。海賊と戦うための船をいくつも修理してきただけのことはある。ベテランはもちろんだが、若者もなかなかの腕だ」

「それを聞いて安心した。多くの命を預かる船だ。手抜きがないように頼む」

「任せておけ。それで、そっちはどうなんだ。魔眼は見つけたのか?」


 アレスは苦い顔をした。


「いや、まだだ。今はそれよりも確認してほしいことがある。詳しい話は歩きながら話そう」


 部外者に聞かれたくない話もあった。


「わかった。ちょっと待っていてくれ」


 シュガースは呼び寄せた部下に船大工の監視を任せ、アレスと並んで歩き出す。


「ちょ、ちょっとそこをどきなさいよ」


 慌てて追いかけてきたメリル王女が間に割り込み、アレスの隣は私のものだ、と言わんばかりに腕を回してきた。振り向いた視界の隅で、先ほどの青年が舌打ちをするのが見えた。




 アレス、メリル王女、そしてシュガースの三名は港を離れ、舞姫学校のある高台に登った。学校の見上げるような外壁の傍を歩き、港を見下ろせる木陰に身をひそめると、アレスとシュガースは懐から望遠鏡を出して港に向けた。

 一隻の帆船がノノルの港へと入っていく。船上では数十人の男達が動き、全開だった帆をあっという間にたたんでしまった。その後、半数の男達が停泊の準備を進め、残りが荷下ろしの準備を始めた。無駄のない動きに、シュガースが「手際がいいな」と感心していた。

 アレスは視線を動かし、彼らの顔や持ち物、そして所作を確認していった。


 侯爵殺しの罪で追われる身だ。祖国から逃げ延びたからといって、殺し屋が追ってこない保証はなかった。冷静な目で追手がいるかどうか確認していく。名の知れた殺し屋なら顔もクセも覚えていた。もしも船員が殺し屋なら、そうでなくとも、船員に混じっているのを見つけられれば、先手を打ち、優位な状況で相手を殺すこともできる……。


 そこまで考えた時、ひどく冷酷な自分に気付き、望遠鏡を持つ手が震えた。

 子供達には決して見せられない姿だった。

 アレスは迷いを振り払うように首を振り、レンズをのぞき込んだ。

 最終的に、見知った顔はなかった。武器を持っているようにも見えなかったし、髪の色も(染めていなければだが)青系統が多く、ヴィヴィドニア大陸の出身だと知れた。それだけを確認し、隣で草地に片膝をつくシュガースを振り向いた。


「どうだ? どこの船かわかるか?」


 問いかけると、シュガースは望遠鏡をのぞきこんだままうなった。


「ロートニア国とウィンスター国の間で一般的に使われている商船だな。横帆二つに、縦帆が一つ。ただ……」

「ただ?」

「国旗を揚げていないのが気になるな。普通なら自国の旗を揚げておくものだ。だが、あの船は揚げていない。もしかすると太洋に存在するどこかの島国、いや、国ですらないのかもしれん。船員の髪に青が多いからロートニア寄りなのだろうが……」

「なるほど」


 アレスはうなずいて今度は王女に顔を向けた。

 ちょうど、近くの木々に小鳥がとまり、チクチクと鳴いて羽ばたきながら降りてきた。王女はその小鳥を腕に乗せ、その頭に指で触れた。そうすることで魔鳥が得てきた記憶の残滓を読み取り、自分のモノとしているのだ。


「そちらはどうですか?」


 問いかけると王女は首を横に振った。


「船から海に飛び込んだ者はいないわね」


 殺し屋の中には慎重な者もいる。港での待ち伏せを警戒し、泳いで人目のない場所から上陸する可能性もあった。しかし、それは杞憂だったようだ。

 あとは、船に居る者が危険かどうか……。


「どうするの?」王女が聞いた。

「しばらく様子を見ておきましょう。船内にいる人間をすべて確認したわけではありませんから。それと――」


 アレスは振り返った。


「シュガースに頼みがある。彼らの寄港目的を確認してもらえないか?」

「わかった。やっておこう」


 シュガースは立ち上がって港へと歩いていった。



 ***



 その男、オーカは、香辛料がぎっしりと詰まった袋を肩に担ぎ上げると、掛け橋を渡って船を降りた。そのまま桟橋を歩いて港の一角に用意された荷車に降ろす。後ろに続く他の船員も同じように荷車に積めて、荷物を取りに船へと引き返すが、オーカは荷車の傍で待ち構えていた商人に話しかけた。


「約束の香辛料だ。中身を確かめてくれ」

「予定より一週間も早いじゃないか」非難がましく眉をしかめた。

「まとまった金が必要になった」


 商人は気乗りしない顔で、わかった、と答える。


「だが、あまり期待するなよ。今は貴族の連中も贅沢を控えているからな」


 そんな事は言われずともわかっていた。帆のない船が繋留されて並ぶ港を見ていると、景気の悪さがうかがえた。ヘリオン鉱山の閉鎖はそれほど大きな痛手なのだ。

 商人の反応も悪い。昔は腹を空かせた肉食獣のように商材はないかと食いついてきた商人も、今では消化不良を危惧して、慎重になっている。選り好みをするようになった商人をうならせるためにもオーカ達は必死だった。中身を改める商人に横から話しかける。


「産地はウィンスターの東海岸だ。香りは一級品だぜ」

「一級品と言っても、ソイルバインの最高級品に比べれば劣るだろう」


 オーカは笑った。


「お望みなら、ソイルバインの香辛料だろうが軍艦だろうが運んできてやるぜ? ただし、売れるならな。おっと、そんな怖い顔をするなよ。冗談に決まってるだろ。とにかく良い品だ。五十万にはなるだろ」

「五十!? 待て待て、高すぎる。それにちゃんと中身を確認してからだ」


 それからしばらく商談は続いた。互いに相手の腹を探り合いながら、最終的には物価の下落を理由に、五万ギロも安く買いたたかれた。

 代金と交換に、商人の後ろに控えていたふたりの大男が荷車いっぱいの香辛料を運びにかかり、オーカは渋い顔をしてそれを見送った。商人は「こちらも商売ですから仕方がないのです」と言い残して去っていく。

 さぞかし安値で仕入れたと思っているだろう。しかし、別に不満はなかった。買いたたかれる事を見越し、少々高めに吹っかけていたのだ。

 オーカは渋面のまま引き返そうとし、ちらりと港の端に視線を向けた。港の端には、故障した船を修理するための工場があり、そこに一隻の貿易船が揚げられていた。横から大きな物体がぶつかったのか、船体に大きな傷が走り、左舷の手すりが根こそぎ折れていた。嵐に巻き込まれたら、沈んでいてもおかしくない船だった。

 その船を無表情で見詰めていたオーカは、興味をなくしたように踵を返し、自分の船へと戻った。


 湾内に繋留された船はほとんど揺れがなかった。薄暗い船内を歩き、船長室の前に立つと、ドアをノックし、中へと足を踏み入れた。

 通路よりさらに暗い部屋だった。ドアを開けていなければ、色彩もわからないほどの暗闇だ。闇に目が慣れてくると、部屋の奥に二人用の寝台があり、そこに茶髪の女性と、左目に眼帯をした男が腰掛けているのが見えた。


「いくらで売れた?」


 独眼の男・デュオネスが問いかけた。この辺りでは珍しい赤銅色の髪だ。

 表向きの船長としてオーカは交渉の場に立つが、裏の船長は彼だった。

 オーカは彼に敬意を払うように首を垂れて答える。


「四十五万で売れました」

「……修理費にはなったな」

「はい」


 敵船に突っ込んで損傷したオーカ達の愛船『ヴィアント・ロム』。その修理費を稼ぐためにオーカ達ははるばるノノルまでやって来た。


「それと、例の船ですが、やはりこの港に来ていました」

「銀狼の船か」

「はい。港の修理場に入っています」


 オーカは苦い記憶に顔をしかめた。

 銀狼の襲撃を受けたのは十日程前のことだ。あの時、仮面を被っていたので顔は見られていないが、敵が近くにいるというのは気分の良いものではなかった。それに、銀狼には長年使用してきた根城を知られている。

 オーカ達は『海の壁』と呼ばれる海域を根城にしていた。そこは太洋の中心に位置していながら、岩礁が乱立する天然の要塞だった。その要塞に入るためには精密な海図と、岩礁の隙間をジグザグに抜ける高度な操船技術が必要だった。『海の壁』を根城にしているオーカ達でさえ、岩礁の多い場所では速度を落として正確な操船に徹しており、並の船乗り・並の船では近付くことさえできるはずがなかった。

 ところが、銀狼の船は接近してきた。満ち潮の夜、それも、最も海面が上昇する満月の夜が災いした。銀狼の船は一時的に高くなった海を利用し、岩礁を乗り越えてきたのだ。

 重要な拠点を知られた上に敗走したことが悔やまれた。


「銀狼……!」


 デュオネスが憎々しげに言い、目を見開いた。むき出しにした白目が血の色に染まり、食いしばった歯の間からシューと奇妙な呼吸を漏らし、左手で包帯を巻いた腕を押さえた。銀狼にやられた傷だ。傷に触れているうちに憎しみが膨れあがってきたのか、デュオネスの気配が高圧的なものに変貌した。それは異常なまでの殺気だった。

 体がストンと落ちそうになった。膝下の足が消え失せたような、いや、恐怖で腰が落ちそうになったのだ。思わず、何か言わなければという強迫観念に駆られ、考えてもみなかったことを口走ってしまう。


「夜襲を、かけますか……?」


 デュオネスの隻眼が冷ややかに細まる。


「なぜ?」

「や、やつらは俺達の根城を知っています。く、口封じのために……」


 情報の漏洩を防ぐため、皆殺しにしたいのは事実だった。当然、作戦を決行するのは相手が寝静まる真夜中だ。夜なら、誰にも気付かれないように標的だけを殺す自信があった。

 デュオネスは何も言わない。ただじっとオーカを見詰めている。

 オーカは嫌な脂汗をかきながら返答を待った。まるで水中の中に閉じ込められたような息苦しささえあった。呼吸が苦しいのだ。このままでは酸欠で意識を失ってしまうような気がした。さすがに危険だと感じたのだろう、今まで黙っていた女性がディオネスの肩に触れた。


「デュオ、そのくらいにしたら」


 デュオネスは妻に視線を向けた後、肩の力を抜いた。すると、船長室を満たしていた殺気が消え、周囲の空気が軽くなった。


「夜襲はするな。今やつらを殺したところで、根城の情報はばらまかれた後だろう。下手に動いて俺達の正体まで気付かれてしまったらもう二度と丘には上がれないかもしれない。確かにあそこは重要な拠点だが、拠点を一つ捨てるだけで正体を隠し通せるのなら安いものだろう」

「言われる通りです。出過ぎたマネをしました」

「いや、そこまで謝るな。それより、久しぶりの地上だ。バロッサを連れてのんびりしてこい」

「一緒に行かないの?」と、茶髪のバロッサ。


 デュオネスは顔をしかめた。


「日光が嫌いなのを知っているだろ」

「わかったわ。何かおいしいものでも見つけたら買ってくるわ」

「そうしてくれ」

「オーカ、行きましょう」


 立ち上がるバロッサにうなずき、オーカは脂汗を拭った。


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