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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
39/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ15

 

 その夜。ベッドに寝転んでいたユイナは、(ふくろう)の鳴き声を聞きながら反対側のベッドへと視線を向けた。耳を澄ましてみてもコルフェの寝息は聞こえてこない。亡くなった兄のことでも思い返しているのか、寝付けずにいるようなのだ。


「コルフェ、起きてる?」


 問いかけてみると、「うん」と返事があった。


「もしかして眠れない?」


 もう一度、「うん」と返事があった。

 考え事で頭がいっぱいで眠れないのだろう。


「それなら屋上に行かない? 少しは落ち着けるかも」


 彼女を気遣ってのことだったが、実のところ、ユイナも眠れなかった。昼間に聞かされたピークホックの虐殺があまりにも生々しく、アレスがそれに関わっていたかと思うと目が冴えてしかたがなかった。コルフェを屋上に誘ったのは、夜風に当たれば煮詰まった頭も冷えると考えたからだ。それに、彼女から昔のアレスについて聞きたい事があった。

 コルフェは少し迷ったようだが、迷っていても仕方ないと考え直したのか、「うん、行こうか」と、いくらか前向きな声で応じてくれた。


 二人はそっと部屋を出た。みんな寝静まっている時間帯なので、足音をたてないようにして廊下奥の階段を上った。屋上へと続く扉に手をかけると、反対側から風に押されているのか、少し重く感じた。その扉を押し開けると、ふゅおっ、と夜風が流れ込んできてユイナは目を細めた。

 戸口から見上げる夜空には満天の星が散らばっていた。夜に染まった海や街並みは瞬く星々に照らされ、おぼろげに浮かび上がって見えた。

 コルフェを先に通したユイナは、夜風に押されて閉まろうとする扉をしっかりと抑え、音をたてないようにそろりそろりと閉じていった。近くに他の人がいるとは思いもしなかったので、「眠れないのか」と声をかけられた時は驚いてドアノブから手を放しそうになった。

 扉を閉じて星空を振り仰ぐと、出入口の上でテンマがあぐらをかいていた。今夜は女ではなく、男の姿をしている。みんなが眠った後も見張りを引き受けてくれているのだ。


「び、びっくりしました。誰かと思いました」

「そうか。それはすまない事をした」

「あ、頭を下げないでください。それより、屋上で涼んでもいいですか?」

「騒がなければ問題ない」


 テンマの了承を得て、ユイナとコルフェは屋上を歩いた。何も掛かっていない物干し竿の横を通り過ぎ、ノノルの港町を見渡せる場所に並んで腰をおろした。

 ユイナはどこをでもなく、遠くまで見渡した。景色を眺めたわけではない。銀色の狼がどこかで自分達を見守っていないかと思ったのだ。


「アレス、来てくれるかな」


 最初に口を開いたのはコルフェだった。兄の命日に彼が来てくれるか心配しているらしかった。


「大丈夫だよ。今まで一度も欠かしたことはなかったんでしょ?」

「うん。どんな事があっても、鎮魂の儀式までには帰ってきてくれた」

「アレスはそういう人だよ。心配する必要はないと思う。……ねぇ、昼間の話の続きだけど、アレスに助けられたって言っていたよね」

「うん……」

「何があったのか、聞いてもいい?」


 コルフェはまじまじとユイナを見詰めた。


「いいけど、あまり詳しい話はできないと思う。あの時は、お兄ちゃんが消えないようにしがみつくのに必死だったから、どうやって助けられたのかあまり覚えていないの。でも、お兄ちゃんが消えて服だけが残って、希望なんてなくて、近くに落ちてたガラスの破片で喉を切ろうとしたら、『諦めるな!』って叱られたことだけは覚えてる。気付いたらシルバートの魔術師が私を抱えて、建物の屋上から屋上へとすごい勢いで飛び移っていたの」

「それが、アレスだった?」


 コルフェはうなずいた。


「最初は怖いと思った。だって、とても人間とは思えなかったし、お兄ちゃんの命を奪った敵の仲間だと思うと、殺されると思って怖かったの。それまで兄と一緒に死のうと思っていたのに、不思議だよね」


 自嘲気味の友達にユイナは首を振った。


「普通だよ。誰だって死ぬのは怖いよ」


 コルフェは、ほほ笑みとも悲しみともとれるなんとも言えない顔をした。


「アレスが、その時どうして私を助けようとしたのかわからなかった。だって、街の人達を皆殺しにしているのはシルバートの魔術師だったから。助けてくれる意味がわからなかったし、気が動転していたし、とにかく、殺されると思って必死に暴れたの」


 当時のアレスを振り返るコルフェは、緊張をほぐすようにひと息ついた。

 ユイナは何も言わず、じっと次の言葉を待った。



 ***



 銀髪の魔術師は、コルフェを抱えたまま屋上から屋上へと跳躍した。

 跳ぶときの上空に吸い込まれるような感覚と、その後に襲ってくる落下の浮遊感を交互に味わいながら、コルフェはアレスの腕から逃れようと暴れた。すると、苛立ちも露わにアレスが怒鳴った。


『動くな! 落ちたら死ぬぞ!』


 低く大気を揺さぶるような怒鳴り声は、とても人のモノではなかった。血に飢えた獣だ。獰猛な狼のうなり声にも似ていた。それを耳もとで聞かされた怯えでコルフェは金縛りになった。

 動揺する瞳に、血にぬれた氷剣を振るうアレスの姿が映った。


 アレスはコルフェを救い出すために同族を殺していた。それが原因で同族の魔術師に追われ、二度、三度と交戦した。遠くの敵には高速の氷弾を放って牽制し、近距離の相手には魔術陣から取り出した氷の剣で切り伏せた。


 魔術師同士の戦いは想像を絶していた。まるで竜巻に呑み込まれ、もみくちゃにされているようだった。少しでもアレスから離れようものなら、その竜巻に切り刻まれてしまうだろう。そして、その竜巻が去ったかと思うと、アレスはひときわ高く跳躍し、街の外壁を飛び越えた。

 ふわりとした浮遊感にうっすらと目を開けたコルフェは、アレスにしがみついたまま、生まれ故郷を振り返った。

 故郷は真っ赤に燃えていた。海軍が駐留していた港も、両親と過ごした借家も、兄と手をつないで歩いた街並みも、すべてが火の海に呑まれていた。その街並みが外壁に遮られて見えなくなる。

 音もなく着地したアレスは脇目も振らずに草原を駆け抜け、森の奥へと入っていった。低木が密集した道のない森だったが、これも獣のように風を切って乗り越えていった。


 コルフェが地面に降ろされたのは、遠く離れた海の見える場所だった。

 久しぶりに大地を踏むと、体に力が入らず、後ろによろけて尻餅をついてしまった。手にはしっかりと握った兄の服と、ガラスの破片があった。


「大丈夫か?」


 アレスが心配げに聞く。コルフェはキッと相手を睨んだ。


 大丈夫なわけがない……!


「あなたの仲間がお兄ちゃんを殺したんでしょ! お兄ちゃんを返して!」


 張り裂けるような声で恨み言をぶつけると、アレスはショックを受けたように立ち尽くした。コルフェは立ち上がり、ガラスの破片を握り締めてアレスに突っ込んだ。


「うわぁぁあ!」


 捨て身の一撃だった。殺すつもりだったかどうかはコルフェ自身にも分からない。ただ、衝動的な怒りに駆られてガラスの破片を振り下ろした。

 しかし、突き立てたはずのガラスは、街の外壁を跳び越えるほど強靱な足にかすり傷をあたえただけで、むしろ、コルフェの手を切り裂いた。


 サーッと血の気が引いた。完全に戦意を喪失していた。手の痛みを堪え、ふらつきながら、コルフェは魔術師から距離をとった。


「お兄ちゃんは帰ってこない……。敵討ちもできない……。もう、生きてる意味なんてないよ……」


 大人になったら花屋を開くと約束した。その花屋を手伝ってくれると約束した兄は、この世にいない。

 遺品となった兄の服を抱きしめ、自分の手首にガラスの刃を向けた。そして一気に切り裂こうとした。だが次の瞬間、アレスの大きな手が割り込み、ガラスの刃を包み隠した。自殺を阻止しようとしていた。

 コルフェは拘束を解こうと闇雲に手を動かした。だが、びくともしない。


「放して! お兄ちゃんのいない世界なんて嫌! 死なせてよ!」

「兄がそれを望んでいるのか!」


 大地を揺るがすような大音声に、コルフェは目を見張った。


「君の兄は、ここで妹にも死んでほしいと思うような人間なのか!」

「ちがう!」コルフェは怒鳴った。

「お兄ちゃんはそんな人間じゃない! 私をかばって死んだの! 私を一番に考えてくれる人なの!」

「よく分かった」


 アレスは穏やかな声で言った。


「君は、兄を愛しているのだな」


 コルフェは顔を上げた。アレスの瞳がまっすぐコルフェを見ていた。


「だが兄も、その気持ちに負けないほど妹を愛していた。そうでなければ自分の命をかけてまで護ろうとしないはずだ。それなのに君は死にたがる」

「ぁ……ぁ……」


 コルフェは息が詰まりそうなほど(あえ)いだ。


「愛する妹が死んで一番悲しむのは誰だ。君はもう、わかっているんだろう」


 涙でにじみだす視界に、兄がはにかむように笑った。


(なんでこんな時に笑ってるの……? どうして……?)


 心に思い描いた兄に問いかけ、ハッとした。

 悲しむ顔が思い浮かぶわけがない。だって、兄の悲しい顔を見たことがなかった。兄は、コルフェを心配させまいとどんな時だって明るい笑顔を見せていたのだ。

 悔し涙が止まらない。

『ありがとう』と伝えたい兄はいない。取り返しが付かない。


「お兄ちゃん……お兄ちゃん……!」


 コルフェはその場に崩れ、兄の服を抱きしめながらわんわん泣いた。




「君はこれからどうするつもりだ」


 コルフェが落ち着くのを待って、アレスが切り出した。


「……わからない」


 流せる涙もなくし、涸れた声しか出なかった。


「どこかに頼れる人はいるか」


 コルフェは首を横に振った。アレスは「そうか」と呟いて、


「もし君が良ければだが、家族にならないか」

「え?」

「父と、母と、妹がいる。妹は、君から見れば姉になるな。みんなやさしくて、事情を話せば君のことを大切にしてくれるはずだ」


 耳を疑った。敵国の魔術師が養子にならないかと誘っている。

 確かに頼れる人は他にいないが、すぐに決められる事ではなかった。

 それに、シルバート王国では貧富の差が激しく、貧しいところでは人身売買も行われると噂されていた。もしかすると奴隷商人に売られるのでは、という疑いもあった。


「君の大切な人生だ。じっくり考えてくれ。気持ちが固まるまで俺は傍にいる」


 アレスは踏み均した草の上に腰を下ろした。



 ***



「私が決心するまで本気で待つつもりだったみたい。どっしりと構えて岩のように動かなかった。でもね、時間が過ぎて夕日が沈む頃になると、急に落ち着きがなくなったの」

「もしかして追手が来た……?」


 柳眉をひそめて聞くと、コルフェは首を振った。


「オオカミに変身するのを見られたくなかったみたい」

「あぁ」


 そういう事かと肩の力がぬけた。


 夕陽が落ちて空が紫紺に染まる時、アレスは銀色の狼へと変身する。本人が無意識の状態でも、たとえば寝ている時でも、夜を迎えると銀狼になってしまう。そして、変身を見られて気味悪がられるのをアレスは嫌っていた。


「私達の前では平気な顔をしているけど、昔は銀狼の姿を見られるのを本気で嫌がっていたし、鏡で見るのも嫌っていたぐらいなの」

「本当に?」


 コルフェはうなずいた。


「あの時も沈む太陽を振り返って切羽詰まったようにこう言ったの。『今からオオカミの姿になってしまうが、気にするな。見た目が変わるだけで中身は変わらない』必死に弁明してくるの。狼の姿とか急に言われても何が何だかさっぱりわからなくて、そのうちにアレスの体が光りだして、変形していくの。確かに光に包まれて変化していくのにはびっくりしたけど、でも、光の中から生まれた銀狼は美しいと思った」

「その気持ち、すごくわかる」


 舞姫学校『セフィル』の裏山で初めて出会った時から感じていたことだ。

 銀色の毛並みを夜風になびかせる姿は雄大で美しい。特に、月明かりの下でたたずむ銀狼は、力強いのに儚げで、近寄りたくても近寄れない孤高の雰囲気をまとっていた。


「あんなに美しい姿なのに、どうして隠したがるのかな?」

「私も不思議で、何度か訊いたことがあるんだけど、ちゃんと答えてもらったことがない」

「そうなんだ」


 理由を知りたい気もしたが、今は諦めることにした。


「それで、それからどうしたの?」

「アレスの持っていた携帯食を分けてもらって、それから……その夜は寝床がなかったから、ふさふさのしっぽに包まれて眠ったの」


 ユイナはまじまじとコルフェを見た。


「それって……」


 心当たりがあった。反逆者を助けた罪で追われ、アレスと二人で逃げていた時、夜の山の寒さに凍えて銀狼のしっぽに包まれて眠ったことがあった。

 その翌朝、目を覚ますとアレスは人間の姿に戻っており……、


「抱き枕にされた……?」


 今度はコルフェがびっくりした。


「どうして知ってるの? そう。抱き枕にされた。もしかしてユイナも?」

「うん、私も抱き枕にされた」


 目を覚まして息が止まりそうなほど驚いたのは、今となっては甘酸っぱい思い出だ。仰向けの状態で腕枕をされ、もう片方の腕で肩を抱き寄せられ、敏感な耳穴に銀髪美青年の吐息を吹き込まれるのだ。息が止まるかと思うのは誇張でも何でもない。

 でも、まさかコルフェも同じ体験をしているとは思わなかった。抱き枕はアレスとの特別な思い出だっただけに、他に同じ経験をしている人がいるのかと思うと特別が特別でなくなったみたいで寂しくなった。

 それにしても、少女を抱き枕にしている事実をアレスは気にならないのだろうか? それとも、わざとしている?

 まさか、アレスがそんな破廉恥なことをするわけがない。

 そう否定しながらも、ユイナ自身は抱き枕から抱擁へと発展する破廉恥な想像をして頭がくらくらした。もしも今が昼間だったら耳が真っ赤に染まって見えただろう。だが、今は真夜中だ。

 二人のいる屋上が、夜の静けさとは違う妙な静けさに包まれた。


「と、年頃の女の子を抱き枕にするのは、ちょっと問題があるよね」


 奇妙な空気を取り繕うようにコルフェが言った。ユイナの心はまったく別の場所にあったので、「も、問題ッ!?」と声が上擦った。


「だ、だから、あんな風に抱き枕にされたら、す、好きなのかと勘違いする人がいてもおかしくないじゃない?」

「そ、そ、そうだね。も、問題だね。勘違いする人もいるかもしれないね」


 自分は違うと言外ににおわせていると、


「でも、アレスに悪気はなかったと思う」


 コルフェが言った。


「むしろ、私が寂しくならないように抱きしめてくれたのかも……、思い返してみるとそんな気がしてくるの。――ユイナが抱き枕にされた時はどうだった?」

「私の時は……凍える姿を見かねて温めてくれたんだと思う。あの時はアレスが侯爵殺しの反逆者だと思っていたから、『寒いなら俺のところに来い』と言われても断っていたんだけど、『言うことを聞かなければ噛み殺すぞ』って脅されて無理やり温められたの。でも、おかげで凍えずに済んだ。怖かったけど、それがアレスなりのやさしさだったのかも。気持ちを口に出さないからわからないけど、後になって振り返ってみるとわかるような、そんな遠回りのやさしさ」

「わかるような気がする」コルフェはうなずいた。

「アレスの家族になるか迷っている時もそうだった。結局、私が答えを出すまで三日もかかったけど、なぐさめの言葉はひと言もしゃべらなかった。今ならわかるけど、お兄ちゃんと私の間に割って入らないように気を配ってくれていたみたい。

 何か言うことがあっても、『おはよう』とか、『おやすみ』とか、『お腹がすいてないか?』とか、『兄を弔わなくていいのか?』とか……声掛けはするけど、急かしたり命令したりするわけではなくて、私が選ぶのを待ってくれた。

 兄の墓を作った時もそう。穴を掘るのを手伝うだけで残りは私にさせたの。お兄ちゃんの死と向き合わせるためにね。

 私はひとりで兄の服を燃やして灰を集めたよ。灰の半分は手許に残して、もう半分はリコリの花畑に埋めて墓をたてた。その後でアレスは、私と一緒に兄のために祈ってくれたの。何も言わずに祈るアレスを見て、この人は亡くなった兄を本気で考えているって気付いた。その時だね。アレスの家族になろうと心に決めたのは」


 思い出を語るコルフェは生き生きとしていた。普段はあまりしゃべらない彼女も、アレスのことになると雄弁になった。それだけ信頼しているということなのだろう。


 満天の星空を振り仰ぎ、コルフェが「ふぅ」とため息をついた。


「それからシルバートに連れられて、アレスのご両親やカトレアさんと会って、一緒に生活したの。それからしばらくしてルーアやミアと出会って仲良くなった。血の繋がった家族以外に、家族と呼べる人達ができたのはアレスのおかげ。感謝しても感謝しきれないよ」


 ユイナはうなずき、「そうだね」と言った。

 アレスに多大な信頼を寄せているのは二人とも同じだった。この場にカトレアがいたら渋い顔をしていたかもしれない。そう思うと、彼女の口から聞かされた否定的な言葉がよみがえった。


『あの男がやさしい? 本当にそう思っているの?』

『ピークホックで虐殺をしたのがアレスの部隊だったとしても?』


 あの柔和なカトレアにそこまで言わせる何かがアレスにはあるのかもしれない。

 たしかに、昔のアレスが多くの敵を殺し、『英雄』と呼ばれていたのは事実だ。しかし、今の彼に、罪のない人を殺せるとは思えなかった。七年前、同族の魔術師と戦ってまでコルフェを助けたことが、彼に芽生えた正義感を物語っていた。終戦後、彼に戦争孤児を集めさせたのも、その正義感と、孤児を生んでしまった罪の意識だったのかもしれない。そう考えると、『英雄』と呼ばれ続けた彼の苦悩は計り知れないものがあった。


(そもそも、虐殺に加担するような人を、私が好きになるわけないよ。本当のアレスを知っている私が、彼を信じないと)


 心に決めた瞬間、肩の荷が降りた。

 好きな人を疑う。それがどれほど心の重荷になるのか知った気がした。

 しかし、なぜだか心が晴れない。心配が消えたと思ったら、今度は、彼に会いたくて気持ちが急いてしまうのだ。


「はぁ」ため息をつくユイナの横で、

「はぁ」コルフェもため息をついて、廃坑となった山々に顔を向けていた。

「……?」


 コルフェの瞳が地上を見ていることに、ユイナは今さらながらに首を傾げた。


 なぜ星空を見上げていないのだろう?


 亡くなった兄を想って感傷にひたっているのなら、兄の魂が消えていった夜空を見上げるはずだ。ところが彼女の瞳は地上を見つめている。まるで生きている誰かを待っているかのようだ。


 ま、まさか……。


 心のどこかで気になっていたもやもやが、一つの答えに結びついていく。

 以前、ユイナはヨセフの告白を断ったことがあった。それを知ったコルフェは、まるで自分が失恋したかのように辛い顔をした。当時はヨセフに同情しているのだと思っていた。確かにそれもあったかもしれない。しかし本当は、コルフェ自身に片想いの人がいて、他人の失恋に自分の姿が被り、胸が痛んだのではないだろうか。

 そして、コルフェが想いを寄せる人は、もう、一人しか考えられなかった。


「コルフェ、もしかして……」

「え? なに?」

「えっと……。ご、ごめん。何でもない」


 コルフェの口から真実を聞かなくてもわかってしまった。

 ユイナ達の頭上で、ひとすじの流れ星が星空を横切った。コルフェはまったく気付かない様子で、「アレス、どこにいるんだろうね」とつぶやいた。

 ユイナはごくりと息を呑む。

 気付きたくなかった。

 コルフェは、アレスに恋している。


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