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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
38/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ14

 

 ***


 航海に出た父が行方不明になったのは、コルフェが九歳の時だった。母親はすでに他界しており、コルフェと兄は二人きりになってしまった。父の帰りを信じて待ち続けたが、どれほど待っても願いが叶うことはなく、両親の残した財産で生活する日々が続いた。そして、半年後には家賃も払えなくなった。

 大家の態度はさっぱりしていた。食い詰めた孤児を家から追い出したのだ。助けてくれる人はいなかった。

 兄はその時、誰にも頼らず兄妹二人で生きていくことを誓ったようだ。


 二人は住む部屋を探し歩き、街から往復二時間はかかる場所に廃屋を見つけ、そこに移り住んだ。窓は割れていたが雨風はそれなりに防いでくれたし、なによりそこは持ち主がおらず、家賃が要らなかった。

 兄は夜明け前から働きに出かけ、靴磨きや煙突掃除の仕事をして帰ってくるのは夜になった。コルフェも、わずかな食材で兄の弁当を作り、少しでも食費を浮かせた。それでも日々の食事に困った。兄が風邪をひいて休めばそれだけ生活も逼迫(ひっぱく)する。

 兄の代わりに働きに行こうとすると、兄は熱でふらつきながらコルフェにしがみつき、引き留めようとした。


「危険だからやめてくれ。食費のことは兄ちゃんがなんとかするから…!」


 必死に懇願されると断れなかった。ただ、危険な仕事を兄が強いられていると思うと心が痛んだ。

 兄は妹のことを考え、妹は兄のことを考える……つまりは、そんな兄妹だった。


 コルフェは近くの森に分け入り、食べられそうな木の実や草を探し回るようになった。リコリの花を見つけたのは偶然だった。ほんのりとした甘い香りに誘われて歩いていると、群れて生えるリコリの花と出合ったのだ。

 それは母が愛した思い出の花だ。結婚記念日になると父がリコリの花を買ってきて窓際に置いていた。コルフェもその可憐な花が大好きで、水をあげたり、海辺に持って行ったりした。リコリは潮風で色づく花だった。


 森で見つけたリコリの花はまだ白く、日当たりが悪いために貧弱に見えた。コルフェはその日から花の世話を始めた。家族が揃っていた頃の思い出の花にふれていたいと思う気持ちもあったが、綺麗な薄紫色の花を咲かせられたら、売れるかもしれないと考えたからだ。

 枝を曲げて日当たりを良くしたし、風を遮っている草を刈って潮風が通り抜けるようにし、水やりも欠かさずおこなった。それらの努力で花は美しく色づいた。あとは、兄が拾ってきた麻袋をいくつかに切り分け、それを花の根に土と一緒にくるませると、驚くほど売り物らしくなった。


 兄と二人で街まで売りに行くと、鮮やかな色合いと上品な香りで人集りができ、花は飛ぶように売れた。最後のお客が満足そうに花を持ち帰っていく背中を見送り、兄妹は抱き合って喜んだ。二人が手にする袋には一ヶ月分の生活費が詰まっていた。

 兄と支え合って生きていける。

 その実感がコルフェを幸福な気分にさせた。

 同時に、大きな夢がコルフェの胸に芽生えた。


「大人になったら、花屋を開きたい」


 その夢に兄は喜び、励ました。


「コルフェなら絶対にできるよ!」


 その日は兄と手をつなぎ、スキップをしながら家路についた。兄の腕に抱きついて飛び跳ねながら「おにーちゃん」と呼ぶと、はにかむような笑顔で応えてくれた。

 兄妹の胸には夢と希望が満ちあふれていた。それは二人を照らす夕陽よりも燦々と輝いていた。この幸せが一生続くと信じさせてくれるほど強く、そして蒙昧(もうまい)な想いだった。


 暗雲が立ちこめたのは三日後のことだった。敵国シルバートの魔術師団が、国境付近に姿を現わしたという情報が広まったのだ。シルバートは貧しい地域の多い国で、金を手に入れるために人身売買もする蛮国だと噂されていた。

 街から笑い声が消えていき、みんな息をひそめるような生活を始めた。次第にコルフェの花は売れなくなった。兄は、気落ちするコルフェを励ますように言った。


「今だけだ。そのうち活気が戻ってくる」

「でも、戦争になるって……」

「戦争になったとしても、ここは大丈夫だよ。港にたくさんの魔術師が集まっているだろ? あの人達はこの街を守るためにやって来たんだ。魔術で敵を追い払ってくれるから心配しなくていいよ」


 魔術師が配備されたと言うことは、そこが戦場になるという危険もはらんでいた。兄はその危険に気付いていたはずだが、妹を心配させないために嘘をついた。そして、幼いコルフェは兄の言葉を信じた。いや、信じ込むことで不安を乗り切ろうとしていたのかもしれない。


 ピークホックが悲劇の舞台となるのは、それからまもなくのことだった。シルバートの魔術部隊が領内に進攻し、軍事拠点でもあるピークホックの殲滅にかかったのだ。


 ズーーン……。


 地面をゆさぶるような音を聞いたのはお昼時だった。道行く街の人々も、広場で花を売っていたコルフェと兄も、遠く響く爆発音に振り返った。何事かと目を見張ったが、住宅に囲まれた広場からでは視界が悪く、様子がまったくつかめなかった。ただ、黒い煙が軍港の方角から立ち上っていくのが見えた。

 危険を感じ、逃げ始める者もでた。しかし、この時すでに、敵によって街は包囲されていたのだ。逃げようとした広場の先で爆発があったかと思うと、今度は別の方角からも爆発音が聞こえた。黒い煙がゆらゆらと昇っていく。街が、得体の知れないモノに包まれていた。

 敵が攻めてきたのだ、という事は理解できた。しかし、足がうごかなかった。


「に、逃げよう」


 立ちすくむコルフェの手を、兄がしっかりと握った。妹の手を握ることで、震えていた兄の足にも力が戻った。売り物の花を置き去りに、妹を連れて広場の出口へと急いだ。安全な場所などわからない。しかし、広場にいたのではすぐに見つかってしまう。そうなれば、間違いなく殺されると思った。シルバートの魔術師は極悪非道の魔術師軍団だと噂に聞いていた。身を隠せる場所を探すしかなかった。


「どけ!」


 広場の出口に駆け込もうとした瞬間、横から割り込んできた男に兄妹は突き飛ばされた。男は脇目もふらず、我先にと走り去っていく。だが、それが彼とコルフェ達の命運を分けた。一つめの角を曲がった男が、顔面を蒼白にして引き返してきたかと思うと、首と腕から血しぶきを上げて崩れた。見えない刃で両断された左腕がくるくると宙を舞い、石畳に落ちた。

 男の、あまりにも凄惨な結末に、コルフェは悲鳴さえ忘れて立ち尽くした。死骸は少しずつ蒼白い光を放って消え始める。その死骸を踏み越え、黒いローブを目深に被った魔術師が現れた。


「コルフェ……っ」切羽詰まった顔で兄が呼ぶ。


 我に返ったコルフェは手を引かれるまま別の道へと走った。

 視界の隅で、魔術師の男が斬るような視線を寄越したのが見えた。


 見られた…! 追ってくるかもしれない!


 その恐怖に背筋を凍らせ、無我夢中で広場に戻った。通りには敵がいるような気がして、近くで身を隠せる場所を探した。

 垣根の間をくぐり、建物の間にできた狭い空間に滑り込むと、前方と背後に気を配りながら中ほどまで進み、息をひそめた。あの魔術師が追いかけてくる気配はなかったが、敵の放つ魔術で空気が震え、悲鳴や怒号がいくつも聞こえた。

 不意に、手に触れた壁からゴトッと物音がした。その音だけで兄妹はすくみ上がった。息を詰めていると、壁越しに女の命乞いが聞こえてきた。


「許して、お金なら全部あげますから……うそ、そんな……ぎゃぁ!」


 断末魔の叫びが聞こえたかと思うと、女の声はぶつりと途絶えた。それからしばらくして、建物の二階からも悲鳴が聞こえた。敵は一人も逃がさないつもりなのか、一軒一軒と家を訪問し、住人を殺して回っていたのだ。

 カチカチと硬い音がした。恐怖であごが震え、歯がかち合っていた。敵に気付かれると思い、兄妹は歯を食いしばることでどうにか歯音を止めたが、すでに遅かった。垣根の向こうに黒い穴が浮いていた。それが魔術の黒穴だと気付くのと、兄に突き飛ばされたのは同時だった。

 手足を擦りむきながら横倒しになったコルフェの頭上を、嵐のような爆風が吹き抜けた。その爆風を地面に伏せたままやり過ごした後、恐る恐る振り返った。左右の壁が崩れており、うつぶせに倒れた兄が瓦礫の下敷きになっていた。出血しているのか、硬い石畳に血だまりが広がっていく。


「お兄ちゃん!」


 駆け寄ると、腕をつかまれた。


「にげろ……」


 すがり付く妹を、血に濡れた手で押し返そうとする。だが、すでに押し返す力もなく、なでるように滑るだけだった。

 コルフェは、瓦礫から兄を助けようとした。魔術師に狙われていることなど頭になかった。大切な人を失いたくない想いで必死だった。

 両親を失ってからずっと兄と二人きりで生きてきた。互いが互いになくてはならない存在だった。コルフェにとって兄のいない世界など考えられなかった。

 それなのに、兄の瞳から徐々に生気が失われていく。指が動かなくなり、その指先から光の粒子が生まれ、上空に昇っていく。兄の体が無数の粒子となって風に流されていく。兄の体が風に奪われていく。

 コルフェは光の粒をかき集めて兄にしがみつき、首を振った。


「いや……いや……」


 何度も首を振って、兄の死を拒絶した。



 ***



「お兄ちゃんは、最後まで私の心配をして、死んじゃった」


 そんな言葉で締め括られた物語に、ユイナの瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれた。

 彼女がどれほど兄を愛していたのか伝わってきたし、最愛の人を失う悲しみも、胸が張り裂けそうなほどわかった。ユイナにも、親友のシェスを殺された悲しみがある。

 時折、ミアの鼻をすする音が聞こえた。そんなミアの手を、姉のルーアがそっと握っていた。戦争に巻き込まれた兄妹の姿に、自分たちの姿を重ねてしまったのかもしれない。


「お兄さんのおかげで、今のコルフェがいるんだね」


 ミアが涙を拭いながら言った。しかし、コルフェは首を横に振った。


「逃げられるわけがなかった。だって、相手は凶悪な魔術師で、皆殺しにするのが目的だったんだから。実際、味方の魔術師も、他の住人も全滅だったみたい……」

「え、じゃあ、どうやって助かったの……?」


 怪訝そうなミアの言葉を聞きながら、ユイナは、その答えを知っているような気がした。コルフェをシルバート国に連れ帰ったのが誰だったか……。

 コルフェは床を見詰めたまま潤む瞳をまばたきし、答えた。


「アレスが助けてくれたの」


 それは、ユイナが思い浮かべた魔術師だった。


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