一花と呼ばれた舞姫学校へ13
宿へと向かうカトレアの隣に並び、ユイナは静かに歩いていた。彼女の歩調や息づかいから心情を推し量ろうとしてみても、平常通りに落ち着いていて、兄のことで声を荒げていたとは思えないほどだった。
兄妹の間にどんな過去があったのかはわからない。どうして許せないのか確かめたい気持ちもあった。でも、できなかった。彼女が嫌がるのは目に見えており、ユイナも相手が嫌がることはしたくなかった。
誰にも触れられたくない過去がある。隠しておきたい気持ちがある。
それはユイナにもあった。奴隷商人に殺された親友の事。祖国に置き去りにしてきた家族の事。もちろん、アレスを想って身を焼かれるような気持ちだって知られたくない。
ふと、コルフェのことを想った。
コルフェにとって、兄の死がとても繊細な問題であることは間違いなかった。たとえ七年の月日が流れたとしても、コルフェを突き動かすほど大切な人の死は、悲しい記憶として残り続けている。
(だとしたら、お兄さんの死に触れることは、やってはいけないこと……?)
考えれば考えるほど迷いは深くなるばかりだった。しかし、沈みそうになる気持ちを掬い上げるかのように明るい声が聞こえてきた。
「歌?」カトレアがつぶやく。
聞き慣れない歌だった。一人ではなく合唱している。
どこから聞こえてくるのかとユイナとカトレアは耳を澄ました。
表通りを曲がって宿の通りに戻ってきた時、声の主がわかった。宿泊している宿の前で三人の女児が集まり、歌を歌いながら飛び跳ねていた。バレット、モンシー、クロエの仲良し年少娘だった。
遊ぶメンバーは男女で別れるものだが、女の中でも、年少組と年長組に別れることが多い。年長組はユイナ、コルフェ、ルーア、ミアの四人で、年少組は、今も宿の前で遊んでいるバレット、モンシー、クロエの三人だ。
「何をしているのでしょうか?」
ユイナは疑問を口にした。遊んでいるのは分かるが、見たことない遊びだったからだ。カトレアも首をかしげた。
「踊りかしら? 初めて見る遊びね」
歌に合わせて野ウサギのようにピョンと跳ねている。
「なんだか、たのしそうですね」
しゃべりながら近付いていくと、女の子達が気付いた。
「おかえりー」
「「ただいま」」
「何をしていたの?」
「動物家族!」
カトレアの問いかけにモンシーが元気よく答えた。
「動物家族? 自分達で考えたの?」
「違うよ。宿のおばちゃんに教えてもらったの」
ユイナとカトレアは顔を合わせた。
「フォークダンスの一種でしょうか?」
「そうかもしれないわね」
「ねぇ。楽しいから一緒に遊ぼうよ」
カトレアはうなずいた。
「そうしようかしら。――ユイナはどうする?」
「私は……」
遊んでみたい気持ちもあったが首を横に振った。
「コルフェと話をしてきます」
「わかったわ。よろしくね」
カトレアは言い残して女児の輪に加わった。
ユイナは宿の扉に手をかけたところで振り返った。
歌とルールを教える女児達は明るい顔をしていた。彼女達を見ていると、家族を失い、路地裏や人里離れた廃屋などで息をひそめて暮らしていたのが信じられないほど幸せそうだった。アレスに拾われた事で仲間ができ、友達ができ、笑顔を取り戻せたのだろう。
心からの笑顔に胸がじわりと熱くなるのを感じた。
人にはそれぞれ誰にも触れられたくない事があるのかもしれない。仲間だから友達だからという理由だけで触れられない事もあるかもしれない。しかしだからといって、友達とたのしく過ごすことに何の障害があるというのだろう。ましてや、友達とたのしく遊べる今が不幸だなんて誰が思うだろう。
「こんな簡単なことに気付かないなんて」
悩むことはないのだと思った。迷いは消えていた。
扉を押し開けて宿に入ると、右手にある階段から二階へと上がり、自分とコルフェに割り当てられた部屋の前に立った。コルフェは中にいるだろうか。右手の甲で扉を軽く叩いた。
コンコン。
しばらく待ってみるが何の応答もない。ドアを開けてみるとやはり無人だった。
どこに居るのだろうと辺りを見回していると、隣の部屋からルーア・ミアの姉妹が出てきた。
「ユイナ? 何してるの?」
部屋の前で突っ立っているので怪訝に思われたようだ。
「ねぇ、コルフェを知らない?」
「いいや、見てないよ?」
「そう……。ねぇ、カトレアさんから聞いたんだけど、一週間後がコルフェのお兄さんの命日だっていうのは本当?」
姉妹は互いに顔を見合わせた。
「言われてみれば、そうかもしれない。お兄さんの命日、リコリの花が咲く頃だからね。何日だったかな……」
「カレンダーに書いていなかったかしら」
ぽつりと漏らしたルーアのひと言に、ミアは手を打ってうなずいた。
「そうだった。それを見ればお兄さんの命日もわかるよ」
「カレンダー……確かに持ってるね」
コルフェとは同室なので、彼女のカレンダーが机に置いてあるのは知っていた。そして、寝る前には終わる日に×印をつけているのも知っていた。
「確かめてみようよ」と、ミア。
「勝手に見るの?」
「だって、知っておきたいでしょ?」
ミアの言うとおりだった。それに、置いてあるカレンダーを覗くだけで、秘密の日記を読むわけではない。悪いことではなかった。
ユイナはうなずき、姉妹と一緒に部屋へと入った。両脇の壁際にそれぞれベッドが設置され、入口正面に窓と、共有の机があるだけの簡素な部屋だ。目的の物は探すまでもなく机に置いてあった。まっすぐ机に近付いたミアが、カレンダーを手に取った。
「やっぱり書いてあった」
言いながらカレンダーの一カ所を指し示す。その箇所には平民文字で、『舞姫学校の掃除』『コルト・七回忌』と書かれていた。『コルト』とは兄の名だろう。
「あれ? お兄さんの命日と掃除が重なってる……」
「カトレアさんに同じことを指摘されたよ。コルフェはお兄さんの魂を鎮めるために夜更けまで祈りを捧げるから、夜の掃除に参加できないんじゃないかって……。ミアもルーアも聞かされてなかったんだ」
意外だった。二人ともコルフェとは戦後まもなくからの長い親友なので知っていると思ったのだ。
姉妹は神妙な顔でうなずいた。
「コルフェはいつも、アレスと二人で鎮魂の祈りをしているからね」
「二人だけで?」
「うん。私達も祈りを捧げたいけど、遠慮されてしまうの。お兄さんの死と私達は関係ないし、長い時間祈りを捧げるのは大変だからって。そう言われたら強くは言えないじゃない。でも……。確かにお兄さんとは関係ないかもしれないけど、私達は友達だよ? 少しは頼ってくれてもいいよね?」
ミアは納得がいかないようだ。彼女の言いたいことも分かるが、コルフェもまた友達だからこそ遠慮しているのかもしれない。
部屋に沈黙が下りてくる中、ルーアがぽつりと言う。
「でも、本当にどうするつもりかしら。コルフェが掃除を休むとは思えないし、お兄さんへの祈りをしないとも思えないし……」
ではどうするのかと考えると、答えが出てこない。
コルフェの気持ちは本人にしかわからない。
「本人に聞くのが一番だね。繊細な問題だから注意して聞いたほうがいいかも」
「さりげなく聞いてみようか」と、ミア。
ユイナはうなずき、遅れてルーアもうなずいた。
「――私なら大丈夫だよ」
不意にかけられた声に驚いて振り返ると、戸口に少女がいた。
「コルフェ……」
コルフェは部屋に入って扉を閉め、歩み寄ってきた。そしてユイナ達と視線を合わせ、申し訳なさそうに目を伏せた。
「ごめん。そこまで心配されているとは思わなかった」
「心配するよ!」ミアが声を強めた。
「だって、お兄さんの命日が近くなって、どんどんふさぎ込んでいくコルフェを知っているから。最初の時なんか、みんなが励まそうとしても笑ってくれなくて、もしかしたら自殺してしまうんじゃないかと思って心配だった」
「そうだったね……」
コルフェは泣きそうな顔でうつむいた。引き結んだ唇が震えている。にじんできた涙を指で拭い、二度三度と拭ったが、勢いを増した涙は、ポタ……ポタ……と床に落ちていった。
細く頼りなげにすすり泣く友達を、ユイナはそっと抱きしめた。友達のことで気持ちが沈んだ時、カトレアに肩を抱かれて落ち着いたように、コルフェの悲しみもなぐさめられたらと願った。
彼女が落ち着くまでしばらく抱きしめていた。
コルフェは涙ながらにうなずき、「ありがとう。もう大丈夫だよ」と言った。
そっと腕を解いて離れると、コルフェは呼吸を落ち着かせて頭を下げた。
「今まで黙っていてごめん。来週はお兄ちゃんの命日なの。それで、お願いがあるんだけど……」
「あー、それなら心配しなくていいよ。夜の掃除なら私達に任せて」
ミアの言葉にユイナもルーアもうなずく。
「そうだよ。だから安心してお兄さんのために祈ってあげて」
しかし、コルフェは首を横に振った。
「そうじゃないの。今年は、みんなと一緒にお祈りしたいの」
「……ぇ?」
三人とも顔を見合わせた。みんな戸惑いの色を浮かべている。お祈りをしたいと思う気持ちはみんな一緒だが、それにはどうしても避けられない問題があった。
「一緒にお祈りはしたいよ。でも、お祈りは夜更けにするんでしょ? 掃除と重なってるよ?」
「その事なんだけど、今年は昼間にお祈りしようと思うの。掃除と重なっているのもあるけど、夜だとアレスが人里まで出て来られないから……」
「あ、そっか」と、ユイナは納得した。
「夜だと銀狼になってしまうものね。知らない人が見たらびっくりしてしまう」
「でも、お祈りは夜更けにするのが仕来りなんでしょ? 昼間にしていいの?」
「普通はしないね。だけど、お兄ちゃんならきっと笑って許してくれると思う。それに、昼間にした方がいいと思ったの」
「どうして?」
ミアの問いかけにコルフェははにかみ、小声で答えた。
「私の大切な友達を、明るい時にちゃんと見てもらいたいから」
彼女のあたたかい言葉に包まれ、ユイナ達の頬も薄紅色に染まった。
コルフェは照れ笑いをしている。大好きな亡兄に友達を紹介できる事がうれしいようだ。そんな幸せな顔を見ていると思い知らされた。
「お兄さんの事、愛しているんだね」
コルフェが瞬きしてユイナを見詰めた。それからうなずいた。
「うん、そうだよ」
迷いのない答えだった。その様子をじっと見詰めていたミアが突然、問いかけた。
「お兄さんはどんな人だったの?」
「え?」と、コルフェが瞬きした。無理もない。家族の死は、一生消えない傷となって彼女達の心に残っている。その傷口に触れる事はタブーとされていた。
「ミア、それは聞かなくても……」
ユイナは止めるように首を振った。しかし、ミアは引き下がらなかった。
「いけない事だとはわかっているつもり。でも、友達としてほっとけないよ。それに、コルフェの大好きなお兄さんについて私達も知っておくべきだと思うの。お祈りって、お祈りを捧げる相手がいて初めてできる事だから。想像した天女様に祈る人もいるだろうし、死者を思い返しながら祈る人もいるだろうし、遠く離れた誰かを想い祈る人もいると思うの」
たとえば、アレスの無事を願ってユイナが舞ったように……。
確かに、相手がいて初めて、祈りはできるのかもしれない。
「私はお兄さんの事を知りたい。知って、ちゃんと向き合って、お祈りしたい。も、もちろんコルフェが嫌でなければだけど……」
コルフェはしばらく考え込んでいたが、心を決めたようにうなずいた。
「ミアの言うとおりだね。それに、私も知って欲しい」
「いいの?」
「うん。むしろ、ずっと打ち明けたいと思っていたの。お兄ちゃんは私の誇りだから。――ルーアもユイナも聞いてくれる?」
「わかった」
「うん」とルーアも応える。
「ベッドに座って。少し長くなるかもしれない」
彼女の勧めでルーアとミアが右側のベッドに腰掛け、向かい合うようにユイナとコルフェが左側のベッドに並んで座った。
コルフェは胸に手を当て、真剣な顔でか細く息をはいた。それから何度も唇を動かそうとしたが、唇が乾いたかのように言葉が出てこない。
部屋は、払拭できない沈黙に包まれた。
もしかして無理をしているのではないだろうか、と心配になった。
心の奥にずっと隠してきた記憶は、きっと、痛みをともなっている。
何か声をかけるべきかと迷っていると、コルフェが照れ隠しのように笑った。
「なんだか緊張してきちゃった」
身構えていたユイナ達は肩すかしを食らったように力が抜けた。同時にほんのりと笑みがこぼれた。緊張しているのはみんな同じだった。
「誰も急いでないよ。ゆっくりでいいから」
コルフェは、こくりとうなずき、にじんできた涙がこぼれないように天井を見上げ、「ふぅ」と息をついてから顔を戻した。そして、ゆっくりと記憶の扉を開いた。




