一花と呼ばれた舞姫学校へ12
しばらくの間、カトレアと一緒に高台のベンチに座り、快晴の空を仰いでいた。見渡す限りの青空に、小さな白雲がぽつりぽつりと浮かび、その空を海鳥の群れが飛び交っていた。海鳥はぐるぐると回るように上昇すると、ある一定の高さで翼を閉じ、まるで吸い込まれるように海へと飛び込んでいく。音もなく海へと消えて魚を狩る姿は、おぞましくもあったが、美しくもあった。
どれほど時間が経っただろう。カトレアが立ち上がった。
「そろそろ戻りましょうか」
ユイナはうなずき、宿へと戻ることにした。
にぎやかな港町は遠く、廃坑の影響で閑散とした宿街を歩いていると、聞こえてくるのは砂を踏むふたりの足音だけだった。その音を聞きながら、ぼんやりと友達のことを考えた。
コルフェは毎日欠かさず薬術の勉強をしている。舞姫学校の掃除も、骨折で働けないギブリーさんの代わりに人一倍頑張っていた。
――私は、兄と死に別れて辛い思いをしました。ときどき思うんです。あの時ああしていれば、もっと違う結果になっていたかもしれない……。そう思うようになった時から、出来ることはやり尽くそうと心に決めてきました。
コルフェにとって死んだ兄はとても大切な存在だったのだろう。
彼女の気持ちは切実で、痛いほど伝わってくる。しかし、コルフェをそこまで突き動かす人物について何も知らなかった。顔や体型も、性格も不明。わかっているのはコルフェの兄という情報だけだ。
「コルフェのお兄さんって、どんな人だったのでしょうか」
素朴な疑問が、口を突いて出てきた。
カトレアが少し考えてから答える。
「妹を第一に考える兄、かしら」
「妹を第一に考える……?」
聞き返すとカトレアはうなずいて続けた。
「コルフェは幼い頃に両親を失っていて、兄がひとりでコルフェを育てたそうよ。もともと裕福な家庭ではなかったから、日々の食事にも困って、幼い妹と生活するために朝から晩まで働いていたと聞くわ」
「助けてくれる人はいなかったのでしょうか?」
「残念ながらいなかったらしいわね。それどころか、子供だからという理由で安い賃金で働かされたそうよ」
その話をするカトレアの瞳は、やるせなさと憤りで、見えない何かをにらみつけていた。
「ひどい話ですね……」と、ユイナも顔をしかめた。
「弱い立場の人をさらに追い込むなんて……、最低です」
子供だからという理由で不当な賃金で働かせる大人。子供を売り物にする奴隷商人。そして、それらが通用する社会……。そういった理不尽な人間、理不尽な社会を許せないと思った。
「もしかして、お兄さんが亡くなったのは働き過ぎが原因で……?」
ところが、カトレアは首を横に振った。
「違うわ。殺されたのよ」
ユイナは立ち止まった。
「殺された……?」
数歩先で立ち止まったカトレアが肩越しに振り返り、目を伏せた。
「そう、戦争の犠牲になったの。ピークホックの虐殺と言えば、ユイナも知っているでしょ」
その惨劇については知っていた。シルバート国民なら誰もが知っている。
現王コルセオスが、暴君と呼ばれた先王を倒し、十年の長きに渡る戦争が事実上の終わりを告げた日、敵国の奥深くまで独断専行していた部隊が、軍事港であるピークホックを襲った。犠牲になったのは海軍部隊と多くの武力を持たぬ平民。終戦の連絡が遅れたために起こった惨事であり、終戦後、シルバート国が厳しく非難され、多額の賠償金と多くの領地を奪われることとなった事件でもある。
「コルフェはその生き残りなのよ。そして、行く当てのない彼女をアレスが連れ帰った」
カトレアは胸の奥に仕舞い込んだ思い出に、そっと触れるかのように軽く一息をついた。
「私にとって、彼女が最初の孤児だったわ。出会ったばかりの頃はふさぎ込むことが多くて、自殺してしまうのではないかと本当に心配したけれど、アレスの指示で食卓に花を飾るのが彼女の仕事になってから、少しずつ元気を取り戻していったわね。もともと花屋を開くのが夢だったらしくて、毎日の食卓が華やかになったのを覚えているわ。それからしばらくして、アレスは旅先で見つけた孤児を連れ帰っては、また旅に出るという日々を繰り返すようになったの。家はだんだん子供達であふれかえって、ベッドは足りなくなり、鍋や食器も足りなくなり、その上、料理人もメイドも雇っていなかったから家事が膨大になって忙しかったわね。両親と一緒に四苦八苦したのを思い出すわ……」
二十人分の食事を作るのは大変だっただろう。二十人分の洗濯をするのは大変だっただろう。そうやって忙しいところにアレスが新しい子供を連れ帰ってくる……そんな光景を想像してほんわかとした。
「アレスはやさしい人だから、路頭に迷っている子供達をほっとけなかったのでしょうね」
しかし、それを聞いたカトレアの柳眉がひそめられた。
「あの男がやさしい? 本当にそう思っているの?」
カトレアの瞳に宿った怒りにユイナは戸惑った。彼女が腹違いの兄に対して冷たいのは知ってはいたが、まさか睨まれるとは思わなかった。しかし、だからといって好きな人の非難を聞いて黙ってはいられなかった。
「アレスはすごくやさしくて、いつもみんなのことを気にかけています。私も、家族から離れて辛い時もありましたが、アレスのやさしさに何度も救われました。子供達だって、同じ気持ちだと思います」
「ピークホックで虐殺をしたのがアレスの部隊だったとしても?」
「……ぇ?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。しかし、理解すると同時に天と地がひっくり返るような動揺に襲われた。建物の壁に手を当て、倒れそうになる体を支え、カトレアを見上げた。
「おかしいですよ。アレスがそんな惨いことをするわけがありません」
「そうかもしれない。でも、アレスがその部隊にいたのは事実よ。少なくとも虐殺の現場にいた。そしてコルフェを連れ帰ったの」
「………」
否定できなかった。
アレスが現場の近くにいたのは事実だろう。そうでなければ、敵国の軍事港であるピークホックからコルフェを連れ帰ることなどできないはずだ。
だが、それとは別に理解できないことがあった。
「どうしてですか」
アレスに対する憎しみが理解できず、まじまじとカトレアを見詰めた。
「どうしてアレスのことを悪く言うのですか」
カトレアは冷静な瞳で見詰め返していたが、ユイナの黒く澄み切った瞳におされ、視線を逸らした。
「わかっているのよ……わかっているけれど、どうしても許せないこともあるの」
その横顔に悲しみと憎しみがにじんでいた。
ユイナは柳眉をひそめた。
許せない事って何ですか?
そう問いかけようとした時、前方の路地から女の子のような顔をした男の子が飛び出してきた。ペントだ。彼はそのまま大通りを走り抜けて反対側の路地へと消えていった。すると、彼を追いかけて大通りに出てきたフィックスが、疲れ切ったように地べたにしゃがみこみ、「追いつけるかぁ!」とわめいた。どうやら鬼ごっこをしているようだが、ペントが大人顔負けの俊足なので容易には捕まらないのだろう。と、へたり込んでいたフィックスがこちらに気付き、手を振った。カトレアはほほ笑んで手を振った。それからユイナに顔を戻す。
「アレスの話はやめましょう。それよりコルフェのこと、お願いね」
重大な話をしていたにも関わらず、さらりと切り上げて歩き出した。
ユイナは立ち尽くしたままその背中を見送ることしかできなかった。
――アレスを許せない。
争いを好まないカトレアがはっきりと、憎しみを込めて言った。アレスと距離をおく理由に、間違いなく触れたのを感じた。ただ、同時に、カトレアにとって知られたくない部分に触れたのも感じていた。




