一花と呼ばれた舞姫学校へ10
「お父様は何を考えているのですか」
抗議のために校長室へと踏み込んだヘレンは、デスクに詰め寄るなり父親をにらみつけた。最初から喧嘩腰だった。椅子に深々と座って書類に目を通していたドルドランは眉をしかめる。
「何をそんなに怒っているのだ?」
「先ほどの踊り子の件です。無条件で参加させるような口ぶりでしたが、あれは本気ですか。舞踏大会の参加資格は毎年の選考会によって公平に決めていたはずです。それを無視して独断でメンバーを決めるつもりですか」
その事かと興味を無くしたように手にした紙面へと視線を戻す。
「選考会の結果など関係ない。舞踏大会には真に実力のある者が出るべきだ」
「では、お父様が目撃した踊り子は舞踏大会に出るべき実力の持ち主だとおっしゃるのですね?」
「その通りだ」
平然とした返事に、怒りがのどを突いて出そうになったが、ぐっと呑み込み、冷めた目で見下ろす。
「本当にそう言い切れるのですか? どこでどのように目撃したかはわかりませんが、相手の顔をはっきり見たわけではないのでしょう? その状態で踊りの細部まで確認できたのですか? 指先まで神経の行き届いた舞踊でしたか? もし、そうでないなら軽はずみな評価はすべきではないと思います。薄暗い星空の下では見えないものが多いことは人の想像を良くも悪くもふくらませます。それは夜が起こす錯覚です。この学校の舞踏場も、夜はランプを灯すことで神秘的な空気を生み出します。お父様はその錯覚に魅せられたのではないですか。たとえお父様の捜している踊り子が見つかったとしても白昼の下で踊らせてみれば平凡なのかも――」
バン!
ドルドランが書類をデスクにたたきつけた。
「それなら聞くが、お前に同じものが踊れるか?」
「踊れないものがあると思ったことはありません」
「わかった。そこまで言うのなら聞こう。テンルに捧げる舞の十八番はわかるな?」
今さら下級生でも分かるような質問を、と腹の底で思ったが、「わかります」と答えた。
テンルに捧げる舞・第十八番。別名『嵐の舞』は、神話を伝承する舞の一つだ。
人々が魔神と戦った遠い昔。いくつもの国を滅ぼした巨大な魔神が、ヴィヴィドニア大陸最大の都市に向けて侵攻した事があった。その都市は北東南の三方を雪に閉ざされた霊峰に抱かれており、そこから流れてくる潤沢な雪解け水のおかげで繁栄していた。大陸の人間にとって最大の軍事拠点であり、希望の象徴でもあったため、魔神に落とされるわけにはいかなかった。
王は周辺諸国に共闘の要請をし、その援軍と合わせて都市の前で魔神を迎え撃つ計画を立てた。ところが魔神は前人未踏の霊峰を越え、都市の裏側に姿を現わした。そのまま前進を続け、都市の水源である巨大湖の横断を始める。
裏を突かれた軍隊に衝撃が走る。都市に残していたのは足止めにもならない兵力だった。魔神はすでに湖の半ばまで来ている。兵を呼び戻すがとても間に合いそうにない。そんな時、湖のほとりに一人の女が現れた。女は虚ろな瞳で遠くの魔神を見やると、ゆっくりと手うちわを振った。すると、なでた空気が突風となって魔神の胸にぶつかり、魔神にたたらを踏ませた。
女はゆるりゆるりと舞った。指先から放たれる突風が次々と魔神を襲い、前進を止めさせた。女の舞は次第に激しくなり、空気を切り裂くような嵐が吹き荒れ始めた。いつもは穏やかな湖面が、無数の大蛇がうねるがごとく揺れて魔神を襲った。
魔神はうなり声を発しながら黒い稲妻をまき散らした。その稲妻をかいくぐって湖のほとりに布陣した軍隊は一斉に攻撃をしかけた。投石機が並べられ、大量の石が魔神に襲い掛かった。途中から援軍も駆け付け、投石で空が暗くなったほどだ。
その猛攻に無敵の魔神も悲鳴を上げた。背中が割れ、片腕を失っても抵抗していたが、戦況が不利とみると、巨大な魔口を開き、その黒穴へと逃げ込んで姿をくらませた。人々は魔神に深手を負わせて撃退することに成功した。それはヴィヴィドニア大陸で初めての勝利だったとされている。
その戦いで活躍した女は、それから数度の戦場に立って舞い踊り、最後は舞姫として命を落としている。彼女の死後、人々は哀惜と感謝の気持ちを込めて彼女の舞踊を後世に残した。テンルに捧げる舞・第十八番は、『嵐の舞』と呼ばれており、彼女が初陣で披露した舞を模したものである。
ゆるやかな舞と動きの激しい踊りが絶妙なバランスで共存しており、特にライマックスで行われる“旋回しながらの九連続跳躍”は、並外れたバランス感覚と舞技、そして、それを維持する体力と集中力がなければ不可能である。跳躍した時に少しでも旋回の重心がずれたりすると、手足が遠心力に負けて無様な姿になるのだ。
テンルに捧げる舞の中でも一、二を争う難度とされており、通常は上級生でもトップクラスの生徒が学ぶ舞だが、ヘレンは去年のうちに優秀な成績をおさめ、国内における舞手としての資格を取得していた。
「嵐の舞なら私も踊れます」
ヘレンは冷めた目をして言った。そのくらいの舞で騒ぐほどのことか、という見下した気持ちがあった。
しかし、ドルドランは首を横に振った。
「お前が踊れる事は知っている。私が見たのは『嵐の舞』であって、『嵐の舞』ではないものだ」
まるで詭弁ともとれる言葉にヘレンは眉をしかめる。
「いったい何をおっしゃりたいのですか。おっしゃっている意味がわかりません」
「アレンジだよ」
「……アレンジ?」
「そうだ。あの踊り子はまったく新しい『嵐の舞』を踊っていた。本来なら最後の見せ場でおこなう跳躍を中盤に混ぜていたのだ。テンポこそ遅かったが、地面に足を付けている時間より空中にいる時間の方が長かったのではないだろうか」
夜半の踊り子に思いを馳せているのか、遠い目をしていた。
ただ、それを見やるヘレンは冷たい目をした。
「それのどこがすごいのですか。舞踊とは連続した一瞬の物語です。流れを止めれば物語も止まる演劇と同じで、映えては消える一瞬一瞬の動きをつなぎ合わせて感動させる芸術です。はしゃぎまわる子供のように無闇に跳べばいいというわけではないでしょう」
「誰が子供のようにと言った? あれは激しさを表現していたのだ。嵐の舞と呼ぶにふさわしかった」
「しかし、それをずっと踊り続けることなどできますか?」
「できるだろう。あの者ならきっと」
自信満々に言う。とても質問の意図を理解しているとは思えなかったが、飽くまでも夜の踊り子を信じているようだ。
「……わかりました。仮にお父様の言う踊り子がいたとして、なぜ、お父様の呼びかけに応えなかったのでしょう? それは、人前で踊りたくないからではないですか?」
普段なら、自分と関係ないことには首を突っ込まないヘレンだが、今はなぜか口が止まらなかった。父親への嫌悪、反抗心、そして、胸の奥にある正体不明のもやもやがヘレンの口を動かしていた。
「人前で踊りたくない?」
「わざわざ隠れて踊っていたわけですし、人目にさらされることが嫌なのではないでしょうか? そういう者が大会に出た所で十分な力を発揮できるとは思えません。私はそのような人間に参加してほしくはありません」
「見られたくないわけではない。あの踊り子にも、踊りに合わせて手拍子する観客がいた」
「…………」
「それにしても、なぜだ」
浮腫んだ顔の奥から二つの瞳がいぶかしげにヘレンを見ていた。
「どうしてそこまで否定する? 我が校が名誉を取り戻すチャンスなのだぞ」
「そんな事はわかっています」
「それなら反対する必要がないではないか」
「それは……」
一度は開きかけた口をヘレンは閉じた。父親を納得させるだけの返答がなかった。
年に一度おこなわれる舞踏大会で優勝する事を目指してきた。ところが実際は万年最下位。それも十年以上連続だ。その長い年月の間に、他校からの蔑視や侮辱には遠慮がなくなった。
『あら、懲りずにまた来たわよ』
『レベルの違いがわからないのかしら?』
『馬鹿だから気付かないのでしょ』
他校の生徒達はまるで挨拶を交わすかのような気軽さで陰口をたたく。
舞姫学校の生徒という同じ立場でありながら、自分たちが一段も二段も上の存在だと思っているのだ。だが、実際に踊ってみればなんのことはない。そんな陰口をたたく大半の生徒がヘレンよりも格下の踊り子だったりするのだ。
その差を見せつけ、いつか陰口さえもたたけなくさせる。
それは、父親だけでなくヘレンの気持ちでもあった。だから、技術的に長けた踊り子がともに戦ってくれるのは心強い。しかし、ヘレンには気がかりなこともあった。それがどうにも引っかかるのだ。
「もしや、落ちる事を恐れているのか?」
ドルドランの言葉に顔が引きつった。それを図星だと取ったのだろう、ドルドランは「ガハハハ」と耳障りな声で笑った。
「そうか、それを心配していたか。気にする必要はない。私が踊っているのを見たのは一人だけだ。校内トップのお前が選考から外されることはない」
歯噛みしながら聞いていたヘレンは父親をにらみつけた。
「そんな事はわかっています。誰が相手であろうと負けるつもりはありません。ですが……」
夜中に踊っていた者が十名しかない舞踏会の選手枠に入ってくるとしたら、それはつまり、いつものメンバーから脱落者が出るという事だった。
もちろん、校内一の踊り子と称されるヘレンに脱落という二文字は考えられなかった。そのかわり、もしかしたら、友達の誰かが落ちるだろうという予感はあった。十年もともに練習してきた友が落とされるのは気持ちのよいものではない。
ヘレンのルームメートは、孤独になりがちなヘレンを守るための友達でもある。しかし、ドルドランの狙いはそこにはなく、ヘレンと切磋琢磨させて優秀な踊り子に育て上げることにあった。その目論見が成功したかと言えばそうでもない。十年の歳月を経ても、他校の生徒と競える力はなかった。ドルドランからすると、そんな出来損ないの彼女たちを切り捨てることに痛みもかゆみもないのかもしれない。だが、ヘレンからすると、長年付き添った友達が一緒に大会に出られないのは寂しいことだった。決して認めたくはない事実ではあるが……。
ドルドランは黙り込んだ娘にため息をついた。
「何が不満なのか知らないが、私は必ず見つけ出すぞ。そして今までの汚名を返上してやるのだ。ヘレンもそれらしい人物を見つけたら知らせるのだぞ」
「……わかりました」
言いたいことは山ほどあったが、これ以上は無駄だと思った。
一礼して校長室を後にする。そして部屋から十分に離れたところで、ギュッと拳をつくった。
「誰が捜すものですか。バカバカしい」
教員棟を出ると、朝日はすっかり昇り、花壇に咲く紫の花を照らしていた。
もうすぐ授業が始まる。のんびりしていられなかった。




