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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
32/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ8

 

『カカシの休息』それが、今から演じようとする舞の正式名称だった。世界中を捜しても知る者は少ない、小国で毎年行われる豊作祈願の舞。ユイナが十歳の頃に見たのは、それを芸術の域に昇華させた舞だった。


 石畳に置かれたランプの灯火が、衆前に立つユイナを淡く照らしていた。エプロン姿のユイナは、両足をぴたりと合わせ、つま先立ちになっていた。ただでさえ細身の身体はさらに細く、吹けば倒れてしまいそうなのに、流れる夜風にスカートがはためいても、地面に突き立った棒のように身動き一つしない。

 それどころか、遠くを見詰めるように開いた瞳は、まるで別の世界を覗いているかのように、星空の明かりを受けて虚ろに光っていた。その姿はまるで石像だ。校内にいくつか舞姫の石像が並んでいるが、それらと見間違うほど同化していた。


 コルフェ達は知っていた。ユイナが舞姫学校の生徒であることも、そして、踊り子として並外れた実力を秘めていることも。だから、どんな舞が始まるのだろうと、両手を合わせて期待のこもった視線を送った。しかし、子供のお遊戯を期待していた先輩達は、様子がおかしい事に首をかしげ、そのまま顎がゆるんだ顔でユイナを凝視していた。


 まだ舞が始まったわけではなかった。最初の構えで固まったままだ。ただ、それだけの事が人目を惹き付けた。どのような舞になるのか見当もつかない。その緊張感と、異彩を放つユイナの立ち姿が、観客の心を鷲づかみにし、想像もつかない世界へと引きずり込むのだ。


 ひゅぅぅ、と風が鳴いた。


 ユイナの指先がぴくりと反応した。そして、扇子の親骨を撫でるように動かした。

 命を吹き込まれた扇子が、本物の蝶のように羽を動かし始める。羽ばたくこと一回、二回……そして三回……ユイナの腰から飛び立った。


 ひらひら、ひらひら。


 蝶は何度か上下に揺れながら飛翔すると、ユイナの鼻先をかすめていった。ユイナの虚ろな瞳がちらりと蝶を追いかけたが、カカシの仕事をまっとうするように顔を前に向けた。

 害鳥や害獣が畑に近づかないように見張ること。それがカカシとなったユイナの役目だった。心は肉体を離れ、麦畑に立てられたカカシの中にあった。そして、思い描いた麦畑とは、養父であるガモルド男爵の麦畑であり、ユイナが一番慣れ親しんだ風景である。ユイナはガモルド男爵の麦畑を護るカカシになりきっていた。


 蝶はユイナの前を何度も行ったり来たりした。まるで遊んでほしいとせがむ子供のように。しかし、無視を決め込んだユイナは見向きもしなかった。カカシが仕事をしなければ、大事な麦が荒らされてしまう。持ち場を離れるわけにはいかないのだ。

 すると、蝶はユイナの鼻頭に止まって羽をぱたぱたした。鱗粉が宙に舞い、それを吸い込んだ鼻がむずむずした。必死に堪えようとしたが、どうにもならなかった。


「はくちゅん!」


 かわいらしいくしゃみが出た。

 蝶は、やった、と言わんばかりに喜びのダンスを踊った。

 怒ったのはユイナだ。カカシの仕事を忘れて蝶に鋭い視線を送っている。

 蝶は軽い身のこなしで右へ左へと花びらのように舞って翻弄すると、夜風に乗って横へと流れ、ユイナの背後へと隠れてしまった。そのまま姿を現わさないと思ったら、見失ってきょろきょろするユイナの背中にくっついていた。


 想像もしていなかった喜劇に、観客たちからくすりと笑いが沸いた。


 蝶は観客にアピールするように羽ばたいた。それから静かに飛び立つと、ユイナの耳をつついてびっくりさせ、喜んだ。

 お茶目な蝶々だ。それでいて、どこかにくめない。

 無邪気で、楽しそうで、でもそれは、(かま)ってほしいからとも取れた。

 怒って頬をふくらませていたユイナも、蝶と見つめ合っているうちに、毒気を抜かれたようにほほ笑む。地面に突き刺さった足を抜くようにジャンプし、月下の路面にステップを踏んだ。

 時には並んで駆けたかと思うと、

 時には身を寄せてじゃれ合う。

 星空の下で蝶と(たわむ)れる少女は絵になった。


 もちろん、蝶に似せて扇子を操っているのはユイナの指先だ。なのに、それを少しも感じさせない。なめらかに動く指先が、扇子に新しい命を吹き込み、別の意思で動いているように見せた。

 扇子の(かなめ)を人差し指と中指で揺らしていたかと思うと、ひるがえって向きを変えた瞬間には薬指と小指で挟み込んでいる。あまりにも早く、そして自然に扇子がひるがえるものだから、観客は何が起こっているのか気付いていない。わかっているのは、眼前の踊り子に心を震わされていることだけだ。


 手首を腰に添えて扇子を操っていたユイナは、ひじを外側に向けると、無音の旋律をつむぐように肩を揺らして上空へと伸ばしていく。すると、微妙な揺れは手首から指先へと大きくなって扇子に伝わる。腰のあたりを飛んでいた蝶が、鱗粉を散らすように羽ばたき、夜闇に残像をのこして星空へと抜けていった。その後ろ姿を振り仰ぐユイナは、無邪気に笑っている。


 観客ののどから、声にもならないため息がもれた。

 なんて楽しそうに踊るのだろう。

 観客のひとりは思った。

 こんな気持ちになるのは久しぶりだ。まるで、大人へと成長する過程で見失ってきたものが、ひょっこりと手元に返ってきたようだ。

 しかし、それがいつまでも続くわけがない。始まった事にはたいてい終わりがくる。ユイナの舞も同じだった。

 ひとしきり楽しんだ蝶がユイナと向かい合うと、感謝のダンスを舞った。そして最後に細い肩へと止まり、遊び疲れたように羽を休めた。

 やさしい眼差しで見守っていたユイナは、仕事へと戻るために顔を前に戻してつま先立ちになった。その瞳がふたたび遠くを見るように虚ろになっていく。

 しかし、それは最初の構えとは異なっていた。無表情だったはずの口許に、ほほ笑みが残っていた。



 踊り尽くしたユイナは、ほっと息をついた。思い描いていた麦畑がうっすらと消えていき、心は現実の夜景へと戻ってくる。

 扇子をたたんで両手に持ち、最後まで見守ってくれた観客に深く頭を下げた。

 まるで夢から覚めたように観客が瞬きをする。それから、夜の静けさを破るほどの盛大な拍手が巻き起こった。しかもどこで聞きつけたのか、他の場所を掃除していたグループまで合流しており、観客は倍にふくれあがっていた。

 大観衆の視線を浴び、ユイナは気圧された。

 踊りに集中していたので、観客が増えたことにも気付かなかったのだ。


「びっくりしたわ。あなた、踊りが上手なのね」

「あ、ありがとうございます」

「舞姫にでもなるつもりかい」

「い、いえ、そんな……」


 うれしくて、でもちょっと照れくさくて顔を赤らめた。


「それにしても、蝶の舞っていうわりには不思議なところがあったね。最初、石像みたいにかたまっていたのはどうしてだい」

「あ、ごめんなさい。あれはカカシになりきっていたからです。実は、私が舞ったのは『カカシの休息』と呼ばれている舞なのです」

「カカシの休息?」

「はい。人の姿に似せたカカシを畑に立てることで、害鳥や害獣を脅して寄りつかなくさせるのですが、それでも決して少なくはない作物が被害にあっていたそうです。そこで生まれた舞が『カカシの休息』でした。『カカシの休息』は、害鳥や害獣が動き回るカカシを見て逃げていくことを願った舞です」

「蝶はいいのかい? 幼虫だった頃にたくさん穀物を荒らすだろ?」

「蝶は神格化された生き物だから構わないそうです」

「なんだいそれは。変わった風習だね」

「私もそう思います」


 だけど、悪い風習だとは思わなかった。その土地にはその土地なりの想いがあるのだと感じていた。


「それはそうと、他にはないの?」


 遠巻きに観ていた四十代ぐらいの女性が言った。


「そうよ。あんなにすごい舞を見せられたら、もっと見たくなるじゃない」


 ユイナはうれしかったが、一つだけ気がかりがあった。


「時間は大丈夫でしょうか?」

「別に少しぐらいは構わないでしょ」

「でも、最近は物騒だからあまり遅くなるのもよろしくないね」

「あと一つだけ頼むよ。他にもあるんだろ?」


 リーダー格の女性が言った。


「あります……」


 言って考え込んだ。

 ユイナが通っていた舞姫学校は火の大天女を崇拝していたので、風の舞踊については教えていなかった。しかし、世界中の舞をもっと知りたくなったユイナは、図書館に通い詰め、関係ありそうな本を片っ端から調べて勉強した。そして成果はゼロではなかった。監査する人間が甘かったのか、怠慢だったのか、どちらにせよ、一〇〇分の一ぐらいは他の舞にもふれた書物があった。ユイナはそれらをつなぎ合わせて未知の舞や技を学んでいった。


「テンルに捧げる舞はいくつか知っています。と、言っても独学なので正しいかどうか自信がありませんけど……」

「いいわ。それ見せてよ」


 リーダーの言葉に周囲の人々もうなずいている。どうやら同じ気持ちらしい。

 ユイナは手にした扇子の親骨を指でなぞった。気持ちを高める時に物をいじってしまうのはユイナの癖だ。


「わかりました。やってみます。さっきよりも場所を広く使いますから、少し下がります」


 言って、観客から距離をおいて立った。

 観客の視線が集まる中、ユイナは閉じた扇子を水平にし、額の前に掲げる。


「いきます」


 そして、夜闇に走る風となった。



 ***



 静かな夜に、ドルドラン・モーリックは目を覚ました。

 起きてすぐに気付いた。身体の一部が限界に達しようとしている。抗いがたいほどの尿意が来ていた。


「くそ、またか」


 ずんぐりむっくりの身体をベッドから出し、ランプを片手に寝室を出た。

 漏れてはいけないと廊下を急ぐ。一歩進むたびにトイレは近づいてくるが、限界も近づいてくるような気配があった。

 これはもう、毎年襲ってくる持病のようなものだ。舞踏大会が近づいてくると、真夜中のトイレも近づいてくるのだ。積み重なる心労が原因だと医者には言われた。


(仕方ないではないかッ)


 ドルドランは歯がみした。

 毎年行われる大会では、国の東西南北を守る四の舞姫学校が集まる。そこで各学校から代表者を出しての舞踏会を行い、優劣を決めるのだ。ドルドランが校長を務める舞姫学校は、ここ数十年、不動の最下位を維持していた。

 毎年二位か三位を行ったり来たりしている校長からは皮肉を言われたものだ。


『万年最下位だというのによく心が折れませんね。もしや、我々を励ますために嫌な役を買ってくれているのですか?』


 そんなわけがあるか! 好きで最下位になるやつがどこにいる!


「馬鹿にしよって、今に見ていろ……あの鼻をへし折ってやるっ! ボッキボキの、ボッキボキにしてやるっ!」


 そうは言ったものの、生徒の実力とやる気を鑑みれば、今年も最下位になるのは回避できそうもなかった。彼女たちにとって大事なのは、舞踏会で少しでも良い成績を残すことではない。自身の美しさなのだ。

 いかに白い肌を保つか、いかに美しくなるか。それらが彼女たちにとっての最優先事項で、学校の名誉などは、おそらく上から数えて五本の指にも入らない。


(何が舞姫だ! 聞いて呆れる!)


 そう思った事は今まで何度あっただろうか。それこそ数え切れないほどだ。

 舞姫とは天女を身体に宿した踊り子を指している。その舞姫が魔術師に啓示を与え、救世主へと導いていく伝説から、魔術師たちは自分の花嫁を『舞姫』と呼ぶようになった。そして、その風習は貴族にも波及していった。令嬢達の花嫁修業の場として舞姫学校が誕生したのもその頃だと言われている。当初は舞踊一色の学校だったと歴史学の連中は言うが、途方もなく長い年月のうちに授業形態は変わってしまった。今では、少なくとも舞姫学校『ノノル』の生徒は、望んだ相手と結ばれることが最優先で、踊りは二の次となっている。

 しかし、それでも希望は捨てきれなかった。


 せめて本気で練習してくれたら、最下位ぐらいは脱出できるかもしれないのだが……。


「もう少し真面目な生徒はいないものか。はぁー……」


 夜の闇に沈むようなため息が漏れた。ため息をつくと虚しくなり、怒りも引いてしまった。


(用を済ませてさっさと寝るか……)


 そう思ったドルドランだったが、ふと、足を止めた。

 何か、音が聞こえる。


(手拍子?)


 ごく小さな音だったが、それは夜風に乗って確かに聞こえた。寝静まった夜だからこそ聞き取れた。


「こんな時間に誰が……?」


 換気のために開け放っておいた窓へと近づき、校内を見下ろす。ドルドランは教員棟の三階にいた。中央大通り沿いの見渡しやすい位置だ。

 ドルドランは手拍子の出所を探し、舞踏場、図書館、それから校舎へと視線を動かしていく。すると、校舎南棟の近くで動く人影を発見した。


 ランプの明かりで照らされた舞台で、白く小さな影が舞っている。

 それを見つけたドルドランは怒るどころか歓喜した。


「おお、こんな夜更けに練習に励む生徒がいたとは……! やはり悔しい思いをしていたのは私だけではなかったのだな……。それにしても、よく跳ぶ舞踊だな」


 感無量の思いで見詰めていたドルドランだが、妙な違和感に首をかしげた。

 現場まで離れているので、何の演目を踊っているのかは判別できないが、リズミカルに跳んでいるのはわかる。跳んでいるのが分かるが、妙に滞空時間が長い。跳んでいると言うよりも浮いている。

 右手に持っているのは扇子だろうか。すらりと伸びた両腕が翼のように見え、軽やかに羽ばたくのだ。それはまるで白い妖精だった。

 その鋭くもなめらかな動きに、身の毛がよだった。

 ぞわぞわと這い上がってくる震えに、贅肉でたるんだ身体が引き締まった。同時に身体の一部が痛みを訴える。


「も、もれる!」


 白い妖精の正体が気になったが、差し迫った危機にあわてて手洗いへと駆け込んだ。



 ***



 ユイナは楽しく舞っていた。ところが、それを止めるように飛び出してきた人影があった。


「えっ!?」


 驚いたユイナは、とっさに舞を止めた。恐る恐る邪魔した相手を確かめると、女装したテンマが立っていた。なぜ止められたのか分からず、真意を探るようにテンマを見詰める。

 いきり立ったのは観客だ。


「おい、いいところなのに邪魔しないでおくれよ」


 野次が飛んだ。しかし、振り返ったテンマは厳しい目で言い放った。


「さっさと逃げた方がいいぞ」


 腹に響くような男の声で注意をうながした。しかし、誰もがきょとんとした顔で突っ立っている。


「何をしている。誰かが見ていたことに気付かなかったのか」


 豊熟した女性の口から想像もできないような男声が発せられるので、観客は言葉を失い、まじまじとテンマを凝視していた。


「なぜ動かない? 先ほどあそこの窓からこっちを見る人物がいた……ですわよ」


 テンマも途中でそれに気付いたのか、語尾だけ女言葉のような何かを発していたが、それがあまりに気色悪く、観客は波が引くように身を引いた。

 それから十分な間を置いて、言われた意味をようやく理解した。


「誰かに見つかったの?」

「そうですわよ」


 あやしい女言葉でテンマが答える。


「どこ?」

「あちらの三階建て、ですわよ」


 それを聞いた人々の顔を真っ青になった。


「あっちは教師連中が寝泊まりしている建物だよ」

「まずいわね。逃げましょ」


 リーダーはうなずく。


「解散!」


 号令が出された瞬間、先輩たちの目つきが変わったかと思うと、ランプの火を消して蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。その俊敏さに驚いたユイナ達は「え? えぇ?」と、どこに行けばいいのかとおろおろする。


「何してんだい、こっちだよ」


 声の方に振り向くと、建物の陰からリーダーが手招きしていた。


「行こう」

「うん」


 ユイナ達はうなずき合い、星空の下から暗い陰へと飛び込んだ。護衛のテンマが足音も立てずについてくる。


「(ここ、段差があるから気をつけな)」


 リーダーが押し殺した声で注意をうながし、軽く跳んでいく。それに続くミアが肩越しに伝令する。


「(段差、気をつけて)」


 それを受けたルーアもうなずき、「(段差ね。――段差があるよ)」と、言いながらつまずき、後ろにいたコルフェとユイナに助け起こされた。


「(大丈夫?)」

「(大丈夫です)」

「(じゃあ、急ぐわよ)」

「(はい)」


 リーダーの指示に従って暗闇を駆けていく。

 走りながら、ユイナは心配だった。

 サボって踊っていた事が知られたら、どうなるのだろう。

 だが、心配するべきはそんな事ではなかったのだ。

 この夜の舞が、舞姫学校『ノノル』を揺るがす大きな波紋になろうとは、この時、ユイナは知る由もなかった。


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