一花と呼ばれた舞姫学校へ4
宿に戻ると、おばあさんの宿泊部屋は一目でわかった。ロビーを抜けていった一室の前に子供達が群がって入口をふさいでいるのだ。いつものように騒いではいない。みんな静まりかえって聞き耳を立てていた。
ユイナ達は廊下を進み、子供達がひしめきあってつくった人垣の後ろから、背伸びして室内をうかがった。
部屋の間取りは、他の寝泊部屋とほとんど同じだ。開け放たれた窓が奥にあり、外の空気を呼び込んでいる。窓際の机に花瓶が置いてあり、子供達が摘んできたと思われるうす紫色の花が外から流れ込む風に揺れていた。
部屋には、ルーア、ミア、カトレアの姿があり……他には宿屋の夫婦と、ベッドで上半身を起こした老婆の姿があった。その老婆が『舞姫学校に行ってみないか』と誘っているようだが、機嫌でも悪いのか、壁の方に顔を向けていた。
その老婆を、宿屋のおばさんが厳しい目つきで見下ろしており、その横で、カトレア達は困った顔をしていた。
なにやら不穏な空気がひしひしと伝わってきた。
老婆は顔を背けていたが、戸口の子供達が動く気配を感じたのか、ちらりと動かした視線をユイナ達の顔に止めた。すると、先ほどまでの嫌そうな顔が嘘のように笑顔を作った。
「いいところに来たわね。さ、こっちに入ってらっしゃい」と、手招きする。
全然いいところではなさそうだったが、コルフェと視線を交わした後、行くしかないと思い、子供達が開けてくれた道を進んで部屋へと入る。
老婆は真顔になり、ギョロ目でユイナ達を見た。
「あなた達にも聞いてみるけど、舞姫学校に入ってみたいと思わない?」
「ギブリーさん、こんな話はやめましょう」
止めに入ったのは宿屋の夫婦だ。
「お金が必要だというギブリーさんの気持ちも分からないではない。だが――」
「いいえ、全然わかってないわ」
老婆が負けじと言い返す。
「あなた達に私の焦る気持ちがわかって? このままだと仕事を取り上げられるかもしれないのよ。そうなったらどこで働けと言うの。……私がどうしてお金が必要なのかわかっているでしょう。怪我が治るまで私の代わりに働いてくれる人が必要なの。それに、この娘達も一度は花の舞姫学校に足を踏み入れてみたいと思っているはずよ」
「でも、夜の外歩きは危険だわ。あんな事件があったばかりでしょ」
事件? と眉根を寄せたが、一つだけ心当たりがあった。この大陸にやってきて聞かされた、真夜中に子供達が連れ去られて大人達が皆殺しにされた、その事件ではないだろうか。
「事件の目撃者なら夜歩きがどんなに危険かわかるでしょ」
ユイナを含め、カトレアやコルフェ達も瞬きした。
思いがけない事実にびっくりして老婆を見ると、また嫌そうな顔で壁に顔を向けていた。老いた横顔が頑なになっている。その横顔におばさんは尚も語りかける。
「段差に落ちて骨を折るだけで済んだから良かったものを、もし見つかっていたら、ギブリーさん、あなたも殺されていたかもしれないのよ。そんな危険な夜道をこの娘達に歩かせるつもり? 私はね、大切なお客に危険な目にはあってほしくないの」
「もういいわ、あなた達の言葉なんて聞きたくない。行くか行かないかを決めるのはこの娘達でしょ。何であなた達が口出しするの」
さすがにおじさんの顔色が変わった。
「なんて言い草だ。厚意で泊めている私達に対する言葉か」
「私は泊めてくれと頼んだ覚えはないわ」
「な、なんて恩知らずな……」
おじさんは顔を真っ赤にして怒りのあまりに言葉を失ってしまった。その横でおばさんも怒り呆れたのだろう、ため息をついて右手で頭を押さえていた。
しかし、老婆に気にした様子はない。それどころか、
「舞姫学校に行ってみたい気持ちはあるわね?」
ぎょろりとした目で問い詰めてくる姿は浅ましく、ユイナは柳眉をひそめた。
どうするべきか、と周りの反応をうかがうと、ルーア、ミア、コルフェも返答に困っている。行きたいと言えば心配してくれる宿屋夫婦の気持ちを裏切るし、行きたくないと言えば眼前の老婆が何を言い出すかわからない。
ただ、気になることがあった。
舞姫学校に行きたくはないかと聞かれるだけで、なぜ舞姫学校に行ってほしいのか、その理由を聞いていない。それに、舞姫学校で具体的に何をするのかも聞いていない。仕事というからには遊びに行くわけではないだろう。
それらを確かめてから結論を出しても遅くはないと考えていると、先にカトレアが話を切り出した。
「お返事を差し上げる前に、いくつか不明な点がございます。それを確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
丁寧で落ち着いた物言いに、老婆はどことなく身構えるように「いいわよ」と返事した。気品あふれる美女に気後れしているのか、目を合わそうともしない。
老婆の許しを得たカトレアは、ほほ笑んで質問に入った。
「舞姫学校を掃除する仕事だとおっしゃいましたね」
そうよ、と老婆は答える。
「その掃除は毎週行われ、すでに一回休まれているギブリーさんは、次回も休んでしまうと仕事を取られてしまうかもしれない。そして、仕事を続けるためには代人をたてる方法があり、私達にお声をかけてくださった。そういう事ですね?」
「……そうよ」
「大体の事情はわかりましたが、あと一つ、うかがってもよろしいでしょうか?」
「な、なにかしら」
「ずっとお話をうかがいまして、ギブリーさんが今の仕事にこだわる理由が、どうも生活費だけのためではないと感じました。このような事をお尋ねすると失礼と存じますが、どうしてお金が必要なのですか」
「………」
老婆の口が『へ』の字になって固まった。
「何か理由があるのですね?」
「息子さんに会うためですよ」
答えたのは宿屋のおばさんだった。老婆はちらりと彼女を見たが、自分の指に視線を戻した。カトレアが振り向いて質問する。
「ご子息に会うというのは、どういう意味でしょうか?」
「この村が地下資源で賑わっていた事は知っていますね。ギブリーさんの息子も、ここで坑夫をやっていたんですよ。ですが、地震などで落盤事故も多発して、鉱山は閉鎖されてしまったんです。それからどこへ行ったのか……。船に乗ってウィンスターに向かったことはわかっているのですけどね……」
「仕事を続けていらっしゃるのは、ご子息を捜しに行く旅費を稼ぐためですか」
「そういう事に、なりますね……」
静まりかえった部屋に、おばさんの重い声が落ちていった。
廊下で成り行きを見守っていた子供達も、目を見張ったまま沈鬱な顔をしている。
カトレアが老婆を振り返った。
「少し考える時間をいただいてもよろしいですか」
老婆が緩慢な動きで顔をあげる。
「いいよ。……でも、絶対にいい返事をちょうだい」
気力が抜けたような、それでも、一縷の望みも捨てきれない声だった。
ユイナは自分の胸を押さえた。
置き去りにされた老婆の姿が、あまりにも哀れで胸が痛かった。




