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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第二章
26/88

一花と呼ばれた舞姫学校へ2

 ***


 屋上の掃除が始まり、ユイナはほうきを手に自分の足跡を掃き消していた。


(アレスのために踊ったこと、気付かれてないよね……)


 それが心配で動悸がおさまらなかった。

 昨夜はアレスの無事を祈ることで頭がいっぱいだった。魔眼の海賊と遭遇し、戦闘になっているのだろうかと胸がそわそわして、無事でいてほしいという想いが居てもたってもいられなくして、祈りの舞へと駆り立てたのだ。

 屋上の足跡は、心からあふれたアレスへの想いだ。それを見られたことが恥ずかしく、また、足跡に残された想いに気付かれたらと思うと気が気ではなかった。


 アレスのためならどんな勇気も出せるユイナも、胸に隠した気持ちを知られることにはまったく勇気が持てなかった。なにしろ、恋を意識したのはたった数週間前だ。恋についてはまるで生まれたばかりの赤子のように右も左もわからない。それに、好きになってしまった相手にはメリル王女という傲慢な許嫁がいる。

 もし彼女に恋心を知られたら、好きになってはいけない人を好きになってしまった恥ずかしさと気まずさで、アレスとも目を合わせられなくなるのではないか……。それを想像すると、自分の居場所がなくなってしまうような、胸の張り裂ける思いがした。


 この恋は(カトレアには気付かれているものの)他の人には知られたくない。

 メリル王女にはもちろんのことだが、フィックスを始めとした男の子達にも細心の注意が必要だった。


「あと十秒! 九、八、七……」

「うおぉぉ!」


 ほうきを手にした男の子がユイナの横を猛然と駆け抜けていく。男の子達は今、誰が一番多くホコリを集められるかで競争しており、ラストスパートに入ったようだ。おかげで集めた砂ぼこりが風に舞って、一気にほこり臭くなる。


「こらぁー。あそぶなー! 終わらないでしょ!」


 女の子達が怒るが、そんなものでは彼らを止められない。普段は注意するヨセフも“あの事”を考えているのかぼんやりとしているし、頼みのカトレアも室内掃除に回っていて不在なので、男の子達はやりたいほうだいだ。


 やんちゃな男の子達は小さくおさまることを嫌うらしく、団体行動も苦手だ。そしてこれが一番問題なのだが、大げさに騒ぎたがる。たとえば男女がふたりっきりでいるのを見ると、『付き合ってるのかー?』とか『熱いよー』とはやし立てるのだ。この前は、ルーアの靴をエビンが修繕しているのを見ただけで恋人同士だとはしゃいでふたりを困らせていた。


 もし同じようなことをされたら赤面どころでは済まされないだろう。恥ずかしさで卒倒してしまうかもしれない。

 と、言うか、『付き合う』だとか『熱い』とか平気で口にしているけど、あの子達はすでに恋を知っているのだろうか? いや、知っているからそんな言葉を使うのだ。しかも、恥ずかしがる様子もなく、他人をからかう余裕さえある。


 恐ろしい子供……。


 まるで、数々の戦場を切り抜けてきた猛者のようだ。


 まさか、私がどんな気持ちで踊ったのかもわかっている?


 その視線を背中に感じたのか、フィックスがくるりと振り向いた。慌てて顔を逸らして目を合わせないようにする。暑くもないのに嫌な汗が出てくる。

 さいわい、フィックス達は遊びに夢中で、ユイナがこっそりと踊った理由まで深く考えていないようだ。とにかく、今は証拠を消すのが先決だと思い、ほうきを動かした。




 掃除は心の掃除でもあるという。屋上が綺麗になるにつれてユイナの心もいくらか落ち着いてきた。あとは集めたゴミを捨てに行くだけだ。それも女の子たちが率先して行っている。


「ふぅ……」


 ひと仕事の汗だか冷や汗だかわからない汗をハンカチでぬぐって顔をあげると、村の脇を抜けていく街道に、洗濯を終えて戻ってくる子供達の一行が見えた。

 ペントがルーアとミアの姉妹と談笑しており、その後ろで、ザイとエビンの二人が洗濯物を山積みにして重そうなカゴを抱えている。宿には四十を超えるベッドがあり、それらのシーツを全て洗ってきたのだろう、洗濯物の山からちょこんと顔を出して歩きにくそうにしていた。


「――まあ。きれいになったわね」


 振り向くと、屋上に出てきたカトレアがうれしそうに言った。


「ちょうど洗濯も終わったみたいだし、こちらも干せるように準備しましょうか」


 カトレアの指示でユイナ達は階段横の物置から竿と竿掛けを引っ張り出しにかかった。竿掛けは暴風でも倒れないように重石がついており、運びづらい。子供達も手伝おうとするが、「危ないからお兄さんとお姉さんに任せましょう」と、カトレアが止めた。そのかわり、「みんなでお花を摘んできて、お部屋を飾るのはどうかしら?」と別の提案を出して、子供の気持ちをそちらに誘導する。子供達は気持ちが変わりやすいもので、お花摘みに乗り気となった。


「ヨセフ、ここは任せるわね」

「わかりました」


 返事を確かめてから、カトレアは子供達の背中に手を添える。


「それじゃあ道具を片付けて行きましょうか」


 階下へと下りていく子供達を見やって、ユイナも作業を再開する。ほこりっぽい物置へと入り、奥にあった竿掛けを手にしようとした。そこに、灰髪の少年が駆け寄ってくる。


「ぼ、僕が持って行くよ」


 上擦る声でわかった。ヨセフだ。ユイナの二つ年上で十六歳になる少年。

 振り向くと、薄暗い物置の中でもわかるほど紅潮したヨセフの顔が近くにあった。ヨセフの顔はますます赤くなったが、ユイナの顔もそれに負けないくらいに赤くなる。そして、互いに顔を逸らした。


「大丈夫です。持てますから」

「いいんだ。重い物は僕に任せて。ユイナさんは竿を運んで」


 そう言って奪うようにして持ち、先に行ってしまう。

 残されたユイナは、なんだか顔が熱くて、火照りを逃がすように細い肩で息を吐いた。その柳眉は少し曇っている。ヨセフの思いやりが、逆に辛かった。


 彼に告白されたのは二週間も前のことだ。親元に帰ることが決まった時、切羽詰まった顔で『君のことが好きなんです。僕たちと一緒に来てください』と告白された。

 その返事を、ユイナはまだしていない。返事をしようと何度か試みはしたものの、そのことごとくが失敗に終わっていた。

 十五日間の船旅では割り振られた船室が別々だったし、昼間は船上の仕事だけでなく、海賊に襲われた負傷者の看護をしていたし、夜は夜でコルフェたちに薬術を教えていたので一人きりになる時間がなかった。たまたま一人で通路を歩いていて彼と鉢合わせすることも一度や二度はあったが、狭い船内だ、呼吸を落ち着かせて話を切り出すまでに誰かの足音が近づいてくる。そうなると、お互いに顔を真っ赤にしてそそくさと離れてしまうのだ。

 その後の気まずさは、何もユイナだけが感じるものではないだろう。

 しかし、良くも悪くもヨセフを意識していたためか、彼の誠実な人柄(ひとがら)を肌身に感じた。班長を任された彼は責任感が強くまっすぐで、時に押しつけがましいやさしさもあるが、それは他人とやわらかく接することができない彼なりの思いやりなのではないかと思うようになった。とにかく、ヨセフは誠実を絵に描いたような少年なのだ。


(そんな彼が私を好きだと言ってくれた。まっすぐな瞳で……)


 それはうれしい、と、素直に思った。でも、


(私にも気になる人がいる……ヨセフの気持ちに答える事は……できない)


 答えは決まっていたが、それを聞いた彼がどんな気持ちになるのかを想像すると、胸が詰まった。相手の気持ちを拒む、それも、大切な仲間の気持ちを拒むという罪悪感が、なかなか返答できない一つの要因でもあった。

 それでも、このまま返事をしないのは彼に対して失礼だろう。どこかで区切りをつけなければ、お互いに立ち止まったまま進めないような気もしていた。


(手紙で返事をすることも考えた方がいいのかな……、それとも……)


 思案していると、物置にコルフェが入ってきた。


「あれ? ユイナ?」


 コルフェは、薄暗い奥の方でユイナが背中を向けて立っているのを見て、気分でも悪いのだろうかと心配したようだ。


「ごめんなさい。ちょっと考え事していたの」


 笑ってごまかし、竿を持って物置から出る。


『あっ、それ、もう少しこっち側に寄せて。竿が届かないよ』


 青空の下、指示を飛ばすヨセフの姿があった。まるで胸のもやもやを振り払うようにせっせと働いている。彼も胸を焦がしているのかもしれなかった。




 ヨセフの手紙を見つけたのは、掃除が終わってすぐのことだった。

 部屋に戻ってバッグを開けた時、荷物の上にそっと便箋が置いてあったのだ。見覚えのない物だったが察しはすぐについた。「顔を洗ってくるから」と、ペントやコルフェ達に言い残して宿を出る。そして、人通りのない裏手の木陰で封を切った。手紙には平民の字で、ひと言、


『掃除が終わったら、村の出口で待っています。  ヨセフ』


 この手紙をバッグに忍ばせたのは掃除をしている間だろうか。無謀な事をすると思った。女部屋に入ってバッグに便箋を入れているところを目撃されたら、言い逃れはできなかっただろうに……それでもこの行為に及んだのは、ユイナが思っていた以上に、ヨセフに余裕がなかったからに違いない。

 もう一度、不慣れな手つきで書かれた文字を読み返し、そこからにじむ恋慕に柳眉を寄せた。手紙をポケットにしまい、注意深く辺りを見回してから、隣接する建物の裏側を通って村の出口を目指した。


 港町に比べ、この村には人通りがない。総人口が五百を超えてもおかしくない建物の規模なのに、大半が空き家となっているのだ。ユイナは、人気のない路地裏を抜けていく。聞こえるのは自分の足音や息づかいと、鳥のさえずりのみ。

 見上げるような三階建てが連なっており、村とはいえ、シルバートの村落とは比べるまでもない。ここまで大きくなったのも近隣でヘリオンと呼ばれる鉱物が採掘されたおかげだ。魔力の毒を遮断するヘリオンは、戦争の絶えない国に高値で取引され、鉱山をいくつも抱えていたロートニア国は莫大な財産を築いた。この村も規模から推し量るに、ヘリオンが採掘されていた頃は多くの坑夫が集まり賑わっていたようだ。ユイナ達が泊めてもらっている宿屋も、坑夫達の集合住宅として成長したのだが、今ではすっかり寂れてしまい、たまにやってくる旅人や貿易商人の宿として細々と続けている。

 この衰退には原因があった。対外的には海賊が原因だと言われているが、実際はそれだけではないようだ。輸送途中の資源や財宝を狙って現れた海賊は、ロートニア海上警備隊やウィンスター艦隊の活躍で大半が撃退されており、問題は産出量の減退や、相次ぐ鉱山事故にあったようだ。


 ユイナは村の出口に到着した。そこにも坑夫たちの集合住宅があったが、やはりひと気はない。ヨセフはまだ来ていないのかと歩いていると、


「ユイナさん」


 建物の陰からヨセフが現れた。


「あっちにベンチがあるんで、そこに行きませんか」


 突っ立ったままのユイナを誘って歩き出す。ユイナはそれに従った。

 二つめの建物を過ぎたところで曲がると、広い空間が現れた。そこは三方を建物に囲まれた中庭のような場所だった。

 昼前の日射しが、向かい合った二組のベンチを照らしている。ベンチが煌めいて見えるのは、積もった火山灰が陽光を反射しているからだろう。


「座ろうか」ベンチの前に立ったヨセフが、少し乾いた声で言った。


 ユイナはうなずき、砂を払いのけてヨセフと同じベンチに座る。二人の距離は近くもなく、遠くもない。膝に手をおいて座ったまま、互いに気を配り合っている。


 ドキドキしてきた。当人に向かって断りの言葉を告げると思うと緊張してきたのだ。胸に手を当てるとかなり鼓動も早い。


(でも、ヨセフだってはっきりさせたいはず……)


 手を強く握りしめる。


(言わないと、お互いに進めないままだ)


 ユイナは心を決め、勇気を持って口を開いた。


「ぁ……」


 意思に反して出てきたのは小さなうめき声だった。緊張でのどが詰まったのだ。

 なんだか縄跳びに入るタイミングを逸した気分で頬を染め、小さく咳払いをして、呼吸を整える。


「………」

「………」


 ユイナは何度も指を組み替えた。ヨセフは黙っていた。

 無言の時間がどれほど過ぎただろう。

 さすがにユイナの心も固まってきた。


「あの……」

「はい」

「わたし……」


 いざ口にしようとすると、言葉がのどにつかえてしまった。

 いいんです、とヨセフは言った。


「言ってください。それを聞くまで、僕は帰れそうにありません」


 彼の言葉は、背中を押してくれた。膝においた両手に力をこめ、正直に答えた。


「私、気になる人がいるんです。その人のことを考えると、他のことが考えられなくなってしまって……、だから……ごめんなさい」


 ふとした瞬間に思い出すのは、寒い夜、凍える身体をふさふさしっぽで包み込んでくれたアレスの温もりと優しさ。忘れられないのは、親友と敵同士になった彼の寂しげな横顔。


「そっか……」


 ヨセフは肩の力が抜けたようにベンチの背もたれに背中をあずけた。


「いや、そんな気はしていたんです。もしかしたら屋上のアレも好きな人のためじゃないかって考えたりして……」


 どきりとした。図星だったからだ。


「ユイナさん、一つだけお願いがあるんですが、いいですか?」

「……なんでしょうか?」


 恐る恐る振り向き、彼の表情に気づいた。少し泣きそうな顔で、涙を落とさないように何度か顔をしかめて、でも、最後は笑顔になった。


「ずっと……友達でいてもいいですか?」


 それはユイナが望んだことでもあった。


「もちろんです。だって、大切な仲間ですから」


 力を込めて言うと、ヨセフの笑顔が寂しそうにゆがみ、うつむいた。それからぽつりと、


「でも、もし……」


 そう言ったきり、黙ってしまった。


「もし……?」と続きをうながすように聞くと、ヨセフはまた笑って「何でもないです」と首を横に振った。そして最後に、

「がんばってください。思いが通じると、いいですね」


 それが本心なのかは分からなかった。しかし、ユイナのために言ってくれていることは確かだった。

 ユイナは膝の上で強く組み合わせた自分の指に視線を落とし、ヨセフに対する感謝の気持ちと、罪悪感で、「はい……、はい……」と首を縦に動かすことしかできなかった。



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