一花と呼ばれた舞姫学校へ1
開け放した窓の外には早朝の青い空が広がっていた。春のさわやかな風に小鳥達がさえずっている。
鏡の前に立ったカトレアは、腰元まである白銀の髪に櫛を通し、まるで編み物をするように結っていく。髪はたちまちアップスタイルにまとめられ、花の香がするようなほっそりとしたうなじが露わになった。髪留めでおおまかな形をつくった後は、細かい箇所を鏡で確かめながら整えていく。
もともと貴族令嬢の中でも抜き出た美貌の持ち主だ。軽く身繕いしただけで晩餐会に出ても恥じるところのない顔つきとなった。たとえ平民の服を身につけ、大掃除で袖が汚れないようにと腕まくりまでしていようと、彼女の気品は少しも色あせることはなかった。
「んーっ」
妙な声に振り向くと、側にいたモンシーが思い通りの髪にできないらしく、アヒルのような唇になっていた。今まで髪を結ったことのない女の子だったが、どうやらカトレアの姿に刺激されてマネをしたくなったようだ。
彼女を手招きして鏡の前に立たせると、灰色の髪を丁寧に梳いた。
モンシーの髪は首筋までしかなく、まとめる必要もなかったが、鏡でも見えるようにリボンを使ってツインテールにしてあげた。彼女は横向きになって鏡を見ながら髪をさわると、満足したように笑った。
身なりを整えて部屋を出たところで、ルーア、ミア、コルフェ、そしてユイナの仲良し四人組と出会った。ユイナ達も髪を結ったりして動きやすい格好をしている。
一緒に階段を降りていくと、ロビーに集まった子供達が今か今かと待ちながらおしゃべりしていた。
「静かにしてね」カトレアは言った。
「ここに泊まっているのは私達だけじゃないのよ。迷惑かけないようにね」
振り向いた子供達は、貝のようにいっせいに口を閉じた。そこに宿屋のおばさんが近づいてきたので、カトレアは会釈する。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。しかし本当によろしかったのでしょうか? 本来なら船旅の疲れを癒していただくはずなのに……」
気後れするおばさんに、首を振った。
「いいえ。格安で泊めていただいているのに頼りっきりでは申し訳ないです。それに、子供達の元気も有り余っているようですから掃除ぐらいはさせてください」
「そうですか……わかりました。お言葉に甘えさせてもらいます」
「ええ、そうしてください」
そう言ってほほ笑み、子供達を振り返って言った。
「みんな、準備はいいわね」
「おー! 始めようぜ」
男の子達がはしゃぎだすので、唇の前に人差し指を立てて見せる。
あ、しまった、という顔で唇をつまむ。元気は確かに有り余っていた。
それからカトレア達は二組にわかれることにした。一組はシーツの洗濯で、もう一組は宿の掃除だ。洗濯組をザイに任せ、カトレアは宿に残った子供達を振り返る。
「それじゃあ私達も始めましょうか」
すると、短髪の少年フィックスが走り出し、カウンターの後ろにあったモップをひっつかんで言った。
「モップもーらいっ。なぁ、アスティー、モップがけ勝負しようぜ」
誘われたアスティーは、「わかった、やろう」と腕まくりする。
「ふたりとも、それはまだよ。掃除をすればホコリも落ちてくるでしょ。モップは最後にして、先に上からしましょう」
「上からするのか? じゃあ屋上する。アスティー、屋上で勝負だ!」
「おう!」
カトレアはあきれ顔になり、「まじめに掃除をしましょうね」と、やんちゃ坊主を両腕でそっと抱き止めた。カトレアにつかまったフィックスとアスティーは、モップを手にしたまま顔を赤らめておとなしくなった。
その様子を見ていた宿屋のおばさんがほほ笑んだ。
「あら、いいじゃない。してもらえると助かるわ。ちょうど屋上を使いたいと思っていたところなのよ。きれいに掃除してもらって、ひさしぶりに屋上でシーツを干したいわ」
「そうだよな。ちょっとじめじめしてホコリっぽかったもんな」
「こーら」
カトレアがやさしくたしなめると、フィックスは逆にそれがうれしいのか、にへへと笑った。仕方のない子だと思いつつ、その笑顔が胸の奥をあたたかくしてくれる。
ここにいる子供達は胸が苦しくなるような暗い過去を抱えている。戦争で家族を殺された者、口減らしとして捨てられた者、人身売買の商品にされた者……決して忘れることのできない過去は、今もなお、子供達を苦しめることがある。ひとりぼっちになる寂しさ、捨てられた絶望感が、雛を狙う蛇のように子供達を追い詰め、困難に立ち向かう勇気を奪い去ってしまうのだ。
その事実に気づいた時、子供達が自信を持ち、勇気を持って飛び立つその日まで、雛を見守る親鳥になろうと決心した。その気持ちを子供達がどこまで理解しているかはわからない。しかし、カトレアを母親のように想い、心を開くようになってくれたことが、何よりもうれしかった。
「それじゃあ部屋と屋上を同時にやっていきましょうか」
その言葉にフィックスはモップを高々と上げて喜んだ。
「よーし、屋上に行こうぜ」
そう言ってアスティーとともに階段を駆け上がっていく。
「モップは屋上で使わないでね」
声をかけるが、果たしてちゃんと聞いているのかどうか。苦笑して他の子供達を振り返る。
「ヨセフはあの子達を見てね。部屋の掃除は水を汲んでくるから、それまで待っているのよ。ユイナとコルフェは水汲みを手伝って」
はい、と返事をした少年少女はそれぞれの掃除道具を手にして階段を上がっていった。彼らを見送ってユイナ達と向き合う。
「それじゃあ、私達も水を汲みにいきましょうか」
ひとり一つの水桶を持ち、宿屋のおばさんの案内で村外れの水路へと向かう。
外は抜けるような青空が広がっていた。雲一つ見当たらず、ふりそそぐ陽光はさんさんとして今日は絶好の洗濯日和だった。そんな晴天の下、ユイナ達に一つの質問を浴びせてみた。
「最近、夜中にこそこそと集まって何かをしているようね」
油断していたのだろう、水桶を抱えるユイナ達の肩がびくりと反応した。視線をきょろきょろと動かして取り繕おうとするが、それがすでに挙動不審だった。図星なのが丸わかりな様子に、思わず苦笑してしまった。
「薬草の数が減っていたけど、薬術の勉強をしているのかしら?」
「ご、ごめんなさい……」
逃げ場はないと判断したのかユイナ達は頭を下げた。
「別に謝ることはないわ。学びたいと思うことはとても大事なことだから」
「でも、勝手に薬草を使いました」
「そうね。それは悪いことだわ。ひとこと断りを入れてほしかったと思う」
ユイナ達は本当に申し訳ないと思ったようで、しゅん、となった。
「まぁ、隠れて勉強していた理由はなんとなくわかるわ。私に反対されると思ったからでしょ?」
“負傷者を救護するために戦場へ踏み込むことを”
ユイナ達は口を閉ざして答えなかったが否定もしなかった。
「危険なことだけはしないでね。もし、あなた達の身に危険が迫ったら、私だけじゃない、ザイや、アレスも身動きとれなくなることを考えて。……だけど、薬術を学ぶことは反対じゃない。大怪我をした時、薬術の知識が有るかどうかで生死が分かれることもあるでしょう」
少女達は神妙な顔でうなずく。
「どうせ薬術を学ぶのならみんなでしましょう」
ユイナが驚いたように振り向く。
「いいのですか?」
「自分や仲間を助ける術は、知っていて損はないわ。そうでしょ?」
ユイナとコルフェはお互いに目を合わせた後、満面の笑顔で「はいっ」と答えた。
水路で水を汲んだ。桶を胸に抱えながら来た道を引き返していると、屋上で子供達が手を振っているのが見えた。
『カトレアお姉ちゃーん!』モンシーが大声で呼んでいる。
カトレアは大きく息を吸い込んで「なぁに?」
『屋上にすごいのがあるの! 早く来てぇ』
それほど興奮するものが屋上にあるのだろうか?
「何かしら?」
「さぁ?」
ユイナ達は首をかしげた。宿のおばさんも不思議がっている様子で「何かあったかしら……?」と首をかしげている。
考えていても仕方がないので、とにかく宿に戻ることにした。
両手がふさがっているのでおばさんに扉を開けてもらい、ロビーから階段を上がっていくと、「早く早く」と上階から子供達に急かされた。「どうしたの?」と聞いてみても、「見てのお楽しみ」と笑うだけだ。何が何でも見て驚いてほしいらしい。
子供達に迎えられて屋上に出ると、隣にモンシーが来た。
「見てよ、これ」
そう言って腕を広げて指し示してくれた屋上は広場のように広々としていた。障害物のない平らな場所なので、子供達が輪になって踊ることも、ボール遊びもできそうだ。普段のカトレアならそんなことを考えたに違いない。しかし今は、屋上を埋め尽くした子供達の見せたいモノに目を奪われた。
白い砂ぼこりが屋上に敷き詰められていた。それもかなりの量だ。おそらく火山灰が風に乗って流れ、降り積もったものなのだろう。砂化粧された屋上には少女の足跡が点々と続いていた。踵で床をこするようにして歩いた足跡は屋上の中央へと続いたかと思うと、右の足跡が外側に向かって三日月を描いた。すると左の足跡も同じように三日月を描き、その先からテンポを上げたかのように足跡がかすれ、無数の弧が乱舞した。それを数えることは不可能だろう。いくつもの弧が折り重なり、さざ波となって屋上を埋め尽くしていた。
これはいったい……そう思っていると、隣から「ぁ……」と、反応の違う声が聞こえた。黒髪の少女が恥ずかしそうに顔をそらしている。
カトレアは問いかけてみた。
「もしかして、これはユイナがやったの?」
「ご、ごめんなさ――」
「うわぁすごい!」
なぜか謝ろうとしたユイナの声にモンシー達の歓声が重なった。
「何を踊ったの?」
興味津々で詰め寄る。ユイナは水桶を抱えたまましどろもどろになった。
「なんというか、覚えてないから」
「どうして覚えていないの?」
「その時の気分で踊ってしまったというか……」
「あたしにも教えてー」
「こ、困ったな……」
子供達に詰め寄られ、ユイナの顔は恥じ入るようにますます紅潮した。
それにしても、とカトレアは怪訝に思った。
ユイナほど踊りが好きで、しかも、美しく踊れる娘はそうそういない。誇るべきことなのに、なぜか隠そうとしているのが不思議でならなかった。




