侵略の標的
「陛下の期待に応えるためにも、よろしくお願いします」
総司令となったラインハルトが一礼した。ブラム達も一礼を返す。ただ、ギエンはもちろんのこと、ロナークもまた顔を合わせようとしなかった。
半年前まで一暗殺者にすぎなかったラインハルトが、たった今、総司令という国軍の頂点に立ったのだ。三十年の歳月をかけて侯爵に登りつめたロナークからしてみれば雷光が閃くような一瞬で追い抜かれた形となる。それも、自分の半分も生きていない青年に敬意を表すことにわだかまりもあるようだ。
そのくらいのことはラインハルトも気付いているのであろう。ちらりと彼らの反唇に視線を向けたものの、言及はせず、総司令として冷静に軍議を続ける姿勢を見せた。
「陛下が先ほどおっしゃった通り、この半年で事態は急変しました。事態を知らない国民にも異変を感じている者はいるはずです。なにしろ八年前の戦争で英雄と呼ばれた男が指名手配されているのですから。
アレスにメイス侯爵が暗殺されたことは、緘口令を敷いて広まらないようにしておりますが、隠し通せるのは時間の問題です。誰かが気付くでしょうし、いつどこで噂が流れるともしれません。そして、国を支えてきた強大な魔術師の離反を知った時、多くの国民が不安になるはずです。その状況で領土拡大のために兵を動かそうとすれば、猛反発を受けるのは目に見えています。まさか、国民を納得させるために、『シルバート大陸が沈むから海外に領土を広げるのだ』と公表するわけにもいきません」
「あたりまえ……いえ、当然です」
言いかけたロナークが言葉を濁し、言いなおして続ける。
「大陸の崩壊が知れ渡れば、国内が混乱するばかりでなく、その情報を嗅ぎつけた周辺諸国までどのような動きをするかわかったものではありません」
「そうです。我々はシルバート大陸が泥船であることを隠し通さなければなりません。もし、大陸の崩壊を他国に知られたら、大陸を逃げ出そうとする周辺諸国や、それを押しこめようとする海外の国々とで戦争がはじまり、大陸に多大な負担をかけるでしょう。それでは崩壊を早めるだけです。最小限の危険で安住の地を手に入れるためにも、我々は大陸の崩壊を隠匿しなければなりません」
「そうなると、それを知るアレスはやはり厄介ですな。我々を牽制するために他国に情報を流すということはないでしょうか」
「大陸が沈むことはアレスも望んでいないはずです。だとすれば、大陸内で戦端が開かれるようなことはしないでしょう。とはいえ、断言はできません。できることなら口封じは早めにするべきだと思います」
「それもまた容易なことではありませんな」
「ええ。陛下より与えられた“銀狼”の名は伊達ではありませんから」
ラインハルトの言葉に、ブラムは腕組みをしてうなった。
銀狼のアレス。彼の強さはよく知っているつもりだ。
八年前、まだ前国王が存命で戦乱が続いていた頃、敵の堅牢な古城を前にしたブラムは、味方の増援を待って城攻めを行おうとしていた。ところが、増援として現れたのは、仮面をつけた素性の知れない少年二人組だった。その二人組がアレスとラインハルトであり、しかも、大隊を動かさなければ落ちないだろうと言われていた城を、たった二人きりで攻め落としてしまった。
彼らが二つ名を与えられる理由となった戦場を思い出し、そして、その時の片割れが敵となったことを思うと、悪寒で背筋が震えた。ギエンとロナークは彼らの強さを噂でしか知らないが、ブラムはその眼で確かに見た。一撃の稲妻で砕ける城門、見上げるような城壁を跳び越える現実離れした身体能力……そのどれもが人間技ではなかった。
「しかし、アレスの裏切りは悪いことばかりではありません」
もう一人の異常者が、異なことを言った。
「裏切り者が、皮肉にも侵略の活路を開いてくれました。オルモーラの貴族がアレスに手を貸して攻撃を仕掛けてきたため、我々には正当防衛という大義名分ができたわけです」
なるほど、とロナークが白ひげをさわりながら言う。
「正当防衛と称し、オルモーラ地方を占領するのですな」
「そうです。ついでに言えば、オルモーラには高品質の燈火油が豊富にありますし、それを海外に輸送するための大きな港もあります。それらは軍備増強の足しになりますし、海外進出の足がかりとなるでしょう。それに、アレスと手を組んだ貴族の裏では、ウィンスター国のフェニエド王が糸を引いていた可能性もあります。その証拠をつかみ、突きつけることができたなら、不可侵条約を逆手に取った一対一の戦争に持ち込めるのではないかと考えます」
「ウィンスターと戦い、北に領土を広げるおつもりですか」
ラインハルトはうなずく。
「陛下もそのお考えです」
コルセオス王に視線を向けると、王の意志も決まっているのか目でうなずいた。
他の侯爵抜きで話をしていたのだろう。あまり褒められた進め方ではないが、異論はなかった。ブラム自身も北方しか道はないと考えていた。
東はシラ=エンがあり、西はネフェタリカがある。どちらも魔術師団を抱える強国でそれらを倒して別の大陸を目指すのは現実的ではない。残された道は南北となるが、南は小さな島国が連なるばかりでシルバートの民を移住させるには心もとなく、また、航路も長く、全国民を移住させるだけで途方もない時間がかかる。
その点、北のウィンスターは五日程度の船旅でたどり着け、文明も発展しており、さらに領地はパッフェル大陸の西半分を本土とし、北はシーリング大陸の南東部から、南は海峡をまたいだオルモーラ地方までと広大だ。新天地とするには申し分がない。
だが、それが非常に困難だった。
彼の国は世界有数の艦隊を保有している。魔術師は弱いが、兵士となり得る平民の数も桁違いに多い。それに、武器商人とのつながりも強く、世界各地から兵器を取り揃えている。魔術師の力はシルバートが上だが、敵の国力がそれを凌駕していた。およそ五十年前の海戦でも大敗を喫し、オルモーラ地方を奪われた。第四侯爵のロナークからすれば、新兵だった頃の苦い記憶だ。
「厳しい戦いになることは承知です。ですが勝算はあります。敵の艦隊を突破し、魔術師団を上陸させる事ができたなら作戦は成功するでしょう」
「その考えが甘いと言っているのです。ウィンスター艦隊の強さは世界一と言われております。それに比べ、我々はほとんどの者が海での戦闘を経験したことがありません。そもそも、戦艦を造る技術もなければ操船の技術もないのです。その差は歴然としています。仮にウィンスターの艦隊を潰すことができたのなら、戦況はいくらか楽になるのは確かですが、それで勝利が見えてくるほどウィンスターの陸軍が弱いとは思えませんな。ウィンスターの王都には巨大な軍事拠点が要所を守っていると聞きます。噂から判断するに、我が軍の総攻撃をもってしても攻め落とせるかどうか」
「おっしゃる通りかもしれません。ですが、考えて欲しいのです。我々はウィンスターと戦いますが、王都を落とす必要はないのです。シルバートの新たな王国を築くだけの領土を奪えたらいいのです」
「確かにそうですが……」
そう言って煮え切らない顔をするロナークに、ラインハルトは涼しげな笑みを見せた。
「心配はいりません。こちらには魔神の骨があります。それに、敵地に踏み込む事ができたなら、私の魔術師団が十二分に力を発揮してくれるでしょう。
ウィンスターは我々と戦い、気付くはずです。魔術で一番恐ろしいのは何か。そしてそれが、ウィンスターの恵まれた大地で育った彼らにどのような悲劇をもたらすのか」
黒くなる肌。狂いだす心。少しずつ身体が麻痺し、最後には命を落とす……。
戦場を経験してきたブラムは、何の治療もできないまま死んでいく兵士を何人も見てきた。だからすぐにわかった。
「魔力中毒か……」
「ご名答です」
ラインハルトは薄く笑みを浮かべる。
その涼しげな笑みが、今は、氷のように冷たく感じられた。
長い軍議を終えて会議室を出ると、切窓から差し込む陽光が赤みをさしていた。ロナークやギエンはさっさと石段をおりていくが、ブラムは廊下の途中で足を止めてラインハルトを待った。彼はコルセオス王と並んで出てきた。そして振り向くブラムに気付き、「何かご用ですか」と目を向けた。
「お話したいことがありまして、少し、時間はよろしいでしょうか?」
これから切り出す話を考えると顔が強張ったが、
「ええ、構いませんよ」
ラインハルトは涼しげな顔で応えると、国王と、それからその後ろの王女に頭を下げた。
「陛下、また後程」
「うむ」
国王はうなずくと、娘と一緒に石段をおりていった。
「それで、話とはなんでしょう?」
「あちらの露台に行きませんか」
廊下の先に誘いの手を向ける。
「わかりました」
内密な話だと察したのか、ラインハルトは素直に従った。
ふたりは連れ立って階段の前を通り過ぎた。ひっそりとした通路の先から真っ赤な夕陽が射しこんでおり、その温かな光りに足を踏み出した。
扇型に張り出した露台に出ると、山岳に建てられた王城だけあって、視界は地平線にまで広がり、十万人が暮らす城下町を見下ろすことができた。整然とした大都市は紅の夕陽に彩られ、繊細な刺繍をほどこされた高級絨毯に見えた。そして、そんな絨毯が小さく見えるほど、荒野をむき出しにしたミシル平原が地平線まで広がっている。
この大地が海に沈んでしまうなど、誰が予想できようか。しかも、いつとは知れない、遠くはない未来に沈むなど。
ブラムは、ともすれば早くなる鼓動を落ちつけて口を開いた。
「ラインハルト殿。私はこの国を救いたいと思っています」
「それは私も同じです」
「そのために多くの犠牲を払うことになるかもしれません」
「生き残るためには仕方のないことです。その犠牲も最小限に抑えられるように手を尽くしています。ブラム殿にお渡しした魔神の骨もその一つです」
懐にしまいこんだ魔道具に手を触れる。封魔の布ごしに、化け物の気配を感じた。
「こんなことを言うと失礼ですが、あなたは恐ろしい人です。本来なら天女や人間の敵である魔神の骨でさえ利用してしまう」
ラインハルトの蒼い瞳がスッと細くなった。
「道理に反していると?」
ブラムは首を横に振る。
「あなたが味方でよかった。ただそれだけです。ですが、願いが叶うなら銀狼のアレスにも仲間になってほしかった。それは、不可能なことなのでしょうか?」
「……、無理でしょう」
彼にしては長い沈黙を要し、ため息でもつくように言った。
「アレスは最愛の両親を殺されたことで復讐の悪魔となりました。彼の道は、我々の道と衝突することはあっても、重なり合うことはないでしょう」
「では、徹底的に戦うのですか」
「そうなります」
迷いのない蒼瞳だった。ブラムは幼い頃に見たコバルトブルーの海を思い出した。打ち寄せる波。変わらないようでいて刻々と変化する景色。人がちっぽけに思えるほど絶対的な存在。強い意志を宿す彼の瞳はあの海のように大きく、そして、揺るがない。
ブラムは、かねてより考えていた計画をぶつけるのは今しか残されていないと思った。今を逃せば、切り出すタイミングを失ってしまうだろう。
「一つだけお願いがございます。聞いてはもらえないでしょうか」
ブラムは真剣な顔で、自分の半分も生きていない青年に深々と首を垂れた。
「顔をあげてくださいブラム殿。そのように頭を下げられては困ります」
「無茶なお願いをするから頭を下げているのです」
頭を下げたまま無理でも通すつもりで言った。ラインハルトはしばらく逡巡していたようだが、諦めたのか、やんわりと返事をする。
「わかりました。まずは聞かせていただきます。どうされたのですか」
ブラムは直立の姿勢に戻り、蒼い瞳を見上げながら願いを口にした。
「助けてほしい娘がいるのです」
「娘、ですか?」
当惑気味のラインハルトに、ブラムは首肯する。
「ユイナ・ファーレンという娘をご存知ですね」
金色の眉がかすかに動いた。
「知っています。二度ほど会ったことがあります。……まさか」
「そのユイナ・ファーレンを救っていただきたいのです」
ジッと見詰めて言うと、それ以上の視線が上から返ってきた。上背のある金髪の青年が見下ろしてくる。真意をはかろうとする蒼い双眸が、見ているだけでまるで津波のように迫った。
「ユイナを救いたいと願う理由を聞かせてくれませんか?」
ブラムはごくりと唾をのんでから答える。
「娘の親友だからです。私の娘ティニーは、ユイナと同じ舞姫学校に通っておりまして、ふたりは大切な友人同士だったそうです」
「だからユイナを救いたいと……? 彼女は逆賊ですよ」
「それは情報として聞き知っています。ですが、本当に逆賊なのでしょうか?」
「おっしゃる意味がよくわかりませんが……」
「私も先日、娘から聞いて驚いたのですが、ユイナがアレスを山小屋にかくまったとされる翌日に、ユイナは腕に包帯を巻いていたそうです。娘の話だとその前日までは包帯など巻いていなかったというのです。だとしたら彼女はどこで腕に怪我を負ったのでしょう。アレスに脅され、その時に傷ついたとは考えられないでしょうか。脅されたユイナは、アレスをかくまうしかなかった。そうしなければ殺されていたかもしれなかった。そう考えると、辻褄が合います」
「おっしゃることはわかります。あの時、ユイナはアレスの味方ではなかったのかもしれません」
ラインハルトは素直に認めた。否、大方知っていたかのような様子で眼光をゆるめた。抜身の剣を連想させる眼光がおさまってくれたおかげか、ブラムはひと息つくことができ、もう一度願いを口にした。
「それでは、ユイナの無実を信じ、彼女の救出に手を貸していただけますか?」
もちろん同意してもらえるものだと思っていた。ところが返答は違っていた。
「それとこれは話が違います」
思わず目を見開いた。
「な、なぜですか」
「ユイナは心変わりしたのです。最初は脅されていたとしても、今、彼女は自分の意志でアレスに協力しています。彼女と最後に会った時、アレスに好意を寄せているような点が見受けられました」
「まさか。それは何かの間違いでしょう。ユイナは幼い頃に男から暴力を受け、それが原因で極度の男性恐怖症になっているのです。男と話す事はおろか、見る事さえ恐ろしく距離を置いていた娘です。そんな娘が恋心など……それも、自分を傷つけた相手を好きになることなどあるでしょうか?」
「恋心というものほど不確かなものはありません」
そう言ったラインハルトは表情をぴくりとも動かさなかった。そして、一般論でも述べるような口調で続ける。
「相手のことが好きでしょうがなかったのに、相手の嫌な面を知り、それが気に食わなくて泡のように消えてしまう恋もあります。逆もまた然りで、何もなかったはずなのに芽生える恋もあります。
男性恐怖症だからといって男を好きにならないとは限りません。特にユイナは、男というよりも、暴力に怯えていたように感じました。彼女の前にもし、暴力とは無縁のやさしい男があらわれたらどのように思うでしょうか? 『この人は違う』と特別に意識してしまうのではないでしょうか。そして、それが恋に発展しないとも限らないのです」
「しかし、彼は多くの敵を殺しています。暴力と無縁とは言えないはずです」
「おっしゃる通りです。しかし、アレスが殺したのは敵兵だけで、一般市民には手を出す事はありませんでした。ユイナにも暴力を振るわなかったと考えられます」
「…………」
返す言葉が見つからなかった。一理あると感じたからだ。
「それに、ユイナにどのような印象を持たれているかは知りませんが、なかなかどうして、彼女は普通の貴族令嬢とは違います。最初に出会った時はおどおどとした、それこそ男性恐怖症を丸出しにした娘でしたが、危機に面した時の勇気と行動力には目を見張るものがあります。さらにはメリル王女と同様、魔術もかなり使えるようです」
「魔術、ですか?」
何が何だかわからなくなった。驚く事が多過ぎて、思考の消化不良を起こしているようだ。だが、と思った。娘のためにもここで引き下がるわけにはいかない。
「一つ提案があります。私の娘とユイナは唯一無二の親友です。ユイナに、娘が心配していると伝えることができれば、彼女のこころに何らかの変化が生じるはずです。
それに、ユイナが有力な魔術師だとしたら、逆賊の中でもそれなりに大きな歯車となって組織を動かしていく可能性もあります。その大きな歯車に迷いを生じさせることができれば、アレスの計画を狂わせる要因にもなるでしょう。それに、うまく利用すれば内通の役割も果たしてくれるかもしれません」
「おもしろい提案ですね。しかし、実現するにはいささか困難にも感じます。第一、ユイナの心を揺さぶれますか?」
「それこそやってみなければわからないことです。人の心というものほど不確かなものはないのでしょう?」
それを聞いたラインハルトの口もとが微笑みをたたえた。
「わかりました。ブラム殿の提案を国王に掛け合ってみます。一つ確認しておきたいのですが、ユイナがアレスの味方であり続けるとしたら、どうなさるおつもりですか」
「その時は逆賊もろともユイナを消します」
「それを聞いて安心しました」
ラインハルトがそう言った時、ゴーン、ゴーン、ゴーンと大きな鐘の音が夕空に響き渡った。身体に響くその音は城下町に波及していく。
ブラム達がいる軍用棟の裏には鐘楼があり、朝、昼、夕の三回鳴らされ、人々に時刻を教えていた。鐘声は城下の教会に届くと、そこでもまた鐘が鳴らされ、都市の外郭にまで音が広がっていく仕組みとなっている。
「他に話はありますでしょうか?」
鐘の余韻が残る夕景色を背にしてラインハルトが言った。
「いいえ、ありません」
「そうですか。私はこれから陛下と会います。先ほどの件も相談しておきます」
「よろしくお願いします」
承知しました、そう言葉を残してラインハルトは露台から去っていく。その背中が見えなくなると、ようやく、娘のためにできるかぎりの準備はしたような心地になった。
ブラムは露台の手すりに近付く。城下には人口十万の都市が広がり、夕陽の赤に染まっていた。街の大通りや、教会前の広場に、小さな黒点が動いていた。性別、年齢、そういったものはわからないが、その一つひとつが、王都で生活する人々だ。この王都だけでも十万人。国民を全部動かすとしたらその十倍だ。彼ら全員を別大陸に移住させるなど、途方もないことを計画したものだと改めて思った。
「気を緩めるにはまだ早過ぎるか……」
ユイナを救うこともそうだが、シルバートの行く末も雲の中だ。
他国の介入を受けず、一対一の戦況をつくり、他国を乗っ取る。そのどれも失敗は許されず、まるで綱渡りをするような作戦だと思った。足を踏み外せば命はない。
「まだまだこれからだ」
気を引き締め直し、ブラムは城下町を背にした。




