救世主の決断
「メリル様はアレスと行動をともにしているのだな?」
場の空気が落ち着くのを待ってブラムが問いかけると、ラインハルトは「おそらく」と答えた。
ブラムの脳裏には、敵国ウィンスターに人質として向かうメリル王女の姿が思い浮かんでいた。あの時はまだ七歳かそこらだったか。感情の読み取れない目をする女の子だった。それが今は、どのように成長したのか分からないが、反逆者と行動を共にしている。
「足取りはつかめているのか?」
「それについては申し訳ありません。彼らがオルモーラの港で貿易船を盗み、西の海洋へ向かったことはわかっているのですが、その先が不明です。ただ、船足や食料の備蓄を考慮すると、あまり長い航行ができるとも思えません。西進を続けてソイルバインに入ったか、北上してヴィヴィドニア大陸の小国に隠れたのかもしれません」
「それでは、今のうちに戦の準備を急ぐのが得策かな?」
ロナークが自身の白ひげを触りながら丸天井を見上げるが、ブラムはそこまで楽観的にはなれなかった。
「逃げたと見せかけ、戻ってくるという可能性もあるのではないだろうか?」
その言葉に、ラインハルトはうなずく。
「戻ってくるのは間違いないでしょう。しかし、それは今すぐの話ではないと思われます」
「なぜそう思うのだ? アレスの狙いは魔神骨の消滅と、我々の領土拡大を止めることであろう? こちらに余裕を与えるとは思えない」
「彼もきっとそう考えていると思います。しかし、それでもすぐに動けない理由があります」
「負傷しているからか? 先ほど、アレスとは相打ちになったと話していたな」
「それもありますが、一番の理由ではありません。皆さんはアレスの趣味をご存知でしょうか?」
「何を言い出すかと思えば趣味だと?」
ギエンが鼻で笑い飛ばす。
「敵を狩ることしか知らない野蛮な狼に趣味などあるのか?」
「ええ、おもしろいことに“子供集め”という趣味があるのですよ。あまり知られていないことですが、アレスは暗殺部隊に所属していた頃から孤児をかこっていました。身寄りのない子供には強い同情を抱くらしく、旅先で孤児を見つけては連れ帰り、家族同然に育てているのです。よほどの愛がなければできることではありません。それだけ彼らに危害が及ぶ事を恐れており、彼らを戦場に近付けたことはありません。今回もそうでしょう。安全な場所に孤児を避難させるまで、戻ってくることはないと思います」
「こちらの予想を裏切って戻ってきたらどうするつもりだ」
「その時はその時。私が息の根を止めます」
「できるのか?」
ギエンの紅い瞳が、獲物をねらう鷲のように光った。
「見たところ肩を痛めている様子。いくらラインハルト殿でも、片腕しか使えない状態でアレスを倒すのは困難ではないか?」
「アレスを逃がしてしまったのは、私が魔神骨の使い方に慣れていなかったためです。次は仕留めます」
いやいや、とギエンは首を振る。
「救世主様にもしものことがあっては一大事。それに、貴殿には残りの遺物を蘇らすという大役もある。なんなら、傷が完治するまで私がアレス討伐の任務を引き受けてもいいぞ」
それを聞いたラインハルトは、口もとにうすら笑いを浮かべる。
「やけに喰い下がると思えば、やはりそういう魂胆でしたか。どうしても恩師の仇を討ちたいのですね。しかし、それはやめたほうがよろしいでしょう。あなたでは無駄死にするだけです」
刹那、怒りも露わにしたギエンは椅子を蹴って掴みかかろうとし、とつぜん、見えない壁にぶつかったかのように踏みとどまった。いや、動こうにも動けなかったのだ。ギエンの視線の先で、いつの間にか立ち上がったラインハルトが右手をかざしていた。世の女がうらやむ色白な長指が、ギエンの顔面をわしづかみにしようと広がっている。先に動いたはずのギエンが、先手を打たれていた。
腰を浮かせたブラム達にも緊張が走る。
「ラインハルト、やめるのだ」
国王が制止を呼びかけた。ギエンは全身から脂汗をしたたらせ、歯を食いしばるようにして言葉を吐き出す。
「こ、この場で魔術を使うつもりか」
「いいえ。そのような野暮なことはしません。ただ、頭を冷やしていただきたかっただけです。命を粗末にするべきではないと忠告を差し上げても、貴方はアレスを追うつもりなのでしょう?」
「な、なにを根拠にそのようなことを……」
「白々しいお方ですね。アレス討伐の作戦をこそこそと嗅ぎ回る者がいることは突き止めていますよ。そして、その者があなたの腹心だということも」
ギエンの顔が青白くなった。ラインハルトの言葉が隠し事を的確に突いたのだと、ブラムの目にもわかった。ギエンなら、恩師の仇を追跡していてもおかしくはない。
「陛下の許可もなく勝手なことをされては困ります」
ぐ、とギエンは声を詰まらせたものの、すぐに打ってでる。
「確かに、私の身勝手な行動は誉められたことではない。しかし、勝手なのはラインハルト殿も同じではないか。聞いているぞ。オルモーラ地方の男を拉致し、下の牢獄に閉じ込めているそうだな」
「それは真か?」
ギエンの暴露に、ロナークが目を見張った。
ラインハルトは片方の眉を上げている。
「すでにご存知だとは思いませんでした。牢番の口の軽さには注意しておかなければなりませんね」
「聞きたいのはそのような話ではない」
滅多に怒りを見せないロナークが厳しい顔をしていた。
「オルモーラの人間を拉致したのは本当なのかと聞いている」
「事実です。私はオルモーラで二人の男を捕らえました。一人は科学者で、デルボと呼ばれる悪魔の油を作りだし、アレスに提供していた人物です」
「魔神骨を消滅させるのに使おうとしていた油か」
「はい。その威力は凄まじく、グラス一杯でもこの部屋が跡形もなく消し飛びます。シルバートでもそれを生成できないかと科学者を拷問にかけたのですが、口を割ることもなく死にました」
淡々とした口調に死の重みはない。ただ、耳に流れ込んでくる事実が悪寒を誘った。
「そしてもう一人。地下牢に閉じ込めているのは貴族です。アレスがオルモーラの伯爵と手を組んでいたことは先に述べたと思いますが、伯爵には息子がおりまして、彼は仲間内で問題でも起こしたのか、メリル王女の城に幽閉されていました。私は、彼を証人として利用できるのではないかと思い、保護しました」
「保護?」
その言葉にギエンが過敏な反応を示した。
「体のよい言葉を使うじゃないか。これは拉致監禁だ。しかも、重大な条約違反だ。もしウィンスターに知られたなら、囚われの貴族を救いだすという動きになる。それが何を意味するかわかっているのか。宣戦布告の大義名分を与えることになるのだぞ! この責任、どう償うつもりだ!」
苛烈な責め立てにラインハルトは苦笑する。
「償うと申されましても、まだギエン殿のおっしゃるような状況にはなっておりません。それに、彼はこちら側の切り札となります。目先のことばかりでなく、大局を見据えた発言をしていただけますか」
「貴様は大局が見えているというのか!」
言葉だけでは済まない雲行きに、ブラムが止めに入ろうとした時だ。
「そこまでだ」
国王の声が響き渡った。たったひと言で皆の動きが止まり、部屋は静けさを取り戻す。
「まずは席に座り、落ち着いて軍議を続けようではないか」
ラインハルトは頭を下げ、「失礼しました」と言って椅子に腰を戻す。ギエンも同様に謝り、着席した。
「バチルダも席に戻りなさい」
国王は隣に立つ娘にいい、娘が上座に戻るのを待った。
「先に、この事から話すべきだったな……」そう漏らし、顔を上げる。
「ゴウザ・メイスが亡くなり、空席となっていた国軍総司令の座だが、そこに、ラインハルト・ハイガルを任命したい」
「陛下!」
驚くギエンに対し、国王は手をあげて制した。
「言いたいことは分かる。総司令官になるためには年齢が三十五を越えており、侯爵を五年以上務めていなければならない。私もこのような状況でなければ、ロナークとブラムのどちらかに任せていただろう。……だが、シルバートが沈むと教えてくれたのは誰だ?」
「それは……」
「ラインハルトが天女の啓示を受けたことは忘れてはならない。彼は救世主だ」
国王の凛とした瞳に見詰められ、ギエンは眉間にしわを寄せて口を閉じた。
救世主ラインハルト。それはまぎれもない事実だった。
半年前、第二王女バチルダ・エミス・シルバートの身体に天女が宿った。そして、ラインハルトに対してシルバート大陸が海に沈むことを予言し、大陸からの脱出を命じた。それは救世主を沈没から救うためだったが、ラインハルトはシルバートにとどまり、与えられた啓示を国王に伝えた。
当初、国王は自分の娘に天女が宿ったことを信じなかった。ただの悪ふざけだと思っていたのだ。しかし、舞姫となったバチルダの啓示は疑念を打ち砕くほど的確だった。
国の東部で発生する地震と地割れ。南部の冷害による不作。そして、王都の地下に眠るという神話の遺物。国王でさえ知らないことを寸分違わずに言い当てたのだ。その頃になり、バチルダが本物の舞姫であることを、国王も認めざるを得なくなった。そして、最初の啓示が国王の肩に重くのしかかった。
“シルバート大陸は、近い将来、海に沈みます”
それを調べるため、考古学の権威であり、地質学にも精通するシオン博士が呼ばれ、舞姫の言葉をもとに、さまざまな角度から検証が行われる事となった。半年を判断の最終期限とし、誰も住まない荒野において極秘となる大地への魔力射出実験が始まった。実験は周辺地域に厳重な見張りをたてて行われた。誰も近づくことはできず、何が行われているのかを知るのはシオン博士一人だった。
そして、計画の半分となる三ヶ月が過ぎた時だった。今まで何の変化もなかった大地が割れて砂となった。その砂が沈むように崩れ始めたかと思うとそこからは早かった。十メートル四方が砂となって崩れ去ったのだ。実験の中心にいた魔術師は逃げ遅れて砂に呑まれた。そうしてできた真っ黒な穴からは、荒野のど真ん中にも関わらず、波の音が聞こえていた。すでに海は、足元にまで迫っていたのだ。
この報告を受け、国王は緊急招集をかけた。集められたのはシオン博士と四名の侯爵、そしてラインハルトだ。会議は一昼夜つづき、そこでラインハルトは無謀とでもいうべき提案を切りだした。
その計画は、他国を侵略し、そこに国を移すというものだった。誰もが無謀だと反対したが、他にシルバート国民を救う方法はなかった。考え抜いた末、侯爵の意見は賛成で一致した。そんな中、真っ向から反対する者が現れた。それは大地の調査を行ったシオン博士だ。博士は皆に訴えた。
『魔神の力に頼ってはならない!』
『人の住めない場所を増やしてしまうだけだぞ!』
『魔術を使うから大陸が崩壊に向かうのだ。魔術を使わなければ大陸は沈まない』
博士は正論を掲げた。しかし、それらの言葉は魔術国家シルバートを根底から否定するものだった。魔術で繁栄してきたシルバートが、魔術を捨てられるわけがない。それに、シルバートの初代国王が没してから五百年、国が分裂し、乱世を迎えたシルバート大陸では、争いや侵略が絶えず、地図上の国境線が何度となく書き換えられた。そのように紛争の絶えない大陸で魔術を捨てたらどうなるか、預言者でなくとも答えは見えていた。
魔術を捨てれば他国に喰われる。ぐずぐずしていれば大陸は沈む。シルバートに残された道は別大陸への侵略しかなかった。そして、それに反対するシオン博士の存在は、侵略を推し進めようとする者にとって都合が悪かった。
シオン博士とその家族が失踪したのはまもなくのことだった。危険を感じて逃げたのか、それとも、何らかの事件に巻き込まれたのか……、二つの可能性を抱えた失踪に大規模な捜索活動がおこなわれた。もちろん、侵略作戦を他国に漏らさないため、国境に見張りを巡らし、ねずみ一匹でさえ通り抜けできないようにした。
しかしそこまで捜索を強化したにも関わらず、博士一家を発見することはできなかった。それらしい目撃証言もないまま時間ばかりが過ぎ、捜索は暗礁に乗り上げたかに思われた。
ところが、三週間が過ぎた頃、博士一家の足取りをつかむ、思いもかけない報告が入った。古代遺跡の調査に向かった団体が、シオン博士の墓標を発見したというのだ。真偽を確かめるため、すぐに調査団が送られた。現場についた調査団は、証拠となる光景を前に立ち尽くしたという。竜巻で粉砕され、地均しされたような遺跡の中心に、ぽつんと墓標は立てられていた。夕陽を浴びてたたずむ墓標には、こんな言葉が刻まれていた。
“親愛なる『シオン・ディベンジャー』『エリシア・ディベンジャー』。やすらかに眠ってください。誓いはかならず護ります。”
墓標が確認された翌日、博士の息子アレス・ディベンジャーによって第一侯爵ゴウザ・メイスが暗殺された。シルバートの英雄が、逆賊となった瞬間だった。
「天女の啓示を知らされてから多くのことがあった。本当に多くのことが……」
激動の半年を振り返りながら国王はもらした。
「しかし、これはまだ序の口だ。これから更なる障害が待ち受けているだろう。国が揺れることになる。その時、我々がバラバラでは国はまとまらない。試練を乗り越えるには一丸となる必要がある。ラインハルトを総司令官とし、我が国の生き残りに協力してもらえるな?」
エメラルド色の瞳がブラム達を見詰めた。辺りは、しん、と静まり返る。
国王の意志に逆らえる者などいなかった。
国王は、ありがとうと礼を言い、背筋を伸ばす。
「略式ではあるが、ラインハルト・ハイガルを国軍総司令官に任命する」
「謹んでお受けいたします」
優雅な一礼に、国王はひとまず安堵の表情を見せた。




