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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
第一章
18/88

闇夜の賊と月夜の踊り子17

 

 アレスとメリル王女が町の向こうに消えるまでユイナは見送り続ける。このままアレスと会えなくなるような、そんな嫌な予感がしていた。

 姿が見えなくなっても立ち尽くしていると、ペントが声をかけてきた。


「ユイ姉さん、部屋の掃除も終わったみたいだよ。僕たちも部屋に行こ?」

「ええ……そうね」


 ユイナは重たい気分を引きずるようにして宿へと戻り、荷物を抱えてペントと一緒に二〇五号室へと向かう。そこが今回二人に割り当てられた部屋だった。

 階段を上がって二階の廊下を歩き、部屋に入ると、二つのベッドと机、それにクローゼットという他の部屋とまったく同じ造りになっていた。換気のために開けられた窓でレース編みされたカーテンが大きく揺れて半開きになっている。そこから眺望できる景色には、およそ活気と呼べるものがなかった。

 食事と寝るだけのために造られた閑散とした町並み。しかも、人影がほとんどないだけに寂しさは強くなる。

 この町と違い、ノノルの町には人も多いし、ラッチェを売る露店や、見る者を楽しませる垂れ幕があってにぎやかだった。ここにはそれがない。代わりに、木を伐採され、穴だらけになった山々が目につく。ロートニアはヘリオンという魔力耐性の強い貴金属が採れることでも有名だから、その採掘跡なのかもしれない。


「アレスと何を話していたの?」


 話しかけられて窓の外へと向けていた顔をペントに向ける。


「私も戦うから一緒に連れて行ってほしいと頼んだの。でも、断られちゃった」

「……それは、ユイ姉さんの事を心配しているからだと思う」

「そう、なのかな……」


 危険な目に遭わせたくないから連れて行かなかったのかもしれないし、やはり足手まといだと思われたのかもしれない。


「……考えてもしょうがないね。答えが出るわけでもないもの」


 ユイナはバッグを机に置き、中からオルモーラで買った平民の服を出し、クローゼットに収めていく。片づけをすることで、同時に心の整理もしていくつもりだった。一応バッグには舞姫学校の制服も入っているが、それは他人に見られるわけにはいかないので、バッグにしまったままにしておく。


「ねぇ、ユイ姉さん」

「なぁに?」服のしわを伸ばしながら答える。

「アレスはあの海賊と戦うつもりなの?」

「そうみたいだね」


 ハンガーに服をかけながら返事する。


「マガンってどういう意味だろ」

「あの海賊の呼び名であることは間違いないみたいだけど、意味はわからない」

「ロートニアではマガンと呼んでいるって言ってたね。他の国では別の呼び方をされているのかな」


 そうかもしれないね、と答えたユイナは、思考に何かが引っかかるのを感じた。


「待って。この国でマガンと呼ばれているなら、この国の人に聞いたらマガンの事が少しはわかるんじゃない?」


 あ、とペントは口を開け、ユイナはクローゼットを閉める。


 どうしてもっと早く気付かなかったのだろうか。


 ペントと一緒にロビーへと戻ったユイナは、カウンターで帳簿の記入をしていた宿の主人を見つけ、マガンについて思いきってたずねてみた。


「まがん……?」


 主人の柔和な顔が驚きの表情に染まり、「あの海賊のことですか」と、顔を曇らせる。逆にユイナはマガンの手がかりをつかめそうな気がして詰め寄る。


「知っているのですね? お願いします。詳しく教えてください」


 柔和な主人は、どうして海賊の事を聞くのかと怪訝な顔をしたが、「すべて人づてに聞いた話です。知っている範囲でいいなら」とことわりを口にしてから話し始めた。


「マガンはこう書きます」


 店主が台帳のすみにブロック体で“魔眼”と書く。


「なんでも闇の中で自在に動く死神のような海賊だと聞いています。しかもその眼は血のように紅くひかり、どんな暗闇でも昼間と同じように見えているというのです」


 ユイナもペントも緊張した面持ちで主人の言葉に耳を傾ける。彼の言っている魔眼は、数日前にユイナ達を襲った仮面の海賊に間違いなかった。闇から闇へと渡り、近付いてくる海の死神。黒い仮面の下で呼吸するように明滅していた紅い瞳を思い出し、全身の毛があわ立つ。手のひらにじっとりと汗も浮かんでいた。


「そんな海賊がうろついているせいで、最大の貿易相手であるウィンスターとの海路がずっと断たれたままです。海からこの国を訪れる人が減り、鉱山で知られたこの町も今ではこんなに寂れています。この状況をどうにかしたくて金を出し合い、ロートニア海上警備隊という傭兵部隊をつくって抵抗しました。その甲斐あって海賊は激減しましたが、肝心の魔眼は、今もまだ海を支配しています。……魔眼にはあなた達も気をつけなさい」


 主人が心配そうな眼差しを向けてきた。


「二週間ほど前に村の子供がさらわれる事件があったのです。村の子供をさらい、大人達を殺したのも、魔眼ではないかといわれています。ですからくれぐれも夜の戸締りは注意してください。特に夜間の外出は絶対に避けてください。私が教えて差し上げるのはこれぐらいです。なにしろ実際に見たわけではありませんから」


 隣のペントと目を合わせたユイナは、主人に顔を戻し、「教えてくれてありがとうございます。気を付けます」と頭を下げる。主人は柔和にほほ笑み、それから帳簿への記入を再開する。ペンを動かす手は、年齢以上に老いて見えた。ユイナはそれを横目に、アレスの目的について考えを巡らす。

 ロートニアの人々は海賊に苦しめられている。それを知ったアレスは、ロートニアの人々を魔眼の脅威から救おうとしているのかもしれない。各地で孤児を見つけては連れて帰る彼なら十分に考えられる。


 でも、魔眼と戦う理由はそれだけなのだろうか。彼は今、天女の使命を背負っている。寄り道をしている場合ではないはずだけれど……。


 考え事をして廊下を歩いていると、「おい」と呼び止める声がした。びっくりして振り返ると、ズボンのポケットに手をつっこんで壁に寄りかかるザイがそこにいた。ザイは壁に預けていた背中を離し、ユイナとペントに向き合う。


「また問題に首をつっこもうとしているのか」

「いけませんか? ……嫌な予感がするんです」

「嫌な予感?」

「アレスは魔眼の海賊と戦おうとしています」

「あぁ、そうだな。あいつは子供が好きだから、魔眼に子供がさらわれていると聞いて、それを見逃してはおけなかったんだろう」


 ユイナはハッとして顔を上げる。

 子供を守りたいから、魔眼と戦うつもりなの!?


「だからと言って、あれほど苦戦した魔眼を相手にするなんて……! ザイさんは心配にならないのですか?」

「心配しなくとも、あいつの傍には魔獣の姫君がいる。あの二人なら魔眼を相手にしても遅れはとらないだろう。あの時のような奇襲を受けなければな」


 魔獣の姫君とはメリル王女のことだ。彼女は魔法陣から呼び出した魔獣を意のままにあやつる事ができ、敵に突っ込めと命令すれば、魔獣は死も恐れずに相手へと襲いかかる。メリル王女にはそんな恐ろしい力が宿っていた。そしてアレスもシルバート国王から銀狼という二つ名を与えられた稀代の魔術師だ。そんな二人が魔眼に遅れをとるわけがない。


(でも私は……)


「あいつの傍にいられない事がつらいのか」


 とつぜんの言葉に「えっ?」と息が詰まった。あわてて否定する。


「いえ、そういうわけでは……。私は本当に心配なだけです。アレスは昼間なら誰にも負けないと思います。でも、月や星もない闇夜で戦うことになったらと思うと不安になります。足もとや障害物を気にしつつ、ほとんど相手が見えない状況での戦闘で、力の半分も出せるかどうか……。逆に暗闇は、魔眼の本領を発揮させてしまいます。……私も行くべきでした。私の炎なら闇をはらうこともできるのに……あの……ザイさん?」


 不安を打ち明けているのに、ザイはうれしそうにニヤニヤしている。


「アレスがうらやましいな。こんなに心配してくれる人がいて。だが、それと同じぐらいに心配されてここに残されたことをユイナも覚えておくべきだ」

「そ、そうなのでしょうか。ザイさんはアレスの気持ちがわかるのですか?」

「長い付き合いだからな。たいていの事はわかっているつもりだ」


 自信ありげな言葉を聞き、ユイナは逆にうつむいてしまう。


「私は……アレスの気持ちがよくわからなくなってきました」

「おいおい、どうした」


 ザイも、そして隣のペントも驚いている。


「彼のやさしさは痛いほどによくわかります。でも、やさしすぎるからこそ、彼が何を考えているのかわからなくなってきました。たとえ胸の奥で私を重荷と感じていたとしても、彼は相手を気遣い、笑顔でそれを隠しているような気がします。やさしさで、彼の本心が見えないんです」

「なるほど」

「もし、重荷だと思われているのならつらいです。……私は彼の重荷ではなく、重荷を一緒に持ってあげられるような、彼を助ける人でありたいです。だから私は一緒に戦いに向かいたかったのです」


 ザイは腕組みをしてしばらく考え込み、口を開く。


「その想いだけで、あいつは救われていると思うぞ。なにしろ俺が再会した時のあいつは、信じていた戦友だけでなく、忠誠を誓った国王にまで裏切られ、失意のどん底に落ちていたからな。それが今は心の底から心配してくれるユイナがいる」

「僕も心配しているよ」


 ペントの言葉に、ザイは口もとをゆるめて「そうだな」と笑む。それから真顔に戻り、つぶやくように言う。


「まったく、二人の言葉を天女にも聞かせてやりたいものだ」

「え?」

「天女ってのは口だけだからな」

「ザイさん、なにを……」


 彼が天女を否定的に見ている事に、ユイナは驚きを隠せなかった。ザイは続ける。


「アレスが戦っているのは、天女の啓示を受け、世界が魔術によって崩壊へと転がり始めていることを知ったからだ。ま、今回のように子供を守るためだとか、他にも戦う理由はありそうだが、全ての始まりは天女の啓示だった。あいつは世界の崩壊を止めるために自分の命をかけて戦っている。なのに、天女はアレスを救世主に選んでおいて、少しも戦いの場に現れない。戦うのは人間ばかりだ。天女は実のところ口だけで、少しも役に立っていない」


 それは救世主アレスの仲間とは思えない発言だった。




 すー、すー、すー。

 誰もが寝静まった夜にペントの寝息が聞こえる。船旅での疲れが溜まっていたのか、それとも異国の土地で歩き疲れてしまったのか、ペントは布団をかぶったらすぐに眠ってしまった。ユイナの体にも旅の疲れはあったが、胸の中に気がかりな事があり、いっこうに眠れそうもない。アレスは今、メリル王女と二人きりでいる。それを想像すると胸がそわそわして落ち着かないのだ。

 ユイナは腰かけていたベッドから離れて窓辺へと近付き、仄明るいカーテンをそっと開く。

 見上げると、窓の向こうにくっきりとした半月が浮かんでいた。それは夜の闇を払い、周囲の星々ものみこんで輝いている。目の冴えるような白光だった。寝静まったはずの町や周囲の山々まで闇から照らし起こされ、その中で眠っていられるのは人間ぐらいに思えた。

 外に出ようと思った。いや、考えるよりも先に、体が窓から離れてドアの方へと歩いていた。

 ペントを起こさないようにそっと廊下に出てドアを閉める。二階の廊下から一階の玄関を見下ろすと、玄関の扉は内側から硬く閉ざされていた。

 ユイナは後ろを振り返り、廊下の奥へと顔を向ける。奥には窓が一つだけあり、そこから射し込む月明かりが、屋上への階段を照らしていた。ユイナは月明かりに誘われて廊下を歩く。

 長い階段をのぼり、屋上へと続く重い扉を押し開いた。

 異国の夜気と白い月光がユイナを包んだ。広い屋上を見渡し、思わず感嘆の声をもらす。


「きれい……」


 目をこらさなければわかりにくい、細かい砂ぼこりに飾られた屋上が、半月の明かりを浴びて輝き、ひっそりとした舞台をつくっていた。よく見れば、周囲の屋上も同じように砂ぼこりの舞台をつくっている。そこには、貴族令嬢が男性との出会いを求めて向かう社交場のような華やかさはなかったが、ありふれたものが不意に見せる幻想的な美しさがあった。

 歩みを進めると靴底で砂がこすれ、シャリ、シャリと鳴る。

 ユイナは屋上の中央で立ち止まり、今度は屋上だけでなく、周囲の町並みを見渡していく。

 昔は魔力耐性に優れた金属ヘリオンで栄えた町並み、だが、今は借り主のいない集合住宅や、客のいない酒屋で閑散としている。

 さらに遠くへと視線を転じると、見えてくるのは採掘跡をむき出しにしたまま捨てられた山々、後方には世界中の国々へとつながる大洋、そして、すべてを等しく照らす月影。

 アレスもまたこの月を見上げているのだろうか。それとも……魔眼と遭遇し、戦っているのだろうか。

 どこで何をしているのかわからない。わからないから、胸がそわそわする。だけど、信じて待つしかない。


「ん~っ」


 気を紛らわすようにおもいっきり夜空へと背伸びした。それから腕を下ろすと同時に肩の力をぬき、腰の後ろで手を重ねて半月を見上げながら歩みを進める。


 シャリ、シャリ、シャリ……。


 砂ぼこりの積もった屋上を靴底の(かかと)でこすって音をたて、一歩ごとの小さな背伸びで拍子をとった。前に出した左足を軸にくるりと回って両手を夜空に流し、右のつま先で屋上に半円を描いて止まり、今度は右のつま先に体を流しつつ逆回転をして左のつま先で半円を描く。ユイナの通った場所から白い砂煙が立ち、辺りは大地のにおいに包まれた。

 今夜はなぜか、砂ぼこりでさえ美しい。


 シャルリ、シャルリ。


 ユイナは広い舞台を流れるようなステップで移動し、砂煙の中をくぐって静かに舞い、世界の一部を全身で感じ取る。

 それははるか昔から天女と人が守りぬいてきたもの。数え切れないほどの年月が流れても存在し、これからもずっと存在していると思っていたもの。だが、そうではない事を知った。


 “アレスが戦っているのは、天女の啓示を受け、世界が魔術によって崩壊へと転がり始めていることを知ったからだ。”


 脳裏にザイの言葉がよみがえる。


 “あいつは世界の崩壊を止めるために自分の命をかけて戦っている。なのに、天女はアレスを救世主に選んでおいて、少しも戦いの場に現れない。戦うのは人間ばかりだ。天女は実のところ口だけで、少しも役に立っていない。”


 ザイは一つ勘違いしている。

 この世界を創ったとされる天女は、魔神が現れた時に傍観していたわけではない。舞姫と呼ばれる娘の体を借りて地上に降り、バラバラだった人々の心を一つにまとめあげ、魔神を倒すまで人々の無事を祈って舞い続けたと伝えられている。

 人類の大半が死滅する災厄を防げなかったとはいえ、天女の舞いは人々に数え切れないほどの奇跡を与えた。

 舞う事で、天女もまた、彼らとともに戦っていたのだ。



 ユイナは全身全霊をこめて月夜に舞う。

 着地した足もとでふわりと砂煙が生まれ、ユイナを包もうとしてくる。それをさらりとかわして次の煙を生んだ。その周りに広がる世界は、月明かりと陰の闇で幻想的なコントラストを生み出している。

 今夜は何もかもが美しい。こんな夜は何か不思議なことが起こってもおかしくない。天女のように数々の奇跡を起こせなくてもいい。

 ユイナが望んでいるのは、たった一人を守るだけの奇跡だった。



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