闇夜の賊と月夜の踊り子15
ザイを先頭にした行列は笑顔と笑い声をふりまきながらノノルの町を抜け、郊外へと向かった。まるで遠足気分だ。しかし、ユイナは行列の中ごろでペントと手をつなぎ、身をひそめるように静かにしていた。周りのみんなが異国の風に浮かれていても、ひとりだけ別の事で胸がいっぱいで、永遠とつづく荒野か墓場を歩いているような気分になっていた。
理由は自分でもわかっていた。アレスとメリル王女の関係だ。
ひと目をあざむくために銀髪を灰色に染めたアレスは三つめのラッチェを口に入れ、あっという間に平らげてしまった。その隣を歩くメリル王女は衆目の前で口を開けることを気にしているのか、まるで小鳥のようにラッチェをついばんでいるのが、人垣の隙間から見えた。
アレスの傍にはメリルがいる。許嫁同士で、幼い頃からの知り合いで、冗談さえ言い合え、隣にいるのが当たり前の二人。そんな二人の間に入っていけるほどの度胸や自信はない。でも、胸の中にあるアレスへの気持ちは本物で、ふたりの仲を黙って見て見ぬふりなどできるはずもなく、少し離れた位置からふたりの様子をうかがってしまう。
ノノルの町を抜け、山の麓沿いに大きな弧を描く細道をのぼっていき、どれほど歩いただろうか。細道は、反対側の麓をまわって伸びてきた大路と合流した。その大路は馬車と馬車が悠々とすれ違えるほどの広さがあり、ノノル港の前を通る車道と同じ造りをしていた。おそらく、物資を大量に運ぶために造られた物流の路線で、山をゆっくりと下りながら迂回して港へとのびているのだろう。
「ザイー。どこまで歩くのー?」
「もう少しだ。丘の上にいくつか建物が見えるだろ?」
先頭で一行を引き連れていたザイが、内陸へと向かう車道の先を指さす。坂の上へと視線を向けると、いくつか建物が見えた。ノノル町とは違って建物のまわりに外壁はなく、丘上の平地を利用して造られている。村と呼ぶには大きく、小規模の町というのが正確だろうか。
「少し見えにくいが、奥の方に二階建ての平べったい建物があるんだ。そこがしばらく世話になる宿だ。老夫婦が二人で経営している」
「まだ、あんなに道があるの?」
メリル王女が不平をもらして辟易する。いつもなら魔法陣から怪鳥を呼びだし、その背にまたがって目的地までひとっ飛びするので、歩くという行為に慣れていないらしい。
「どうしてノノルの町で宿をとらなかったの」
「俺が頼んでいたのです。安く泊まれる宿を探してくれと」
アレスの言葉に、メリル王女は、仕方ないといった風に金色の柳眉を動かす。
「少しは綺麗な所なのでしょうね。立ち寄るだけとはいっても、ネズミが出るようなところはお断りよ」
「住み心地は悪くないと思う」
ザイは首筋をぽりぽりとかきながら言った。
「おじさん、お客を連れてきたぞ」
ザイがぶっきらぼうに言い、換気のために開け放たれた表戸をくぐると、ロビーの掃除していたおじさんが、ほうきを持つ手を止めて団体客に驚いた顔で「いらっしゃい」と小さく頭を下げた。それからすまなさそうにもう一度頭を下げる。
「すいません。まだ部屋の掃除が終わっていないのです。もう少しで終わると思いますので、それまでロビーか外の椅子に腰かけて待っていてもらえますか」
「わかりました。それでは待たせてもらいます」
「すいません。こんなに大勢が泊まってくださるのはひさびさで、面目ないところをお見せしてしまいました。――さ、どうぞ。長旅で疲れたでしょう。椅子に座って待っていてください」
宿の主人はそう言い、くつろぐようにすすめる。店主は五十代ぐらいだろうか。年齢のせいか少し猫背気味だが、柔和な顔のおじさんだった。
一行は「お世話になります」と頭を下げ、さっそくガタゴトと椅子に座ってくつろぐ。その物音が二階にも聞こえたのだろうか。右奥から二階へと続く階段近くの部屋から初老のおばさんが顔を出し、こちらに気付いて階段を降りてきた。
「いらっしゃいませ。あらあら、かわいい子供たちだこと」
おばさんは宿の主人とよく似た温和な笑顔で一階に降りてくると、アレスを見上げてその上背の高さに目を丸くした。アレスはそんな彼女に笑いかける。
「子供達がお世話になります」
「いいえ、当店を利用していただきありがとうございます。それより、大きな体をしているのですねぇ。鉱山で働く男達はみんなたくましかったですけれど、あなたは彼ら以上ですわ。部屋のベッド、あなたに合うかしら」
アレスは首を横に振る。
「いいえ、俺は用事があるので、宿には泊まりません」
……え?
ユイナは振り返り、まじまじとアレスを見詰めた。
「そうなのですか? 残念ですね」と、おばさんは言う。だが、ユイナは納得できなかった。
(どうして宿に泊まらないの……? みんな一緒に泊まるんじゃないの?)
しかし、すぐに気付く。
(そうか、夜は銀狼に変身してしまうから……。銀狼になった姿を、誰にも見られるわけにはいかないものね……)
理解はしても、一緒の宿に泊まると思っていただけに、ショックも大きかった。
「掃除は終わったのかい?」主人がおばさんに聞く。
「あと二部屋のこっているわ」
「すみませんが、少しだけ話し合いをしたいので、二階の一室を先に借りてもいいですか?」
アレスがそう聞き、主人は「ええ、どうぞ」と答える。
ありがとうございます、と言ったアレスは、ザイとメリル王女を振り返り、目を合わせた二人にうなずくと、階段を上がっていく。ザイとメリル王女もその後ろについていった。
言葉のない、ただ視線を合わせるだけの刹那の会話。だというのに、ザイとメリル王女の瞳に真剣な色が宿っていた。いつもと雰囲気が違う。何かしら重大な話をするつもりなのだ。それも、ユイナ達にさえ聞かれたら困るほどの。
三人は階段を上り、通路をさらに奥へと進んでいき、壁の向こうに見えなくなった。
「話し合いが気になる?」
驚いて振り向くと、ペントが隣にいた。
「そ、そんなことないよ」顔を逸らして答える。
「でも、ずっと二階を見ていたよ」
「そ、そうかな……?」
幼いのに、意外と鋭い。ペントは他の人に聞こえないような小声でしゃべる。
「(何を話しているのか、聞きに行く?)」
「え?」
「(通路の反対側にも階段があるんだ。そこからなら誰にも気づかれずに二階に上がれると思うよ)」
ユイナも声をひそめる。
「(……そうなの?)」
「(うん。……行く?)」
「(う、うん……)」
「(わ、私も行く)」
驚いて振り返ると、そこには灰色の髪をリボンで結んだ少女がいた。コルフェだ。ずっと傍で立ち聞きをしていたらしい。
「(私も、何を話しているのか知りたいの)」
どうする? とペントが目で問いかけてくる。ユイナは少し逡巡したが、気付かれてしまった以上、彼女を連れて行かないのは良くない。運命共同体になるしかないようだ。
「(わかった。一緒に行こう)」
三人はうなずき合った。
周囲を見回すと、宿の主人はちりとりに集めたゴミを捨てるために外に出ていき、他のみんなも長旅の疲れを癒すようにのんびりしている。
今なら行けそうだ。
人目をぬすんでカウンターの横を抜け、一階の通路を奥に進んでいくと、ペントの言っていた通り、二階へと続く階段が見えた。階段は二階部分で折り返し、三階へと、いや、屋上へと続いているようだった。宿は縦長で二階建ての造りになっている。
足音をたてないようにして一階の長い通路を進み、換気のために開けられたドアの前を六つほど通り過ぎた時だ。客などいないはずの部屋に人の気配を感じ、ユイナは慌てて戸口から身を引き、後ろにいたコルフェ達とぶつかりそうになった。
「(どうしたの?)」小声でコルフェが聞いてくる。
「(中に人がいる)」
「(どういうこと? 宿の人、私達の事をひさびさのお客って言ってたよね)」
でも、戸口からそっと室内を覗き込むと、ベッドの上には確かにおばさんが横たわっていて、外の景色を眺めている。客ではなく、宿の関係者だろうか。
とりあえず、気付かれないように背を低くして部屋の前を通り過ぎ、さっさと階段をのぼっていく。そして、階段から二階の通路へと顔を出してまずは安全を確認し、それからアレス達のいる部屋を探す。
二階には十もの部屋数があり、そのうちの一つ、二〇八号室のドアだけ閉じられていた。どうやらそこで会談が行われているようだ。
ユイナはもう一度安全を確認し、足音に気をつけて隣の二〇九号室へと忍び込む。ペントとコルフェも続いて滑りこんできた。
部屋は簡素な造りで、机とクローゼットとベッドがあり、机の上には花瓶もあった。ユイナは室内を移動し、隣室で行われている会談を盗み聞きするため、レンガの壁に耳をくっつける。ざらざらとしてひんやりとした感触を我慢して耳を澄ませていると、かすかに声が聞こえてきた。
『まさか放浪しているうちに国の情勢がここまで変わっているとは思っていなかった』これはザイの声だ。
『確かに、ヘリオンの採掘が断念されて止められていたのは俺にとっても予想外だった』
この声はアレスだ。
しかも、ヘリオンと言えば、魔力中毒を緩和する特殊な金属ではなかったか……。あまり強度のある金属ではなく、別の硬い素材で作った防具にコーティングして魔術に対する耐性を上げている。
『そうね。半分はそれを目当てでロートニアに来たというのに』
メリル王女の声。
『仕方がありません。いい素材が見つかるまで、他のものを魔法の触媒に使います』
『そうね……』
『それで、あの海賊について何かつかめたのか?』と、ザイ。
『ああ。かなり有名な海賊のようだ。三日月の巨大鎌を持ち、暗闇に紛れて襲ってくることからロートニアではマガンと呼ばれ、海賊の中では最高額の懸賞金をかけられている』
どうやら数日前に襲ってきた海賊を議題にあげているらしい。
『マガン……、あのマガンか?』
『どうやら、そのようだ』
『なんだよ。アレの可能性に気付いている奴が他にもいるかもしれないって事かよ』
大きな壁にでもぶち当たったようなザイの深いため息が聞こえる。
ユイナは耳を壁にくっつけたまま柳眉をひそめた。
マガン……? どういう意味なのだろうか?
『さいわいというべきか、誰もマガンの居場所をつきとめていない。俺とメリル王女の二人で誰よりも早くマガンの身柄を確保しようと思う』
『どうやって?』
『私の鳥で空から捜索するわ』
『なるほど……だけどよ、マガンが本物なら捕まえるだけじゃダメだろ?』
ザイが問いかけ、部屋に沈黙が流れた。
『もしも……』
しばらくしてアレスが声を発する。だが、やけに神妙な声音だ。
『もしも、マガンが災厄の種になるのだとしたら……生かしてはおけない』
ドキリとした。相手が敵であっても殺さずに気絶させてきたアレスの口から発せられる言葉とは思えなかった。それだけ声に重みがあった。
『それはそうとして、船の修理に一か月かかるとは思わなかったわ』
『仕方ありません。船べりから亀裂が入って、高波が来たら一部で浸水もしていたぐらいです。そのままにして航行していたら取り返しのつかないことになっていたかもしれません』
『船を買い替えた方がいいんじゃないの?』
『おいおい、それだけの金がないから修理を――いや、悪かった。話を続けてくれ』
メリル王女に睨まれたか、ザイが素直に引き下がった。
『ねぇ、船が直るまでと言っていたけど、シルバートとウィンスターを一ヶ月以上も野放しにしておくつもり? あの二つの国が団結してしまったら私達はかなり不利よ』
『それについては俺も考えました。しかし、そうはならないような気がしてきました』
『……何が?』
『シルバートとウィンスターが手を組むことです』
『何を言い出すの? あれだけ議論したじゃない。ウィンスターの海軍がシルバートと連携して攻めて来たのは事実でしょ。それに、両国が共同戦線を張っていると明言したのを、あなたの妹も聞いたそうじゃない。疑いようがないわ』
『それなら、なぜ、もっと早く協力して攻めてこなかったのでしょうか? 俺達の計画を潰すならもっと早い段階で攻めてもよかったはずです。三ヶ月前に私がオルモーラの研究所を訪れた時からスパイによってこちらの行動は筒抜けだったわけですから。そしてシルバートとウィンスターは海で隔てられた別大陸にありますが、陸路で馬を走らせれば十日で相手国の王都まで書簡を届ける事は可能です。いや、国の一大事になりかねない状況で急がない理由がありません。それなのに三ヶ月もかかっています。わざわざデルボが完成するのを待った……ようにも思えてくるのです』
『言われてみれば確かに』ザイが横から相槌をうつ。
『それじゃあ何か? シルバートかウィンスターか分からないけどよ、デルボの完成まで攻めてこなかったって事は、どちらかが――どちらもの可能性もあるのか、デルボを必要としていたって事か?』
『おそらく。そして、何者かはデルボを手に入れたはず……』
『怖っ! あんな物がまだ残っていると知ったら気軽にランプなんて使えないぞ』
その恐ろしい想像にユイナも戦慄した。
デルボの爆発は目の前で見て知っている。あの炎に包まれる恐ろしい感覚。その後の記憶が曖昧だが、アレスが助けに来てくれなかったら間違いなく命を落としていた。
『ランプの使用については安全を確かめる事を徹底しましょう。それと、デルボを手に入れた者がいるのなら、暗殺を計画している可能性もあります』
『…………』
『ですが、今の俺達にできることは限られています。両国の動向は気になりますが、今は無視しましょう。調べようにも船はありませんし、船があったとしても事件の後で両国とも厳戒態勢を敷いていて近付く事もできないはずです。それに、ラインハルトが魔神の骨を使って何をするつもりなのかも不明なままです。下手に動けば、巧妙に仕組まれた罠が待っているかもしれません』
『……そうね』
もどかしさのにじむ王女の声に、アレスは声をやわらげる。
『あまり気にするのもラインハルトの思う壺でしょう。今はとにかく、マガンを捜索し、どうにかするのが先です。そのために王女には協力をお願いします』
『わかったわ。すぐ見つけられるようにとびきりの魔獣を用意してあげるわ』
『ザイは子供達のことを頼む。海賊が子供をさらっているというのも気がかりだ』
『わかってる』
会談が終わりそうな気配だった。身を隠した方がいいと思って壁から離れようとしていると、後ろから物音がした。
コトリ。
驚いて振り返ると、コルフェが机上の花瓶にひじを当ててしまっていた。細長の花瓶がさかさまになって机から落ちていき、慌てて拾おうとするコルフェの手も間に合わない。そのまま床に落ちて割れると思った瞬間、横から滑りこんできたペントが危機一髪で拾う。
安堵の息をもらそうと思っていると、今度は戸口に大きな影が現れて息が詰まった。
「お前達」
黒曜石を思わせる瞳で見下ろされ、ユイナはおずおずと息をはきだす。
「アレス……」




