闇夜の賊と月夜の踊り子11
三日月のような弧を描く岬の横を抜け、ヴィヴィドニア大陸でも有数の規模をほこるノノル港に入ったのは、日が最高に昇る昼ごろだった。しかし、港に着いたからといってすぐに船を降りられるわけではなく、アレスとザイの二人だけが商人に成り済まして下船し、入国の許可をもらうために港の人間と交渉している。
とっくに下船の準備を終えたユイナは、着替えや舞姫学校の制服が入ったバッグを胸に抱いていた。カトレアの部屋に集まった他の子供も同じ布製のバッグを持っている。それは、使わなくなった船の帆布を丁寧に洗い、将来は靴職人になりたいというエビンが、腕によりをかけて縫い合わせて作ってくれたものだ。本人は見た目が悪いと言っていたが、丈夫で使いやすいとカトレアに褒められたら、まんざらでもない顔をしていた。
ユイナはバッグの縫製部分に指を滑らせ、その丁寧な仕事に感心しながら、なかなか下船の許可がおりずに待たされている退屈を紛らわせていた。
「まだ降りたらダメなのかなー」
丸窓から外を眺めていた男の子がぼやいた。他の幼児も待ちくたびれたらしく、そわそわしている。カトレアはやさしく笑う。
「もう少し辛抱してね。そろそろ外に出られるはずよ」
「あ、アレスが戻ってきたよ」
窓の外を見ていたコルフェが弾むような声で言った。子供達が窓に殺到し、ユイナも心もち背伸びして子供の頭の上から外を見る。
商人の格好をしたアレスとザイ、それにロートニアの住人らしい男達が桟橋を歩いてくる。
「あ、ホントだ」
「アレスーっ! 出てもいい?」
ガラスがはめ込まれた丸窓から男の子が大声で聞き、アレスはそれを見ていたのか、船を降りていい、とサインを送ってくる。どうやら下船許可が下りたようだ。
好奇心旺盛な子供達が「わぁー」と、はしゃぎながら走り出し、「こら、危ないわよ」とカトレアがたしなめている。
「早く行こ?」
ミアが言い、ユイナはうなずいてバッグを持ち直し、みんなと一緒に通路を歩いた。その中には子供以外に、海で漂流しているところを助けられた男達もいる。
甲板に出ると、港にずらりと停泊する中型帆船が見えた。その数は十隻を超えているだろうか。やはり多国に開かれた貿易港は規模が違うな、と思いつつ、それとは逆に、港や船で働いている人影が見当たらない事に違和感も覚えた。
「船がいっぱいあるね」
「うん。でも、どれも使われていないみたい」
港には同型の船が並べられているが、どの船も出港予定がないのか、人影もなく、帆も閉じられている。上空で数羽の鳥が弧を描いて飛び、鳴いているのがやけに寒々しかった。
アレスが船にかけられた階段を使って甲板に上がってくる。彼はまず、大洋で救助した三人に近付き、言った。
「貴方方には街はずれの空き家が与えられるそうです。今は物置に使われていて片づけないといけないようです。それと、今は不景気で余裕がないそうで、食事を提供するかわりに街の清掃や農作業の手伝いなどをしていただく事になります。その上、貿易船で国に帰れるのはかなり先で秋口になりそうです。それでもよろしいですか?」
「そのくらいのお安い御用です」
「家には彼らが案内してくれますので、彼らに従ってください」
アレスが、桟橋の男達を振り返ると、三人の男達はロートニアの男達に会釈し、それからアレスと向き直り、今度は深々と頭を下げる。
「何から何までありがとうございます。貴方がたのおかげで命拾いしました。このご恩をどう返せばいいのか……」
「恩なら返してもらいました」
「え? それはどういう……」
「暇で死にそうな子供の相手をしてくれました。それだけで十分でしょう」
「しかし、それでは命を救ってもらった恩と釣り合いません」
一人が言い、他の二人も首を縦に動かす。
「そうです。俺達の気持ちがおさまりません」
そう言われたアレスは空を見上げてしばらく思案顔になり、それから何かを決めた力強い視線で三人を見詰める。
「そんなに恩を返したいのであれば、難しいことを頼みますが?」
半分脅すような言葉に、相手は顔を引き締める。
「な、なんでしょう」
「貴方がたは海賊に襲われ、仲間を失いつつも生き残ることができました。その命を無駄にせず、誰かのために使ってください。家族、友達、恋人……貴方自身でもかまいません。俺が貴方を救って良かったと思えるほど、無駄ではなかったと思えるほど、誰かのために一生を使ってください。それが最大の恩返しです」
簡単なようで難しい要求に三人は驚き、それから次第に笑顔となり、もう一度深々と頭を下げる。
「貴方のご恩に応えます」
「期待しています」
「「「はい」」」
三人の声が重なった。
「――おじちゃん、行っちゃうの?」
子供の集団から男の子が近づいてきた。
「ああ、お別れだな」三人は少し寂しそうな顔をする。
「これあげる」
男の子が駆け寄って何かを手渡す。木で作った小さな馬だった。円柱の胴体に細く削って刺し込んだだけのゆがんだ頭と脚、それにしっぽは箒の毛をむしり取って代用している。
「ありがとう。この馬は大切にするよ」
おじちゃんの言葉に男の子は首を横に振る。
「馬じゃないよ。アレスだよ」
アレスの目が点になり、甲板は爆笑に包まれた。ユイナも目に涙を浮かべて笑う。
「いや、良くできている。少し首は長いが……」
困った顔で取りつくろう彼のようすが笑える。贈り物をした男の子は照れて友達のところに戻る。
「またね」
「また」
三人の男が手を振って船を降りていき、ユイナ達も手を振り返して見送る。
さて、とアレスが振り返る。
「船の修繕が終わるまで俺達はロートニアに滞在することになった。みんな、下船の準備はできているな?」
は~い、と子供達が元気よく答える。
「それじゃ、カトレアの言う事を聞いてはぐれないように行動するんだぞ」
「え、アレスはどうするんですか?」
まるで彼が別行動するような言動に問いかけると、アレスの後ろにいたメリル王女がエメラルドグリーンの瞳でひと睨みしてきた。そんな彼女と違い、アレスはユイナの質問と向き合ってくれる。
「俺とメリルは、これから海賊のことを詳しく話さないといけない。時間がかかるだろうから先に昼食をとってくれ。あとは宿を探し、それが終わったら市場を散策するなり好きなようにしていい。――あとは頼むカトレア。通貨の交換はやはり必要ないらしい。ギロでもいいそうだ」
「行きましょう」
もう話はないでしょ、とでも言いたげにカトレアが子供を連れていく。実兄であるアレスを一度も見ようともしない。アレスもそれを重々理解しているのか、少し寂しげな顔をしたものの、何事もなかったかのように歩きだし、ユイナの横を通り過ぎていく。
「――シュガース。修理費用の見積りと工期が分かればザイに知らせてくれ。それによって金の用意もする」
シュガース船長と予定の確認をする彼の背中を振り返り、それからペントに手を引かれながら船を降りて行った。
ゆらゆらと揺れるおだやかな海面に無数の柱をのばしてまっすぐ続く桟橋。その上を歩いて渡る総勢二十名が、足音を響かせながらおしゃべりしたり、停泊する帆船を見上げたりしている。
背中に感じる潮風が陸からの風と交り合い、つむじを描いては、イタズラするようにユイナの黒髪をさわさわとなでていく。そのたびに肩まで伸びた髪が前へと煽られてまつ毛にかかってきた。ユイナは、視界を邪魔する黒髪を耳の後ろに流し、ふと、右方に見える対岸の巨大石像に目を止めた。
海を抱くようにしてひろがる湾岸の、ほとんど岬に近い位置に、白い天女像がそそり立っていた。それは周囲に生える木々よりも高く、その美しくなめらかな上半身を白昼のもとにさらし、海ではなく、ロートニアの大陸を望んでいる。両腕で扇を抱き締めているところから察すると……。
「あれは天女様?」同じものに気付いたペントが聞いた。
「そうみたい。扇を持っているから、風の大天女・テンルじゃないかな?」
「ああ、きっとそうだね」
ユイナの言葉にミア達もうなずく。
大天女は属性を表す何かを持っている。例えば、大地のアシルが持っているのは植物、大海のフロルは水瓶、だけど、火のセフィルは何も持っていなくて、背中に炎の翼を生やしている。
ユイナは、岬の巨像を眺めながら舞姫学校『セフィル』の講堂にあった四大天女の像を思い出していた。舞姫学校に通う貴族の娘は、毎朝、講堂に集まり、四大天女に祈りを捧げてから授業に向かっていた。今はもう、見慣れていたはずの光景がなつかしい。
そう、銀狼のアレスと出会うまでは、ユイナも舞姫学校の生徒だった。しかし、アレスについていくと決めた時から、それは遠い思い出になりつつある。
桟橋を渡りきり、歩いてきた道を振り返ると、アレスとメリル王女がロートニアの人間と桟橋を歩いてくるのが見えた。




