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深炎の舞姫2  作者: 鳴砂
序章
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暗夜


 半月が黒雲に隠れた深夜。風もなく闇に埋もれた海面を、三艘の小舟が滑るように進んでいた。小舟にはそれぞれ二つの影があり、後尾の影がオールを操っていた。

 暗闇の海を渡るにも関わらず、明かりは一切つけていない。誰にも気付かれたくないのか一言もしゃべらず、音をたてようともしない。


 小舟は静かに進み、波音がする岩場が近づいてくると彼らに異変が起きた。両目が紅く不気味に光り出したのだ。暗闇に、十二の赤目が浮いている。

 三艘の小舟が人目のない岩場に接岸した。岩場に降りて来たのは六つの人影。黒い海と見分けのつかない岩場に迷いもなく立ち、段差や割れ目など苦にもせず登っていく。そして、雲の隙間から月が顔を出した頃、岸壁を登り切った彼らは、手にした武器を改め始めた。すると、一際大きな影が振り返り、洞窟の奥から聞こえてくるような低い声を出した。


「てめぇは下の舟を見張ってろ。妙な気を起こすなよ」


 巨影から見下ろされた人影は少したじろいだようだが、「妙な気? どんな気だよ」と少年の声で反抗的に返した。


「……俺に隠し通せると思うなよ」


 巨影が目を細めると、睨まれた相手の両目が燃えるように強く光った。


「うわぁっ!」


 激痛にうめき、両目を押さえて岩場に転がり、逃げられない痛みにもがきだした。周囲の人影が息を呑んで見守っている。

 巨影は気にした様子もなく槍斧(ハルバード)を置いて適当な岩場に腰を下ろすと、マッチに火をつけて、切り傷と焼けただれた顔をしかめながらも葉巻に火をつけた。それから長い時間をかけて一服し、


「ふー、そろそろ行くか」


 黒海に向かって葉巻を指で弾き飛ばした。のたうち回っていた人影が痛みから解放されたのか、ゼェゼェと息を吐いている。それには見向きもせず、


「てめぇらも、わかってるな?」


 淡々とした言葉に、四つの影は恐れをなしてうなずいた。



 ***



「っ!?」


 悪夢から目を覚ますと、辺りは暗闇に包まれていた。瞬きしてみても、そこに求める光はない。ただ、隣から夫と息子の寝息が聞こえ、イリカは寝室のベッドで寝ていた事を思い出し、胸をなで下ろした。

 気持ちが落ち着いてくると、辺りは完全な闇ではない事に気付く。窓から差し込む星明かりがいつもより暗いだけで、目を凝らせば、隣で寝る夫の輪郭もかすかに見て取れた。


 何を恐れていたのだろう。

 どんな悪夢を見ていたのかも思い出せない。


 イリカはベッドの上で体を起こすと、額に手を当てて指先が濡れる感触に眉をひそめた。汗をかいたのかと指先を確かめようとするが、自分の手ですら闇に埋もれている。体が熱いせいか、それとも湿気のせいか、汗がねばつき気持ち悪かった。夜風に当たりたいと思った。

 ベッドから足を下ろし、靴をつっかけて暗闇を手探りで歩く。もう十年も昔から住んでいる家なので、目を閉じていても家具の場所が分かる。ベッド脇のクローゼットから離れ、読書好きの夫が使う机に手を添え、椅子に気をつけて窓辺に立つ。

 カーテンを開けると、向かいの家から淡い光が漏れていた。暗闇に慣れた目には少しまぶしく感じた。

 向かいにある家のカーテンに、二人の影が絡み合い、何かをしている。仲の良い事で有名なシュトラス夫妻がこんな時間にも関わらず灯りをつけているらしい。


(むつ)まじい老夫婦だとは思っていたけど、こんな夜更けに盛んな事だわ。こっちは子供ができてから五年もご無沙汰だというのに……)


 せめて明かりを消せばいいのに。イリカはそう思いながら窓を開いてベッドに戻ろうとした。その時、背後からしがみつくようにギャッ!と奇声があがった。喉を潰されたような断末魔の叫びだ。突然のことに呼吸も忘れて振り返り、カーテンの隙間から向かいの窓に目を向ける。

 ちょうど、ベッドから立ち上がる人影がカーテンに映っていた。その手に鋭く尖った何かが握られているのを認めたイリカは、カーテンを閉じ、家具に足をぶつけながら寝室へ駆け戻る。夫と息子は悲鳴に気付いていないのか、寝息をたてていた。なるべく音をたてないように二人の体を揺り動かし、目を覚まさせる。


「ママ……?」

「どうしたんだこんな時間に……」

「(シュトラスさんが殺されたかも)」


 寝ぼけ半分の夫だったが、イリカの言葉ですっかり眠気も飛んだようだ。体を起こし、耳を澄ます。

 遠くでガラスの割れる音がした。我が家ではない。隣か、その隣の家。とにかく、尋常ではないことが起こっている。


「な・に?」


 息子はすっかり怯えていた。夫は立ち上がり、ドア脇にある護身用の棍棒を手にしたようだ。イリカの脳裏に心強い武器が思い浮かぶ。


「(そ、そうだ。ボウガンがあった)」


 夫は驚いて振り向いたようだ。


「(使えるのか?)」

「(使い方はおじいちゃんに教えてもらった)」


 手探りでクローゼットの横に行き、壁に飾っている祖父のボウガンを手に取る。その瞬間、ずしりとした重みで落としそうになり、とっさに机に肘をついて物音を立てるのだけは防いだ。ボウガンを持ち上げ、まだウィンスター国にいた頃の幼い記憶を思い起こし、三本の矢を(つが)えていく。これで引き金を引けば――。


 ガシャン!


 イリカはハッとする。今の音は近かった。リビングの窓ガラスが割られたようだ。息をひそめて耳を澄ますと、何者かが足音を隠そうともせず我が物顔で家の中を歩いている。足音は移動し、廊下に出てきたようだ。あそこは床が軋むから音で分かる。足音は迷いもせず、まっすぐこちらへ向かっている。

 夫はドア脇に立ち、息を殺して待ち構えた。イリカも息子を庇うようにしてボウガンを構える。

 近付いてきた足音が止まり、ドアを押し開けて人影が入ってきた。そこに向けて夫が棍棒を振り下ろした。不意を突かれた人影が昏倒し、さらに追い打ちをかけるように夫が棍棒を振り上げた時だった。戸口から巨大な影がぬらりと入ってきて、鈍い音とともに夫が突き飛ばされた。そのまま壁にぶち当たり、ずるずると床に崩れる。

 怯える息子を後ろに守り、戸口に目を戻すと、天井まである巨大な影が近づいてきた。血のように紅い双眸を光らせて。


 ば、化け物ッ!


 震える両手でボウガンを向け、引き金を引こうとした。しかし、どんなに指に力を込めても引き金が動かない。遮二無二なって引き金を引いていると、眼前に来た巨大な影が身をかがめ、ボウガンに手を伸ばしてきた。


「あぁ……!」


 凄まじい膂力(りょりょく)でボウガンを奪い取られ、抱き着く息子と一緒に壁際まで逃げる。

 巨大な化け物が、カチャカチャと音をたててボウガンをいじったかと思うと、ガチャリと何かが噛み合う音がした。すると、気を失った夫にボウガンを向け、引き金を引いた。矢の風切り音とともにくぐもった声が聞こえ、二射目で完全に沈黙した。呼吸をする気配さえ感じない。


「ぁ……あぁ……」


 息を引き取った夫が、青い光の粒になって虚空に溶けていく。

 その青い光に照らされ、化け物の顔が暗闇に浮かび上がる。焼けただれた顔面。特に額から右目を潰すように右頬へと抜ける切り傷は生々しく、醜悪な(うみ)に濡れている。その膿の下で、紅い双眸が暗闇に浮かび上がり、まるで呼吸をするように明滅を繰り返していた。


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